2020年4月29日(水)〜5月10日(日)の期間、VRChat内の特設ワールドにて『バーチャルマーケット4』が開催される。VR会場内に展示された3Dアバターや3Dモデルなどを来場者が自由に試着、鑑賞、購入できるこのイベント。2018年夏に第1回が開催されて以降、参加者は回を追うごとに増加し、前回は、のべ来場者数約70万人を数え、今や、バーチャル空間最大のマーケットフェスティバルとなっている。今回も多くの参加者が見込まれる「バーチャルマーケット4」に、老舗百貨店の「伊勢丹」が出展するという。伝統と最新のメディアの融合となる「"仮想"伊勢丹 新宿本店」の企画から、CGモデリングまで自ら行う三越伊勢丹のスタッフ3氏に、ここまでの道のりと今回のねらい、そして今後の展望を聞いた。

TEXT_日詰明嘉 / Akiyoshi Hizume
EDIT_沼倉有人 / Arihito Numakura(CGWORLD)
PHOTO_弘田 充 / Mitsuru Hirota

<1>バーチャル空間に百貨店の強みを持ち込む"仮想"・伊勢丹 新宿本店構想と『バーチャルマーケット4』への出展

新宿のシンボルである伊勢丹 新宿本店が開店したのは1933(昭和8)年のこと。そこから元号が2つ変わった2020(令和2)年、バーチャル世界に伊勢丹 新宿本店が出店する。

伊勢丹 新宿本店の外観。新宿を代表するランドマークのひとつだ(写真提供:三越伊勢丹ホールディングス)

「百貨店って、コミュニケーションの場なんです」。

この企画を2010年から構想し、実際に販売員として店頭で接客も行なっていた、三越伊勢丹ホールディングスの仲田朝彦氏はこう語る。

百貨店は単なる販売スペースではない。目利きのバイヤーが選んだ商品を並べ、販売員がファッションの文脈を追って提案し、顧客の関心に合わせて提案をする場だ。また、来客の半数ほどが家族や友人と訪れ、ファッションを提案し合ったりプレゼントをしたりする、購買とコミュニケーションが結びついた経験をしているという。世の中にECサイトはすでに数多あるが、こうしたリアルタイムなコミュニケーションを伴って買い物体験をできる場にはなっていない。

  • 仲田朝彦氏 株式会社三越伊勢丹ホールディングス
    チーフオフィサー室 関連事業推進部 プランニングスタッフ



そこでまずは、VRChatをプラットフォームとする「バーチャルマーケット4」にて「仮想・伊勢丹 新宿本店」を展開し、「百貨店は敷居が高い」と感じている若い世代に対し百貨店の価値をバーチャル空間にインポートし、リアル空間でも百貨店に親しみを持ってもらえるようにつなげていく考えだ。

「ですから、私はこの取り組みを新規事業としては捉えていないんです。あくまでオーソドックスな百貨店の事業を仮想空間で行うという意識でいます」(仲田氏)

「バーチャルマーケット4」にて展開する「仮想・伊勢丹 新宿本店」は実在の新宿本店の約1/10のサイズで外観はお馴染みの新宿本店をCGで再現する。



バーチャルマーケット向けに制作したローポリゴン版「仮想・伊勢丹 新宿本店」外観。サイズは15m×15m。一連の3DCGモデル(後述する内観や全アイテムを含む)は仲田氏と、この取り組みに賛同した池田英生氏と丸山 透氏の3人がBlenderで自作したものだ(後述)

1Fは、実際の本館にかつてあった大階段をモチーフにした内装で、婦人靴ブランド『NT』文化服装学院の専任講師・高橋 優氏によるバーチャルのアウター売り場、そしてインフォメーションを設置。2Fには、メンズクリエーターブランド『MINOTAUR INST.』を展開する。



バーチャルマーケット向けに制作した内観。出展規約との兼ね合いもあり、今回は2フロア構成に仕上げられた

これらのCG商品は実際に店頭で販売されているアイテムだ。それだけではなく、実際には存在しないカラー展開や伊勢丹を象徴するタータンチェックのマクミラン柄のブーツ、ガラスの靴といったCGならではのブランドアイテムも用意される。また1Fインフォメーションのゾーンではマクミランショッパーも無料配布する。

(左)婦人靴『NT』販売スペース/(右)高橋 優がデザインしたバーチャルアウター販売スペース

<2>CG初心者が半年でVケット出展にたどり着けた理由〜仮想新宿を通じた「百貨店」の未来〜

先述したように仲田氏がこの企画を構想したのは2010年のこと。 当時は⾃⾝の企画を会社に提案する仕組みがなかったが、同社に社内企業制度が導⼊され、事業化の候補として提案が認められた。そしてこの4⽉から専任としてトライアルの機会を得た。それまでは自分たちの時間をやりくりして企画を詰めたり、パートナー探しに奔走していったという。



『MINOTAUR INST.』(ミノトール)販売スペース

『バーチャルマーケット4』で販売される商品については各ブランドと交渉し、製作に関しては池⽥⽒、丸⼭⽒がサポート。一連の3DCGモデルはBlenderで⾃作しているというから驚きだ。



(左)池田英生氏/(右)丸山 透氏。共に、三越伊勢丹の社員

趣味としてゲームは遊ぶものの、それまでCGの制作には触れてこなかった仲田氏だったが、このアイデアに賛同した丸山 透氏と2019年8月からBlenderに触れて食器や家具などを作り始め、1ヶ月半後には新宿本店内のプロトタイプを作れるまでに上達していった。11月からは池田英生氏も加わり、3人で業務終了後などの空き時間を活用して切磋琢磨をしながら3DCG制作に打ち込んでいったそうだ。



(左)仲田氏がBlenderを触り始めて数日後に作成した3DCGシーン。YouTubeで公開されているチュートリアルを模倣したものだという/(右)さらにしばらく経過してからの習作

教科書になったのは主にYouTube上のチュートリアル動画。Blender 2.8がリリースされて日が浅かったため特に日本語チュートリアルは数も少なく、それぞれ情報交換を行なった。また、Marvelous Designerなどを使いファッションアイテムを制作するCGアーティストの堀江雅也氏の講座に出向き、その後は直接の指導やアドバイスを受けながら新宿本店の店舗を設計し細部まで作り込んでいった。

CG初心者でありながら、約半年というわずか期間でここまで完成度が高められた理由について、「1人じゃなかったことが大きいですね」と、仲田氏。3人はそれぞれに感性が異なるそうで、「自分が一番情熱を傾けられる部分をつくる」のが暗黙のルールだという。それにより役割分担ができ、互いに刺激を受け合った。

Blenderの操作をある程度、習得した後に作成した伊勢丹 新宿本店の1F内観

入社4年目の丸山氏は、学生時代からPhotoshopやAfter Effectsなどを使用してきたが、あくまで自分がつくりたい世界のためのツールとして使ってきた。また、学生時代に多くの外国人と接し、逆に日本人のモノづくりの緻密さを再確認し、世界に向けてアウトプットする場を探していたという。それがこの度、バーチャル空間という場を見出すことができ、制作にのめり込んでいったという。

池田氏は、店頭での販売員を12年間経験した中で、伊勢丹の商品販売や顧客をより増やすための長期的な戦略を模索してきた。その中で今回の仲田氏の構想を知り、互いに同年代でゲーム趣味も近く意気投合した。3ヶ月のビハインドをものともせず、次々とCG制作物を仕上げていき、1ヶ月後には堀江氏から「指摘するところはない」とまで認められたそうだ。

今回商品となるアセットは仲田氏が婦人靴とジャケットを、池田氏がスニーカーを、丸山氏はTシャツの制作を主に担当。建物に比べ、曲線を多用するアパレルのCGはより難度の高さを感じたという。今後はブランドの増加や重ね着など、よりリアルに近づけたコーディネートの提案もしていきたい考えだ。



こうした取り組みは社内の他部署にも知れわたり、関心を集めているとのこと。その際、仲田氏は「単にデジタル事業として捉えるのではなく、百貨店パーソンとしてオンラインでお客様に価値を提供することなんです」と強調した。そうした姿勢が理解を呼び、今では年齢や性別関係なく「CGをつくってみたい」と表明する人たちが増えていっているそうだ。

今後の展望として、VRChat以外のプラットフォームにも仮想・伊勢丹 新宿本店の出店を考えているほか、アバタープラットフォームへの参加にも意欲的だ。未来のデザイナーである学生の作品の展示販売やランウェイを行うなどして、「デジタルファッション」ムーブメントを伊勢丹 新宿本店を活用して支援をしていきたいと考えている。さらには伊勢丹 新宿本店だけでなく仮想の新宿エリアを構築して、リアル新宿のもつ文化的多様性をバーチャルでも示すことで世界中から注目を集め、より多種多様なパートナーと取り組み、仮想空間での豊かな経験をリアルの伊勢丹を通じて還元していくことを仲田氏は目標にしている。老舗によるバーチャル空間における「百貨店」としての未来へ向けた取り組みが今、始まろうとしている。



将来的には伊勢丹 新宿本店だけでなく、"新宿"という街全体をバーチャル空間に構築したいと、仲田氏。壮大なビジョンのため、パートナー探しにも意欲的だ