>   >  なぜ、CGは嫌われる? ヴァーチャル・ヒューマンに対する「不気味の谷現象」問題を追う(第1回:黎明期 1970~80年代)
なぜ、CGは嫌われる? ヴァーチャル・ヒューマンに対する「不気味の谷現象」問題を追う(第1回:黎明期 1970~80年代)

なぜ、CGは嫌われる? ヴァーチャル・ヒューマンに対する「不気味の谷現象」問題を追う(第1回:黎明期 1970~80年代)

<7>NYIT/CGL

コンピュータ・アニメーションを研究できる就職先を探していたキャットマルは、1974年にニューヨーク工科大学(New York Institute of Technology:以下NYIT)に招かれる。ここの学長であるアレキサンダー・シュアー/Alexander Schureは非常に変わり者で、学内にスタジオを設けて、劇場用長編アニメ映画を作るという野望を持っていた。そして「3DCGはエフェクトと費用の面で、アニメーションに大きな発展をもたらすであろう」と確信し、キャットマルにCG研究所(NYIT/CGL)の設立を依頼する。キャットマルは、ユタ大3DCGグループのメンバーをここに誘い、2Dデジタル・アニメーション・システムの研究開発を進めると同時に、より高度化させた3DCGシステムの完成を目指した。

だが、ここの研究が形になり始めた1979年に、ジョージ・ルーカス/George Lucasがキャットマルら主要メンバーをヘッドハントし、人材は半分近くまで減ってしまう。残ったメンバーの中には、「Halftone Animation」を手がけたパークもいた。彼は、相変わらずフェイシャル・シミュレーションの研究を続けており、アーティストのレベッカ・アレン/Rebecca Allenに協力して、ウィル・パワーズの『Adventures in Success』(1983年)【図7】や、クラフトワークの『ミュージック・ノン・ストップ』(Musique Non Stop、1986年)【図8】などの、顔をモチーフとしたミュージックビデオを制作している。

ヴァーチャル・ヒューマンに対する「不気味の谷現象」問題【その1:黎明編 1970~80年代】

【図7】ホロウマスク錯視効果をうまく使ったウィル・パワーズの『Adventures in Success』のミュージックビデオ
© 1983 Island Records Inc.

ヴァーチャル・ヒューマンに対する「不気味の谷現象」問題【その1:黎明編 1970~80年代】

【図8】クラフトワークの『ミュージック・ノン・ストップ』のミュージックビデオ
© 1986 Kling Klang Produkt

またNYIT/CGL全体では、人類絶滅後の地球でロボットたちだけが暮らしているという内容の、90分のフル3DCG映画『The Works』を企画していた。そのパイロット映像の中には、見事なスピーチを披露するキャラクターも登場する。だが、シュアー学長の極端な秘密主義が災いして、現在それらを見ることは不可能に近い(ごく一部分だけならYoutubeでも確認できるが、軽妙な掛け合いを見せる司会者コンビのキャラクター【図9】が登場しないのは残念だ)。映画化も当時のマシンパワーでは断念せざるを得ず、1984年に中止された。

ヴァーチャル・ヒューマンに対する「不気味の谷現象」問題【その1:黎明編 1970~80年代】

【図9】『The Works』のパイロット映像を再構成して、テレビショー風に構成された『3DV』の男性キャラクター
© 1982 NYIT


<8>モントリオール大学

カナダ・モントリオール大学(Universite de Montrealの計算機センターに3DCG研究グループを設立した、ナディア・マニュナ・タルマン/Nadia Magnenat-Thalmannと、ダニエル・タルマン/Daniel Thalmann、フィリップ・ベルジュロン/Philippe Bergeron、ピエール・ラシャペル/Pierre Lachapelleらは、シンプルなワイヤーフレームで制作されたキャラクターアニメ『Vol de Reve/Dream Flight』(1982年)を制作した。この作品は当時、3DCGで初めて明確なストーリーを持った作品いう評価を受けている。

ベルジュロンとピエール・ラシャペルは、メンバーにダニエル・ラングロワ/Daniel Langloisとピエール・ロビドゥー/Pierre Robidouxを迎え、NFB(National Film Board of Canada:カナダ国立映画制作庁)の援助を受けて、より本格的な3DCG短編制作を開始する。そして1985年に、落ちぶれたピアノ弾きが人気のあった過去を回想する、8分間の3DCGアニメ『ピアノ弾きトニー』(『Tony de Peltrie』【図10】)を制作し、フォトリアルではないが初めて人間の表情をリアルに表したストーリー作品として話題を呼んだ。

ヴァーチャル・ヒューマンに対する「不気味の谷現象」問題【その1:黎明編 1970~80年代】

【図10】『ピアノ弾きトニー』
Philippe Bergeron, Pierre Robidoux, Pierre Lachapelle, Daniel Langlois, 1985

デザインの学士号を取得したラングロワは、NFBのディレクターを務めた後、1987年にソフトイマージ(Softimage)を設立した。そして、高度な3DCG表現を可能にした「SOFTIMAGE 3D」を市販する。このソフトは洗練されたGUIを備え、非常に強力なアニメーション・ツールと、レイ・トレーシングによるレンダラを登載しており、たちまち人気商品となり、後の「Autodesk Softimage」のルーツとなった。

一方、学問として人物の3DCG化研究を続けたのが、ナディアとダニエルのタルマン夫妻である。2人は、マリリン・モンローとハンフリー・ボガードの石膏像からデータを拾い、骨格と筋肉をシミュレートすることによって故人を蘇らす試みを行う。
この成果は、1987年に『Rendez-vous a Montreal』(*10)【図11】という短編として公開された。夫妻は現在、スイス、カナダ、シンガポールを拠点として、人体のシミュレーション研究を続けている。

ヴァーチャル・ヒューマンに対する「不気味の谷現象」問題【その1:黎明編 1970~80年代】

【図11】『Rendez-vous a Montreal』
Nadia Magnenat-Thalmann, Daniel Thalmann, 1987

(*10)Rendez-vous in Montreal

<9>ルーカスフィルムとピクサー

一方キャットマルらは、ルーカスフィルム(Lucasfilm)内にコンピュータ部門(Computer Division)を設立し、デジタル編集、デジタル音響などと共に3DCGシステムの開発を進めていた。だが諸事情でルーカスがこの部門の閉鎖を決定し、3DCG開発グループのみがスティーブ・ジョブズ/Steve Jobsに買い取られ、1986年にピクサー(Pixar・*11)が誕生する。

同社の主な業務は、ピクサー・イメージ・コンピュータ/Pixar Image Computer(以下、PIC)という画像処理専用コンピュータを開発販売することだった。だがキャットマルは、3DCGによるアニメーション制作の野望を捨てておらず、PICの販売促進という名目で短編作品を作り続けていた。
そして、この仕事の中心人物になったのが、ルーカスフィルム時代に雇われたジョン・ラセター/John Lasseterである。そしてその販促映像の第3弾として制作されたのが、『ティン・トイ』(『Tin Toy』、1988年)【12】だった。赤ちゃんに弄ばれる哀れなブリキ人形をコミカルに描いた作品で、3DCGとして初めてアカデミー賞短編アニメーション賞を受賞した作品である。ピクサーが初めてリアルな人体描写に挑戦しているが、その赤ん坊には可愛げが微塵も感じられない。実際、試写の評判は良くなく、ピクサー社内で「不気味の谷問題」が意識され始めるきっかけをつくった。

ヴァーチャル・ヒューマンに対する「不気味の谷現象」問題【その1:黎明編 1970~80年代】

【図12】『ティン・トイ』© 1988 PIXAR

(*11)社名がピクサー・アニメーション・スタジオとなるのは、1990年以降。

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