アーティスト目線での学習環境整備
ある程度サンプルが整ったら、次はこの内容を参考にして、必要なサンプルを自分たちでつくり上げていった。その数は100種類以上にもおよび、中でも「煙」、「花火」、「魔法」が鍵だったという。煙エフェクトの制作には「スケールのアニメーション」、「時間経過による色の変化」、「Velocityの操作」、「テクスチャのパターンアニメーション」といった要素が含まれるからだ。
同じように花火エフェクトには「パーティクルをトリガーにして、別のVFXを再生する」、「飛び散った光の粒が受ける空気抵抗と重力計算」の要素。魔法エフェクトには「溜め表現」、「時間や条件による変化」などの要素が含まれる。これと並行して、ノードやGraphに関する解説ドキュメントも整備していった。「あえてアーティスト目線で書くことで、わかりやすさを追求するようにしました」(松本氏)という。
もっとも習熟度が高まるにつれて、チーム内でノード作成の属人化が進み、解析に時間がかかるようになった。そこで導入されたのが、作成されたサンプルを全員でGraphレビューするしくみだ。これによりチーム内でのスキル向上や、Graphの最適化などの相乗効果も見られた。ただし、全てのVFX表現をアーティストだけでできたわけではなく、エンジニアの協力も大きかったという。「Distortion Shader」、「VertexShaderによるパーティクルの頂点移動」、「フルスクリーンVFX対応」などだ。「身近に相談できるエンジニアがいたことが成功の秘訣でした」(松本氏)。
共同開発を円滑に進めるには
後半は田村氏にバトンタッチし、海外協業のポイントについて説明された。作業のながれは「アメリカ側が戦闘の仕様を決める」、「日本側がエフェクトを作成し、納品する」、「アメリカ側がエフェクトを実装し、チェックする」となり、特段変わったところはない。ただし、海外協業となると話は別だ。田村氏は「日本で作業をしていたときは『もっと、ぐわっとさせてほしい』など、擬音を多用した感覚的な指示が多かった。言語の壁もあるし、英語のオノマトペは日本よりも種類が少ないので、不安だった」と明かした。しかし、結論から言うと共同作業は上手くいったという。
成功の決め手は「アメリカ側のゲームデザイナーにエフェクトの決定権が集約された」、「タスク管理ツールSHOTGUNを活用し、タスク管理と画像チェックの手順を統一化した」、「双方のやりとりにおいて画像や動画の比重を高めた」、「日本側とアメリカ側で裁量を明確にした」ことだ。中でもブリッジパーソンとなったアメリカ側のゲームデザイナーはプロジェクト期間中、何度も太平洋を横断し、獅子奮迅の働きをしたという。また「アメリカ側がコンセプトを提示し、後は日本側が発想を膨らませて制作する」という自由度の高さが、ノードベースによるVFX制作の自由度の高さと合致し、高い効果を発揮したとまとめた。
ただし、プロジェクトの初期には迷走期間もあったという。「アメリカ側の仕様や指示が明確でない中、日本側で先行してエフェクトを制作し、後からリテイクが多発する」、「チェックバックに1週間以上かかり、スケジュールが遅れる」、「承認者が複数存在するため、修正が多発する」などの「協業あるある問題」だ。大阪とサンフランシスコでは16時間の時差が存在するため、メールでのやりとりでは限界があったこともネガティブな方向に影響した。このままでは埒が明かないと、大阪側からサンフランシスコにチームで出張し、直接顔を合わせてミーティングを敢行。はじめに2週間出張し、1ヶ月を経て再び2週間出張した。これが契機となって、多くの問題が改善されていったという。「問題解決のためには直接会って話しましょう」(田村氏)。
最後に松本氏は講演のまとめとして、4つのポイントを上げた。「ノードベースのVFX制作環境は表現の幅に制約がなく、ゲームデザイナーからの要望に柔軟に対応できる」、「ラーニング環境をアーティストの立場から構築することで、チーム内での属人化が防げる」、「一見複雑に見えるノードベースも、1つずつ解きほぐしていくと、わかりやすくなる。それでも困ったときはエンジニアに頼る」、「海外協業では直接会って話をする」だ。いずれも基本的なことばかりだが、1つずつ解決するには大きなカロリーが必要になる。それらをコツコツと積み重ねることこそ最終的なアウトプットにつながることが、改めて示されたといえそうだ。