本当は1年かけたかった卒業制作
今回取材を申し込んだきっかけとなったのが、山内氏の卒業制作『ノエル博士のスクラッチプログラミング』だ。ゲーム制作を通して、ビジュアルプログラミング言語の「Scratch」について学ぶWebサイトで、プログラミング教育が公立学校で始まる中、全国の小学校で求められているコンテンツになっている。こうしたテーマが卒業制作に、それも通信制で取り組める芸術系大学とはどういったものか。大学に問い合わせたことからインタビューが実現した。
では、山内氏自身はどういった意図で、卒業制作に取り組んだのだろうか。そこには山内氏の英語学習に発端があった。
「英語が話せるようになりたくて、オンライン英会話のレッスンを10年間くらい続けているんです。高校時代は英語が苦手でしたが、おかげさまで外国人のクライアントがつくまでになりました。大阪で仕事をされている外国人の経営者で、日本語が満足に喋られなくて困っていると。それで問い合わせを代行したり、簡単な通訳をしたりしています。通信制の大学を選んだのもそうした背景がありました」
話を戻すと、そこでのレッスンは「習うより、慣れろ」。文法について学ぶのではなく、特定の言い回しを基に日常会話から始めるスタイルだ。相手と会話が通じると、より深く英語について学びたくなる。山内氏が専門学校で講師を務めるWebプログラミングの授業でも、同じスタイルが採られている。サンプルのカスタマイズを通して、言語の理解を徐々に深めていく方式だ。
「学校で何年も英語の勉強をして、それでも話せない人が日本では大半ですよね。これは授業の方式が良くないと思っているんです。プログラミングの授業も同じようになるんじゃないか......そんな懸念があります。ものすごい人数と予算をかけて教科書を作って、その通りに教えて、プログラミングができない生徒を量産してしまう未来。それってものすごく情けないですよね」
2020年度から必修化された公立学校でのプログラミング教育。小中学校に加えて、2022年度からは高校でもプログラミングが必修科目になる。電子サイコロで3つの目が揃う確率を計算する、鉄道の駅番号から駅名を検索するシステムを作るといった内容が盛り込まれるという。もっとも、すでに授業を担当できる教員不足が指摘されている。山内氏は「ICT分野では中国・韓国に完全に先を行かれています」と指摘し、「情けない」と繰り返した。
こうした中、小学校で主に教えられているのがScratchだ。米Scratch財団がMITメディアラボと共同開発する、無料の教育用プログラミング言語で、ブロックを組み立てるようにドラッグ&ドロップでプログラミングができる。文部科学省でも「小学校プログラミング教育に関する研修教材」として専用サイトを設け、YouTubeで教材ビデオを公開している。「実際に試してみて、すごく良くできているなと思いました。ブロックを組み合わせるので、タイプミスによるエラーが発生しないのがいいですね。プログラムに要する時間のほぼ半分がデバッグじゃないですか。それが不要というところがすごいなと」(山内氏)。
もっとも、プログラミングは手段にすぎない。卒業制作にあたり、小学生が将来なりたい職業も調査した。そこで上位に上がったのがゲームプログラマーだ。プログラミングに興味をもってもらうために、ゲームづくりは良いきっかけになる......。その結果、ゲーム開発が段階的に学べるScratchの入門サイトを制作することにした。教員から指導も受けつつ、2ヶ月程度でサイトが完成。いや、正確には「2ヶ月くらいしか制作時間が取れなかった」というべきだろう。
「10月くらいまで単位を取るのに必死で、手が着けられませんでした。早く出せ、出さないと卒業できないって、先生方からも叱られていました。一番堪えたのが『これ、誰かに触ってもらいましたか?』という指摘。時間がなくてテストプレイを省略したんですよ。Webデザイナーとして、もっとも反省している点です。できればあと1年かけて卒業制作に専念したかったですね」(山内氏)。
そうした中でも、複数の教員から様々なアドバイスを得たことで完成度が高まったという。プレイヤーの指導役になるオカメインコロボットのキャラクター、「ノエル博士」は好例だ。初期デザインだと要素が多彩で、シンプルにするように指導を受けた。マップをすごろく形式にしたのも、ゲーム好きの教員とのディスカッションから得られた気づきだ。
卒業制作を指導した上原氏も「山内さんはプログラムについてはプロの方ですので、それをどのように演出していけば一般の人に楽しんで学んでもらえるようにできるか、一緒にディスカッションしていきました。コマが進むにつれて、矢印の色が変わっていったり背景をキラキラとアニメーションさせたりといった演出もその1つです。テストプレイの有無について指摘したのもそのとおりです」と語った。
大学での学びを実務に活かす
2020年3月に卒業し、念願の学士号を獲得した山内氏。4年間の学びについて「アートに関する教養が広がった点が大きかった」とふり返った。「Webデザイナーをはじめ同業者と話をしていると、芸術系大学を出ている人が多くて、皆よくアートについて知っているんですね。自分は本でかじった程度なので、体系立てて学べたのが大きかったです」(山内氏)。
一方でグラフィックデザインに関する学びでは、初心に返れたところがあったという。前述の通り20年以上、プロのWebデザイナーとして活躍してきた山内氏。制作会社や代理店を通さずに直接契約しているクライアントも多い。一方で、そうした仕事をしているうちに徐々にデザインが守りに入っていった。大学の授業を通してそのことに気付かされたという。
▲社会人バンドサークル「ケイオンR40」(自社サイト)
「1度失敗すると仕事がなくなる。そうした緊張感が続くと、次第に無難なデザインしかできなくなっていくんですよ。だけど、そうした課題を大学で出しても『無難だけど面白くない』と言われてしまうんですよね。僕自身、もともと変わったデザインや攻めたデザインが好きだったのに、気が付いたら丸くなっていました」(山内氏)。
そのため最近ではクライアントにプレゼンする際、必ず「攻めたデザイン」を加えるようにしているという山内氏。仮に3種類のデザイン案を要求されたら、自主的に4案目を加えて、ひねったものやふざけたもの、自分が本当に面白いと思ったアイデアを提示しているのだ。「そんな風にしても、だいたい選ばれないんですけどね。ただ、エンターテインメント業界のクライアントが多いので、たまに『変なモノを作って』、『ぶっとんだ案を出して』などと言われるんです。そんなとき、普段から変なモノを考えていないと良いアイデアが出てこないんですよ。先生方と話をしていて、そうした重要性について教えてもらいました」(山内氏)。
大学の授業は初学者向けの内容が多く、山内氏にとっては既知の内容も多かったが、まじめに取り組めば実践的な授業ばかりだった。やるなら本当に満点を取るつもりで学ばなければ意味がない。そこまでやったら、先生方も真摯に応えてくれる......山内氏はそう答えた。「そういえば、なぜか先生方が僕には厳しかったんですよ。なんでこんなにダメ出しされているんだろうと、そんなふうに感じることもありました」
もっとも、学生は多くの教員から「入学するからには自分をゼロにして取り組んでほしい」と異口同音に声をかけられるという。社会人が学び直しをする際、それまでの経験が活きることもあれば、足を引っ張ることもある。ある分野について体系立てて学べるのが大学のメリットだ。そのためすでに習得している分野でも、初心に返って全力投球で取り組めば必ず得るものがある。また、専門分野以外の科目について学ぶことで、気付きを得たり、視野が広がることもある......それが社会人学生が大学で学ぶ意義だと言えるだろう。
▲グラフィックデザインコース公式サイトより
最後に卒業制作の指導などに当たった上原氏に、京都芸術大学 通信教育部 グラフィックデザインコースでの学びについて改めて聞いてみた。前述の通り本コースは2020年度までの情報デザインコースから、イラストレーションクラスがオンライン学習のみで卒業可能なコースとして、独立したことを受けて内容が再編されたものだ。平面デザインを中心に、Web制作などを通して、デザイン思考について学ぶというカリキュラムだ。
京都精華大学を卒業後、大日本印刷での実務経験を経て大学教員になった上原氏。現場の知見を基に、学問的な裏付けをふまえて様々な授業を行なってきた。本学でもHTMLとCSSでWebを制作する、新しいピクトグラムやCDジャケットをデザインするといった授業を行なっている。もっとも、単にツールの使い方について学ぶのではなく、他の分野にも横展開ができる普遍的な知見を含めるようにしているという。
「例えばWebを制作する授業では、あえてタグを手打ちさせることで文章構造の理解が深まるような内容にしています。どこが見出しでどこが段落なのか、などですね。それがわかれば、雑誌やポスターのデザインなどでも応用が利きます。見た目のデザインではなく、文章の構造を理解したデザインができるようになってほしい。これに限らず、本学での学びを通して1つのことを多角的な視点から見られる学生に育って欲しいですね」(上原氏)。
技術的なことも学ぶが、専門学校とはちがい、職業人を育成するわけではない。様々なデザイン表現を通して物事を考える思考力、発想力、問題解決力を養ってほしい。それができるのが大学教育だと上原氏は語る。学び直しに遅すぎることはなく、グラフィックデザインコースでも様々な年代の学生が存在する。通学制と異なり学生のバックグランドが多彩なため、自身が学生から教わることも多いという。学費も自分で支払う例が多いため、学生のモチベーションも高いのが特徴だ。
もっとも山内氏が語ったように、働きながら学ぶことは決して楽なことではない。そのためにも、上原氏は自分が学ぶスタイルやペースを早く確立することが重要だと指摘した。毎日少しずつでも、週末にまとめてでもかまわない。自分の学ぶスタイルを早く見つけた学生ほど、しっかりと学べるのではないかという。
最後に上原氏は「卒業生から『大学での学びが仕事や暮らしでこんな風に役立った』と聞くのが、教員をしていて一番楽しいですね」と語った。卒業後にデザイン領域に転職する学生もいるが、進路はそれだけに限らない。デザイン的な考え方を身に付けることで、社会に貢献できるような人材になることが目的だ。「本学でデザインについて学んだ経験を通して、自分の生活や暮らしをデザインしてほしいですね」(上原氏)。