人生100年時代を迎えて社会人の学び直し、いわゆる「リカレント教育」の重要性が指摘されている。こうした中「手のひら芸大」をはじめとして、Webでの学びに力を入れているのが、京都芸術大学 芸術学部 通信教育部だ。もっとも、働きながら大学などに通うことに対して、メリットを見出すことができない社会人も少なくない。Webデザイナーとして働きながら同校を卒業した山内陽介氏と、デザイン科グラフィックデザインコース准教授の上原英司氏に、通信制大学での学びについて聞いた。


TEXT&PHOTO_小野憲史 / Kenji Ono
EDIT_三村ゆにこ / Uniko Mimura(@UNIKO_LITTLE




通信制で学べる芸術系大学

今や社会にすっかり定着した3DCGアーティスト。スキル次第で活躍できる学歴不問の職業だ。多くのCG・ゲームスタジオでは、専門学校、大学、大学院と、多様な学歴をもつクリエイターが混在している。これは3DCGに限らず、日本社会の縮図でもある。そもそも一度社会に出て働き始めたら、資格や学歴について考える機会は(一部の専門職を除けば)ほとんどないのが実情だろう。

もっとも映像・ゲーム産業について言えば、3DCGを本格的に教える芸術系大学が日本には少ないという事情もある。その一方でフォトリアルな表現が主流になるにつれて、美術解剖学を筆頭に、より高度な知識やスキルが求められるようになってきた。ツールや技術の進化も留まることがない。個々のクリエイターが仕事を続けながら、自分自身で必要に応じて「学修」を続けていく姿勢が求められているのだ。

こうした「社会人の学び直し」とも言えるリカレント教育の重要性は、映像・ゲーム産業に限らず、あらゆる業界で重要性を増している。そのための手段として注目が高まっているのが「通信制大学」だ。通学制の大学よりも学費が抑えめな上、自分のペースで学べるなど、社会人でも学びやすい環境が整っている。コロナ禍という追い風もあり、通信制大学の注目度はさらに加速中だ。

芸術系分野でも通信制大学は存在する。本分野で初めて4年制通信教育部を設置した、京都芸術大学 芸術学部 通信教育部はその草分けだ。ネットで学習が完結する「手のひら芸大」と、自宅学習とスクーリング(対面授業)を組み合わせた「週末芸大」を有し、4学科16コースの下、北海道から沖縄まで1万人以上が学んでいる。学生の大半が社会人で、20代から90代まで年齢が幅広い点も特徴だ。京都だけでなく東京にもスクーリングの施設を備えており、関東圏や東日本の学生にも配慮されている。

もっとも、働きながら学ぶことに対して、意義を見出しにくい社会人が多いことも事実だろう。通信制の芸術系大学でどのような学びが行われているか、知る機会も少ない。そこで今回、大阪在住のWebデザイナーで、20年以上のキャリアをもちながら、同校のデザイン科情報デザインコース(現:グラフィックデザインコース)で学んだFROGSTONEの山内陽介氏と、准教授の上原英司氏に話を聞いた(※1)。

※1:2020年度まで情報デザインコースにはグラフィックデザインクラスとイラストレーションクラスが存在した。2021年度より新たにイラストレーションクラスが独立し、オンライン学習のみで卒業可能な「手のひら芸大」のイラストレーションコースとして新設されたため、情報デザインコースもグラフィックデザインコースに改名した。

2021年3月に卒業した山内氏が卒業制作に選んだのがScratchの学習サイトだ。なぜわざわざ大学進学を考えたのか。4年間の学びを経て山内氏は何を得たのか。興味深い答えが返ってきた。

  • 山内陽介/Yosuke Yamauchi
    FROGSTONE

  • 上原英司/Eiji Uehara
    京都芸術大学 芸術学部 情報デザイン学科 准教授



親が高卒だから自分も高卒で良いと思っていた

「正直、仕事をしていくだけなら学歴は関係ありませんでした。しかし、娘が生まれて考えが変わりました」。山内氏は大学進学の理由についてこのように回答した。 大阪生まれの大阪育ち。バンド活動に夢中になり、高校卒業後にフリーターをしながらプロのミュージシャンを目指した。その後、アルバイト先で誘われるままに正社員となり、流通業界でマーケッターをしながら演奏を続けたが、仕事柄休暇がとりにくく、活動に支障を来し始めた。

そんな中、バンド仲間の1人に雑誌のデザイナーがいた。マーケッターよりもクリエイティブで、時間の都合が付けやすい。出版業界が斜陽化する一方で、Web業界は日の出の勢いだった。そこで2000年にWeb制作会社に転職。そこから2006年に独立して現在にいたるというのが、山内氏のざっくりとした経歴だ。「転職するにあたり、日本橋のでんでんタウンでPCを買いました。何を買ったら良いかわからず、店員に勧められるままにWindowsを選びました。確か、ソニーのVAIOじゃなかったかな。それが初めてのPCでした」。

▲『OURSOUNDS』より

プロデビューは叶わなかったが、音楽とWebの知識がシナジーをもたらした。国内最大級のバンドメンバー募集サイト「OURSOUNDS」はその1つだ。2005年にサイトを起ち上げ、徹底した利用者目線で運営を続けた結果、今や30万人以上の会員数を誇るまでに成長した。独立後も大阪No.1のミュージックステーション「FM802」をはじめ、様々な音楽シーンでWeb制作を担当。これまで手がけたWebサイトの数は100件以上にのぼる。

山内氏の強みは、Webの起ち上げからデータベースの構築、SEO対策を含めた運用まで1人で対応できることだ。Web業界に飛び込んだとき、Flashデザイナーとして働いた経験がプログラミングの習得にも役立った。「 1人で何でもやらざるを得ない職場だったことが、結果として役立ちました」。2013年には大手教科書メーカーのデジタル教科書の開発プロジェクトに、JavaScriptエンジニアとして参加。2018年には日本イラストレーション協会のWebリニューアルも担当した。他にロゴ制作やポスター・パンフレットのデザイン。さらにはヒューマンアカデミー大阪校でWeb制作の講師業も務めるなど、幅広い分野で活動を続けている。

このように順風満帆ともいえる山内氏の経歴だが、本人いわく「Web業界には頭の回転が速かったり、語学力に堪能だったりと、優秀な人が多かった。自然と学歴がコンプレックスになっていった」とふりかえった。その上で決め手になったのが、結婚して娘が生まれたことだ。「自分が大学に進学しなかった理由で大きかったのが、母親が高卒だったこと。そのため自然と進学について考えなくなっていった。一方で環境が許すのであれば、大学に進学した方が良いのは間違いない。自分が高卒であることで、同じように娘が最初から進学について考えなくなる。そうした事態は避けたかったんです」(山内氏)。

つまり大卒という肩書きが欲しかったんですよ......山内氏はこのように語った。仕事をしながら学べる関西の芸術系大学ということで、京都芸術大学 芸術学部 通信教育部を選択したのも自然なながれだった。その中で本業に近しい分野なら楽だろうと、デザイン科 情報デザインコースを選択した。「正直、舐めていたところもありました。後で大変な目に遭うんですけど」(山内氏)。



デザインだけでなく、アートについて体系的に学ぶ

グラフィックデザインクラス(現:グラフィックデザインコース)は平面表現のデザインを中心に、情報をデザインすることを幅広く学んでいくためのクラスだ。タイポグラフィやピクトグラム、Webデザインなどの課題を通して、デザインの基本となる知識や表現方法を習得しながら、徐々に専門的、実践的な内容へと進んでいく。PhotoshopやIllustratorといったツールの使い方を学ぶ授業や、HTMLとCSSでゼロからWebをデザインする授業なども存在する(2021年度の授業一覧予定)

グラフィックデザインコース(公式サイトより)

もっとも、同校で准教授を務める上原氏は「グラフィックデザインと聞くと、見た目の格好良さなどの表現を連想しがちです。しかし本学では、様々な情報を相手にどのように伝えれば相手が理解してもらえるかといった、より本質的な学びを重視します。そのための実践の場として、様々な演習があるという立て付けです」と説明する。これは近年注目を集めているデザイン思考にも通じる考え方だ。デザイナーの発想力や思考力を学ぶことで、日常の仕事や暮らしをより快適なものに自ら変えていける、そうした力を備える学生を育てることを目的としているのだ。ここが職業人の育成を目的とした専門学校との大きなちがいとなる。

そのため、カリキュラム体系もグラフィックデザインについて学ぶ「専門教育科目」だけでなく、アートについて幅広く学ぶ「共通科目」がある。共通科目は所属する学科コースの専門科目だけでなく、芸術を学ぶ学生にとって基盤となる知識・見識を養うための「学部共通専門教育科目」と、知と技と眼を鍛え、基礎的な思考力・表現力を獲得する「総合教育科目」にわかれている。学び方は大きく二つに分かれる。テキストなどで学び、作品やレポートを提出する「テキスト科目」と、通学が必要な「スクーリング科目」だ。スクーリング科目は週末の2日間を使って朝から夕方まで集中して学ぶもので、デッサンをはじめとした実技系の科目に充てられている。

1年間の学習ペース(公式サイトより)

ポイントはこれらを「働きながら受講する」ということだ。4年間で卒業を目指す場合、年間6作品の提出と年7回(延べ14日間)のスクーリングが平均ペース。これに加えて共通科目などを7~9科目履修することが求められる。授業内容は(専門教育科目であっても)初学者が学ぶことが想定されているが、何より時間が不足するという。大学設置基準では、1単位履修に45時間の学習時間が必要と定められており、カリキュラム体系における各科目もそのように設計されているからだ。

もっとも、1日は24時間しかないため、履修する科目数が増えると自主学習の時間が不足する。だからこそ夏期休暇など、長期の休みを適切に活用することが求められる。ただしこれは通学生の話であり、社会人の場合は事情が異なる(そもそも学生と同じだけ夏期休暇をとるなど、今の日本社会では、まだまだ現実的ではないだろう)。

そのため、最短卒業可能年である4年間(3年次編入学の場合は最短2年間)で卒業する学生の割合は、通信制大学全体で10%程度に留まっている。多くの学生が5年~6年かけて卒業するのが実情だ。同校でも同様の割合となっている。山内氏も「業務をこなしながら課題を進めるのが大変で、4年次の10月くらいまで、卒業制作に取りかかることができませんでした。そのため、不本意なかたちで終わってしまったところもあります。本来であれば、4年間かけて卒業に必要な単位を取得し、あと1年かけて卒業制作に挑むのが理想だと思います」とふり返った。

1年間の履修例(公式サイトより)

ただし、多くの大学生が予習・復習をしっかりと行なっているかといえば、それはまた別の話だ。山内氏も「手を抜こうと思えばいくらでも手が抜けたのも事実。でも、それだと文字通り時間の無駄になるので、全力で取り組みました。特にWebの制作やUIデザインの授業のように、自分の専門分野では満点をめざすようにしました。それで余計に時間がかかってしまったところがあります」という。

例として挙げられたのが「美術史」だ。日本、ヨーロッパ、アジア、近現代から指定された6作品を調査し、素描とレポートを作成するという内容。美術史の基礎知識と全体像の把握、そして美術史を調べる基本的なスキルの獲得を目指すと共に、それぞれの地域・時代における芸術観の変遷などについて、歴史的経緯をふまえつつ理解することが求められている。「ただ描くだけでなく、いろいろな資料を読みこんで、自分の言葉で説明する必要がありました。先生方は知識量が膨大なので、適当な内容では単位がもらえません。こちらも必死になって勉強する必要がありました」(山内氏)。

他に芸術系大学らしく、デッサンに関する授業も充実している。スクーリング科目で朝から夕方まで2日間、みっちりと指導を受けるスタイルだ。1年次から学べる「入門デッサン1~5」と2年次からの「基礎デッサン1~6」があり、静物から始まって、自然物、裸婦モデル、クロッキーなど、対象物や手法を変えながら様々なデッサンを行なっていく。

実は山内氏はマーケッターからWebデザイナーに転職する際、地元の絵画教室に通っていた。Webデザイナーとして仕事をする上で基礎的な画力を身につけることが重要だと考えたためだ。そこで3年間かけてデッサンなどを学んだという。そのときよりも大学での学びの方が、指導やアドバイスがわかりやすかったとふり返った。「いずれも、ちょっとしたことなんですが、とても参考になり、デッサン力も増しました。顔を描くのに立体感が出ないのは骨格を意識していないから。肉の内側にある骨の構造を意識して描くように、などです。言われたことを意識して取り組んだら、コツが掴めました」(山内氏)。

ちなみに2020年度のスクーリング科目はコロナ禍の影響を受け、前期がZoomによるオンライン授業に変更された。通信制で学ぶ学生にとって、スクーリングは教員や学生同士が触れ合える貴重な機会だ。そこで知り合った仲間内で飲み会をしたり、自主的な勉強会を行なったりする例もみられる。もっとも、山内氏はシャイな性格もあり、あまり他人に積極的に話しかける方ではなかった。「そのため、オンライン授業は外出する手間が省けて好都合でした」(山内氏)。

ただし、指導する側にとってみれば、オンライン授業によるスクーリングは歯がゆい点もあった。上原氏は「課題の制作風景などを観察することが重要な科目は、デッサン以外にもあります。そうした際、Webカメラでは細部がわかりにくく、指導に限界があります」と語る。そのため2020年度の後期授業では対面授業に戻ったが、2021年度は関西圏での新型コロナウィルス感染拡大を受けて、オンライン授業と対面授業を切り替えつつ、スクーリングが進められている。



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本当は1年かけたかった卒業制作

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本当は1年かけたかった卒業制作

今回取材を申し込んだきっかけとなったのが、山内氏の卒業制作『ノエル博士のスクラッチプログラミング』だ。ゲーム制作を通して、ビジュアルプログラミング言語の「Scratch」について学ぶWebサイトで、プログラミング教育が公立学校で始まる中、全国の小学校で求められているコンテンツになっている。こうしたテーマが卒業制作に、それも通信制で取り組める芸術系大学とはどういったものか。大学に問い合わせたことからインタビューが実現した。

『ノエル博士のスクラッチプログラミング』より

では、山内氏自身はどういった意図で、卒業制作に取り組んだのだろうか。そこには山内氏の英語学習に発端があった。

「英語が話せるようになりたくて、オンライン英会話のレッスンを10年間くらい続けているんです。高校時代は英語が苦手でしたが、おかげさまで外国人のクライアントがつくまでになりました。大阪で仕事をされている外国人の経営者で、日本語が満足に喋られなくて困っていると。それで問い合わせを代行したり、簡単な通訳をしたりしています。通信制の大学を選んだのもそうした背景がありました」

話を戻すと、そこでのレッスンは「習うより、慣れろ」。文法について学ぶのではなく、特定の言い回しを基に日常会話から始めるスタイルだ。相手と会話が通じると、より深く英語について学びたくなる。山内氏が専門学校で講師を務めるWebプログラミングの授業でも、同じスタイルが採られている。サンプルのカスタマイズを通して、言語の理解を徐々に深めていく方式だ。

「学校で何年も英語の勉強をして、それでも話せない人が日本では大半ですよね。これは授業の方式が良くないと思っているんです。プログラミングの授業も同じようになるんじゃないか......そんな懸念があります。ものすごい人数と予算をかけて教科書を作って、その通りに教えて、プログラミングができない生徒を量産してしまう未来。それってものすごく情けないですよね」

2020年度から必修化された公立学校でのプログラミング教育。小中学校に加えて、2022年度からは高校でもプログラミングが必修科目になる。電子サイコロで3つの目が揃う確率を計算する、鉄道の駅番号から駅名を検索するシステムを作るといった内容が盛り込まれるという。もっとも、すでに授業を担当できる教員不足が指摘されている。山内氏は「ICT分野では中国・韓国に完全に先を行かれています」と指摘し、「情けない」と繰り返した。

こうした中、小学校で主に教えられているのがScratchだ。米Scratch財団がMITメディアラボと共同開発する、無料の教育用プログラミング言語で、ブロックを組み立てるようにドラッグ&ドロップでプログラミングができる。文部科学省でも「小学校プログラミング教育に関する研修教材」として専用サイトを設け、YouTubeで教材ビデオを公開している。「実際に試してみて、すごく良くできているなと思いました。ブロックを組み合わせるので、タイプミスによるエラーが発生しないのがいいですね。プログラムに要する時間のほぼ半分がデバッグじゃないですか。それが不要というところがすごいなと」(山内氏)。

もっとも、プログラミングは手段にすぎない。卒業制作にあたり、小学生が将来なりたい職業も調査した。そこで上位に上がったのがゲームプログラマーだ。プログラミングに興味をもってもらうために、ゲームづくりは良いきっかけになる......。その結果、ゲーム開発が段階的に学べるScratchの入門サイトを制作することにした。教員から指導も受けつつ、2ヶ月程度でサイトが完成。いや、正確には「2ヶ月くらいしか制作時間が取れなかった」というべきだろう。

「10月くらいまで単位を取るのに必死で、手が着けられませんでした。早く出せ、出さないと卒業できないって、先生方からも叱られていました。一番堪えたのが『これ、誰かに触ってもらいましたか?』という指摘。時間がなくてテストプレイを省略したんですよ。Webデザイナーとして、もっとも反省している点です。できればあと1年かけて卒業制作に専念したかったですね」(山内氏)。

『ノエル博士のスクラッチプログラミング』より

そうした中でも、複数の教員から様々なアドバイスを得たことで完成度が高まったという。プレイヤーの指導役になるオカメインコロボットのキャラクター、「ノエル博士」は好例だ。初期デザインだと要素が多彩で、シンプルにするように指導を受けた。マップをすごろく形式にしたのも、ゲーム好きの教員とのディスカッションから得られた気づきだ。

卒業制作を指導した上原氏も「山内さんはプログラムについてはプロの方ですので、それをどのように演出していけば一般の人に楽しんで学んでもらえるようにできるか、一緒にディスカッションしていきました。コマが進むにつれて、矢印の色が変わっていったり背景をキラキラとアニメーションさせたりといった演出もその1つです。テストプレイの有無について指摘したのもそのとおりです」と語った。



大学での学びを実務に活かす

2020年3月に卒業し、念願の学士号を獲得した山内氏。4年間の学びについて「アートに関する教養が広がった点が大きかった」とふり返った。「Webデザイナーをはじめ同業者と話をしていると、芸術系大学を出ている人が多くて、皆よくアートについて知っているんですね。自分は本でかじった程度なので、体系立てて学べたのが大きかったです」(山内氏)。

一方でグラフィックデザインに関する学びでは、初心に返れたところがあったという。前述の通り20年以上、プロのWebデザイナーとして活躍してきた山内氏。制作会社や代理店を通さずに直接契約しているクライアントも多い。一方で、そうした仕事をしているうちに徐々にデザインが守りに入っていった。大学の授業を通してそのことに気付かされたという。

社会人バンドサークル「ケイオンR40」(自社サイト)

「1度失敗すると仕事がなくなる。そうした緊張感が続くと、次第に無難なデザインしかできなくなっていくんですよ。だけど、そうした課題を大学で出しても『無難だけど面白くない』と言われてしまうんですよね。僕自身、もともと変わったデザインや攻めたデザインが好きだったのに、気が付いたら丸くなっていました」(山内氏)。

そのため最近ではクライアントにプレゼンする際、必ず「攻めたデザイン」を加えるようにしているという山内氏。仮に3種類のデザイン案を要求されたら、自主的に4案目を加えて、ひねったものやふざけたもの、自分が本当に面白いと思ったアイデアを提示しているのだ。「そんな風にしても、だいたい選ばれないんですけどね。ただ、エンターテインメント業界のクライアントが多いので、たまに『変なモノを作って』、『ぶっとんだ案を出して』などと言われるんです。そんなとき、普段から変なモノを考えていないと良いアイデアが出てこないんですよ。先生方と話をしていて、そうした重要性について教えてもらいました」(山内氏)。

大学の授業は初学者向けの内容が多く、山内氏にとっては既知の内容も多かったが、まじめに取り組めば実践的な授業ばかりだった。やるなら本当に満点を取るつもりで学ばなければ意味がない。そこまでやったら、先生方も真摯に応えてくれる......山内氏はそう答えた。「そういえば、なぜか先生方が僕には厳しかったんですよ。なんでこんなにダメ出しされているんだろうと、そんなふうに感じることもありました」

もっとも、学生は多くの教員から「入学するからには自分をゼロにして取り組んでほしい」と異口同音に声をかけられるという。社会人が学び直しをする際、それまでの経験が活きることもあれば、足を引っ張ることもある。ある分野について体系立てて学べるのが大学のメリットだ。そのためすでに習得している分野でも、初心に返って全力投球で取り組めば必ず得るものがある。また、専門分野以外の科目について学ぶことで、気付きを得たり、視野が広がることもある......それが社会人学生が大学で学ぶ意義だと言えるだろう。

▲グラフィックデザインコース公式サイトより

最後に卒業制作の指導などに当たった上原氏に、京都芸術大学 通信教育部 グラフィックデザインコースでの学びについて改めて聞いてみた。前述の通り本コースは2020年度までの情報デザインコースから、イラストレーションクラスがオンライン学習のみで卒業可能なコースとして、独立したことを受けて内容が再編されたものだ。平面デザインを中心に、Web制作などを通して、デザイン思考について学ぶというカリキュラムだ。

京都精華大学を卒業後、大日本印刷での実務経験を経て大学教員になった上原氏。現場の知見を基に、学問的な裏付けをふまえて様々な授業を行なってきた。本学でもHTMLとCSSでWebを制作する、新しいピクトグラムやCDジャケットをデザインするといった授業を行なっている。もっとも、単にツールの使い方について学ぶのではなく、他の分野にも横展開ができる普遍的な知見を含めるようにしているという。

「例えばWebを制作する授業では、あえてタグを手打ちさせることで文章構造の理解が深まるような内容にしています。どこが見出しでどこが段落なのか、などですね。それがわかれば、雑誌やポスターのデザインなどでも応用が利きます。見た目のデザインではなく、文章の構造を理解したデザインができるようになってほしい。これに限らず、本学での学びを通して1つのことを多角的な視点から見られる学生に育って欲しいですね」(上原氏)。

技術的なことも学ぶが、専門学校とはちがい、職業人を育成するわけではない。様々なデザイン表現を通して物事を考える思考力、発想力、問題解決力を養ってほしい。それができるのが大学教育だと上原氏は語る。学び直しに遅すぎることはなく、グラフィックデザインコースでも様々な年代の学生が存在する。通学制と異なり学生のバックグランドが多彩なため、自身が学生から教わることも多いという。学費も自分で支払う例が多いため、学生のモチベーションも高いのが特徴だ。

もっとも山内氏が語ったように、働きながら学ぶことは決して楽なことではない。そのためにも、上原氏は自分が学ぶスタイルやペースを早く確立することが重要だと指摘した。毎日少しずつでも、週末にまとめてでもかまわない。自分の学ぶスタイルを早く見つけた学生ほど、しっかりと学べるのではないかという。

最後に上原氏は「卒業生から『大学での学びが仕事や暮らしでこんな風に役立った』と聞くのが、教員をしていて一番楽しいですね」と語った。卒業後にデザイン領域に転職する学生もいるが、進路はそれだけに限らない。デザイン的な考え方を身に付けることで、社会に貢献できるような人材になることが目的だ。「本学でデザインについて学んだ経験を通して、自分の生活や暮らしをデザインしてほしいですね」(上原氏)。