<3>独学で3DCGを修得し、社内指名を受けるまでに
しかし、入社2年目にして、その理想は早くも崩れ去った。1年間の研修を経て本配属された山口氏を待っていたのは、設計者の図面を基に当たり障りのない建築パースを描くだけの毎日だった。指導も特になく、「半年間、やりがいのない毎日だった」という。その状態に憤慨した山口氏は、社外セミナーに参加する一方で2級建築士の資格を取得。ビジネス書を読み漁りもした。そして環境を変えようと建築デザイン会社、広告業界への転職活動を開始。
もっとも、転職活動を続ける中で次第に意識が変わっていった。「広告業界で活躍する一流のアートディレクターはみな、自分自身で新しい仕事を創り出している」ことに気づいたからだ。それに対して自分はまだ、社内で何もしていない。そのため、まずは先輩社員と同じレベルの建築パースが描けるようになろう。そして、自分の考える、新しい建築パースの概念を広めていこう。辞めるのはそれからでも遅くない。少なくとも、後悔したまま転職するのは嫌だ......そう感じるようになったのだ。
3DCGについて本格的に学び始めたのも、この時期だ。もともとポリゴン的な絵が嫌いで、学生時代の建築パースは3DCGを使用しない手描きの表現だったという。しかし、BIMの登場で建築パースは一気に3DCGへと移行していった。そのためネットで検索したり、YouTubeでチュートリアルを見たりするなどして、3DCGのテクニックを基礎から学んだ。専門用語の羅列に拒否反応もあったが、3DCGが物理学をベースとしている点が幸いだった。学校のテストは苦手だったが、物理の論理的な考え方は好きだったからだ。
目標は3DCGで空気感を再現することだった。19世紀の米ハドソン・リバー派の絵画技法が参考になった。「よく3DCGで空気感を再現する方法について模索・研究していました。時には『自分の考える空気感って何?』と禅問答のようになることも。しかし、そうした『考え方』について先輩社員や制作会社と議論できたのは良かったです。3DCGは手段にすぎないので」。その世界観が大きな魅力でもある、『もののけ姫』をはじめとするスタジオ・ジブリ作品のメイキングなどもくり返し観たという。こうした取り組みを通じて、映画製作におけるストーリーテリングやコンセプトメイキングと山口氏が追い求める建築ビジュアライゼーションの点と点がつながり、実力が備わっていった。
冒頭で紹介したスポーツ大学の建築パースも、こうした中で描かれたものだ。もっとも当時はまだ、自分の考えを社内で表明する勇気はなかった。しかし、ストーリーを内包した建築パースを描き続けていくことで、次第に社内の設計者から「山口に描いてほしい」と指名がかかるようになったのだ。会社員である以上、社内指名が本当にできるわけではない。しかし、あの手この手で「山口に描かせよう」という動きが、設計者の間で広がっていったのだという。
「設計・建築・ファッションがわかって、CGで表現ができる。設計者から言われたことだけじゃなくて、自分で考えて新しいやり方に挑戦していく。設計者が不安なときでも、専門的な見地からアドバイスできる。その結果、コンペに勝つことにつながる」。こうした働き方は数字に跳ね返り、2016年度の仕事量は前年対比で160%に増加した。2019年には、山口氏が関わる案件の総額は2,000億円に達するまでになった。
山口氏が建築ビジュアライゼーションを手がけた「竹中大工道具館新館」
<4>建築のビジュアルは、建築がもつ物語を描く芸術であるべき
こうした変化に会社もいち早く反応していた。意匠部、プレゼンテーション部などと名前を変えてきた山口氏の所属部署が2016年、ビジュアライゼーショングループに名称変更されたのだ。現在大阪本店のグループに所属するのは7名で、そのうち3DCGを直接制作するは山口氏をはじめとした4名。手がける案件は年間50〜60件にものぼり、山口氏も実作業・ディレクション・管理業務を1/3ずつ手がけるなど、多忙な日々を送っている。
メインで使用するツールは3ds Maxで、これにPhotoshop、After Effects、Premiere Proなど、お馴染みのツールが並ぶ。もっとも、案件によっては実写を使うのも厭わない。山口氏が目指すのは「コンセプトメイキング」であり、それが偶然、建築業界だったからだ。そのためドローンを飛ばしての空撮や、デジタルカメラでの撮影も多用する。実写とCG映像を組み合わせた映像制作も多い。視覚効果を重視して、極端にパースをつけた3DCGのモデリングなども行なっている。
3ds Maxでの作業の様子
レンダリング画像(左)をPhotoshopに読み込み、素材の合成、色調整などレタッチを行う(右)
完成した建築ビジュアライゼーション
さらに山口氏は「建築ビジュアライゼーションは建築前に行う」という業界の常識すら変えようとしている。スポーツウェアの製造・販売を手がけるDESCENTEの研究施設、「DESCENTE INNOVATION STUDIO COMPLEX」(通称DISC)の映像作品は好例だ。
DISC竣工動画 Short ver./DESCENTEの研究施設DISCの竣工動画。実は1カットだけフルCGのカットも登場する(気づくだろうか?)
「建築は大勢の人間が何年もかけてつくり出す作品だが、引き渡し前の内覧会などで実際に見られる関係者は少ない」という問題意識から、ドローンによる空撮をフル活用して制作された。クライアントから非常に喜ばれたという。
山口氏が制作した「DESCENTE INNOVATION STUDIO COMPLEX」の建築ビジュアライゼーション
社内の設計チームが対外発表を行う際に使用する目的で創られたコンセプトムービーも同様だ。DISCの「世界一速いスポーツウェアを創るという企業理念・周囲のユニークな地形に立脚した建築デザイン・そこから産まれるベクトル」という3つの要素を映像で表現するため、モーショングラフィックスが採用された。企業のプロモーションビデオとでもいった内容だ。
「当社の設計部門から、映像の力を借りたいと声がかかりました。タイミング良く、社外のクリエイターとコラボレーションすることもできました」
これらは竣工後につくられた映像作品だ。しかし、こうした映像作品の納品を前提にコンペティションに臨むとしたら、どうだろう。さらに発想を進めて、こうした映像作品をプレゼンで使えるとしたら、どうだろう。クライアントに対して、より強力なメッセージが提案できるはずだ。そのためには広告業界でいう「インサイト」の発見が求められる。それは建築ビジュアライゼーションの「非言語的コミュニケーション」の未来形でもある。ここにおいて、建築と広告が融合するのだ。
「建築の魅力を静止画で伝えることは困難です。本当は体験してもらうのが一番で、バークレーで感じた建築の意味も、自分がその場にいたからこそ理解できたことです。VRにはその可能性がありますが、まだまだ一般的ではありません。そのため今はまだ、映像で提供することが現実的です」。
もっとも、そのための素材はどこにあるのだろう。答えはBIMだ。設計段階から3DCGのモデルデータは揃っている。家電のモデルやAIキャラクターと組み合わせるなど、可能性は無限に広がっていく。
講演中、山口氏は世界的な建築家であるレンゾ・ピアノ氏のTED TALKを引用した。パリのポンピドゥー・センターや関西国際空港旅客ターミナルの設計を手がけたことで知られる、イタリアの巨匠だ。「世界一質素な小屋であっても、物語を語ります。その小屋に住む人たちのアイデンティティを語っています。建築とは物語を語る芸術です」。
そこから山口氏は「建築のビジュアルは、建築がもつ物語を描く芸術であるべきだ」と述べた。建築ビジュアライゼーションもまた、作品というわけだ。
実際に欧米では建築ビジュアライゼーション発の新しい波がすでに到来している。「BIG」の愛称で知られる建築事務所、「ビャルケ・インゲルス・グループ(Bjarke Ingels Group)」を主導するデンマークの建築家、ビャルケ・インゲルス氏はその最右翼だ。観光客がレゴの全てを体験できるLEGO Houseの設計などで知られ、新たに米マウンテンビューと英ロンドンでGoogleの新社屋も手がけている。どの建築ビジュアライゼーションも見る人の心を浮き立たせ、そこで働きたいと思わせるものばかりだ。
BIGの建築ビジュアライゼーション作品にかぎらず、欧米のトップシーンを走るクリエイターたちが描く建築ビジュアライゼーションは映画の1カットとも見まごうファンタジックさとエンターテインメント性を兼ね備えている。山口氏が当面の目標とするのもそうした建築がもつストーリーを視覚化した"映像作品"なのだ。
「今、ふり返ってみて思うのは、あのときに辞めなくて良かったということです。今ならチャンスがあれば海外など色々な経験が得られる環境で挑戦をしたい気持ちが強いですね」。