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NHKスペシャル『驚異の小宇宙 人体』で人生が変わった......元NHK解説委員、中谷日出の3DCG人生

NHKスペシャル『驚異の小宇宙 人体』で人生が変わった......元NHK解説委員、中谷日出の3DCG人生

『人体』パート2を経てNHKのCIを手がける

CGW:おお、それは良かったですね。入局したかいがありました。

中谷:本当にそうですね。これがまた、当時のNHKスペシャルってすごかったんですよ。人と予算をたっぷり使って。だいたい1本の番組をつくるのに、3年くらいかけるんですね。

CGW:そんな風に念願がかなって、どうされたんですか?

中谷:番組をつくり終わって、やることがなくなったので、採用担当の副部長......僕を3DCG開発室に転属させてくれた恩人ですね。その方に「申し訳ないですけど、もう思いが叶ったんで、NHKを辞めます」って言ったんです。

CGW:いやいや、それもいかがなものかと......。

中谷:まあそうですよね。ちょっと待てと。自分だけ美味しい思いをして、アメリカに行って帰ってきて、3DCGの番組をつくって、退局するって、いくらなんでもないだろう。何かもっとNHKに貢献しろって言われて。

「だってやることがないから。何をやったら良いんですか」って聞いたら、自分で考えてくれっていわれて。それでNHKのCI(コーポレートアイデンティティ)を思いついたんですよ。もともと広告畑だったので。

CGW:ああ、なるほど。ただ、NHKという巨大組織のCIを手がけるって、大変だったでしょう。

中谷:思いついたんだけど、その手立てがなくて、一週間くらいボーッとしていました。そうしたらある日、局の暗い廊下を歩いているうちに、「放送70周年記念事業事務局」と書かれた部屋を見つけたんですね。そこに飛び込みで入っていって、今でも忘れないですけど、「すみません。ここは何をするところですか」って聞いたんです。そうしたら偉い人がいっぱいいて。「それを今から考えるんだよ」って(笑)。

CGW:それは、すごい行動力ですね。

中谷:「すいません、僕はこれこれこういう人間で、こんなことを思いつきました。ついては提案させてもらっていいですか」って言ったら、「ちょうど全職員を対象に、この七十周年記念で何をするか企画を募集するところだったので、前乗りで君の提案を見よう」と言ってもらえたんですね。実際に一週間後、偉い人に面会をさせてくれたんです。

そこでA3横位置で18ページくらいの「NHKイメージアップ大作戦」というタイトルの企画書をつくってプレゼンをしたら、えらく受けて。これはいいと。せっかくなので、70周年記念でCIをやろうということになって。ただ、自分たちだと説明できないから、もっと偉い人たちに直接説明してくれって言われて、会長や理事の面々にプレゼンテーションをさせてもらえたんです。ここでも企画がえらく受けて。

CGW:いやー、展開が斜め上すぎて、ついていくのがやっとです。

中谷:ついてはCIプロジェクトを君に任せるから、やってみなさいって言われて。勝手にネーミングを「NEXT10」とつけて、次の10年を見つめるプロジェクトとして立ち上げて、局内でいろいろ展開をしたら、あれよあれよというまにプロジェクトが編成局に位置づけられて。偉い人がいっぱい来てくれて、会長直属プロジェクトになったんです。

ロゴマーク「3つのたまご」カラーバージョン(Wikipediaより)

CGW:実際、WikipediaのNHKの歴史にも、ロゴ作者として中谷日出の名前が記されています。

中谷:ロゴやビジュアルをつくるだけじゃなくて、今までのNHKの論理にはない世界観をつくって、視聴者に共感をもってもらえるように努力しました。今でいうデザイン思考ですね。例えば人事制度改革などもその1つでした。どの組織にも言えると思いますが、NHKにもいろんな課題がたくさんあったんです。そういった課題を掘り起こして、改革を進めていって。ここを、こんな風に変えたら、NHKがこんなになるっていうのを、全部やったんですよね。それでNHKがどーんと変わった!? んです。それが1996~7年のことですね。

CGW:ちょうどBS放送が始まったタイミングでしたね。これを機にNHKで、いろんなことが変わっていったんですね。

中谷:そうですね。その中心にいさせていただいて、とても光栄でした。『クローズアップ現代』『おはよう日本』など、主要な看板番組のタイトルロゴをリニューアルしたり、ハイビジョンのタイトルロゴをつくったり、そのころのNHKのビジュアルデザインは、かなりたくさん制作させてもらいました。スーパーインポーズを使った手描きのロゴではなくて、3DCGを使ったりもしました。外部のスタッフも、どんどん起用していきましたね。NHKの中では、そうとうインパクトがあったんですよ。勝手にやったと言われてますけどね。

CGW:そのころからサブカル系の雑誌で、教育テレビの特集が行われるようになりました。

中谷:今は「Eテレ」と言っていますけど、当時「ETV」という言い方に変えたんですね。それのアートディレクターを僕がやっていたんですよ。教育テレビ改革って言っていました。当時、CMディレクターとしてヒットを連作されていた佐藤雅彦さんにお願いして、CIキャンペーンを手伝ってもらいました。

CGW:それが後年、『ピタゴラスイッチ』(2002~)につながっていくわけですね。

中谷:そうですね。他に佐藤 卓さんにも参加してもらい、NHK ETVのビジュアルのクオリティーアップにつながりました。佐藤さんは、藝大の先輩なんですが、同い歳なんですよ。そんなふうに外部の力を入れて、番組づくりを変えていったんですね。そうしたら、教育テレビがどんどん変わっていって。佐藤 卓さんには『デザインあ』(2011~)もアートディレクターをしてもらっています。僕が企画を立ち上げて、佐藤 卓さんに育ててもらいました。

『デザインあ』公式ホームページより
www.nhk.or.jp/design-ah/

CGW:3DCGをやりたかった、そこに『人体』シリーズがあったというのは、良くわかります。ただ、それが終わったあとで、子ども番組や教育番組に活動の比重が高まっていった理由はなんですか?

中谷:3DCGの表現がコンシューマレベルになってきて、みんなが3DCGをやりはじめた結果、テイストがすごく似てきた時期があったんです。それで技術だけでなく、演出に興味をもったんですよね。技術だけだと、表現は成長していかないんです。ハリウッドでも、3DCGをただ使うんじゃなくて、どう使うかが、すごく重要になっていますよね。

ただ、NHKで演出というと、どうしても番組づくりになっていくんです。それで、番組づくりを通して、新しい演出のスタイルを考えていきたい、と思うようになりました。もっとも、結局プランニングだけで、演出はあまりできませんでしたが。

CGW:そのときに教育系のコンテンツは、何か都合が良かったんですか?

中谷:当時、一番仲の良かったNHKファミリー番組部のプロデューサー(中村哲志さん)がいて、その方が、局内で子ども番組づくりの神と言われていた人でした。その人とほとんど二人三脚で番組制作をしていて、その関係が大きかったですね。実は3DCGの番組を最初にやらせてもらったのも、その人のおかげでした。『音楽ファンタジー・ゆめ』(1992~1999)という番組で、オール3DCGでクラシック音楽を背景にした内容でした。

NHKアーカイブスより 
www2.nhk.or.jp/archives/tv60bin/detail/index.cgi?das_id=D0009020029_00000

CGW:ディズニー映画『ファンタジア』のような内容で、とても先進的ですね。

中谷:まさにそんな感じです。

CGW:絵を見ると懐かしいですね。当時はAmigaが出てきて、個人でも3DCGの映像制作ができる時代になってきました。

中谷:Amiga作家もいたし、いろんな人がいましたね。原田大三郎さんとか、今では大御所の方々ばかりでしたよ。そこから『天才てれびくん』(1993~)、『いないいないばあっ!』(1996~)とか、あとは『週刊こどもニュース』(1994~2010)もそうですね。他にもいろいろな番組をつくりました。

黎明期の3DCGと放送コンテンツ

CGW:プランニングというのは、具体的には何をするのですか?

中谷:何をつくるのか、誰と、どういうふうにつくるのか、そして1本目の演出ですね。そうした仕事を担当します。いわばディレクターですね。もっとも、当時はディレクターとアートディレクターを兼任していました。

CGW:まさに演出家なんですね。ディレクターとして中谷さんがいて、その一方でプロデューサーがいて、二人三脚というのはわかりやすいですね。ちなみにNHKは公共放送ということで、放送受信料を基に経営されていますが、民放や商業出版社と企画を建てる上でちがいはありましたか?

中谷:視聴率を気にしないことですね。みんなヒットさせようなんて、かけらも思ってないんです。良いものっていうか、つくらなければいけない番組、そして面白いものをつくろうっていう意識だけでやってたんですよね。僕自身もいろんな子ども番組をつくってきましたが、そんなに視聴率が上がると思っていませんでした。それが結果的に長寿番組になるんです。

CGW:ただ、「良いもの」の価値は視聴者ごとにちがいますよね。Aさんが面白いと思っても、Bさんにはつまらないってことは普通にあります。その場合、良さの基準はどこになるんでしょうか? 事前にペルソナをどのように設定するかが重要になりそうですが......。

中谷:おっしゃるとおりで、ペルソナに対しての影響度と共感度につきるんです。『いないいないばあっ!』だと0歳から1.5歳。『天才てれびくん』だと小学校中学年から高学年。こうしたペルソナに対して、きちんと番組が訴求できて、共感をもってもらえることが基準になるんです。それしか考えてないんですよ。それ以外の、例えば視聴率が何%にならないとダメよっていうのは、編成的にはあったんでしょうけど、僕らに対してはなかったですね。

CGW:その上でお聞きしたいんですが、主ペルソナである子どもたちだけでなく、大人が見ても「これは良いな」、「面白いな」という番組が増えてきた理由は何だったのでしょうか?

中谷:先ほども言いましたが、外部のクリエイターを入れたことですね。それでずいぶん変わりました。

CGW:NHKは民放とちがい、番組制作に外部の制作プロダクションを使わない、純血主義というイメージがありますが......。

中谷:かつては、そうしたところがあり、それを支えるためのしっかりとした番組論がありました。ただ、それだけでは、世の中の変化についていけなくて。ちょっと硬直化していたんですね。それをすごく感じていたので、外部から優秀な人に入ってもらいながら、局内に刺激を与えていきました。それにNHKは当時から、外部のクリエイターを尊重する雰囲気がありました。それも良いかたちにつながりました。

CGW:NHKの仕事をすると、必ずクレジットされるから良い、という話を聞いたことがあります。

中谷:しかも多くの場合、全国で放送されますからね。地方出身の方から実家が喜んでくれると、感謝されたことがあります。多少ギャラが安くてもいい、うちの母ちゃんが褒めてくれたっていう。

CGW:逆にCIが進むまでは、子ども番組というのはこういうものだという、ある種の固定観念があったのかもしれませんね。

中谷:僕がお世話になったプロデューサーの中村哲志さんは、とにかく変えたいといってましたね。「中谷ちゃん、何か考えてよ」と、いつも無茶ぶりされていたんです。「え? 考えていいの?」、「つくっていいの?」と聞いたら、「良いんだよ、オニキス買うからさ」って。当時、1億くらいしたかなあ。まだ、番組が採択されるか決まってないのに、いきなり億を超える3DCGワークステーションを買っちゃうプロデューサーって、すごいなあと思いました。

CGW:技術が好きなプロデューサーだったんですか?

中谷:技術というより、とにかく先見の明がありましたね。これからは3DCGを上手く使わないと番組が成立しない、子ども番組にそれを活かしたいと思われていて。だから僕が呼ばれたんだと思うんですよ。「君はアメリカで3DCGとかをやっていたらしいじゃないか」って。

CGW:子ども番組をつくることに抵抗みたいなものはありませんでしたか?

中谷:まったくなかったですね。それに当時の3DCGって、まだ今みたいにハイエンドな雰囲気はなかったんですよ。フォトリアルでもなかったし。

CGW:確かに。デフォルメされたキャラクターが出てきたりとか。

中谷:ちょうど岩井俊雄さんがAmigaで『ウゴウゴルーガ』をつくったり、そういう時代でした。僕も同じように、AmigaとX68000を買いました。それで3DCGをつくって遊びながら、上手くテレビ番組に使うことを考えていました。

そういえば当時、田中秀幸さんっていう元気の良い、Amigaのクリエーターがいたんです。『ウゴウゴルーガ』を岩井さんと一緒につくっていたクリエイターで、僕が学生時代に藝大受験のための予備校の先生をやっていたときの、教え子だったんですよ。そのつてで、いろいろ番組のCGをつくってもらいました。

CGW:少人数でつくれるし、そこまで高いクオリティを求められたわけでもなかったし、しかもNHKスペシャルとちがって、つくって放送、つくって放送と、イテレーションが早かったですし。今から考えると、やっぱり良い時代でしたね。

中谷:番組制作だけでなく、技術開発にもかかわっています。インタラクティブテレビ「SIM TV」(1993)はその1つで、MITメディアラボから帰ってきてすぐのことですね。まだインターネットが一般化する前に、NHKで電話回線を利用した双方向テレビを開発したんですよ。僕はプランナー兼アートディレクターとして、インタラクティブなテレビ向けに、コンテンツをつくりました。放送業界では初めてのことでした。

NHKアーカイブスより 
www2.nhk.or.jp/archives/tv60bin/detail/index.cgi?das_id=D0009040304_00000

CGW:どんなことができたんですか。

中谷:当時は脳波に興味があったので、簡易的な脳波測定器を使ったコンテンツを考えました。脳波綱引きみたいなゲームを制作して、武蔵野美術大学と名古屋芸術大学をつないで実験したりしましたね。そこで田中秀幸さんを呼んできて、いろいろな3DCGをつくってもらいました。

CGW:一般的なアートやデザインとちがって、3DCGには技術という要素が入ってきますよね。藝大、またはアートが好きな方は、エレクトロニクスやエンジニアリングが不得手な方も多いと思うんですが、中谷さんはアレルギーはありませんでしたか?

中谷:僕の先輩に、後に藝大の大学院映像研究科で主任教授になった方がいて、その方が当時まさにバリバリの3DCG畑の方でした。当時SEDIC(西武デジタルコミュニケーションズ)という研究所があって、そこで3DCGの研究開発をされていたんです。SIGGRAPHで日本で初めて、河口洋一郎さんと共に入選されたアーティストですね。そういった方が近くにいたので、デジタルについて憧れをもっていましたね。

CGW:AmigaとX68000を買われたとのことでしたが、その前にはパソコンなどは買われましたか?

中谷:Macを買いました。たしかMacintosh SEだったと思います。一体型で、小型のやつですね。ただ、当時はまだ、そこまで高度なことはできなかったので、特に何をつくるでもなかったですけどね。そこからAmigaとX68000を買って、その次にMacintosh IIsiを買ったのかな。そこで3DCGをつくって、遊んでいました。

CGW:やっぱりビジュアルなんですね。シルクスクリーンにしろ、3DCGにしろ。

中谷:そうですね。その一方でメディアがアナログからデジタルになって。今は4K放送が普通になって、これからは8K放送の時代が来るって言われていますよね。僕が入局したころもハイビジョンというムーブメントがありました。今とまったく同じながれだったんですよ。

CGW:なるほど。

中谷:ハイビジョンになって、地デジになって、実際に世の中が変わりましたよね。同じようにNHK時代から新しい技術を、エンジニアと一緒になって研究開発したり、世に広めたりといったことをしてきました。前述した「SIM TV」だけでなく、テキスト台本から3DCGアニメーションを自動生成する「TVML(TV program Making Language)」(1996)の開発者である、林 正樹氏と一緒にコラボレーションもしました。実際にTVMLを使って番組をつくったりもしています。今も同じように、8K放送の広報活動のための番組制作にかかわっています。

CGW:局内での評価も高かったんですか?

中谷:そうですね。子ども番組ばっかりつくってるな、みたいな感じだったですけどね。みんな評価してくれてました。

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長野オリンピックの映像ディレクターを経て解説委員に

Profileプロフィール

中谷日出/Hide Nakaya

中谷日出/Hide Nakaya

東京藝術大学大学院美術研究科卒業後、1991年にNHKに入局。ロゴをデザインするなどブランディングでNHKの革新を牽引。また、解説委員(社会・科学・文化・芸術担当)としても活躍。芸術文化・ITなど多方面で縦横無尽に活動する傍ら、アーティストとして最先端のアート「映像絵画」を生み出す。2020年より東京国際工科専門職大学教授に就任

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