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『trialog vol.1「融解するゲーム・物語るモーション」』レポート

『trialog vol.1「融解するゲーム・物語るモーション」』レポート

Session 2
「The Chemistry of Platformer and Creator プラットフォーマーの想像力」

若林氏と水口氏の両氏は引き続きステージに残り、株式会社ソニー・インタラクティブエンタテインメントの秋山賢成氏をゲストに迎えて第2セッションがスタートした。「The Chemistry of Platformer and Creator プラットフォーマーの想像力」と題した同セッションは、日々VRの開発と提供に力を注ぐ秋山氏に「今、ハードウェアサプライヤーに何が求められているのか?」との若林氏の率直な質問からスタートした。そんな中、「実は、早くVRの時代が終わればいいのにと思っています」と口火を切ったのは水口氏だ。誤解のないように説明すると、この言葉はVRに対する期待と新たな時代の訪れを願う水口氏の愛に溢れたアンチテーゼである。


秋山賢成氏

水口氏は、「目の前に相手がいるというのに、VRの仮想空間に入り込むとどうしても人と人が分断されてしまう。VRの解像度は4K、8Kそれ以上に向上すると思いますが、人間の目では8K以上の解像度のちがいは認識できないと言われています。テクノロジーが人間の能力を超えてしまったときに、人々はデバイスそのものが欲しかったのではなくデバイスを通した体験を欲していたことに気づくはずです。(VRが)人間のより深いところに寄り添い "幸せとは何か?" を気付かせてくれる段階に進んでほしい」と話し、 "VRの時代が終わればいいのに" と発言した真意が、VRのテクノロジーや活用法について議論する時代が早く終わり、VRを通して新たな哲学が語られる日を楽しみにしている旨であることを説明した。




没入型プラットフォームとして何かと話題のVRだが、人々が没入感を体験するのは今に始まったことではない。若林氏は、「映画や小説にも没入性があります。それは自分が生きている世界を映画や小説を通して再発見するという没入感です。(その没入感を味わうためには)自分自身と作品との距離感が重要になってきます」と話し、VRのように完全に人(他人)がつくり上げた世界に人を住まわせて没入することはそんなに重要なことなのだろうか? と疑問を投げかけた。
これに対し秋山氏は、「VRの領域はこれからさらに掘り下げて様々な体験を築いていく余地があります。VRはあくまでも表現手法のひとつだと考えています」と答え、自身がSXSW 2018(サウスバイサウスウェスト 2018)に赴いた際に目の当たりにした「Virtual Cinema」での視聴体験では、VRにおけるストーリーテリングの重要性を強く認識したと述べた。


満員となった会場の様子


会場ではインターネット農学校「The CAMPus」によるケータリングが用意されていた

さて、今後VRはどのように広く一般的に普及されていくのだろう。そもそも日常生活に溶け込むほどに求められるのだろうか。秋山氏は、「VRが体験できるゲームセンターのような場所を現在展開していて、家庭でも同じ体験をしたいといったニーズが増えた場合は、かつて『リッジレーサー』でPlayStationが一般家庭に普及したように、VRも一般的に普及する可能性があります。さらに広く普及するとなると、VRを装着することで人と一緒にいる温度感や意味そのものが切断されてしまうという問題を解決しなければなりません」と語り、VRへの課題と期待を交錯させつつ第2セッションは終了した。

モノクロの時代が終わりカラーの時代となった現在でも、モノクロ映像はひとつの表現手法として今もなお "現役" であり、カラー映像とコラボレーションさえしている。また、かつてフルCGアニメが手描きアニメと比較されナンセンスとされる風潮があったが、瞬く間にフルCGアニメは議論される余地がないほどに広く定着した。いずれにしても、「クリエイターがテクノロジーをいかにアレンジするか」にかかっているのかもしれない。人間の感情や心理に対する深い洞察力と豊かな想像力がさらに求められそうだ。

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Session 3「What's inside "Motion"? 新しいモーションと未知なるエモーション」

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