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VFXのルーツを知る! 須賀川特撮アーカイブセンター訪問記と「特撮の街」須賀川市の取り組み(1)

VFXのルーツを知る! 須賀川特撮アーカイブセンター訪問記と「特撮の街」須賀川市の取り組み(1)

須賀川市は光の国との姉妹都市

「円谷英二さんの業績に対して何らかの顕彰をしたいというのは、市民の悲願でした」。須賀川市文化交流部の秡川(はらいかわ)千寿氏は開口一番このように語った。

▲須賀川市文化交流部の秡川千寿氏(左)と、須賀川特撮アーカイブセンターでセンター長を務める須田元大氏(右)

1901年7月7日に須賀川市中町で生まれた円谷英二(本名:円谷英一)氏。10歳で映画を視聴した際、内容よりも映写機のしくみに興味をもつなど、子供の頃から機械いじりや発明に関心があったという。11歳のとき、飛行機の写真を見ながらつくった模型が話題となり、新聞社が取材に来たほどだ。東京電気学校(現:東京電機大学)の学費を稼ぐために、自身が発明した玩具の特許収入をあてたという逸話も残っている。

紆余曲折を経て東宝に入社し、特殊技術課に配属されたのは36歳のときだ。41歳で制作に参加した映画『ハワイ・マレー沖海戦』(1942)の特撮が高く評価され、数々の国策映画を手がけていく。戦後は公職追放の憂き目に遭うが、復帰後に特技監督を手がけた映画『ゴジラ』(1954)が国内外で大ヒット。その後、活躍の場をテレビに移すと、ウルトラシリーズで子供たちを夢中にさせるなど、その業績は広く知られているとおりだ(※1)。

※1:Wikipediaより


1970年に68歳で死去した後も、円谷英二氏の存在は須賀川市民に影響を与えた。1980年代後半になると、その功績を活用して民間による町起こしが開始される。須賀川青年会議所が発案した「ゴジラの里」構想だ。市近郊の山にゴジラのシルエットを電飾で浮かび上がらせる、阿武隈川沿いの滝に「ゴジラの卵」を設置するといった取り組みが行われている(※2)。

※2:ウルトラマンで須賀川市を救えるか(五十嵐茜/宇都宮大学地域デザイン科学部・国際学部 行政学(中村祐司)研究室)

1992年には青年会議所のメンバーが「サークルシュワッち」を起ち上げ、ウルトラマンに関する取り組みをスタート。1998年から2018年まで毎年4月、円谷プロダクションの協力の下で主催された「ウルトラファミリー大集合ショー」(リンク先:Wikipedia)は、市民の間で恒例行事になった(東日本大震災の影響で2011年度は中止)。最盛期には県の内外から6,000名の観覧者が集まる一大イベントにまで成長している。

2000年代に入ると、市と商工会議所等が観光戦略の一環として「ウルトラマン」の活用に力を入れ始める。節目となったのが2001年7月に福島県が主催した「うつくしま未来博」だ。市と商工会議所等は、これを地域経済の活性化策の一環に位置付け、未来博と並行させて「ウルトラのまち」構想を実施。須賀川市立博物館での「円谷英二生誕百年祭」実施や、チャレンジショップの設置、関連商品の販売、記念フラッグの制作と設置など、様々な取り組みが行われた(※3)。

※3:"蔵"の町のヒーローはウルトラマン(須賀川商工会議所)

▲2013年5月5日に結ばれた須賀川市とM78星雲光の国の姉妹都市提携を記念して、JR須賀川駅前に設置された記念モニュメント。駅構内には姉妹都市をアピールするポスターが貼られ、市内にはラッピングバスが走る

こうしたウルトラマンを活用した取り組みは、東日本大震災の復興事業と融合し、一気に加速する。円谷プロダクションと関連企業による被災地支援に関する取り組みも、これを後押しした。「ウルトラマン基金」の設立、ウルトラファミリーの現地訪問、全国22の都道府県警察から特別出向した警察官で編成される「ULTRA POLICE FORCE(ウルトラ警察隊)」に対するシンボル・ロゴの提供などがある。

ここまでの様々な取り組みを経て、2013年5月5日に須賀川市とM78星雲光の国の姉妹都市提携が実現し(余談だが姉妹都市提携モニュメントの除幕式が行われた7月7日は円谷英二氏の誕生日で、2020年より「特撮の日」に記念日登録されている)、この提携を記念して「すかがわ市M78光の町」という仮想の町が誕生した。住民登録をすると有料で「光の町住民票」が発行できる、オリジナルの壁紙がダウンロードできる、メールマガジンが届くなど、様々な特典が得られる。

他にウルトラヒーローや怪獣の立像設置、原付バイクを対象としたウルトラマンのオリジナルナンバープレート公布、転入者と出生者の市民に対するウルトラの父からのメッセージ配布、朝夕の防災無線にウルトラマンの曲を流す(朝7時に『ウルトラセブン』、夕方17時半に帰ってきた『帰ってきたウルトラマン』)、小中学校の副読本として、円谷英二氏をはじめとした郷土の偉人に関する冊子を配布するなど、様々な施策が行われてきた。

「光の国との姉妹都市提携には、間接的にですが、自分も関わりました。円谷プロダクションのご協力もあって実現したわけですが、こんなこともできるんだと驚きました」(秡川氏)。

▲市中心部の松明通りにはカネゴンやゴモラなど、お馴染みの怪獣やウルトラマンの立像が配置され、観光客のフォトスポットになっている

▲(左)市内中心部にある円谷英二氏の生誕地モニュメント/(右)市内の全児童に配布される冊子『円谷英二物語』

「円谷英二氏の功績を顕彰する施設ができないか」といったアイデアが行政側で生まれたのも、この頃だったと秡川氏は語る。その後、このアイデアは震災で被災した市役所の新庁舎を行政側、市民向けの施設を集約させた市民交流センターを市民側の復興のシンボルと位置付け、交流センター内にミュージアムを設置する計画へとつながっていく。関係各者の協力も得て、この構想が本格的に始動していった。

須賀川市の公式サイトにある「(仮称)市民交流センター整備事業」には、施設の概要書が掲示されており、基本設計を策定するにあたり合計28回にわたって行われた市民ワークショップなど、様々な意見や提言がまとめられた。概要書には5階が「円谷英二フロア」になる旨が記されており、次のような説明がある。

「大震災からの復興のアピールや風評被害などを払拭するため、現在ウルトラマンによるイメージアップ戦略を展開しており、その中核的な位置づけとして本市出身の特撮の神様「円谷英二」氏を顕彰し、全国のウルトラマンファンや特撮ファンなどが訪れるような、須賀川ならではのミュージアムを計画します」。

また、計画に際して実施されたパブリックコメントには、「円谷英二ミュージアム」について次のようなコメントが寄せられた。

「常時人がいて、同氏の功績がある特撮や、特撮とCGとの比較などを、機材を使って楽しむことが可能な体験型のミュージアムや、オンディマンドで鑑賞可能な設備併設なら賛同しますが、展示だけのスペースを設置するなら、別な目的にスペースを利用された方がいいと思います。展示スペースだけで、全国から鑑賞客が来るとは思えません。仮に体験型ミュージアムをつくったとしても、財政面で維持運営できるのでしょうか。展示だけであれば、須賀川市のイメージアップ貢献に、新市庁舎への配置がよろしいのではないでしょうか?」。状況を客観的に踏まえた真っ当な指摘だと言えるだろう。

これに対して市では「円谷英二ミュージアムにつきましては、ライブラリー機能とミュージアム機能が融合した、須賀川市にしかできない、須賀川市民が誇りに思える、円谷英二ミュージアムの開設を目指しております。計画にあたりましては、長期的視野からの効果と維持管理コストの両面を慎重に検討し、進めて参ります」と回答している。この回答が適切だったかは、市民ひとりひとりの判断に委ねられることになるが、筆者の目からはこうした施設があることが羨ましく感じられた。

▲東日本大震災で被災し、2017年に開庁した須賀川市役所の新庁舎。庁舎の屋外にはウルトラの父、庁舎内にはウルトラマンの立像が設置されている

ともあれこうして2017年には新庁舎が完成し、屋外にはウルトラの父、1階ロビーにはウルトラマンの立像が設置された。また、2019年にはミュージアムと共に市民交流センターtetteが開館した。開館直後は大きな話題を呼び、1回40分、1日12~13回のローテーションが行われたという(※4)。

ミュージアムの設営にはATACのメンバーも協力した。中でも発起人で特撮監督の尾上克郎氏は総合監修を務めており、ミュージアムの世界観を形成する上で大きな役割を果たしている(※5)。同じく発起人で特撮美術監督の三池敏夫氏はジオラマ制作や、前述した特別映像で美術監督を務めた。怪獣や模型の説明文監修は、副理事長で明治大学大学院特任教授の氷川竜介氏が務めるなど、「円谷英二氏の生誕地である須賀川を特撮の聖地にしたい」という思いが多くの人を結びつける原動力になった。

※4、※5:『円谷英二ミュージアム~夢の挑戦 ゴジラ須賀川に現る~』(ホビージャパン刊)より

裏を返せば、そうした地域に根ざした文脈がなければ、ミュージアムの開館は難しかったということになる。

「何もないところで、いきなりウルトラマンをやりますと言っても、なんでウルトラマンなのかということになる。そうした素朴な疑問が出てくるのが当たり前だと思います。幸いなことに須賀川はそうではなかった。特に、ミュージアムについては市民の悲願でした。センターについても同様で、大きな抵抗感や違和感もなく、受け入れていただけたのではないでしょうか」(秡川氏)。

アーカイブセンターの須田氏も同意見だ。「(ウルトラマンや怪獣といった文化が)市民には根付いていると思います。それを受けて、この施設もオープンできました。そうした市民の理解がなければ得体の知れないものができることになるため、自治体としては難しいですよね。施設をリノベーションするにしても、職員の人件費にしても、税金を投じるわけですから」。

こうした文脈は市内散策を通して伝わってきた。また、その背景には地方都市特有の、人と人との密接な関わり合いがあるようにも感じられた。円谷英二氏の生誕モニュメント脇にある喫茶店「大束屋珈琲店」と、円谷プロとの特別契約ショップ「ウルトラマンショップ SHOT M78」はその象徴で、円谷英二氏の親族である円谷 誠氏が経営している。行政と協力して「ウルトラマンに会える街づくり」にも古くから関わってきた(※6)。

※6:須賀川に功績を語りつぐ仕事 事業者紹介Vol.2 ウルトラショットM78&大束屋珈琲店

▲(左)円谷英二氏の生誕地には「ウルトラマンショップ SHOT M78」があり、様々なグッズが販売されている/(右)取材時には姉妹都市事業の一環として、市内の飲食店とコラボした「ウルトラなメニューコンテスト」が開催されていた

須賀川市に限らず、漫画やアニメなどのコンテンツを活用した地域活性化の取り組みは全国で見られる。街中に設置されたキャラクターの立像は、わかりやすいシンボルだ。須賀川市がそれらの自治体と異なる点は、観光戦略に加えて人材育成を盛り込んでいることで、ミュージアムと図書館の融合はその好例だ。施設の運営予算も市の教育関連費から捻出されているという。

ミュージアムで上映されている特別映像『~夢の挑戦 ゴジラ須賀川に現る~』で、特撮のメイキングを盛り込んだのもそうした思いからだ。怪獣原型師で須賀川市で活動する酒井ゆうじ氏が、初代ゴジラのスーツを制作した。

「あれは私がつくりたかったんです。ゴジラ作品ができる工程を知っていただくツールとして使いたいと思いました。いわば、ゴジラの映像をつくるのではなく、メイキングをつくりたかったんです。一般的には完成作の方に興味があると思いますが、英二さんが当時どういった想いを込めてつくられていたのかをメイキングを含めた映像で伝えた方が、わかりやすいのではないかと。何とかつくらせてもらえませんかと東宝に打診し、許諾をいただきました」(秡川氏)。

しかし、だからこそ一般的な成果指標に馴染みにくい点もあるという。後述する地方創生拠点整備交付金の計画書には、具体的な数値目標も示されている。もっとも、市としての究極の目標は「特撮文化拠点都市」を実現し、第2の円谷英二氏を生み出すことだ。これに向けて県や教育機関、ATACらと連携し、特撮文化推進事業実行委員会を結成し、様々な活動を行なっているが(前述の「特撮の日」制定もその1つ)、成果が出るには10年単位の年月がかかる。

「長い目で見てくださいといろんな方に言っています。こうした施設ができたからと言って、一過性で何かが起きるとか経済効果が上向くとか、そういったことではなくて。ジワジワと行ってほしいところです。特にミュージアムでいえば、市民交流センターが教育を柱に掲げていることもあり、英二さんの発想の原点についていろんな本を読みながら思いを馳せてほしいですね」(秡川氏)。


『VFXのルーツを知る! 須賀川特撮アーカイブセンター訪問記と「特撮の街」須賀川市の取り組み(2)』はこちら



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