今や映像制作に欠かせない存在となったVFX。そのルーツは特撮にさかのぼる。そうした特撮技術を後世に伝える施設「須賀川特撮アーカイブセンター」が2020年11月、福島県に開館した。須賀川市は「特撮の神様」円谷英二氏の生誕地として知られ、地域ぐるみで特撮文化の振興と発展に取り組んでいる。クリエイターと行政が二人三脚で取り組むアーカイブの取り組みについて、2回にわたってお届けする。


INTERVIEW&PHOTO_小野憲史 / Kenji Ono
EDIT_三村ゆにこ / Uniko Mimura(@UNIKO_LITTLE



特撮の技術と文化を後世に伝える

11月3日は文化の日。しかし、特撮ファンにはもう1つの意味がある。映画『ゴジラ』の公開日だ。1954年11月3日に封切られた初代『ゴジラ』は特撮映画の金字塔となり、世界中にその名を轟かせた。半世紀以上たった今でも新作が誕生し続けており、2021年3月にはハリウッドで制作された最新作『ゴジラVSコング(仮)』の公開が予定されている。

2020年のこの記念日に、福島県須賀川市に「須賀川特撮アーカイブセンター(以下、アーカイブセンター)」がオープンした。設立には特定非営利活動法人 アニメ特撮アーカイブ機構(Anime Tokusatsu Archive Centre、略称ATAC)が全面協力し、開館式には理事長で映画監督の庵野秀明氏らが出席。2021年夏に公開予定の映画『シン・ウルトラマン』の立像も披露されるなど、メディアで大々的に取り上げられた。

▲須賀川特撮アーカイブセンター(〒962-0302 福島県須賀川市柱田字中地前22番地/入館無料)壁面には怪獣「スカキング」(市民による公募で命名)が描かれている

アーカイブセンターの公式サイトは須賀川市のホームページ内にあり、「(特撮作品で使用された)貴重な特撮資料の収集、保存、修復及び調査研究を行い、それらを通じて特撮文化を顕彰、推進していきます」と設立の目的が記されている。つまり、この施設は市が公費を費やして設立し、運営する公共施設なのだ。その前提となっているのが「特撮を文化として捉える」市の考え方であり、姿勢だといえる。

特撮というと、『ゴジラ』、『ウルトラマン』などの作品群が連想されるが、正確には「特殊撮影」の略語であり、撮影技術のひとつだ。平成24年度メディア芸術情報拠点・コンソーシアム構築事業「日本特撮に関する調査報告書」では、「実写のカメラと実景、あるいは通常サイズの室内セットでは撮影不可能な映像を、様々な工夫の組み合わせによって実現可能とする総合的な『技術』をさす」と定義されている。いわば特撮は、戦争、火事、地震、異世界、宇宙空間など、実際に撮影するのが困難な状況を擬似的につくり出し映像化するための技術であり、VFXのルーツということだ。

こうした考え方に基づき、アーカイブセンターには映像作品ではなく作品制作で用いられた中間制作物、すなわちミニチュアや制作資料のほか、撮影機材などが1,000点近く収蔵されている(閉架収蔵含む)。

センター1Fの収蔵庫では、実際の作品制作で用いられたミニチュア類が見学できるほか、2Fには特撮の技術をわかりやすく伝えるコーナーを設置。幅広い世代に特撮のしくみや魅力を伝えるための配慮がなされていた。また、2012年から全国5箇所で巡回展覧された「館長 庵野秀明 特撮博物館 ミニチュアで見る昭和平成の技」(以下、特撮博物館)の展示映像として製作された短編映画『巨神兵東京に現わる』と、そのメイキング映像も上映中だ。

1階/ホール

  • ▲円谷英二氏の大空への憧れをイメージさせる1階ホール。公開されている航空機のミニチュアモデルは、様々な映像作品で使用されたものだが、詳細不明のものも多い。壁面に掲げられている背景画は、背景美術の巨匠・島倉二千六氏によって描かれたものだ

    ◀︎映画『シン・ウルトラマン』(2021)に登場するウルトラマンの立像。成田 亨氏のオリジナルデザインを踏襲し、カラータイマーが存在しない(2021年3月まで)


1階/収蔵庫見学エリア

▲木製の艦首部分と修復されたブリキ製の全身が並べられた、『マイティジャック』(1968)に登場する万能戦艦マイティジャック号のミニチュア。他に、ウルトラシリーズなどの撮影で使用された飛行モデル、マスク、戦闘機のミニチュア、銃のプロップなどが収蔵されている

▲映画『男たちの大和 YAMATO』(2005)で使用された戦艦大和のミニチュアと艦橋部

▲映画『日本海大海戦』(1969)で使用された戦艦三笠のミニチュア。同作品は円谷英二氏が特技監督を務めた最後の長編映画で、当時の木工加工技術の水準の高さが確認できるよう、側面の塗装が一部むき出しになっている

▲館内で無償配布されている収蔵品の図解。樋口真嗣監督の手描きによるものだ


2階/多目的スペース

▲伝統的な特撮技法「強遠近法」を応用して作られたミニチュアセット。高台には1/8~1/15スケールの家屋や公園などのミニチュアを配し、奥に進むにつれて1/25~1/60スケールの建物を配置している。これによって、高台から街を見下ろすと奥行きが感じられる情景になる。壁面のホリゾントは、島倉二千六氏によってこの場で描かれたものだ

▲(左)ステージ手前には低反射ガラスがセットされた木枠の窓が設置されている。ガラスの上部には空が描かれ、低い天井でも画面一杯に青空が広がる風景の撮影が可能だ/(右)手前と奥とで道路の道幅・車・建物の縮尺を変えることで、遠近感を強調している

▲(左)ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』(2019)撮影用に作成された「帝国製麻ビルヂング」などのミニチュア。4K映像に耐えられるよう大型のミニチュアが組まれ、野外セットで太陽光による撮影が行われた。須賀川市で撮影され、ミニチュアの大半が同市で保存されている/(右)特撮用フィルムカメラや撮影用ライト類。センターではこうした撮影機材もアーカイブされている

▲(左)ゴジラやウルトラマンなど、特撮関連の書籍が並んだ図書室/(右)特撮関係者やATACメンバーの手描きサインが描かれた壁

収蔵品を見て改めて驚かされたのは、ミニチュア類の大きさだ。筆者が少年期を過ごした1970年代はカラーテレビの普及期で、ブラウン管のサイズも20インチ前後が主流だった。4K、8Kと大型化する近年の薄型テレビに比べて圧倒的にサイズが小さく、映像も不鮮明だった。その一方で『ウルトラマンタロウ』(1973~1974)に登場した戦闘機、スカイホエールは6尺(1.81メートル)、『マイティジャック』、『戦え! マイティジャック』(1968)に登場した万能戦艦マイティジャック号のミニチュアは、全長9尺(2.72メートル)もある。小さなテレビの画面では気付かなかったが、細部まで丁寧につくり込まれていることがよくわかった。

また、映画『日本海大海戦』(1969)で使用された、全長およそ6メートルもの戦艦三笠のミニチュアでは、船体の塗装の一部がはがされて下地の木がむき出しのままだった。ミニチュアを修復する過程で当時の造形技術の高さがわかり、あえてそのままの状態にしたのだという。このミニチュアは撮影用のプールに浮かべ、ワイヤーで引っ張って操演していた。また戦艦三笠では、このミニチュアのおよそ倍のサイズのものも制作され、中に技師が入って操演していた。

なお、筆者が取材に訪れたのは12月上旬の平日だったが、午前中のわずか数時間で須賀川市内、宮城、新潟、そして神奈川から15名近くの来館者が訪れた。年齢層も30代から70代まで幅広く、男女比も半々だった。女性だけのグループも見られたほどだ。コロナ禍で県外をまたいだ移動が制限される中、最寄り駅からバスで20分程度の本施設にこれだけの来館者が訪れたことに驚かされた。

2021年1月17日(日)までの累計来場者数は10,000名を超えた。センター長の須田元大氏は「週末は家族連れが多く、平日は年配の方が個人や数人で来館される例が多いですね。地元の方が大半ですが、開館当初は関東圏や九州から来館されたという方もいました」と語る。子供の頃に夢中になって観た作品について、いろいろと想い出を語り合ったり、新しい発見があったりと、様々な楽しみ方が見出せる施設のように感じられた。



もう1つの施設「円谷英二ミュージアム」

須賀川市にはもう1つの特撮関連施設がある。それが市中心部に位置する須賀川市民交流センター「tette」5階にある円谷英二ミュージアム(以下、ミュージアム)だ。アーカイブセンターがミニチュアや資料類の保存を目的としているのに対し、こちらは須賀川市出身で「特撮の神様」こと円谷英二氏の功績を称え顕彰すると共に、次世代の人材を育成することをコンセプトとしている。

© TOHO CO., LTD.
▲円谷英二ミュージアム(〒962-0845 福島県須賀川市中町4-1 須賀川市民交流センターtette内5階/入館無料) 。館内には須賀川市で活動する怪獣原型師、酒井ゆうじ氏が制作したゴジラのスーツが設置されている。特別映像『~夢の挑戦 ゴジラ須賀川に現る~』の撮影で実際に使用されたものだ

館内は大きく4つのエリアに分かれている。円谷英二氏の生涯を紹介する「円谷英二クロニクルボックス」、怪獣やメカの模型と共に多数の書籍が並ぶ「空想アトリエ」、円谷英二氏が数々の作品を手がけた東宝撮影所(現:東宝スタジオ)をミニチュアジオラマで再現した「特撮スタジオ」、そしてインタビュー映像や関連作品群などの検索や、オリジナルの怪獣をCGで作成して動かせる「円谷英二ネットワークウォール」だ(CG作成はコロナ禍に伴い現在サービス停止中)。

中でも展示の中心となる空想アトリエは、図書館との融合という他の博物館にないユニークな特徴を備えている。展示施設は怪獣を学問として捉えるというコンセプトの下、「空想生物学」、「空想機械学」、「特撮世界と環境学」、「特撮寓話学」、「特撮映像学」のコーナーに分けられ、関連する怪獣やメカの模型と共に、テーマに沿った図書が並べられている。気に入った図書があれば貸し出しサービスも受けられるという。

東日本大震災で大きな被害を受けた須賀川市。tetteは後述する市役所の新庁舎と共に、市民の復興のシンボルとして2019年1月にオープンした。市民交流センターというコンセプトに基づき、中央図書館、こどもセンター、市民活動サポートセンター、交流スペースなどの機能がある。ミュージアムもその1つということで、だからこそ図書館としての機能が備わっているのだ。

▲館内の一角に設置された東宝撮影所(現:東宝スタジオ)のミニチュアジオラマ。「須賀川市でゴジラを撮影する」という設定に基づいた架空のシーンや、かつて東宝撮影所に存在した大プールでの海戦シーンにおける撮影風景が展示されている。こちらも背景作画は島倉二千六氏が手がけている。

ミュージアムのもう1つの目玉が特別映像『~夢の挑戦 ゴジラ須賀川に現る~』だ。平成ゴジラシリーズの撮影を手がけたスタッフ陣で制作されたもので、須賀川市内でロケが行われ市民がエキストラ参加するなど、地元に密着した内容になっている。14分の映像は、前半でスタジオの撮影風景や特撮技術に関する解説が行われ、後半でゴジラが須賀川市に出現し、市民が逃げ惑う様子や、ゴジラとメーサー部隊の戦闘シーンを描写。ここでしか見られない貴重な映像になっている。

▲特別映像の一端はtette公式ホームページで閲覧できる

このように、アーカイブセンターと同じくミュージアムもまた、特撮の博物館として須賀川市が世界に誇るものだ。どちらも市の財政で運営が賄われており、入館料は無料となっている。特に、ミュージアムは市民交流センターの館内施設ということもあり、子供から大人まで幅広い来場者が訪れる場所として、市民の生活に密着した場所になっていることが窺える。しかし、ここで素朴な疑問が浮かぶ。なぜ須賀川市に特撮関連施設が2つも存在するのだろうか。

須賀川市の公式サイトや関連資料によると、市の総人口は7万5,298人(2021年2月現在)で、2005年の8万364人から緩やかに減少中だ。令和2年2月17日(月)の記者会見資料によると、同年度の一般会計当初予算は424億1千万円で、前年度比から2.8%減少した。こうした中、特撮文化推進事業として新規に422万円が計上されている。コロナ禍で全国の自治体の税収が減少する中、須賀川市としても地域の防災対策やインフラ整備をはじめ、他に優先させるべき事業が数多くある......、そうした声があってもおかしくはない。

また、ハコものはつくって終わりではない。後述するようにアーカイブセンターの設立には、国の地方創生拠点整備交付金、1億2,402万円が投入されており、当然ながら開館後は運営費や維持費が発生する。地方創生の名の下に建設され、地域財政の重荷となる施設が全国で見られる中、同じような機能は1つに集約させるべきだというのが一般的な見方だろう。

それでなくとも、特撮をはじめとしたポップカルチャーのアーカイブに関する世間の目は厳しい。自民党政権が2009年、国立メディア芸術総合センター建設に117億円を予算計上したものの、民主党(当時)が「国営マンガ喫茶」などと批判し、政権交代後に計画が中止となった経緯は記憶に新しい。

その後、超党派の「MANGA議連」によって「メディア芸術ナショナルセンター」設置関連法案が2019年の臨時国会に提出されたが、政局の混迷を受けて与野党がまとまらず、審議入りにまでいたらなかった。その上で、年明けからのコロナ禍だ。今後の成立見通しも厳しいと言わざるを得ない。

このように、公費の投入には様々な壁が立ちふさがる。そこで重要なのが「住民の思い」だ。それでは須賀川市民にとって、特撮とはどのような存在なのだろうか。2つの施設の設立経緯について話を聞くべく、須賀川市役所を訪問した。



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須賀川市は光の国との姉妹都市

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須賀川市は光の国との姉妹都市

「円谷英二さんの業績に対して何らかの顕彰をしたいというのは、市民の悲願でした」。須賀川市文化交流部の秡川(はらいかわ)千寿氏は開口一番このように語った。

▲須賀川市文化交流部の秡川千寿氏(左)と、須賀川特撮アーカイブセンターでセンター長を務める須田元大氏(右)

1901年7月7日に須賀川市中町で生まれた円谷英二(本名:円谷英一)氏。10歳で映画を視聴した際、内容よりも映写機のしくみに興味をもつなど、子供の頃から機械いじりや発明に関心があったという。11歳のとき、飛行機の写真を見ながらつくった模型が話題となり、新聞社が取材に来たほどだ。東京電気学校(現:東京電機大学)の学費を稼ぐために、自身が発明した玩具の特許収入をあてたという逸話も残っている。

紆余曲折を経て東宝に入社し、特殊技術課に配属されたのは36歳のときだ。41歳で制作に参加した映画『ハワイ・マレー沖海戦』(1942)の特撮が高く評価され、数々の国策映画を手がけていく。戦後は公職追放の憂き目に遭うが、復帰後に特技監督を手がけた映画『ゴジラ』(1954)が国内外で大ヒット。その後、活躍の場をテレビに移すと、ウルトラシリーズで子供たちを夢中にさせるなど、その業績は広く知られているとおりだ(※1)。

※1:Wikipediaより


1970年に68歳で死去した後も、円谷英二氏の存在は須賀川市民に影響を与えた。1980年代後半になると、その功績を活用して民間による町起こしが開始される。須賀川青年会議所が発案した「ゴジラの里」構想だ。市近郊の山にゴジラのシルエットを電飾で浮かび上がらせる、阿武隈川沿いの滝に「ゴジラの卵」を設置するといった取り組みが行われている(※2)。

※2:ウルトラマンで須賀川市を救えるか(五十嵐茜/宇都宮大学地域デザイン科学部・国際学部 行政学(中村祐司)研究室)

1992年には青年会議所のメンバーが「サークルシュワッち」を起ち上げ、ウルトラマンに関する取り組みをスタート。1998年から2018年まで毎年4月、円谷プロダクションの協力の下で主催された「ウルトラファミリー大集合ショー」(リンク先:Wikipedia)は、市民の間で恒例行事になった(東日本大震災の影響で2011年度は中止)。最盛期には県の内外から6,000名の観覧者が集まる一大イベントにまで成長している。

2000年代に入ると、市と商工会議所等が観光戦略の一環として「ウルトラマン」の活用に力を入れ始める。節目となったのが2001年7月に福島県が主催した「うつくしま未来博」だ。市と商工会議所等は、これを地域経済の活性化策の一環に位置付け、未来博と並行させて「ウルトラのまち」構想を実施。須賀川市立博物館での「円谷英二生誕百年祭」実施や、チャレンジショップの設置、関連商品の販売、記念フラッグの制作と設置など、様々な取り組みが行われた(※3)。

※3:"蔵"の町のヒーローはウルトラマン(須賀川商工会議所)

▲2013年5月5日に結ばれた須賀川市とM78星雲光の国の姉妹都市提携を記念して、JR須賀川駅前に設置された記念モニュメント。駅構内には姉妹都市をアピールするポスターが貼られ、市内にはラッピングバスが走る

こうしたウルトラマンを活用した取り組みは、東日本大震災の復興事業と融合し、一気に加速する。円谷プロダクションと関連企業による被災地支援に関する取り組みも、これを後押しした。「ウルトラマン基金」の設立、ウルトラファミリーの現地訪問、全国22の都道府県警察から特別出向した警察官で編成される「ULTRA POLICE FORCE(ウルトラ警察隊)」に対するシンボル・ロゴの提供などがある。

ここまでの様々な取り組みを経て、2013年5月5日に須賀川市とM78星雲光の国の姉妹都市提携が実現し(余談だが姉妹都市提携モニュメントの除幕式が行われた7月7日は円谷英二氏の誕生日で、2020年より「特撮の日」に記念日登録されている)、この提携を記念して「すかがわ市M78光の町」という仮想の町が誕生した。住民登録をすると有料で「光の町住民票」が発行できる、オリジナルの壁紙がダウンロードできる、メールマガジンが届くなど、様々な特典が得られる。

他にウルトラヒーローや怪獣の立像設置、原付バイクを対象としたウルトラマンのオリジナルナンバープレート公布、転入者と出生者の市民に対するウルトラの父からのメッセージ配布、朝夕の防災無線にウルトラマンの曲を流す(朝7時に『ウルトラセブン』、夕方17時半に帰ってきた『帰ってきたウルトラマン』)、小中学校の副読本として、円谷英二氏をはじめとした郷土の偉人に関する冊子を配布するなど、様々な施策が行われてきた。

「光の国との姉妹都市提携には、間接的にですが、自分も関わりました。円谷プロダクションのご協力もあって実現したわけですが、こんなこともできるんだと驚きました」(秡川氏)。

▲市中心部の松明通りにはカネゴンやゴモラなど、お馴染みの怪獣やウルトラマンの立像が配置され、観光客のフォトスポットになっている

▲(左)市内中心部にある円谷英二氏の生誕地モニュメント/(右)市内の全児童に配布される冊子『円谷英二物語』

「円谷英二氏の功績を顕彰する施設ができないか」といったアイデアが行政側で生まれたのも、この頃だったと秡川氏は語る。その後、このアイデアは震災で被災した市役所の新庁舎を行政側、市民向けの施設を集約させた市民交流センターを市民側の復興のシンボルと位置付け、交流センター内にミュージアムを設置する計画へとつながっていく。関係各者の協力も得て、この構想が本格的に始動していった。

須賀川市の公式サイトにある「(仮称)市民交流センター整備事業」には、施設の概要書が掲示されており、基本設計を策定するにあたり合計28回にわたって行われた市民ワークショップなど、様々な意見や提言がまとめられた。概要書には5階が「円谷英二フロア」になる旨が記されており、次のような説明がある。

「大震災からの復興のアピールや風評被害などを払拭するため、現在ウルトラマンによるイメージアップ戦略を展開しており、その中核的な位置づけとして本市出身の特撮の神様「円谷英二」氏を顕彰し、全国のウルトラマンファンや特撮ファンなどが訪れるような、須賀川ならではのミュージアムを計画します」。

また、計画に際して実施されたパブリックコメントには、「円谷英二ミュージアム」について次のようなコメントが寄せられた。

「常時人がいて、同氏の功績がある特撮や、特撮とCGとの比較などを、機材を使って楽しむことが可能な体験型のミュージアムや、オンディマンドで鑑賞可能な設備併設なら賛同しますが、展示だけのスペースを設置するなら、別な目的にスペースを利用された方がいいと思います。展示スペースだけで、全国から鑑賞客が来るとは思えません。仮に体験型ミュージアムをつくったとしても、財政面で維持運営できるのでしょうか。展示だけであれば、須賀川市のイメージアップ貢献に、新市庁舎への配置がよろしいのではないでしょうか?」。状況を客観的に踏まえた真っ当な指摘だと言えるだろう。

これに対して市では「円谷英二ミュージアムにつきましては、ライブラリー機能とミュージアム機能が融合した、須賀川市にしかできない、須賀川市民が誇りに思える、円谷英二ミュージアムの開設を目指しております。計画にあたりましては、長期的視野からの効果と維持管理コストの両面を慎重に検討し、進めて参ります」と回答している。この回答が適切だったかは、市民ひとりひとりの判断に委ねられることになるが、筆者の目からはこうした施設があることが羨ましく感じられた。

▲東日本大震災で被災し、2017年に開庁した須賀川市役所の新庁舎。庁舎の屋外にはウルトラの父、庁舎内にはウルトラマンの立像が設置されている

ともあれこうして2017年には新庁舎が完成し、屋外にはウルトラの父、1階ロビーにはウルトラマンの立像が設置された。また、2019年にはミュージアムと共に市民交流センターtetteが開館した。開館直後は大きな話題を呼び、1回40分、1日12~13回のローテーションが行われたという(※4)。

ミュージアムの設営にはATACのメンバーも協力した。中でも発起人で特撮監督の尾上克郎氏は総合監修を務めており、ミュージアムの世界観を形成する上で大きな役割を果たしている(※5)。同じく発起人で特撮美術監督の三池敏夫氏はジオラマ制作や、前述した特別映像で美術監督を務めた。怪獣や模型の説明文監修は、副理事長で明治大学大学院特任教授の氷川竜介氏が務めるなど、「円谷英二氏の生誕地である須賀川を特撮の聖地にしたい」という思いが多くの人を結びつける原動力になった。

※4、※5:『円谷英二ミュージアム~夢の挑戦 ゴジラ須賀川に現る~』(ホビージャパン刊)より

裏を返せば、そうした地域に根ざした文脈がなければ、ミュージアムの開館は難しかったということになる。

「何もないところで、いきなりウルトラマンをやりますと言っても、なんでウルトラマンなのかということになる。そうした素朴な疑問が出てくるのが当たり前だと思います。幸いなことに須賀川はそうではなかった。特に、ミュージアムについては市民の悲願でした。センターについても同様で、大きな抵抗感や違和感もなく、受け入れていただけたのではないでしょうか」(秡川氏)。

アーカイブセンターの須田氏も同意見だ。「(ウルトラマンや怪獣といった文化が)市民には根付いていると思います。それを受けて、この施設もオープンできました。そうした市民の理解がなければ得体の知れないものができることになるため、自治体としては難しいですよね。施設をリノベーションするにしても、職員の人件費にしても、税金を投じるわけですから」。

こうした文脈は市内散策を通して伝わってきた。また、その背景には地方都市特有の、人と人との密接な関わり合いがあるようにも感じられた。円谷英二氏の生誕モニュメント脇にある喫茶店「大束屋珈琲店」と、円谷プロとの特別契約ショップ「ウルトラマンショップ SHOT M78」はその象徴で、円谷英二氏の親族である円谷 誠氏が経営している。行政と協力して「ウルトラマンに会える街づくり」にも古くから関わってきた(※6)。

※6:須賀川に功績を語りつぐ仕事 事業者紹介Vol.2 ウルトラショットM78&大束屋珈琲店

▲(左)円谷英二氏の生誕地には「ウルトラマンショップ SHOT M78」があり、様々なグッズが販売されている/(右)取材時には姉妹都市事業の一環として、市内の飲食店とコラボした「ウルトラなメニューコンテスト」が開催されていた

須賀川市に限らず、漫画やアニメなどのコンテンツを活用した地域活性化の取り組みは全国で見られる。街中に設置されたキャラクターの立像は、わかりやすいシンボルだ。須賀川市がそれらの自治体と異なる点は、観光戦略に加えて人材育成を盛り込んでいることで、ミュージアムと図書館の融合はその好例だ。施設の運営予算も市の教育関連費から捻出されているという。

ミュージアムで上映されている特別映像『~夢の挑戦 ゴジラ須賀川に現る~』で、特撮のメイキングを盛り込んだのもそうした思いからだ。怪獣原型師で須賀川市で活動する酒井ゆうじ氏が、初代ゴジラのスーツを制作した。

「あれは私がつくりたかったんです。ゴジラ作品ができる工程を知っていただくツールとして使いたいと思いました。いわば、ゴジラの映像をつくるのではなく、メイキングをつくりたかったんです。一般的には完成作の方に興味があると思いますが、英二さんが当時どういった想いを込めてつくられていたのかをメイキングを含めた映像で伝えた方が、わかりやすいのではないかと。何とかつくらせてもらえませんかと東宝に打診し、許諾をいただきました」(秡川氏)。

しかし、だからこそ一般的な成果指標に馴染みにくい点もあるという。後述する地方創生拠点整備交付金の計画書には、具体的な数値目標も示されている。もっとも、市としての究極の目標は「特撮文化拠点都市」を実現し、第2の円谷英二氏を生み出すことだ。これに向けて県や教育機関、ATACらと連携し、特撮文化推進事業実行委員会を結成し、様々な活動を行なっているが(前述の「特撮の日」制定もその1つ)、成果が出るには10年単位の年月がかかる。

「長い目で見てくださいといろんな方に言っています。こうした施設ができたからと言って、一過性で何かが起きるとか経済効果が上向くとか、そういったことではなくて。ジワジワと行ってほしいところです。特にミュージアムでいえば、市民交流センターが教育を柱に掲げていることもあり、英二さんの発想の原点についていろんな本を読みながら思いを馳せてほしいですね」(秡川氏)。


『VFXのルーツを知る! 須賀川特撮アーカイブセンター訪問記と「特撮の街」須賀川市の取り組み(2)』はこちら