今や映像制作に欠かせない存在となったVFX。そのルーツは特撮にさかのぼる。そうした特撮技術を後世に伝える施設「須賀川特撮アーカイブセンター」が2020年11月、福島県に開館した。須賀川市は「特撮の神様」円谷英二氏の生誕地として知られ、地域ぐるみで特撮文化の振興と発展に取り組んでいる。クリエイターと行政による二人三脚の取り組みについて、『VFXのルーツを知る! 須賀川特撮アーカイブセンター訪問記と「特撮の街」須賀川市の取り組み(1)』に続いて後編をお届けする。


INTERVIEW&PHOTO_小野憲史 / Kenji Ono
EDIT_三村ゆにこ / Uniko Mimura(@UNIKO_LITTLE



縁とタイミングがつないだアーカイブセンター

前編では円谷英二ミュージアム(以下、ミュージアム)の設立過程を振り返った。市民の間で円谷英二氏を顕彰したいという思いが根強くあり、そこに東日本大震災の復興事業が重なって、開館にいたったのだ。後編となる今回は、須賀川特撮アーカイブセンター(以下、アーカイブセンター)設立に至る過程をレポートする。

開館のきっかけは、特撮や映像制作に関わるクリエイターの問題意識だった。以下、須賀川市役所の秡川(はらいかわ)千寿氏と、アーカイブセンターでセンター長をつとめる須田元大氏へのインタビュー、関連資料などに加えて、特定非営利活動法人 アニメ特撮アーカイブ機構(Anime Tokusatsu Archive Centre、略称ATAC)事務局長の三好 寛氏へのインタビューに基づき、時系列でふり返っていく。

Inter BEE 2020 ONLINEで配信された企画セッション「特撮アーカイブセンターとは何か?その歩みと挑戦」。ATAC副理事長で映画監督の樋口真嗣氏(左)、発起人で特技監督・VFXスーパーバイザーの尾上克郎氏(中央)、事務局長の三好 寛氏(右)が特撮を巡る現状やセンターの歩みなどについて語り合った

話は2009年7月にさかのぼる。東京・神楽坂で特撮・映像関係者の「暑気払い」と称した飲み会が行われた。出席者は映画監督の庵野秀明氏と樋口真嗣氏、特技監督・VFXスーパーバイザーの尾上克郎氏と神谷 誠氏、造形師(当時)の原口智生氏だ。

そこで話題に上がったのが、ミニチュアと光学技術を用いた伝統的な特撮が、制作技法の近代化に伴い消えようとしている現状だった。ミニチュアなどの制作技術が次世代に継承されず、当のミニチュアや制作資料の破棄も続いていた。そこには特撮の制作現場にCGやデジタル技術が浸透してきたことや、スタジオの近代化や統廃合による保管コストの問題があった。

こうした現状を憂いた庵野氏は、スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーに相談。当時、東京都現代美術館で日本テレビとスタジオジブリが展覧会を開催していた縁で、「館長 庵野秀明 特撮博物館 ミニチュアで見る昭和平成の技」(以下、特撮博物館)の開催につながる。会場には映画・テレビで活躍したミニチュアやデザイン画など、約500点の資料が展示された。また、スタジオジブリが製作し、樋口氏が監督を務めた特撮短編映画『巨神兵東京に現わる』が上映された。

2012年7月~10月まで開催された同展覧会は、当時の東京都現代美術館で歴代3位の動員記録となる、約29万人の入館者数を記録。以後、松山・長岡・名古屋・熊本と全国5箇所の巡回展覧を果たし、3年弱の期間を経て2015年6月に終了した。

▲展覧会「館長庵野秀明 特撮博物館 ミニチュアで見る昭和平成の技」公式ホームページと、「特撮博物館」図録、映画『巨神兵東京に現わる』パンフレット

「特撮博物館」の開催中には思わぬ収穫もあった。映画『日本海大海戦』(1969)で使用された戦艦三笠のミニチュアの収蔵だ。オークションサイトに出品されたことがわかり、関係者の尽力で落札。急遽、熊本展の会場に搬入され一般展示された。前編でお伝えしたように、本作は円谷英二氏が特技監督として制作に参加した最後の長編映画であり、それだけにメンバーにとって思い入れが深かった。

2018年5月に須賀川市文化センターで開催された、「第30回すかがわ国際短編映画祭」ゲストトークの席上で庵野氏は、「鈴木(敏夫)さんから『こういうことをやれば、何があって誰が持っていてどれくらいの手間がかかるかが大体推し測れるからやってみたら良いよ』と言われ、『ああ確かに』と。それで大体見えたんですね、どこに何が残っているかというのが。何かをやれば、そういうものが表に出てくるものなんですね」と語っている。

展覧会を開催するにあたり、経年劣化や破損などで状態の優れないミニチュアも一部修復された。万能戦艦マイティジャック号のミニチュアは代表例だ。番組をリアルタイムで楽しんだ世代だけでなく、若い世代や女性の来館者が各地で訪れ、特撮が幅広い年代にわたって支持されていることが、可視化されたことも大きな成果だった。ATAC事務局長の三好 寛氏は、「特撮博物館」で特撮が再認識され、高まった興味が、巡り巡って映画『シン・ゴジラ』(2016)の大ヒットに繋がったのではないかと分析する。

もっとも、会期が進むにつれて問題も発覚した。展覧会が終了した後で、一部のミニチュアや資料を保存する場所がなかったのだ(特に約6メートルの巨大な戦艦三笠の保管場所は急務だった)。結論から述べると、これらの資料は最終的に新設されたアーカイブセンターに輸送され、2020年11月の開館を迎えることになる。そこには「人の縁」と「タイミング」という2つの要素があった。

時計の針を展覧会前の2012年に戻そう。以前より特撮の現状に関心のあった庵野氏は、様々なルートでアーカイブに関する支援の打診や相談を進めた。その1つが文化庁だ。もっとも、当初は「けんもほろろな対応だった」という。当時から文化庁は文化庁メディア芸術祭をはじめとした、メディア芸術に関する様々な事業を通して、漫画・アニメ・ゲーム・メディアアートの振興に努めていた。しかし特撮は映画の一部でありジャンルではない。ゆえに対象外という見解が示されたのだ。

しかし、「特撮博物館」の記者発表で庵野氏がその対応を憂いたところ、文化庁側の対応が急変。急遽、展覧会への後援が決定した。それだけでなく、文化庁メディア芸術拠点・コンソーシアム構築事業の一環として、森ビルが事務局となり、特撮に関する現状調査や後述するトークセッションなどが実施されることになった。調査は2012年度から3年間にわたって行われ、後のATAC主要メンバーが監修や調査・執筆を行なっている。記事前編で紹介した特撮の定義も、このときに明記されたものだ。

なお、調査報告書は文化庁メディア芸術カレントコンテンツのサイトに公開されている。そのうち初年度(2012年度)の報告書冒頭には、庵野氏と樋口氏による次のようなメッセージが寄せられている。当時の関係者が抱いていた問題意識が良くわかる内容だ。

どうか、助けて下さい。
特撮、という技術体系が終わろうとしています。
日本が世界に誇るコンテンツ産業が失せようとしています。
それは世間の流れというものなので、仕方ないとも感じます。
だがしかし、その技術と魂を制作現場で続ける為に抗い、その技術と文化遺産を後世に残す為に保存したいと切に想います。
ぼくらがもらった夢を次世代にも伝え、残したいと切に考えます。
それは、個人では、極めて困難な目標であり事業です。
国でも自治体でも法人でも企業でもいいんです。どうか、僕らに創造と技術を与えてくれた特撮を、どうか助けて下さい。お願いします。
特にミニチュア等の保存に関しては可能な限り速やかに助けて下さい。
よろしくお願いします。

映画監督 庵野秀明(特撮ファン)
特撮。

昭和期に於いて日本独自に発展し、一時的に世界をリードしていた、縮小(ミニ)模型(チュア)を中心にした特殊撮影技術を用いて、架空のキャラクターが活躍する映画やテレビ番組がたくさんありました。

我々の先輩たちが作り上げた素晴らしい技術は、残念ながら昨今の合理化、デジタル化によって活躍の場が失われつつあります。

想像力と技術力によって生み出された自由な空想世界の遺産を、現在のアニメ、コミック、ゲームといった日本のメディア文化の源泉として未来に受け継いでいきたい、と考えます。

樋口真嗣

また、本事業の一環として2013年8月4日、トークセッション「特撮塾@ふくしま ー特撮を語ろう、未来に向けてー」が、須賀川市内の福島空港公園「21世紀建設館」で開催された。会場では庵野氏、尾上氏、原口氏、樋口氏、特撮美術監督の三池敏夫氏に加えて、KADOKAWA代表取締役専務(当時)の井上伸一郎氏が登壇。特撮の現状や特撮文化の継承について、様々な議論が行われた。これが契機となり、須賀川市の橋本克也市長を筆頭に県や市との接点が生まれ、アーカイブセンターの設立へと繋がっていく。

INTER BEE 2020 CREATIVEの企画セッションで紹介された、2015年2月に橋本市長から送られた手紙を引用しよう。市民交流センターの建設計画が進められていたころだ。この時点で「特撮文化拠点都市」構想が存在したことがわかる。

~「特撮文化拠点都市」を目指して~

本市は、皆様方の「特撮博物館展示品」収蔵先として、市内岩瀬公民館・岩瀬図書館を推薦いたします。そして、将来の運営手法としては、「(仮称)須賀川特撮アーカイブセンター」設立を協議していきたいと考えております。
これは、平成29年度完成予定の「(仮称)円谷英二ミュージアム」と密接に連動した、新しいまちづくりへの第一歩でもあります。
「(仮称)円谷英二ミュージアム」は、市民団体による「円谷英二監督」顕彰活動の成果であり、震災から復興を果たすうえで、また、故人の紹介だけでなく、「特撮文化」を広める施策として、大変重要な役割を担っております。
また、「(仮称)須賀川特撮アーカイブセンター」は、本市と皆様方とで強い信頼関係を築きながら、貴重な「特撮文化」を継承・保存し、ひいては、未来の優れた人材を発掘・育成する可能性を持った場だと期待しております。
そして、これらにより本市が、全国初の「特撮文化拠点都市」となることを切望しております。
しかしながら、この「夢」を実現するためには、皆様方の大きなお力添えを必要といたします。何卒、ご協力いただきますよう、衷心より、お願い申し上げます。

須賀川市長 橋本克也

文中で記されている岩瀬公民館・岩瀬図書館とは、アーカイブセンターの基となった施設だ。地域住民に長く親しまれてきたが、耐震問題や施設機能の移転などで宙に浮くことが確定していた。その跡地をリノベーションして活用してはどうか、というわけだ。この提案を受けて、2015年4月に尾上氏らが現地を視察し、確かな感触を得た。その後、2017年にアニメと特撮のアーカイブを推進する組織としてNPO法人ATACが設立。2018年に特撮文化推進事業実行委員会が発足するなど、双方で準備が進んでいった。

もっとも、いくら高い志があっても、ない袖は振れない。そこで須賀川市は2018年、国の地域再生制度を活用して「特撮のまちすかがわ拠点施設 整備事業」として地方創生拠点整備交付金の申請を行なった。

内閣府地方創生推進事務局のホームページに掲示された計画書には、「特撮関係者等と連携しながら、特撮に関連する貴重な作品や資料の保存・修復・展示・研究等を目的とする特撮拠点施設の整備を行う」、「本施設と『円谷英二ミュージアム』を繋ぎ、展示内容などについて相互協力する」、「官民連携で実施する」などの文言が並んでいる。結果、整備にあたっては2億4,805万円の事業費に対し、1億2402万円が交付された。

これ以外に前述した戦艦三笠をはじめとしたミニチュアの修復作業や、オーラルヒストリーの収集、怪獣の着ぐるみの3Dスキャンなどが、文化庁メディア芸術アーカイブ推進支援事業として、森ビルを事務局にATACの協力で進められている。これらもまた資金の源泉は税金だ。極めて珍しいケースと言えるだろう。

▲(左)映画『巨神兵東京に現わる』で制作された巨神兵の雛形(竹谷隆之氏制作)/(右)これを基にミューロンによって制作された撮影用ロッドパペット。ロッドパペットは背面と側面に最大5名の操演スタッフがついて、文楽人形のように操演する。どちらもアーカイブセンターに収蔵されている



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アーカイブの存在が当たり前になる社会にしたい

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アーカイブの存在が当たり前になる社会にしたい

このようにミュージアムが須賀川市民の悲願だったとすれば、アーカイブセンターは「一部の」特撮・映像関係者の悲願だった。それが様々な人の縁とタイミングが重なり、2つの施設の設立へと結実したわけだ。

ここで「一部の」と但し書きを付けたのには理由がある。庵野氏、樋口氏をはじめとしたATACのメンバーが声を上げなければ、アーカイブセンターは設立されなかったからだ。少なくとも、それまではミニチュアや資料の廃棄が続いていた。誰もそのことに危機感を抱いたり、貴重な資料に価値を見出したりしていなかったからだ。

同様の現象は特撮に限らず、様々な分野に見られる。漫画然り、アニメ然り、ゲーム然りだ。中でも3DCGは顕著で、古いPCやDCCツール、3DCGのモデルデータに文化的な価値を見出すクリエイターはおそらく一握りだろう。

しかし、水面に石を投げれば波紋が広がる。アーカイブセンターができたことで、特撮・映像関係者の意識に変化は起きたのだろうか。ATAC事務局長の三好氏に聞いてみた。

「手前味噌ですが、『特撮博物館』は特撮復活のきっかけになりました。それまで特撮は、失礼ながら、いわば"オワコン"扱いだったんです。それが大勢の来館者を集めたことで活性化した。関連出版が増えたり、特撮をテーマにした展覧会が開催されたりしました。決定打と言うとおこがましいですが、一つの沸点だったのが映画『シン・ゴジラ』(2016)です。極論すると『特撮博物館』を開催しなかったら、そこに繋がっていなかったと思うんですね」。

「そこから今ではテレビで『ウルトラマンZ』(2020)が話題になり、劇場で映画『シン・ウルトラマン』(2021)の上映がひかえるという、良いながれができてきました。それに伴って、少しずつ業界関係のみなさんの意識も変わってきたと思います。油断するとミニチュアがなくなる状況はあまり変わっていませんが、少なくとも『これは捨てない方が良い』と意識されるようになってきました」。

「アーカイブセンターが1つの拠点になりましたし、いざという時はそこに相談できる、安心材料の一つになったと思います」(三好氏)。

▲2020年秋に東京ドームシティ、年末から2021年にかけて大阪・ひらかたパークで開催された展覧会「特撮のDNA―ウルトラマン Genealogy」(公式サイトより)。2016年に福島県三春町でスタートした「特撮のDNA」展をふり出しに、展示内容を変えながら開催されてきたもので、今回で6回目となる。2021年夏には山梨県立博物館で「特撮のDNA~ゴジラ、富士山にあらわる~」の開催が予定されている

もっとも、より大きかったのは業界人ではなく、一般の人々の意識の変化だったと三好氏は語る。「特撮博物館」以前、こうしたミニチュアや資料をありがたがるのは一部のマニアだけだった。それが、そうした中間制作物があってはじめて、素晴らしい映像作品がつくられることが徐々に認知されてきたのだ。その結果、ミニチュアや資料に文化財としての価値を見出す気運が生まれてきた。それが大きかったという。

「『特撮博物館』での作業を通して、どこでどんな中間制作物が保管されているか、マッピングができました。その中には企業の方も個人の方もいらっしゃいます。ただ、永続性という点で不安を抱えている方も多い。そのため、『将来的にはアーカイブセンターで預かってほしい』とか『寄贈したいという』という相談も少しずついただいています。そうした要望に対して門戸を開いて、保管に繋げられるようにしています」(三好氏)。

一方でクリエイターの意識はどうだろうか。古いものよりも、目の前の仕事をこなさなければいけないのが職業人の宿命だ。いきおい新しいものや、よりコストダウンできるものに目が行きがちになる。特撮がCGに置き換わっていったのも、クリエイターの創作意欲や企業の経済活動と無縁ではない。例えば、特撮や映像クリエイターがアーカイブセンターを訪問することで、どういったメリットがあるだろうか。

「人によって様々だと思いますが、実物を見ることではじめて得られるものはあると思います。アーカイブセンターでは、ミニチュアなどを間近に、詳細に、いろんな角度で、映像をコマ送りで見るよりはるかに鮮明に、質感やディティールを伴って見ることができます。見ることで、多くの気づきが得られると思うんです。インスピレーションの源泉ですね」。

「デザインの面白さ、美しさだけでなく、ここに電池を仕込んでいた、この突起や穴でミニチュアを吊っていたなどの仕掛けも含めて、技術的な創意工夫にも気づくと思います。ミニチュア自体はもちろん、ミニチュアを映像化する過程を知ることで、得られるヒントは多いと思うんです。一般の方であれば、『格好良い』とか『昔はそういう時代だったね』などの感想が大半だと思いますが、クリエイティブな仕事をされている方は、その方なりの示唆に富んだヒントが得られるのではないでしょうか」。

「他にもミニチュア制作用図面や、撮影用のスケジュール表、予算表、合成用に撮った爆発シーンのフィルムなども保存していますので、将来的には公開したいです。それらからも得られるものは多いと思います。こんな人数で、こんな予算で、こんなスケジュールで撮影していたんだとか。教訓にしても良いですし、反面教師としても良い。先行例を貪欲に採り入れて自分たちの血肉にして、後出しジャンケンでも良いので、より良い作品が生まれれば良いと思います」(三好氏)。

▲特定非営利活動法人アニメ特撮アーカイブ機構事務局長 三好 寛氏

1969年生まれで、金沢美術工芸大学を卒業後、雑誌編集者を経てスタジオジブリに入社。「三鷹の森ジブリ美術館」の学芸員として同美術館の展示、収集、保管、調査研究等を担当した後、2015年にアニメーション制作会社のカラーに入社。文化事業担当学芸員のかたわら、ATACの設立にも携わってきた三好氏。現在はカラーに在籍しつつ、ATAC事務局長を務める日々だ。クリエイターの活動を間近に見ながら、それを支え、本分野におけるアーカイブ活動を担ってきた。

そんな三好氏は、アニメーションのアーカイブと企業活動の関係性の例として、「ウォルト・ディズニー・アニメーション・リサーチライブラリー」を挙げた。約6,500万点もの中間制作物をはじめとする、膨大な資料が保存されており、ディズニーやPixarの社員に多くのインスピレーションを与えている。中間制作物のアーカイブはスタジオジブリでも行われていた。三好氏が所属するカラーでも自社作品はアーカイブされ、ATACがアーカイブする過去作品の資料も含め、作画などの参考に活用することがある。こうした点からも、カラーとATACの業務は不可分だという。

もっとも三好氏はこうした有用性よりも、そもそも「実物を見るのは純粋に面白いんですよ」と説明した。

「こんなに大きいんだとか、迫力があるとか、サイズ感や質感やディティールなど、映像を見るのとはまた違った、様々なことが感じられる。そもそも、人間は人間がつくったものが好きなんです。人間はこういうことができるんだっていう可能性も実感できて、『楽しい』と思うんです。映像で心が躍って、ミニチュアでも心が躍る。セットで見れば、なお楽しい。グリコでキャラメルとおまけがセットになっているのと同じです。さらに、中間制作物から特撮やアニメの技術や歴史なども学べます。調査研究をする方にとって絶好の証拠品であり、教材なんです」。

「でもアーカイブは、損得で考えれば、損ばかりです。『これはいくらになるんだ』と言われると困ってしまいます。『お金に代えられない経験が得られます』としか返せません。『アーカイブは収益になるのか』という議論は成立しづらいです。アーカイブそのものはお金を生みません。ただし、お金を生む可能性を広げることはできます。多くの人が実物を見て、楽しかったという体験が広がれば、展覧会が開催されたら『お金を払って見に行きます』、画集や写真集が出版されたら『買います』、といったながれが生まれると思います」。

「あるいは、アーカイブがあることで、作品を生んだクリエイターや制作会社への認知が広がりますし、企業にとってはイメージアップにもなる。何より、先人の仕事や作品に対して敬意を払うことは、非常に大切です。先人の仕事をまったくふり返らない、大事にしない現場よりは、ちゃんとリスペクトして良い意味で踏み台にして作品をつくる現場のほうが、面白い作品を生むと思います。過去の作品をただ古いと一蹴するのではなく、もっとすごい作品を作るための踏み台や、バネにできると思うんです」(三好氏)。

▲戦艦三笠のミニチュアの下地をあえて見せている部分(左側)と、塗装部分(右側)

▲アーカイブセンターに掲示されている特撮の職分に関する説明パネル

「庵野秀明がよく言うんです。『自分は過去のアニメや特撮の素晴らしい作品を浴びるように観てきて、血肉にしてきた』、『いまの自分が作品をつくっているのは、そのおかげだ』『だから、その恩返しをしている』と。そうした『恩返し』は庵野に限らず、何かをつくっている人たちも見ている人たちも、多かれ少なかれもっていると思うんですね。過去の作品から何かを受け取って今、作品をつくっている。それらを見て楽しむ人もいる。どちらも過去からのバトンを受け取って生きている。だから過去の作品を否定したりないがしろにしたり、捨てたりはできないですよ。恩返しですから。やっぱり損得勘定じゃないんです」。

「アーカイブを大仰なものにしたり、ない袖を振って必死になってやったりするのではなく、ごく自然で当たり前のことにしたいんです。創作と鑑賞と両輪であって良いと思うんです。ただ消費しているだけでは文化は滅びます。悲しいかな人間は忘れる。だからこそ忘れないための『よすが』として映像がある。ミニチュアがある。デザイン画や原画が、中間制作物がある。それらを見たら記憶が甦り、気持ちが高揚する。新作をつくろう、見ようという気持ちにもなる。それらがそろって体験できるほうが良いと思うんです。過去から現在、未来に繋がる歴史の中で、作品や文化を捉えることを当たり前にしたい。そういう創作や鑑賞が当たり前になれば、もっと文化は豊かになると思うんです。それは映像系のエンタテインメントに限らず、文学でも音楽でも絵画でも彫刻でも、人間の営みであれば、同じことが言えるのではないでしょうか」(三好氏)。

自分の創作活動やクリエイターとしての人生を過去から未来に続く過程の中で、どのように位置付けていくのか。目の前の仕事も重要だが、そうした広い視野をもつこともまた重要と言うことだ。これまで「スタジオジブリ・レイアウト展」(2008)や、「特撮博物館」の開催にも係わってきた三好氏。これらのコメントも、こうした実体験が基になっている。

「ATACの活動も、過去から現在にいろんなものを受け取って、未来につなげるためにやっています。もちろん、個々の会社やクリエイターごとに、いろんな事情があることは否定しません。でも、そうした事業は乗り越えられると信じて、取り組み続けたいです」。

「ATACだけが旗を振っていてもアーカイブは続きません。クリエイターやファン、あるいは企業や業界の枠を越えて、いろんな人を巻き込みたいです。企業とも、行政とも、学校とも、立場を越えてみんなと連携したい。枠や立場の内外で対立しても仕方が無いんです。特撮か、CGか、と対立するのも不毛です。樋口真嗣や尾上克郎らは、特撮にCGを積極的に採り入れてきました。面白い映像をつくるために、ミニチュアもデジタル技術も惜しみなく融合させてきたわけです。それと同じように、どんどん対話し仲間を広げ、連携していきたいですね」(三好氏)。

▲アーカイブセンター階段踊り場のステンドグラス風デザイン

ここまで見てきたように、アーカイブセンターは一部の特撮・映像関係者が声を上げたことがきっかけとなり、地域のコンテキストと融合して実現にいたった。それまで廃棄されていたものに対して「価値がある」と言い出したことが、多くの人々の心に刺さり、価値が顕在化したのだ。

同じ現象は様々な分野で見られる。浮世絵やブリキ玩具もそうだ。近年ではアニメのセル画を文化財として捉える動きもある。その際、国レベルではなく地域レベルの方が、コンテキストが明確なだけによりまとまりやすく、動きやすいことがある。2003年5月、アニメスタジオが集積する東京都杉並区に日本初の総合アニメーション博物館として「杉並アニメ資料館」(現:東京工芸大学杉並アニメーションミュージアム)が開館したのも同じ文脈だ。

もちろん、その価値をどのように捉えるかは、人によって様々だ。アーカイブセンターにしろミュージアムにしろ、3DCGクリエイターでなければ得られない気付きや体験があるだろう。それは実際に足を運ばなければ得られないものだ。

もっとも、しばしば民意は簡単にひっくり返ることもあり、それが公費を投入する危うさでもある。そこで重要なのは、施設ができたら終わりなのではなく施設をどのように運営していくかだ。

おりしも2021年7月7日(水)は円谷英二氏の生誕120周年で、11月3日(水)はアーカイブセンターの開館1周年だ。こうした節目ごとに、何らかのイベントや企画展を実施していくという考え方もあるだろう。一方で、クリエイターサイドではアーカイブセンターが地域に還元できる価値について、どのように捉えているのだろうか。

「先ほど申しあげたように、みんなのアーカイブになることが目標です。作品の中間制作物や資料を、みんなの共有財や公共財としてアーカイブしたい。それが当たり前の社会にしたいんです。そのために、皆さんに愛していただけるか、面白がってもらえるかが課題です。庵野秀明にしろ、自分にしろ、面白いから、心が躍ったから、こうして携わっているわけです。その面白さを、より多くの人と分かち合いたいです」。

「収蔵品の長期保存という観点で言えば、大きな倉庫をつくって、そこで大事に保存して終わりです。そうではなくて、利活用をして広げたい、アーカイブセンターの収蔵品を開架に設置して、誰でも自由に見学できる形にしたのもそのためです。今後は、みんなが面白いことであれば、なんでもやっていこうと思います。研修室・作業室・視聴覚室といったスペースを利用して、セミナー・シンポジウム・ワークショップ・講演会・上映会など参加型の催しも企画していきます」。

「課題は人とアイデアです。幸い、ATACにはクリエイターや研究家をはじめ、専門性をもった頼もしいメンバーがいます。目的とタイミングを見据えて、特に現在のなかなか人が集まれない状況も踏まえながら、利活用の準備を進めていきます。今を生きる人たちにも、今後生まれてくる未来の人たちにも、『残してもらえて良かった』と思ってもらえるアーカイブにしていきたいですね」(三好氏)。