映画づくりにおけるアプローチのちがい
いよいよ太平洋をまたいで日本の制作チームとの共同作業が開始されると、両監督はリーダーとしてチーム全体が効率的に作品を制作できるよう、アイデアを提供することに重点を置いていた。しかし日系とはいえアメリカ人のコンドウ氏にとって、文化的にも言語的にも日本のスタッフとコミュニケーションをとるには壁がある。「ピクサーでは、スタッフは立場に関係なく誰でも自分の思いをきちんと表現します。一方、日本では自分の考えをはっきり言わないところがあり、意思の疎通を図るのが難しかった面もありました」(コンドウ氏)。
さらに、日本もアメリカもアニメ大国であり、制作においては両者とも優れているが、アプローチの仕方が大きく異なっていた。「僕がピクサーで学んできたのは、みんなが映画人として参加してつくるという意識の部分が大きいです。日本のスタッフは、監督の言った通り、絵コンテの通り、というアプローチが多く、一緒になって映画をつくるという気持ちが最初は足りなかった。仕事でこなすだけ、技術でこなすだけというのは映画をつくる上ではダメです。膨大なエネルギーと時間をかけてはじめて生まれるわけですから。スタッフのひとりひとりが、自分の力がないとこの作品はつくれないと思わなきゃもったいないですよね」(堤氏)。
制作中には危機的な状況が何回かあったという。求めているクオリティと課されているスケジュールや物量とのギャップから、スタッフ間に「絶対無理だよ」という空気が蔓延していた。映画を完成させるには、全てのスタッフに「なぜ『ムーム』をやるのか」に対する答えがなければならない。そこで、最初に両監督が自身に対して行なったように、『ムーム』をやる理由をスタッフひとりひとりに問いかけた。すると全員に明確な理由があり、そこで全員の意識が「絶対無理」から「できる」に一変。スタッフの全員が両監督と一緒に、どうしたら良くなるかを同じ目線で考えるようになった。「例えば帽子ひとつとっても、この作品の中でなぜここにあるのか。全体像を捉えられるか否かで存在の意味合いが変わってきます。日本のスタッフは経験が豊富なので、僕たちが思い描いているものを汲みとってアウトプットしてくれるようになりました。より成長したいという願望があれば、可能性に限界はないんだと思います」(コンドウ氏)。時間に追われながら事務的に作業をするよりは、意識を変えて映画づくりに積極的かつ主体的に参加した方がきっと良い結果を生むということだろう。
リファレンス
本作の舞台となるガラクタ置き場のイメージを構築するにあたっては、ガラクタがたくさん置かれてあるジャンクヤードの写真を撮って参考にしたという
Photoshopを使ってガラクタ写真に"思い出"のキャラクターを描き込むことで、作品イメージを固めていった。少しわかりにくいが、上の画像の右下に見えるのが完成したガラクタ置き場。ちなみにムームの動きのリファレンスには、「当時3歳だった息子のビデオを撮影してスタッフに見てもらい、子どもならではの動き方や仕草、表情などを共有しました」(堤氏)とのこと
世界から見た日本、改良の余地は伸びしろ
本作はスケジュールが非常にタイトだったため、上がった画に対して何度もトライできる時間はない。世界で通用するようなライティングに慣れているスタッフが少なかったこともあり、修正に関しては両監督はかぎりなく明確にディレクションしなければならなかった。一方でアメリカと日本、リモートで共同作業したことの利点もある。日本のスタッフが夜に仕上げた画が、アメリカにいる両監督の下に届くのは時差の関係でちょうど朝。1日かけて修正を加え、日本のスタッフはその修正を朝に受け取れる。このサイクルのおかげで時間のロスはほとんどなかったという。このように両監督は全てのカットに対してリテイクを入れ、日本人スタッフはそれに応えていった。
堤氏が印象に残っているシーンとして挙げてくれたのは、ムームとルミンが別れるシーンだ。「ライティングにしても動きにしてもとても難しいシーンでしたが、スタッフが気合いを入れて最初から良い画を上げてくれました。スタッフの気持ちの入れ方と僕らの気持ちの入れ方が重なった結果です」と堤氏。そしてコンドウ氏が挙げてくれたのはジャズのシーン。「動きや光をつくるのが難しかったですが、美しく仕上げることができました。作中でそのシーンが占める意味合いも大きいので非常に満足しています。作品の奥にある美しい悲しみを上手く伝えられていたらとても嬉しいです」とのこと。
結果的に、『ムーム』は世界で通用する作品に仕上がった。日本のCGアニメーションが世界レベルに追いつき追い越すための、着実な一歩になったのではないだろうか。「これからも日本のアニメーション文化や日本人がもっているセンスを世界に見せるチャンスはあると思います。もちろん課題もたくさんありますが、それは楽しみながらクリアできることですから」と堤氏はエールを贈る。コンドウ氏は制作をふり返って、「日本のチームと一緒に仕事ができて、得るものはたくさんありました。スタッフの細部に対するこだわりと、それを表現するテクニックは本当に素晴らしかったです」と語ってくれた。
『ムーム』の見どころは、ファンタジーなキャラクターとリアリティにあふれた表現、奥行きのあるストーリーだが、一番のポイントは世界レベルのハイクオリティな映画を日本人スタッフが中心となってタイトなスケジュールで完成させたところだろう。本作での経験を活かし、世界で高い評価を受ける日本発の映画が誕生する日もそう遠くはないかもしれない。
ペイントオーバー
監督からの修正は、上がってきた画像に対して直接指示を描き込むペイントオーバーによって行われた。図はムームの3Dモデルにおけるペイントオーバーの例で、[A]がチェック用の元画像、[B]が監督のペイントオーバー。モデルのシルエットや細かな形状について、詳細な指示が描き込まれていることがわかる。もちろんこのペイントオーバーはモデルに対してだけでなく、アニメーションやライティングなどあらゆる部分に対して行われた