ユーザーの開発者に対する捉え方が変わってきた
CGW:CEDECで講演されたり、本を書かれたりしたことで、ご自身のノウハウが改めて言語化されたところも多いかと思うんですが、何か仕事をする上でプラスになりましたか?
松永:他人にすごく説明しやすくなりました。最近の運営型ゲームはとても複雑になってきているので、スタッフに指示を出すときでも、ただ仕様を説明するだけでは、とても済まなくなっているんです。その背景やねらい、ユーザーさんに遊んでもらいたいタイミングなど、いろいろな要素まで含めて説明しないと、まともにゲームをつくるのが難しくなってきているんですね。そのため、そもそも『チェインクロニクル』って何が大事なタイトルなのかとか。どんな理由でこの仕様が入っているのかといったことを、ちゃんと整理する機会がもてたことが良かったです。
あと個人的には、先ほど話したように、開発者が何をしたいのか、伝えたいのかというのが昔ほど表だって感じられなくなっているので。だからこそ、書籍という形でそうした思いを書くことができて、同じ開発者の人から反響をいただけたのは、正直少し報われる部分があったと思います。
CGW:それこそ20年くらい前の話になってしまいますが、雑誌『WIRED』日本版に『シェンムー』などの生みの親として知られる鈴木 裕さんがコラムを連載されていて、自分も一読者として楽しみに読んでいました。そのとき、名越稔洋さんが代筆されたことがあったんですね。その後、連載自体が終了したとき、自分も別の雑誌の編集をしていたので、名越さんに連絡を取って、連載をお願いした経緯があるんです(※4)。ちょうど『龍が如く』リリース前夜の頃で、「今はまだ言えないけど、新しい企画を進めていて、E3で発表しようと思ったけれど、もっと準備が必要で......」みたいなことが同時並行で書かれていました。すごく面白かったですし、つくっている人がゲームについて語るというのは、今も求められているのかなと思います。
※4 「名越武芸帖」(ゲーム批評連載コラム)。後に『ゲーム屋人生-名越武芸帖』として書籍化
松永:そのあたり、昔ほどユーザーがゲーム開発の裏側について、求めていないのかなという気もするんですが、どうでしょうか? もちろんゲーム開発者や、ゲーム業界に進みたいという学生さんであれば、興味深く読まれると思うのですが......。
CGW:たぶん、そうした濃いユーザーの絶対数は変わっていないと思います。ただ、運営型ゲームの拡大に伴い、ユーザーの分母が広がりましたよね。それに伴い、1つのゲームでも濃いユーザーからカジュアルユーザーまで、ユーザー層が広がったので、薄まって感じられるのかもしれません。
松永:ああ、そういったところはあるかもしれませんね。
CGW:それに、同じように濃いユーザーでも、興味のもち方が変わってきているのかもしれません。自分自身もゲームの専門学校で非常勤講師を行なっているので感じるんですが、今の学生はスマートフォンの運営型ゲームを、すごく良く遊んでいます。それに伴い、開発ではなく運営に興味をもつ学生が増えているんですね。ただ、自分も含めてゲーム専門学校で講師をしている人間は、多くがコンシューマ世代なので、運営について詳しく説明できないんですよ。本書はそのギャップを埋める上でも、貴重な一冊になったと思います。
『チェインクロニクル』リリース6周年記念イベント「絆の大感謝祭2019」(写真:セガゲームス提供)
松永:確かに運営を5年やってみて、最近特に感じることに、ユーザー文化の変化がありますね。例えばガチャの確率が渋いなどで、SNSで運営に非難が集中することがあります。ただ、そのときに「たぶんこういう事情でこうなんじゃないか」といった運営の裏側について、想像を巡らせるような書き込みが見られるようになりました。そのゲームを信頼した上で、こういった事情が裏にあるんじゃないか的な書き込みをしてくれるユーザーさんも、徐々に増えてきた印象があるんです。
なので運営側でも、ユーザーさんに向けて、もうちょっと内情について説明しても良いのかなと。昔は「どんなミスも仕様ですと胸を張れ」みたいな指導を良く受けましたが、今の時代はきちんとユーザーと話して信頼関係を結んでいくのが良いんじゃないのかなと思っています。
CGW:さきほど「つくり手の顔が見えにくくなってきた」といいましたが、一方でSNSや動画配信などで、ユーザーが運営側のスタッフに触れる機会は増えているんですよね。そのため、ユーザーにとってみれば「開発者」のイメージが変わってきているのかもしれません。運営はユーザーにとって一番身近な存在だし、そこに憧れるというのは良くわかります。
松永:そうですね。フロントに立っているのがゲームデザインをしている開発者ではなく、運営担当の開発者やPR担当者であることが多いので、それは必然だと思います。
CGW:ただ、普通に遊んで楽しいだけなら良いんですが、そこで何かつくりたい、ゲーム業界に入りたいという学生たちと、断絶されている面は否めません。学生がソーシャルゲームをつくって運営するというのは、まだまだ敷居が高いですからね。スタンドアロンのゲームを1本つくるだけで精一杯で、運営までする余裕がないのが現状です。
松永:それは大きな課題ですね。一方で若い開発者の中には、新しいゲームデザインを発明したり、既存のメカニクスを組み合わせたりといったことにはあまり興味がなくて、むしろゲームをサービスとして捉えて、どんどん推し進めていきたいといってくれる運営志向の若者も増えています。そういった方たちは、大学で経営学やマーケティングをしっかり勉強する方が良いかもしれません。実際、人の購買意識をどのように高めるかといった研究は、すでにかなりの蓄積がありますから。
CGW:確かに、そういった知見がますます必要になってきますね。特にWebマーケティングは文系と理系が交錯する分野ですし、運営型ゲームの施策にも近しいところがあります。
なぜ運営型ゲームのノウハウ開示が必要なのか
松永:なので今の時代、ゲームデザインの基礎部分、運営サービスの基礎部分はそれぞれ学ぶべきノウハウが増えてきています。その一方で、僕のようにゲームデザインとサービスの中間にいるような人間には、それだけだと物足りないのも事実です。ゲームがゲームである限り、ゲームデザインの要素はなくならないと思いますし。
そういった分野に興味がある学生や若手が、読んでためになるような本や資料が、すごく少ないのも事実なんですよね。実際、運営型のゲームがすごく複雑になってしまった結果、新しいチャレンジがしにくくなってきているんですよ。その理由として、誰もちゃんとシステム全体を理解できていないんじゃないか、と思うことがあります。
CGW:どういうことですか?
松永:例えば昔の家庭用RPGだったら、面白いゲームシステムと魅力的なストーリーがあって、あとは無難なレベルデザインがそこに乗っかれば、ゲームになっていました。プラスでミニゲームがあったり、やりこみ要素があったりしても、それは付け足せばOKなもので、密接にメインの体験に絡むものではなかった。
一方で今のスマートフォンの運営ゲームは、ゲームシステムと世界観があった上で、お金を払ってもらうための購買要素の設計が複雑に絡んだり、レベルデザインについてもいわゆるレベルアップ的な意味でのレベルデザインだけでなく、ルール理解に対するレベルデザインや継続意欲のレベルデザインといった様々な要素があり、しかもそれが複雑に絡み合っていて、こっちを変えたらあっちも変えなきゃという複雑なパズルのような状況になっています。それで皆どうするかというと、あるものをコピーして使い回すという。
CGW:いわゆる「ガチャ前提」のゲームデザインですね。
松永:もちろん、それで良いと思っている開発者はいないと思いますが、今あるフォーマットに代わるものを完全新規でつくるのは、とんでもない難易度になってしまうんです。
100人いるキャラクターを60人に減らしたら、まったくちがうゲーム設計になってしまいますし、中盤のレベルデザインで難易度設定を間違えたら、簡単すぎてまったく課金がされなかったり、逆に難しいと守銭奴ゲームだ、と炎上しちゃったりします。でも昔は、開発途中で仲間キャラクターを10人から6人に減らすとか、途中の難易度が変で特定のダンジョンだけ苦戦するとか、良くあることだったわけで。
様々な要素がなぜその設計になっているか理解しないと、変えることすら難しい。だから一歩踏み出すのに、すごく時間がかかってしまうと思います。
CGW:新しいビジネスモデルなり、新しいフォーマットなりを発明するためには、今あるしくみをちゃんと理解するところから始めなければいけない、というわけですね。
松永:そうですね。せめて今の運営型ゲームの構造や運営のながれが、どういう理由でできたのか、最低限の基礎知識をみんながもっていないと、新しいものは産まれてきません。なぜガチャがなければゲームのビジネスにならないのか。なぜ育成のシステムは、こんなに複雑なのか。なぜゲームのクエストがこんな構造になっているのか。それぞれ、ベースのロジックを理解していないと、間違ったところを変えてしまうし、それが怖いから変えようとしなくなる。そうなると、どんどんゲームがつまらなくなっていきます。そこが一番恐れているところですね。
『チェインクロニクル3』より
CGW:先ほど「学生は1本ゲームをつくるだけで精一杯」という話をしましたが、中には1人で何でもつくってしまう学生もいます。ゲームエンジンや開発ツールの無償化・高度化が進んだ結果、クオリティを別にすれば、ゲームは1人でもつくれますしね。実際、日本のインディゲームでは個人制作の割合が増えています。学生のうちにインディゲームを1人でつくって、アプリストアやSteamで配信する例も珍しくありません。
ただ、そういった「できる学生」たちが、いざ就職する段階になって、みんな悩むんです。インディゲームの市場が広がっているからこそ、会社ではインディゲームではつくれない圧倒的なクオリティや、物量などを提示する必要がある。それが今の日本では、スマートフォンの運営型ゲームだったりします。しかし、そうしたゲームがそれまで自分たちがつくってきたものと、まったくちがうように思えてしまうんですよね。
松永:そうですね。断絶していると思います。彼らが美学と感じているゲームのメカニクスやレベルデザインの要素以外のことが多すぎるので、そうなってしまいますよね。
CGW:そのため卒業が近づくと「このまま就職しても良いのかな」と、迷ってしまうんです。そうした学生に対して、1人でつくるインディゲームも、会社でつくる運営型ゲームも、ユーザーを楽しませるという意味では同じだよ。会社でのゲームづくりもおもしろいよ。そんな風に、大人の側が学生に魅力を提示してあげて、架け橋をつくってあげることも、大事なのかなと思うんです。逆にそれを学生に求めるのは無理だと思うんですよ。情報量や人生経験が圧倒的にちがうので。
松永:それはそのとおりですね。運営型ゲームだからこその意義を挙げるとすれば、サービスを重ねることで長時間、ユーザーさんがずっと触り続けてくれるという良さがあります。正直、自分が学生時代にやったゲームでも、5年間毎日遊び続けるゲームなんてなかったと思うんですよ。でも『チェインクロニクル』だと、5年欠かさず遊んでますっていうファンの方がいてくれて。それはすごいことです。これはぜひ、いま最前線でゲームをつくっている若い方たちに体験してほしいです。
それにビジネスモデルの面でいえば、スマートフォンでサブスクリプションモデルがこれから入ってきますし、今後も変化が生まれていくと思います。ただ、スマートフォンが主戦場である限りは、これから先も運営型ゲームのノウハウに対する需要は続いていくのかなと思っています。なので若い人に興味をもってもらうためにも、つくれそうって思ってもらうためにも、今回の本が、ノウハウが普及するながれのひとつになってくれたら嬉しいです。
CGW:楽しみですね。そんな風に多くの人が少しずつ知恵を出し合って、事例が共有されていくことで、ブレイクスルーが起きていくのではないかと期待しています。先ほど松永さんは「ゲームデザインの知見はエンジニアリングに比べて汎用性が低い」と言われていましたが、それも受け取り側の問題ではないかと思うんです。ある本を読んで、感動したという人もいれば、面白くなかったという人もいる。ゲームも同じですよね。コンテンツの価値は受け取り側のコンテキストによって変わります。
松永:そういう意味では、この本も最初は、すごく汎用性が低いつもりで書いたんです。なにしろ『チェインクロニクル』のことしか書いてなくて、しかも遊んでいなければわからないことも、結構盛り込みましたからね。ただ、「ゲームは遊んでいないけれど、読んですごく勉強になりました」と言ってくださった方が、何人もいらっしゃったんです。そんな風に少しでも汎用的な価値を見出してもらえたのだとしたら、嬉しいですね。
CGW:まったくそうですね。松永さんがセガの先輩方から受け継がれたように、若手にもセガの遺伝子を伝えていっていただければと思います。また、これは業界全体の課題でもありますね。ありがとうございました。