「学習マンガ」に効果があるのか知りたかった
CGW:卒業論文のテーマが「学習マンガにおける表現形式の違いが内容の理解と読みの速度に及ぼす効果」でしたね。まさにマンガ工学的なテーマですが、「学習マンガ」をテーマに選んだのはなぜですか?
すがや:マンガ『こんにちはマイコン』を筆頭に、子供向けから大人向けまで学習マンガをたくさん描いてきました。最初に手がけた大人向けの学習マンガは、『こんにちわQCサークル』で、QC(品質管理)がテーマでした。あるとき、マツダの工場(広島)を見学したとき、壁にQCサークルのポスターがたくさん貼ってあって、面白そうだったので首を突っ込んだのがきっかけです。ただ、当時のQCの書籍はどれもこれも教科書調で、内容が堅くて難しくて......。自分だったらもっと入口を優しくできると考えたんです。学習マンガの企画書を作り、友人の紹介でプレジデントの編集者に会いに行ったら、「これは売れます!」と言われて、その場で出版が決まったんですよ。それが始まりで、その後も株の売買だとかニューメディアの解説書だとか、たくさん出版しました。
CGW:それまでの学習マンガの執筆経験を工学的に解体して、ご自身で研究してみようということだったんですね。
すがや:本当に効果があるか否かを確かめたかったんです。文献調査では、当時出ていた何百冊という学習マンガを調べました。ジュンク堂や紀伊国屋、早稲田の図書館を回って、その上でパターンを5つに分類しました。いわゆるストーリーマンガ形式のもの、コマは割ってあるけど先生と生徒がいて、その中で教えてくれるタイプのもの、その他にもありましたが、マンガらしいマンガという意味ではその2つがメインでした。
その後、どちらが効果があるのかを同一テーマで比較実験しました。一応マンガ家なので、「教授学習型」という先生が生徒に教えるタイプのマンガを基に、内容をストーリーマンガ風に描き直してインターネット上でアンケートを実施し、どちらの方が成績が良かったかを調べることにしました。
CGW:なるほど。
すがや:本研究ではマンガを読む速度についても調査しました。当時、「マンガは読むのが速い」というのが定説でした。1990年代後半、「週刊少年ジャンプ」が黄金時代だった当時は、山手線の1駅の区間、約2分で連載1話が読める程度のネームを描くようにと編集部から指導されていたと聞きます。仮に1話が20ページだとしたら、1分で10ページ、1ページが6秒ですよね。「実際にそのスピードで読んで内容を記憶できるのか」という疑問がありました。
エンターテインメントマンガと学習マンガは異なりますが、そもそもマンガを読む速度を計測した研究がなかったんですよ。計測するとなれば、読者の後ろでストップウォッチを持って測る必要があり、すごく手間がかかりますよね、それもあってオンラインで調査するようにしたんです。オンラインであれば、裏でタイマーを回すのも簡単ですからね。読み始めてから読み終わるまでの時間を測ってみると、1ページあたりの秒数がわかる計算です。
CGW:今さらっと「裏でタイマーを回して」と言われましたが、そのためのWeb上のしくみはご自身でプログラムされたんですか?
すがや:はい。PerlとJavaScriptで組みました。
CGW:研究内容もさることながら、研究手法や研究の環境まで作ってしまうところがすごいですね。その後、大学院にも進学されていますが、どんな理由からですか?
すがや:卒業研究をやってみて研究の面白さを知り、もう少しマンガの研究を深めてみたいなと思って進学しました。大学院の修士課程は修士論文を書くための2年間で、私も学会に入って研究大会で発表したり、論文をガリガリ読んだりしました。大学院に入るからには、博士課程まで行くつもりで来てくださいと言われて、自分もそのつもりだったんです。ただ、修士を出ると最短でも60歳になっている計算になるんです。その頃いくつかの大学で教員の話が出ていて、年齢を考えると、博士課程まで行くと早くても卒業が63歳になるんですね。そうなると、年齢的に採用できないと言われたんですよ。
最近は私立大学でも65歳定年の大学が増えていますよね。専任で採用するからには、最低でも4年間は在籍してもらわなければ困るということで、向後先生からは「菅谷さんの年齢だったら、専任は雑用などが多すぎて大変だから絶対にやめた方が良いよ」と言われました。その意味は京都精華大学でしみじみ味わいましたね。そんなわけで博士課程まで行くと教員ができなくなるので、修士で終わることにしたんです。
大学院に進学してマンガ研究を深める
CGW:修士論文が「マンガ初学者のための4コママンガeラーニングコースの設計と実践」ということで、まさに学部の研究をそのままアップデートさせた内容ですね。修士に上がるときにテーマは固まっていましたか?
すがや:もともと学部3年でゼミに入るときは、マンガよりも通信教育について研究したかったんです。ただ、向後先生から「菅谷さんはマンガでしょう」と言われてあっさりテーマが決まりました。実は向後先生の博士論文も学習マンガが研究に含まれていたんですね。博士論文を読ませていただいて「こんなこともできるんだ」と驚きました。『美味しんぼ』などを題材に、マンガを読んだ直後としばらくたってからの記憶を比べるといった調査が行われていました。
CGW:それは奇縁ですね。
すがや:その後も文献調査を重ねていく中で、向後先生の文献がマンガ研究のあちこちで引用されていることを知り、それで卒論も学習マンガにしました。その上でエンジニアリング的なことをやりたくて、マンガを読む速度を計測しました。そうした研究は過去になかったんですね。出た結果は当たり前のものでしたけれども。
CGW:当たり前のことをちゃんと証明することが重要なわけですからね。
▲修士論文の審査会(2011年)
すがや:修士論文では「マンガ初学者」がキーワードでした。その頃になると京都精華大学をはじめ、マンガについて教える大学があちこちで出てきていました。ただ、京都精華大学でも年間で何十人も学生をとっておきながら、プロになれるのは一握りなんですよ。他の人たちはそこで学んだことを応用して、どこかに就職していくみたいな感じで。大学でマンガを学んでも、マンガ家になれないといった議論もありました。
ただ、これは文学部や英文学部を出たからといって文学者になる人がどれだけいるのか、という話にも繋がっていきます。そうした議論の中で、マンガとマンガ文化という言葉がしきりに出てきました。「文化って何だろう」と考えたとき、それをたしなむ人がたくさん増えてこそ文化になるんじゃないかと思ったんですね。茶道や華道、俳句、将棋、囲碁のように、マンガを描く人がたくさん増えたら文化の成熟度が増すんじゃないかなと。コミケなどの同人誌文化はその1つですね。
CGW:なるほど。前々から漠然と思っていたことが、学部の授業や卒業研究を通してだんだん顕在化していったわけですね。
すがや:そうですね。補足すると、学習マンガが今すごく売れているんですよ。高齢者がお孫さん向けに買ってくれるんですよね。歴史物と伝記物が定番ジャンルです。もともと学習マンガは小学館や学研の独壇場だったのですが、そこにKADOKAWA、講談社、朝日新聞出版が参入してきました。朝日新聞出版が出している『科学漫画サバイバルシリーズ』は韓国のマンガの翻訳なんです。韓国は1990年代から紙のマンガ市場が壊滅したんですが、そこで残ったのが学習マンガだったんですよ。韓国は日本以上に学歴社会なので、祖父母が孫に買い与えているんでしょうね。
Pythonを勉強して統計学のサイトを作る
CGW:大学院に進学しつつ、学部の方でもeスクールの教育コーチをされていますよね。
すがや:2011年と2012年に担当しました。2012年は京都精華大学で非常勤講師をしたので兼任でしたね。実際は修士2年のときに特例で教育コーチをしたので、3年やったことになります。本当は修士号がなければ教育コーチはできないのですが、諸事情があって代役を頼まれたんです。1年目は教科だけを担当、2~3年目は卒論の指導も受け持ちました。
CGW:当時はまだ、「インターネット」といってもビデオ会話ではなく、テキストベースのやりとりですよね。
すがや:授業の基本はオンデマンドのビデオを見るものでした。そのサポートで、ホームページの掲示板を使い、途中からサイボウズLiveに切り替えました。学生に対する指導でも、テキストだけでなく、動画ファイルを併用していましたね。統計計算の授業では、Excelの操作手順を動画キャプチャで録画して、ナレーションも入れたものを、アップロードしました。そういった教材はたくさん作りましたね。
CGW:「こんにちは統計学」のWebサイトもその頃に作られましたね。
すがや:大学院で「インターネット科学」というゼミ形式の授業があり、その演習で作りました。2年間でPythonを学ぶ授業で、1年前期は『みんなのPython』を教科書に、こつこつとプログラムを組んでいきました。後期はDjango(ジャンゴ)とGoogle App Engineを組み合わせてミニブログを作ったり、MySQLを使ってデータベースとリンクさせたり。2年目は1年かけて自由に作って良いということで、統計学のサイトを作ったんですね。1年前期は3人の学生がいましたが、後期になったら自分だけになってしまい、先生とオンデマンドで授業をやっていました。Skypeでビデオ通話の授業を提案しましたが、時間がうまく合わずオンデマンドの録画を見る授業になりました。自分1人のために先生が動画教材を作ってくれて。あれは変な感じでしたね。
CGW:面白いシチュエーションですね。
すがや:ただ、2年目になると進捗報告がメインなんですね。動画教材といっても5分で終わるようなもので、毎週月曜日に動画がアップされるのですが、そこで指摘されたことに対してすぐに反映させていったので、1年かけてやる内容が半年で終わってしまって。そのため追加でどんどん実装していき「こんにちは統計学」の機能が膨らんでいきました。
もともと学部生時代に、卒論を書くためにみんなアンケート調査を実施して因子分析や回帰分析などを行なったのですが、これをExcelでやると大変で、一般的にはSPSSというIBMの専用ソフトを使うんですよ。大学のPCに入っているのですが、eスクールは通信制なので遠方から授業を受けている人が大半で、おいそれと大学のPCルームには通えないわけです。そこで、SPSSのような手軽に使える解析ツールをWebで作って公開すると良いのではないかと考え、eスクールの学生に使ってもらうことを念頭に作成しました。
キャラクターデザインコースで教授に就任
CGW:いよいよ京都精華大学なんですが、前々からそういった話があり、タイミングがあって非常勤講師を始められたのですか?
すがや:日本マンガ学会で竹熊健太郎さんからお声がけいただいたのがきっかけです。当時、マンガプロデュースコースで先生をされていたんですね。その時点では非公開でしたが、キャラクターデザインコースが発足することが決まっていて、教員を探されていたんですね。日本マンガ学会にも京都精華大学の先生方がたくさん参加しており、副学長をされていた吉村和真さんから直々にお声がけいただいて。研究をしたり、論文を書いたりできる環境に進みたいなと思っていたのですが、それができそうな雰囲気だったので、書類を出して面接を受けてOKとなったんです。
ただ、当時はまだキャラクターデザインコースが公表前だったことと、マンガプロデュースコースで教員が不足していたので、大学に慣れるという意味も含めて非常勤講師としてお引き受けし、マンガ原作に関する授業を担当させていただいたんです。もともとマンガのストーリーづくりや企画などの授業をやりたかったこともあり、楽しく担当しました。
▲京都精華大学
CGW:学部や大学院で研究された内容が役立った点はありましたか?
すがや:研究や論文執筆だけでなく、学会で研究発表をしたことが役立ちましたね。発表するという行為は「プレゼンテーション」であり、「プレゼンテーション能力」が社会の様々な場所で求められるようになっています。これはマンガでも同様で、マンガのネームを編集者に見てもらう行為はプレゼンテーションなんです。ただマンガ家になりたい学生は、批判されたり批評されたりするのが怖いから作品を見せたがらないんですよね。そこで授業では、どんなものを作りたいか、アイデアの段階で良いから企画を作って模造紙に描いてもらい、ミニポスター発表みたいなものを行なったりしました。
CGW:まさに対面だからできる印象もありますが、それまでの通信制の授業と比べていかがでしたか?
すがや:それはそんなに感じませんでしたね。オンライン授業でBBSなどテキストベースでやりとりをしていても、熱気のようなものはちゃんと伝わってくるし。
CGW:それは意外でした。そうなんですね。
すがや:余談ですが、新型コロナウィルス感染拡大で去年はずっとオンライン授業で、私も前期300人、後期220人の授業を受け持ちました。関西大学の総合情報学部で非常勤講師も務め、こちらは学生数が580人だったんですよ。250人までなら対面授業と言われたんですが、はるかに上回ったので動画を作ってオンデマンド授業にしました。それなりに評判が良かったみたいです。