マンガ『ゲームセンターあらし』をはじめ、数々の人気作で知られるマンガ家・小説家のすがやみつる氏。2020年には新刊『ゲームセンターあらしと学ぶプログラミング入門 まんが版こんにちはPython』を上梓し、注目を集めた。またすがや氏は、京都精華大学マンガ学部の教授として、多くの学生を世に送り出してきた人物でもある。2021年3月の退職を機に、研究者・教育者としての足跡について聞いた(写真はすべてすがや氏提供)。



INTERVIEW_小野憲史 / Kenji Ono
EDIT_三村ゆにこ / Uniko Mimura(@UNIKO_LITTLE)、海老原朱里 / Akari Ebihara





大学の教員を退職し、再びクリエイター活動へ

CGWORLD(以下、CGW):遅ればせながら、京都精華大学を退職おめでとうございます。

すがやみつる氏(以下、すがや):2020年3月に専任教員を定年退職して、そこから1年間「シニア教員」として再雇用されました。本来であれば定年退職となるところですが、大学院の博士課程後期の学生が博士号を取れなくて。指導できる教員が他に見当たらなかったため、もう1年残ることになりました。この学生も今年、無事博士号が取れたので、私も晴れて退職となりました。

  • すがやみつる/Mitsuru Sugaya
    マンガ家・小説家

CGW:4月以降はどういった活動をされていますか?

すがや:フリーランサーというか、これまでやりたかったことを少しずつ小出しにしていこうかなと思っています。執筆の仕事もいただいていており、そのうちの1つは出版が決まってるんですよ。

CGW:どういった内容の書籍なんですか?

すがや:コミカライズの歴史です。マンガの中には特撮やアニメなどの作品を扱ったものがありますよね。私は石ノ森章太郎先生のアシスタントから始まり、『仮面ライダー』のコミカライズでデビューしました。その後も『人造人間キカイダー』や『がんばれロボコン』などをコミカライズしてきたのですが、近年になってコミカライズの研究をしたいという声を聞くようになり、大学生や大学院生からの学術的なインタビュー調査の申し込みが増えてきたんです。そこで自分の記憶が確かなうちに、ちゃんと記録を整理しておきたくなりました。「いずれ書籍化できたら良いな」と漠然と思いつつ、自分なりにまとめはじめたんです。noteで有料記事にしていた内容をもとに、新書として出版することが決まりました。11月までには書店に並ぶ予定です。

CGW:なるほど。貴重な資料になりそうです。

▲マンガ『ゲームセンターあらし』ペン入れの様子



大学でマンガを教えることの意味

CGW:マンガ家や小説家としてだけではなく、実用書の出版なども手がけられていますよね。多種多様なお仕事をされてきた中で、学術系に進まれたところが印象的です。その第一歩として、2005年に早稲田大学に社会人学生として進学されたのは、どういった理由なのでしょうか?

すがや:話が長くなりますが、2000年に京都精華大学の芸術学部にマンガ学科(当時。現在はマンガ学部)が設立され、竹宮惠子先生を教授に招いて大学でストーリーマンガを教えるようになりました。おそらく日本で初めてのことだったのではないでしょうか。それまでもマンガを教える授業は存在していたのですが、カートゥーン系だったり4コママンガや1コママンガだったりで、ストーリーマンガとは差異があったんです。

そこで新しくストーリーマンガの授業が加わったことで、ものすごく人気になり、倍率も20~30倍くらいになりました。この影響を受けて、あちこちの大学や専門学校でマンガ学科やマンガコースなどが起ち上がり、私自身も複数の学校から教員のお誘いがありました。

ただ学生さんはマンガについて白紙の状態で入学してきますよね。そこでマンガ家が教えると「自分のセオリー」と言うか、自分の経験だけで教えることになります。せいぜいアシスタントなどの経験を通して、先生から受け継いできたものしかないわけです。幅広い視野がもてないんじゃないかという懸念がありました。

一方、様々な芸術がある中で、音楽でも絵画でもデザインでも「学びのメソッド」のようなものがあるんですね。「まずはバイエルから」、「まずはデッサンから」、「平面構成から」といった具合です。しかし、マンガにはそういったものがなかったんです。だからこそ最初の段階から、手探りの状況でカリキュラムを作っていくことが面白いかもしれないなと思ったんです。

ただ、私にはそうした知見はまったくありませんでした。自分の体験を基に教えるか、石ノ森章太郎先生が描かれた『石ノ森章太郎のマンガ家入門』などを下敷きにするか。名著と名高い書籍ですが、後になって読み返してみると映画の演出論の応用なんですよね。映画の解説書や入門書のようなものを引用しているところがあります。マンガを教えるうえでも、そういった知見がベースに必要ではないか。しかし自分にはとても教える資格がないと思いお断りしていたんですよ。

  • ◀『石ノ森章太郎のマンガ家入門』(石ノ森章太郎 著、秋田書店)

すがや:また、大学だから大勢の学生がいますよね。一度に何十人もの学生を教えなければなりません。アニメーションや映画だったら良いと思うのですが、マンガは「個々の作家のもの」なんです。そういう意味では小説の書き方を教えるのと似ていますね。マンガなんだから、ひとりひとりがちがうことをやらないといけない。個々の学生の良さを活かすような教え方をしなくてはいけない。そうなると、教える側も幅広い視野をもたないといけません。そこでふと思ったのは、マンガを教えるのはマンガ家よりも編集者の方が向いているんじゃないかと。

CGW:言われてみればそうですね。

すがや:昔はマンガ家になるために先生のところに弟子入りしていました。時代がくだって、週刊少年マンガが全盛期の時代になると、新人賞に応募して、「見込みあり」となったらネームを編集者に送って見てもらうようになりました。出版社が「学校」で編集部が「教室」、編集者が「担任」みたいな感じですね。そちらの方が、個々の作家が描きたいことに対応できます。その一方で、もっと基礎的なもの、例えば、デッサンやストーリーの作り方などを学ぶ必要もあるだろうなと。そんなふうに考えれば考えるほどに「これは手に余るぞ」と。それとは別の理由として、そのころは母親の自宅介護をしていて、そんな暇もなかったんですけどね。



パソコン通信で体験した「ネットでの学び」

すがや:そんなころ、早稲田大学人間科学部eスクールの存在を知りました。2004年の早稲田大学入学式の日に、大相撲の旭鷲山が紋付き袴で参加していてニュースになっていたんですよ。次の日にスポーツ新聞を開いたら、旭鷲山が自分の部屋で裸のままPCの前に座っていて、それが早稲田大学のeスクールだったんです。私は、もともと通っていた高校が進学校だったのに、自分は大学に進学しなかったという経緯もあって、漠然と大学に憧れがあったんですね。

CGW:なるほど。

すがや:それとは別に、パソコン通信の経験があったことも大きかったですね。1985年にパソコン通信を始めてから、アメリカのモータースポーツの最新情報を英語で入手するようになりました。そのうちPC-8201と音響カプラを持って、毎週のように鈴鹿サーキットに通ってレースを観戦するようになり、時には向こうの雑誌に英語で記事を書いたりしました。そんな経験もあったので、ネットでの勉強や教育に抵抗はありませんでした。自分の興味がある内容だったら喰らいついていけるし、効果があるだろうなと。そこで2004年にeスクールのことを知って受験してみたいなと思ったんです。

▲パソコン通信時代に愛用していたPC-8201と音響カプラ

CGW:その時代からパソコン通信で記事送稿とは、すごい話ですね。英語はお得意でしたか?

すがや:それがひどい話で。当時は中学生レベルの英語力しかなくて、それでもスペルミスや文法の誤りがたくさんありました。そのうち海外のメンバーがパソコン通信上で、よってたかって自分が書いた英文を添削してくれるようになったんです。アメリカ人を中心としたモータースポーツのジャーナリストたちで、日本で活躍する外国人レーサーの情報に餓えていたんですね。それに記事を書くための英語なので、単語や言い回しが易しくて、次第に理解できるようになりました。そんなこんなで、自然に語学力が磨かれていって。あとになって英語で論文を読むのに役立ちました。

CGW:なるほど、世の中なにが役に立つか本当にわかりませんね。

すがや:そのとき、私の恩師にあたる向後千春先生がご専門のインストラクショナルデザインや、教育工学という分野について知りました。自分もコンピュータが好きで、ネットはやるしプログラミングもかじっているし。そういった経験もあって「どうしたらマンガを効率的に描けるか」に興味があったんです。要は「マンガをエンジニアリングにできないか」と考えていて「マンガ工学」みたいなことを勝手に言っていました。ただ、同じ絵を皆が描くようになったら、マンガではなくアニメーションに近くなるので、「効率化と個性をどのように両立させるか」がテーマになるのかなと漠然と思っていました。少し話がそれましたが、ホームページで「教育工学」という言葉を見つけてすごくひかれたんです。

早稲田大学人間科学部eスクール

すがや:また教育工学は、ベースが心理学なんですよ。中でもインストラクショナルデザインは、いかに効率良く教えられるかを研究した分野で、アメリカの軍事から来ているんですね。第二次世界大戦中に「優秀な兵士をいかに短期間でつくるか」という命題がもち上がり、心理学者が集められてスタートしたのが、インストラクショナルデザインの始まりです。これが戦後、ビジネスに応用されて「工場労働者をいかに短期間で訓練するか」といった研究が進みました。そんなふうに企業の人材育成に応用されて、最終的に教育分野にも入ってきたんです。そうしたながれにも興味をもちました。

他にハリウッドの映画などでは三幕構成をはじめ、脚本や演出について、様々な本が出ていますよね。しかもハリウッドは日本とちがい、世界市場が対象です。人種、文化を越えて「万人に受ける作品づくり」が求められ、実際に成果を出しています。そのためにはセオリーが必要で、心理学の知見が意味をもつと思ったんです。大学で勉強したことをマンガづくりに役立てることが大前提だったので、参考にしたいという考えがありました。それで教育工学をはじめ心理学について勉強したかったんです。

そうしたら、eスクールの中でも人間科学部のカリキュラムに心理系の科目が充実していることを知ったんです。また、コンピュータやネットワーク系の科目もあり、これだったら面白がって勉強していけるかなと。

▲早稲田大学人間科学部eスクール卒業式



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「学習マンガ」に効果があるのか知りたかった

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「学習マンガ」に効果があるのか知りたかった

CGW:卒業論文のテーマが「学習マンガにおける表現形式の違いが内容の理解と読みの速度に及ぼす効果」でしたね。まさにマンガ工学的なテーマですが、「学習マンガ」をテーマに選んだのはなぜですか?

すがや:マンガ『こんにちはマイコン』を筆頭に、子供向けから大人向けまで学習マンガをたくさん描いてきました。最初に手がけた大人向けの学習マンガは、『こんにちわQCサークル』で、QC(品質管理)がテーマでした。あるとき、マツダの工場(広島)を見学したとき、壁にQCサークルのポスターがたくさん貼ってあって、面白そうだったので首を突っ込んだのがきっかけです。ただ、当時のQCの書籍はどれもこれも教科書調で、内容が堅くて難しくて......。自分だったらもっと入口を優しくできると考えたんです。学習マンガの企画書を作り、友人の紹介でプレジデントの編集者に会いに行ったら、「これは売れます!」と言われて、その場で出版が決まったんですよ。それが始まりで、その後も株の売買だとかニューメディアの解説書だとか、たくさん出版しました。

  • ◀『こんにちはQCサークル』(すがやみつる 編著、唐津 一 監修、プレジデント社)

CGW:それまでの学習マンガの執筆経験を工学的に解体して、ご自身で研究してみようということだったんですね。

すがや:本当に効果があるか否かを確かめたかったんです。文献調査では、当時出ていた何百冊という学習マンガを調べました。ジュンク堂や紀伊国屋、早稲田の図書館を回って、その上でパターンを5つに分類しました。いわゆるストーリーマンガ形式のもの、コマは割ってあるけど先生と生徒がいて、その中で教えてくれるタイプのもの、その他にもありましたが、マンガらしいマンガという意味ではその2つがメインでした。

その後、どちらが効果があるのかを同一テーマで比較実験しました。一応マンガ家なので、「教授学習型」という先生が生徒に教えるタイプのマンガを基に、内容をストーリーマンガ風に描き直してインターネット上でアンケートを実施し、どちらの方が成績が良かったかを調べることにしました。

CGW:なるほど。

すがや:本研究ではマンガを読む速度についても調査しました。当時、「マンガは読むのが速い」というのが定説でした。1990年代後半、「週刊少年ジャンプ」が黄金時代だった当時は、山手線の1駅の区間、約2分で連載1話が読める程度のネームを描くようにと編集部から指導されていたと聞きます。仮に1話が20ページだとしたら、1分で10ページ、1ページが6秒ですよね。「実際にそのスピードで読んで内容を記憶できるのか」という疑問がありました。

エンターテインメントマンガと学習マンガは異なりますが、そもそもマンガを読む速度を計測した研究がなかったんですよ。計測するとなれば、読者の後ろでストップウォッチを持って測る必要があり、すごく手間がかかりますよね、それもあってオンラインで調査するようにしたんです。オンラインであれば、裏でタイマーを回すのも簡単ですからね。読み始めてから読み終わるまでの時間を測ってみると、1ページあたりの秒数がわかる計算です。

CGW:今さらっと「裏でタイマーを回して」と言われましたが、そのためのWeb上のしくみはご自身でプログラムされたんですか?

すがや:はい。PerlとJavaScriptで組みました。

CGW:研究内容もさることながら、研究手法や研究の環境まで作ってしまうところがすごいですね。その後、大学院にも進学されていますが、どんな理由からですか? 

すがや:卒業研究をやってみて研究の面白さを知り、もう少しマンガの研究を深めてみたいなと思って進学しました。大学院の修士課程は修士論文を書くための2年間で、私も学会に入って研究大会で発表したり、論文をガリガリ読んだりしました。大学院に入るからには、博士課程まで行くつもりで来てくださいと言われて、自分もそのつもりだったんです。ただ、修士を出ると最短でも60歳になっている計算になるんです。その頃いくつかの大学で教員の話が出ていて、年齢を考えると、博士課程まで行くと早くても卒業が63歳になるんですね。そうなると、年齢的に採用できないと言われたんですよ。

最近は私立大学でも65歳定年の大学が増えていますよね。専任で採用するからには、最低でも4年間は在籍してもらわなければ困るということで、向後先生からは「菅谷さんの年齢だったら、専任は雑用などが多すぎて大変だから絶対にやめた方が良いよ」と言われました。その意味は京都精華大学でしみじみ味わいましたね。そんなわけで博士課程まで行くと教員ができなくなるので、修士で終わることにしたんです。



大学院に進学してマンガ研究を深める

CGW:修士論文が「マンガ初学者のための4コママンガeラーニングコースの設計と実践」ということで、まさに学部の研究をそのままアップデートさせた内容ですね。修士に上がるときにテーマは固まっていましたか?

すがや:もともと学部3年でゼミに入るときは、マンガよりも通信教育について研究したかったんです。ただ、向後先生から「菅谷さんはマンガでしょう」と言われてあっさりテーマが決まりました。実は向後先生の博士論文も学習マンガが研究に含まれていたんですね。博士論文を読ませていただいて「こんなこともできるんだ」と驚きました。『美味しんぼ』などを題材に、マンガを読んだ直後としばらくたってからの記憶を比べるといった調査が行われていました。

CGW:それは奇縁ですね。

すがや:その後も文献調査を重ねていく中で、向後先生の文献がマンガ研究のあちこちで引用されていることを知り、それで卒論も学習マンガにしました。その上でエンジニアリング的なことをやりたくて、マンガを読む速度を計測しました。そうした研究は過去になかったんですね。出た結果は当たり前のものでしたけれども。

CGW:当たり前のことをちゃんと証明することが重要なわけですからね。

▲修士論文の審査会(2011年)

すがや:修士論文では「マンガ初学者」がキーワードでした。その頃になると京都精華大学をはじめ、マンガについて教える大学があちこちで出てきていました。ただ、京都精華大学でも年間で何十人も学生をとっておきながら、プロになれるのは一握りなんですよ。他の人たちはそこで学んだことを応用して、どこかに就職していくみたいな感じで。大学でマンガを学んでも、マンガ家になれないといった議論もありました。

ただ、これは文学部や英文学部を出たからといって文学者になる人がどれだけいるのか、という話にも繋がっていきます。そうした議論の中で、マンガとマンガ文化という言葉がしきりに出てきました。「文化って何だろう」と考えたとき、それをたしなむ人がたくさん増えてこそ文化になるんじゃないかと思ったんですね。茶道や華道、俳句、将棋、囲碁のように、マンガを描く人がたくさん増えたら文化の成熟度が増すんじゃないかなと。コミケなどの同人誌文化はその1つですね。

CGW:なるほど。前々から漠然と思っていたことが、学部の授業や卒業研究を通してだんだん顕在化していったわけですね。

すがや:そうですね。補足すると、学習マンガが今すごく売れているんですよ。高齢者がお孫さん向けに買ってくれるんですよね。歴史物と伝記物が定番ジャンルです。もともと学習マンガは小学館や学研の独壇場だったのですが、そこにKADOKAWA、講談社、朝日新聞出版が参入してきました。朝日新聞出版が出している『科学漫画サバイバルシリーズ』は韓国のマンガの翻訳なんです。韓国は1990年代から紙のマンガ市場が壊滅したんですが、そこで残ったのが学習マンガだったんですよ。韓国は日本以上に学歴社会なので、祖父母が孫に買い与えているんでしょうね。



Pythonを勉強して統計学のサイトを作る

CGW:大学院に進学しつつ、学部の方でもeスクールの教育コーチをされていますよね。

すがや:2011年と2012年に担当しました。2012年は京都精華大学で非常勤講師をしたので兼任でしたね。実際は修士2年のときに特例で教育コーチをしたので、3年やったことになります。本当は修士号がなければ教育コーチはできないのですが、諸事情があって代役を頼まれたんです。1年目は教科だけを担当、2~3年目は卒論の指導も受け持ちました。

CGW:当時はまだ、「インターネット」といってもビデオ会話ではなく、テキストベースのやりとりですよね。

すがや:授業の基本はオンデマンドのビデオを見るものでした。そのサポートで、ホームページの掲示板を使い、途中からサイボウズLiveに切り替えました。学生に対する指導でも、テキストだけでなく、動画ファイルを併用していましたね。統計計算の授業では、Excelの操作手順を動画キャプチャで録画して、ナレーションも入れたものを、アップロードしました。そういった教材はたくさん作りましたね。

CGW「こんにちは統計学」のWebサイトもその頃に作られましたね。

すがや:大学院で「インターネット科学」というゼミ形式の授業があり、その演習で作りました。2年間でPythonを学ぶ授業で、1年前期は『みんなのPython』を教科書に、こつこつとプログラムを組んでいきました。後期はDjango(ジャンゴ)とGoogle App Engineを組み合わせてミニブログを作ったり、MySQLを使ってデータベースとリンクさせたり。2年目は1年かけて自由に作って良いということで、統計学のサイトを作ったんですね。1年前期は3人の学生がいましたが、後期になったら自分だけになってしまい、先生とオンデマンドで授業をやっていました。Skypeでビデオ通話の授業を提案しましたが、時間がうまく合わずオンデマンドの録画を見る授業になりました。自分1人のために先生が動画教材を作ってくれて。あれは変な感じでしたね。

  • ◀こんにちは統計学

CGW:面白いシチュエーションですね。

すがや:ただ、2年目になると進捗報告がメインなんですね。動画教材といっても5分で終わるようなもので、毎週月曜日に動画がアップされるのですが、そこで指摘されたことに対してすぐに反映させていったので、1年かけてやる内容が半年で終わってしまって。そのため追加でどんどん実装していき「こんにちは統計学」の機能が膨らんでいきました。

もともと学部生時代に、卒論を書くためにみんなアンケート調査を実施して因子分析や回帰分析などを行なったのですが、これをExcelでやると大変で、一般的にはSPSSというIBMの専用ソフトを使うんですよ。大学のPCに入っているのですが、eスクールは通信制なので遠方から授業を受けている人が大半で、おいそれと大学のPCルームには通えないわけです。そこで、SPSSのような手軽に使える解析ツールをWebで作って公開すると良いのではないかと考え、eスクールの学生に使ってもらうことを念頭に作成しました。

  • ◀早稲田大学人間科学部修了式



キャラクターデザインコースで教授に就任

CGW:いよいよ京都精華大学なんですが、前々からそういった話があり、タイミングがあって非常勤講師を始められたのですか?

すがや日本マンガ学会竹熊健太郎さんからお声がけいただいたのがきっかけです。当時、マンガプロデュースコースで先生をされていたんですね。その時点では非公開でしたが、キャラクターデザインコースが発足することが決まっていて、教員を探されていたんですね。日本マンガ学会にも京都精華大学の先生方がたくさん参加しており、副学長をされていた吉村和真さんから直々にお声がけいただいて。研究をしたり、論文を書いたりできる環境に進みたいなと思っていたのですが、それができそうな雰囲気だったので、書類を出して面接を受けてOKとなったんです。

ただ、当時はまだキャラクターデザインコースが公表前だったことと、マンガプロデュースコースで教員が不足していたので、大学に慣れるという意味も含めて非常勤講師としてお引き受けし、マンガ原作に関する授業を担当させていただいたんです。もともとマンガのストーリーづくりや企画などの授業をやりたかったこともあり、楽しく担当しました。

▲京都精華大学

CGW:学部や大学院で研究された内容が役立った点はありましたか?

すがや:研究や論文執筆だけでなく、学会で研究発表をしたことが役立ちましたね。発表するという行為は「プレゼンテーション」であり、「プレゼンテーション能力」が社会の様々な場所で求められるようになっています。これはマンガでも同様で、マンガのネームを編集者に見てもらう行為はプレゼンテーションなんです。ただマンガ家になりたい学生は、批判されたり批評されたりするのが怖いから作品を見せたがらないんですよね。そこで授業では、どんなものを作りたいか、アイデアの段階で良いから企画を作って模造紙に描いてもらい、ミニポスター発表みたいなものを行なったりしました。

CGW:まさに対面だからできる印象もありますが、それまでの通信制の授業と比べていかがでしたか?

すがや:それはそんなに感じませんでしたね。オンライン授業でBBSなどテキストベースでやりとりをしていても、熱気のようなものはちゃんと伝わってくるし。

CGW:それは意外でした。そうなんですね。

すがや:余談ですが、新型コロナウィルス感染拡大で去年はずっとオンライン授業で、私も前期300人、後期220人の授業を受け持ちました。関西大学の総合情報学部で非常勤講師も務め、こちらは学生数が580人だったんですよ。250人までなら対面授業と言われたんですが、はるかに上回ったので動画を作ってオンデマンド授業にしました。それなりに評判が良かったみたいです。



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eスクールで学んだ経験がコロナ禍で活きた

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コロナ禍で活きたeスクールの経験

CGW:オンデマンド(動画配信)型だけでなく、同時双方向型動画(ビデオ通話)による授業も行われましたか?

すがや:授業内容によって切り替えました。大学院のゼミなど学生数が少ない場合はZoom、それ以外は動画配信で行いましたが、前期は突然の出来事で自宅にWi-Fi環境がない学生がいました。そこで自分の授業では、事前に学生にアンケートを実施して学生のPC環境とネット環境を調査することにしたんです。中には中国からの留学生で、母国に帰ったまま日本に入国できない学生もいました。そうなるとGoogleやFacebookのサービスが使用できませんし、YouTubeも見られないわけです。そのため、2020年度の前期授業では教材用のWebサイトを作って、テキストと静止画だけで授業を行いました。

CGW:まさに「eスクール」ですね。

すがや:まあ、私の学生時代は全て動画教材でしたけどね(笑)。ただ、学生のネット環境を考慮してあえて動画教材はやめました。もっとも、初回の授業ではスマホ対応を考えずにサイトを作ってしまったので、「スマホで読むと目が痛くなる」だとか「文字ばかりで読む気がなくなる」といった感想が目立ちました。そこで2回目からはサイトをPCとスマホの両対応にして、少しスクロールしたらクイズが出て、正解したら次のページに進めるといった「遊びの要素」を組み込んだり、関連情報のリンクを貼ってそこから参照できるようにしたりと工夫しました。留学生もいるので、難しい単語にはふりがなをふっておき、右クリックすると意味を参照できるようにもしました。

CGW:学生のためになる、気の利いた仕様ですね。

▲2017年の誕生日に学生から送られたバースデーケーキ

▲2017年の誕生日に学生から送られたイラスト集

CGW:それまで研究されてきた内容について、大学で授業をすることによって言語化や考察が進み、より思考が深まる......といったことはありましたか?

すがや:教育工学の知見が有効だと実感しました。一例を挙げると、ベンジャミン・ブルームが「学習のタキソノミー」という研究で「学習の3要素(運動スキル、認知スキル、情意スキル)」について述べています。「運動スキル」というとスポーツなどを連想しますが、話すこともそうだし、字を書いたり歌ったりすることも運動スキルに該当します。それらを反復することで身につけていく。一度身につけると反射的にできるようになります。

「認知スキル」は、記憶や思考、判断などです。情意は心の問題で「態度」という言い方もします。モチベーションの維持などですね。この3つの要素がマンガにピッタリとはまるんですよ。

マンガを描くためには絵を描く必要があります。そのためには反復練習が必要です。デッサンから始まり、ペンの使い方など様々なトレーニングをします。これによってどんどん上手くなっていくわけです。ただ、いくら練習しても絵が上手いだけではマンガは描けません。ストーリーやアイデアも考えないといけませんし、同時に良いものを作ろうとする姿勢が必要です。つまり「手」と「頭」と「態度」が必要になるんですね。補足すると、「態度」には「締切を守る」ということも必要です。そんな風に説明すると学生も納得してくれるようです。

CGW:その様子が目に浮かびます。

すがや:また「態度スキルはコミュニティによって作られる」と言われています。もともと私自身はマンガ教育をeラーニングで行うことを考えていて、修士論文のテーマも「マンガ教育にキャンパスは不要」といったものでした。ただ実際に教えてみて、「仲間がいる」、「同じ志をもった人が周りにいる」ということがそれだけでプラスに働くと実感し、それを「トキワ荘効果」と名付けました。

CGW:昭和30年代に、若き日の手塚治虫、藤子不二雄、石ノ森章太郎、赤塚不二夫といった著名な漫画家が居住していた、漫画の「聖地」ですね。

菅谷:ただトキワ荘に集ったマンガ家たちは、仲間内で勉強会や批評会をしていないんですね。「そこにいただけ」なんです。「隣りもがんばっているからもう少しがんばろうかな」みたいな感じで。

CGW:わかります。

すがや:だから授業をオンラインにするのであれば、「コミュニティ」の部分もオンライン化しなければいけないと。いろいろとやり方はあると思いますが、これからの研究課題になるかもしれません。



学生時代に得た知見をフル活用する

すがや:他にも、認知心理学や認知科学の知見も役立ちました。「領域固有性」と「領域一般性」という話で、有名なものに「4枚カード問題(ウェイソン選択課題)」があります。何か漠然とした「自分に関係ないこと」について、人はあまり学ぼうとしないのですが、自分に少しでも関係してくると身を乗り出すという研究で、これが学習でも活用できるんです。

4枚のカードがテーブルに置かれている。それぞれのカードは片面には数字が書かれ、もう片面にはアルファベットが書かれていて、A・K・4・7が見えている状態である。このとき「カードの片面に偶数が書かれているならば、その裏面は母音である」という仮説を確かめるために、ひっくり返す必要があるカードはどれか?

すがや:学部生の正解率は10~15%でした。ところがこれを次のように書き替えると、グッと正答率が上昇することが報告されています。内容は同じでも文脈で結果が変わるんですね。

4枚のカードがテーブルに置かれている。それぞれのカードは片面には年齢が書かれ、もう片面には飲み物が書かれていて、ビール・ウーロン茶・28歳・17歳が見えている状態である。このとき「アルコール飲料を飲んでいるならば、20才以上でなければならない」という仮説を確かめるために、ひっくり返す必要があるカードはどれか?

すがや:このことを実感したのが、2013年から2016年までの4年間、eラーニングで「ICTリテラシー」という科目をやっていたときのことです。1年生の全学生に対して、PCの基本的な使い方や情報の扱い方、著作権の問題といった基礎的な事柄を教えていました。対面でもできたのですが、インターネットの接続方法なども身につけてほしかったので、オンラインで行うことにしたんです。

この授業の一環で、Excelの使い方について教えました。ただ、「卒業するとExcelで請求書を作るようになるから」といくら説明しても、課題の提出率が低かったんですね。その翌年、マンガ『ONE PIECE』(著:尾田 栄一郎)の累計発行部数が3億2,086万6,000冊(2014年12月)に達しギネスブックに認定されました。そこで「この印税はいくらになるかExcelで計算する」という課題を出したところ、みんな喰い付いてくれたんです(笑)。

CGW:なるほど(笑)。お金の話は誰しも関心があるし、プロになることが夢ですからね。

▲卒業制作作品企画発表ワールドカフェ(2018年)

▲新歓コンパ富士宮焼きそば(2018年)

京都精華大学マンガ学部キャラクターデザインコース(公式サイト)

CGW:キャラクターデザインコースではどういった授業が多かったですか?

すがや:キャラクターデザインコースが新設された背景に、「ストーリーマンガコースの倍率が高く、不合格の学生の受け皿が求められた」ことがありました。コミカライズなどの需要は高いので、ストーリーづくりは苦手だけど、絵を主体にやっていくコースをつくろうということで、キャラクターデザインコースがつくられたというわけです。私はマンガ家だし、もう1人の専任教員もマンガ家で、非常勤講師の方にもマンガ系の方に入ってもらったんです。みんなストーリーマンガ系の人たちなんですよね。

ところが蓋を開けてみると、学生30名の中でマンガ家志望は1名だけだったんです。ほとんどが「ゲームのキャラクターをつくりたい」、「ゲーム会社に就職したい」という学生でした。「自分はマンガ家だし、ゲーム会社の就職経験がないぞ、こりゃ大変だ」と大急ぎでカリキュラムを考え直す必要があり、ゲーム業界の方にヒアリングして「どんな学生が欲しいですか?」と聞いて回りました。中でもセガの担当者の言葉が面白くて、「1にコミュニケーション力、2にコミュニケーション力、3、4がなくて5にコミュニケーション力」とおっしゃって。「今のゲームはチームでつくるので」と。

CGW:ゲーム開発はチームプレイですからね。よくわかります。

すがや:その話をキャラクターデザインコースの学生にしたら、全員が下を向いてしまいました。みんな友達がいないから絵を描くんですよ。そこがスタートになっていて「自分の描いた絵がゲームになったら良いな」と漠然と考えているんですね。実際、学生たちの多くがスマホでソーシャルゲームを楽しんでいます。もっとも、そこでキャラクターの絵を描いているのは、フリーランスの人たちが大半で、そういった現実もあるわけです。それで「就職したいのか」と聞くと「親に就職しろと言われる」と答えるのですが、絵を描く仕事なら1人でできると思って入学してきているので、本当は就職したくないんですよね。でも就職しなければならないし、就職するためにはコミュニケーション力を上げなければならない。そこで、自分の授業ではプレゼンテーションの機会を増やすようにしました。

CGW:具体的にはどのような内容だったんですか?

すがや:例えば、1年前期の「キャラクター造形基礎」という授業では、学生は入学した直後で大学生活に慣れていない状況なので、自己紹介とアイスブレイクを兼ねて簡単な絵を描いてもらいます。それを隣同士で交換してもらい、2分間ずつ褒め合ってもらうんです。とにかく言葉を尽くして褒めて、褒めることがなくなったら消しゴムの消しカスが美しいとか、それでも良いから褒めるんですね。そうすると、みんなおかしくなってつい笑っちゃうんですよ(笑)。そんなふうに、教室を和やかな雰囲気にすることを目指しました。

次の授業でも同様に描いた絵を見せ合うのですが、気になるところがあったら「ひとつだけ指摘」しても良いことにします。最初から指摘してしまうと、中にはカチンときてしまう学生もいるかと思うのですが、その前に散々褒め合うことを経験しておくことで「心理的な距離」が縮まっているんですね。お互いに信頼関係を築いておくことが大事で、これを臨床心理学の用語では「ラポール」といいます。これができていると、批判があっても受け入れてもらえる。これもまた、早稲田のeスクールで学んだ知見を実践したものです。



博士課程で指導した学生が学位を獲得

京都精華大学大学院マンガ研究科(公式サイト)

CGW:大学院の授業をもたれるようになったのは、いつからですか?

すがや:初年度からです。本学の大学院には「理論」と「実技」という2つの領域があり、「理論」は論文を書いて研究者を目指していく領域で、「実技」はストーリーマンガをつくる領域です。私は修士課程では「実技」のストーリーマンガの授業を担当しました。初年度は2名、次年度からは4名受けもったのですが、大半が中国・韓国からの留学生で日本人は少数でしたね。

CGW:留学生ならではの特徴は感じましたか?

すがや:中国からの留学生では顕著で、皆さん絵はすごく上手いんです。でも日本のマンガ文化とズレがあって、例えば「オノマトペ」の意味がわからないんですね。日本語のオノマトペはものすごく豊富で、下駄の音が「カランコロン」とか風の音が「そよそよ」といった文化の問題になってくるんです。他に「役割語」の問題ですね。マンガではよく、おじいさんの一人称として「ワシ」を使うことがあって、絵がなくてもセリフだけでおじいさんだとわかりますよね。こういった手法を臆面もなく使うのがマンガなんです。小説などではステレオタイプな表現は批判されがちですが、それを恥ずかしげもなくやるのがマンガであり、「わかりやすさ」に繋がっています。

CGW:なるほど。確かに留学生にとっては腹落ちしにくい点かもしれませんね。

すがや:そういった背景もあって、昨年、博士号取得に挑戦して落ちてしまった中国の留学生がいたのですが、受けた指摘をきちんと修正して、今年の春に無事博士号を取得することができました。

CGW:おお、おめでとうございます。

  • ◀李 穎超さん(左)とすがやみつる氏(右)

すがや:李 穎超さんといって、中国で理工系の大学を卒業後、マンガが好きだという理由で本学の大学院に留学してきた学生でした。日本語で論文を書いたことがない中、いきなりの博士論文だったわけです。日本語も、マンガの影響から「話し言葉」と「書き言葉」が混ざってしまう傾向があり、論文であるにも関わらず「なので」、「けれども」と話し言葉があちこちに出てくるので、そこから指導する必要がありました。

CGW:博士論文のテーマはどういった内容だったんですか?

すがや:『現代マンガにおける「かわいいキャラクター」の分析と制作』です。数ヶ月後には、この博士論文がオンラインで閲覧できるようになるはずなので、詳しくはそちらを読んでいただけたらと思います。これまでも、修士の実技課程から何名か博士課程に上がりましたが、途中で断念してしまっているんですね。彼女も最初は苦労していましたが、5年かけて研究をかさね、学会誌への論文投稿や学会での研究発表を繰り返して、ようやく通りました。

  • ◀李さんの博士論文要旨

CGW:本当にお疲れさまでした。最後に、今後の抱負について教えてください。

すがや:早稲田のeスクールに通っていたとき、考古学や生物学などの授業を選択していて、そこで歴史モノやSFになりそうなネタをたくさん見つけました。早稲田大学は図書館が充実しているので、学生時代はしょっちゅう通っていました。新型コロナが下火になったら都心にも出やすくなるので、また通いたいですね。マンガになるか小説になるかはわかりませんが、図書館で「創作活動のまとめ」のようなことをしていきたいと思っています。

CGW:まさに「生涯クリエイター」ですね。これまでのクリエイター人生で、京都精華大学で教員として過ごした9年間はどういった位置付けに当たるのでしょうか?

すがや:先ほどもお話ししましたが、教員は作家ではなく「編集者の仕事」だと実感しました。編集者は本を作るだけではなく「作家を育てる仕事」でもありますよね。自分も教員をしながら「教員というのは、人を育てるクリエイターだな」と思いました。私の教え子にマンガ家になった学生もいますし、「学生が作品」といった感じですね。

CGW:今日は本当にありがとうございました。新作を楽しみにしております。