足下と次の一歩を見るだけ。でもたまに地図を見て確認。
CGW:森田さんは日本を拠点に活動をされていますが、今後も海外に拠点を移す予定はないのですか?
森田:これまでニューヨーク、サンフランシスコ、プラハ、パリと海外で展示をしてきましたが、やっぱり日本が大好きなんですよ。まず日本のインフラは本当にすごいと思うし、文化面では寺社仏閣が好きなのでそういった場所だったり、神社の一角にある彫刻だったり仏像だったり。デザインを含め小さな頃からそういうものに惹かれていたんです。あと地理的にも恵まれているため寒い場所から暑い場所まで少しの移動距離で簡単にアクセスできるし、海や川、砂漠や森、鐘乳洞......と、自然が豊富ですからね。そういうものにいつでも触れることができるのは日本に住んでいるからこそだし、そういった刺激が作品制作にも繋がっているので、日本から離れることはまったく考えていないです。
▲森田氏のアート作品「Vajrabhairava」
CGW:森田さんが目指しているのは「ハリウッド映画に携わりたい」とか「海外のビッグタイトルに携わりたい」といったものではありませんからね。最もインスピレーションを受ける場所にいたいと思うのは当然ですね。
森田:そうなんですよね。実際、アート作品にも「和のテイスト」のようなものを採り入れているし、今後もその方向で行くつもりです。自分が好きな文化的背景やストーリーを作品に組み込んで行きたいなと。一方で、連載「PHENOMENAL THINGS」で掲載しているものは「CGデザイナーとしての自分」が制作したものなので、アート作品と作風をからめるつもりはありません。
CGW:ご自身のサイトでも「アート」と「デザイン」を明確に分けられていますよね。
森田:完全に別ものです。名義を分けることも考えましたが、良い名前が思いつきませんでした。
CGW:境界線を引いて制作するのも、アーティストとしての1つの在り方ですね。とはいえ、どこかで「アートの自分」と「デザインの自分」が交差しませんか?
森田:そこなんですよね。CGデザイナーとしてのキャリアは今年で10年目になるのですが、デザイナーとして培った感性や能力を抜くのがすごく難しかったです。CGデザイナーのながれを持ち込んでアート作品を作ってしまうと、こじんまりとまとまってしまい、どうしても「デザイナーが作ったもの」になってしまう時期があって。それがすごく嫌でした。ただどちらも1人で制作しているので、いくら「別もの」と言っても、たまに割り切れない感覚になるのは仕方がないですね。
CGW:デザインに慣れて上手に作る下地が出来上がってしまうと、どうやっても綺麗に整ってしまったり、設計図のようなものが滲み出してしまったり。不本意ですよね。
森田:そうなんですよ。キャラクターデザインを散々造形してきたので、アナトミーもしっかりと勉強したし、映画やゲームのキャラクターもたくさん見てきたし。ここでも「リアリティ」というワードが出てくるのですが、そういった作品に登場するキャラクターは、ほぼ全てアナトミーに基づいて作られたものじゃないですか。そういうのがアートをする上でめちゃくちゃ邪魔になるんですよ。「アナトミーを理解した上で崩せる」のがベストかもしれませんが、美大生の作り方を見ていると、アナトミーを採り入れつつも「自由な表現」がちゃんと軸にあるんですよね。僕の場合は「アナトミーでガチガチに固めた土台」があるせいか、頭で考えすぎる癖が付いてしまっていたんですよ。
CGW:ルールをひとつひとつ手放して野生に戻るようなものなので、慣れるまでは方法論に縛られますよね。さて、アート作品を中心に制作する一方でクライアントワークもこなされていると思いますが、現在のCGの現場をはじめ身の回りの出来事はどのように映っていますか?
森田:今は「CGが上手いのは当たり前」の時代で、CGの勉強を始めて3ヶ月くらいの人がすごい作品を作っていたりするじゃないですか。そういったものを見て「すごいな」ではなく「当たり前」と思うようになってきました。その一方で、NFTで売れてる作品などを見てみると技術的には5分程度で作れそうなものだったりします。売り出し方やテイストの作り方といった「NFTという文脈」をからめた作り方が上手いですよね。
CGW:確かに。「文脈を理解する」というのは、現代を生きる表現者にとっては重要なポイントかもしれませんね。属する世界の中にいる自分を客観的に見たり、そもそも自分がいる現在地を知ることだったり。
森田:そう。「文脈を理解する」ってもうアートの領域ですよね。でもこれからは、デザイナーといえど文脈を理解することは必要になっていくんだろうなと思います。自分の作品を色んな人に見てもらわないからには理解できないことですけどね。
CGW:少し前に、エドワード・スノーデンの作品がNFTで5.4億円で落札されましたが、このようにアーティストが制作したものではなくてもアート作品になり得ますよね。彼の作品に対する評論は今は横に置いて、「誰が作ったか」という文脈によって価値が与えられることもある、と改めて実感しました。まったく同じものであっても、無名の誰かが作ったものでは価値も評価もたいして付きませんからね。アートには「制作者のバックグラウンドも重要」ということですかね。
森田:スノーデンレベルのバックグラウンドを作るのはすごく難しいですよね。それこそアートだけやっていてもその文脈は絶対に作れませんから。芸術の分野以外で何かやっていたり、幼少期の体験だったり、社会的な活動だったり。売れているアーティストにはそういったものがバックグラウンドにあると思います。となると、僕は皮肉や社会に向けたメッセージを伝えたいわけではなく、単純に頭の中で見えたビジョンを目で見たいから作っているだけなので、その線で言うと僕がやっていることはアートではないかもしれません。特に現代アートの場合は、かなり強い社会的メッセージが込められていますからね。
そこで自分の作品に無理やりメッセージ性を込めるとすれば......、資本主義的なアートの「カウンター的な意味」を作品に取り込むことはできると思います。「メッセージ性とかそういうの、もう良くね?」みたいな感じで。「単純に目で見て "良い" と思えるかどうかでアートをやろうよ」というスピリットでアートに喰い込んでいくことはできるかもしれません。
CGW:なるほど。それも面白いですね。現代美術では意味が求められすぎていたので、視覚の原点回帰ですね。ではCGの世界はどうでしょう。CGアーティストにもバックグラウンドや文脈が求められるものでしょうか。
森田:「売れるため」であれば必要かもれませんが、そもそも(現時点では)CGはアートではないのでCG業界に「アート」を求めてはいけないですよね。この間も自分のバックグラウンドについて考えていたのですが、僕が作っているアート作品は「感情的な部分」や「個人的なもの」にフォーカスを当てて具現化したもので、たまたまCGを使って制作しているだけなんですよね。ただそこで「CGを使って作品を作っています」というのは、今の日本のアート界にとってプラスに受け取られることではないように感じるんですよ。だから、むしろそれをプラスに変えるバックグラウンドを作って言語化できるようになれば良いのかなと。小学生の頃から自宅にMacがあってPhotoshopに触れていたのですが、「デジタルで育った最初の世代」というバックグラウンドも上手いこと育てていくべき文脈なのかなと思っています。
CGW:自分が育ってきた時代や世代という背景も、ひとつの個性で強みになり得ますね。日本のCG業界の中にいる森田さんは、知名度も高く有名なアーティストだと思うんですよ。CGに携わっている方であれば、恐らくほとんどの方がその名前を知っているのではないでしょうか。しかしアートの世界へと場所を変えた途端に、「無名のアーティスト」になってしまうんですよね。
森田:そう、それなんですよ! アートの世界では誰も僕のことを知らないんです。マジで本当に誰も僕の名前を知らない(笑)。CGの世界から出て、一般の人に自分の作品と名前を広げていくのが本当に難しいなと。どうすれば良いかを考えたところで解決しないし、文脈をいくら構築したところでどうにもならないし、そもそもそういうこともあんまりしたくないし。知ってもらうためにはやっぱり見た目のインパクトというか、パッと見て単純にすごいと思ってもらえるようなものを作るしかないから、......まぁ本当にやることはそれしかないのかな。
CGW:アートとなると、これまでとはちがった目で見られるでしょうし、歯がゆさがありますね。「CGで作ったんでしょ?」というリアクションもいまだにあるのでしょうか。
森田:ある(笑)。めちゃめちゃありますね。しかも「CGなんでしょ?」は、きっと良い意味ではないですよ。「PCで作るから楽なんでしょ?」みたいな。確かに(全てを手で作るよりは)楽かもしれないけど、さっきも言ったように楽だからCGで作っているわけではなく、「最初からCGで作ってきたから、今もCGで作っているだけ」ですからね。そこは誤解されると辛いところです。でもニューヨークで展示した際に色んな人と話をしたのですが、そのときはCGに対するマイナスイメージは受けなかったし何も聞かれなかったんですよね。造形やデザインを純粋に評価してもらえたので、とてもやる気が出たし嬉しかったです。
あと、アートにも様々なジャンルがありますからね。ニューヨークでの展示は「ポップ・シュルレアリスム」という比較的新しいジャンルだったのですが、少なくともそのジャンルの中では上手く受け入れてもらえました。一方、日本のアートの世界では技法や素材を見る人がまだ多いようにも感じるので、そういう人たちには響かないんだろうなと。そういったことも最初からわかった上でのアート活動なので、これはもう自分で顧客を広げていくしかないですよね。そもそも獲得する人たちがいないので、だいぶ時間がかかりそうです。
CGW:常々感じていたのですが、森田さんは「アートとビジネス」、「主観と客観」のバランスをとるのがすごく上手ですよね。感性や情熱に任せて作るだけではなく、客観的な視点をもってマネタイズするところまでちゃんと考えられていますよね。そんな森田さんにお聞きしますが、CGの世界はこれからどのように変化していくと思いますか?
森田:CGはまだまだ可能性がたくさんあるし、今後はもっとCGの間口が広がって行くと思います。これからも仕事は増える一方でしょうし、今からCGを始めるのも全然遅くないですよ。ただ、そのぶん競争率も高くなっていくし、オリジナリティがないと難しくなるはずです。専門性の高い前衛的な会社がもっと増えて、まだまだ別のかたちで「何かに特化した独自のブランド」でCGを作る人が出てくると思います。一方で「CGのことなら何でもやる」という存在もなくなってはいけないですよね。
CGW:まだ我々が知らない新たな技術や表現が出てきそうで楽しみですよね。
森田:そう、例えば「デジタルヒューマン」ってこれまで存在しなかったものじゃないですか。そういうものが新たに出てきそうですよね。Cafegroupの岸本(浩一)さんは、5年前くらいからこういう未来を見据えてデジタルヒューマンの会社を作ったんだろうし、そんな感じで「自ら専門性を作り出していく」というか、それこそ「ニーズを生み出していく」余地がたくさんあるんじゃないかな。とにかくCGは表現的にもまだまだやりきれていないですよ。それこそ、あえて初代PlayStationのようなグラフィックだけを作るといった具合に「技術的に上手いことを売りにしない会社」なんかも増えていくだろうし。
CGW:そうですね、過去の技術や表現が何度も巡ってはアップデートされて、新しい表現になっていますからね。その一方で、これまでにまったくなかった技術や表現が生まれてニーズが作り出されていく。なるほど、冒頭にお話しされた「ニーズを生み出してながれを作る」はここに繋がるわけですね。最後になりますが、今後挑戦してみたいことはどのようなことですか?
森田:今は立体作品を作っていますが、立体・映像問わず挑戦してみたいことはたくさんあります。中でも、ブランドとのコラボレーションをしてみたいと思っていて、クライアントワークとして作るのではなく、僕の作品を気に入ってくれたブランドに対して完全にオリジナルで制作する、といった感じでコラボレーションしていけたら最高ですね。だからまずは自分の作品を見てもらうこと。そこに向けた第一歩目としての個展でもあるし。
CGW:目の前にある課題をひとつずつ、ですね! 長期的なプランを練るときはどれくらいの長さで考えるのですか?
森田:だいたい10年以内の計画です。1年後、3年後、5年後、10年後と刻んで、「人生計画」や「どこ・誰と仕事するか」みたいな感じで結構細かく。しかも毎日頭の中でめっちゃイメージしますよ。
CGW:「言語化」と「イメージ」って、自分を知る上ですごく重要ですよね。そこが曖昧だと外的要因に左右されがちですし。
森田:そう。めっちゃ重要。多分、これが一番重要なんじゃないかな。そうやって自分の舵取りをしているんですよ。でも結局は「今作りたいものをただ作るだけ」。それで良いんだと思います。
CGW:そうですね、足下(あしもと)をちゃんと見つつ。
森田:そう、それですね。足下と次の一歩を見るだけ。でもたまに地図を見て確認して。そのバランスですね。
CGW:自分自身のことを知っていきつつ、しっかりとご自身の歩みをコントロールされているんですね。お話を伺って気付きがたくさんありました。今日は本当にありがとうございました。個展、楽しみにしています。
森田:こうやって話すことで、自分でも確認ができるので助かります。こちらこそありがとうございました。
■森田悠揮氏による初の個展「OVERWHELMED」開催
会場: UltraSuperNew Gallery 原宿
期間: 11月2日(火)〜9日(火)※月曜定休日
時間: 11時〜19時