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クリエイターのキャリア形成にも役立つ! 「技術書典」にみる技術系同人誌の広がりが意味するもの

クリエイターのキャリア形成にも役立つ! 「技術書典」にみる技術系同人誌の広がりが意味するもの

学校の教科書として使いたい

筆者はライターとして原稿を書くかたわら、専門学校で非常勤講師も行なっている。同じように日本電子専門学校でゲームプログラミングの講師をしているのが西山信行氏だ。高校卒業後、T&Eソフトウェアのプログラマーをふりだしにゲーム業界を渡り歩き、独立。フリーランスとして知人のスタジオに出向し、業務委託で開発を行うかたわら、専門学校で授業を行い、空き時間にゲームの個人開発も行なっている。ブログでの情報発信や電子書籍の出版なども積極的に行なってきた。

西山信行氏

もっとも、そんな西山氏にとっても、プログラミングの技術書同人誌を即売会に出展したのは、2019年8月のコミックマーケット96が初めてだった。iOS向けボードゲームパズル『パズル&モナーク』の技術解説を目的とした同人誌『パズモナの薄い本 Vol.1』、『2』を販売したのだ。オールカラーのコピー本で『1』が200円で『2』が500円。20部ずつしか印刷しなかったのは、製本の手間ゆえだという。イベント限定でC++のソースコードをつけたPC版『パズモナ』も販売したところ、来場者の注目をあつめ、早々に完売した。

iOSアプリ「パズル&モナーク」プレイ動画

それまで電子書籍中心だった西山氏が、はじめてコピー本に進出したのはなぜか。そこには「専門学校で9年間教えてきたが、良い教材がなかった」という問題意識があった。西山氏が担当するのは実習メインの授業で、学生は与えられた課題を一人でどんどんこなしていく。講師は学生の進捗度合いを確認し、必要に応じてアドバイスをするスタイルだ。しかし、優秀な学生ほど短時間で課題をこなしてしまい、手もち無沙汰になること多かったという。

そこで、進みの早い学生むけの教材としてスタートしたのが、『パズモナの薄い本』シリーズだ。プログラミングの授業に使うため、ゲーム自体もUnityではなく、C++でつくられている。ソースコードもGitHubで公開済みで、あわせて読むとより理解が深まる仕立てだ。プロトタイプの開発では、西山氏が授業で使用している自作2Dフレームワークを活用するなど、学生がゲーム制作を紙面上で追体験できるような仕立てになっている。

もっとも、同人誌の読了を学生に強制させるわけではない。教室で紹介したり、目につきやすいところに置いておいたりするだけだ。それでもめざとい学生は勝手に読んだり、西山氏のブログをチェックするなどして、演習に役立てている。ゲームを個人開発してイベントに出展するのも、セルフブランディングに加えて、学生にも出展してもらいたいから。「前回の『デジゲー博』では、自分は選考に落ちましたが、学生が授業でつくったゲームをもって、一人出展していました。こういうのが嬉しいですね」。

ゲーム開発に10ヶ月要したのに対して、『1』は1週間、『2』は1ヶ月で創り上げたという西山氏。同人誌をつくったことで、授業のスキルも上昇したという。ツールの説明をするとき、これまでは何となく「このウィンドウ」、「このアイコン」で済ませていたものが、正式名称を用いて説明できるようになったのだ。また「電子書籍に比べて、本が良いのは形に残ること」とも振り返った。「ゲームになじみがない人、たとえばうちの親に渡すと、驚かれました。説得力がちがいますね」。

コミックマーケット96の西山氏のブース

前述の通り、技術系同人誌でゲーム関連が占める割合は少ない。西山氏はその理由を「業務で得た知見と切り分けが難しいからではないか。情報が外部に露出することに神経質な会社もある」と語った。しかし、今後は盛り上がりが期待できるのではないか、とも続ける。開発技術をテキスト化していかなければ、新人教育が難しくなるからだ。同人誌をつくることで権利意識も学べる。だからこそ、多くのゲーム開発者に挑戦してもらいたいという。

「最初からたいそうなものをつくろうとしないことです。1ページのフリーペーパーでもOK。そこから次第にページ数を増やしていけば良いんです」。自身も『パズモナの薄い本』シリーズを5冊まで刊行し、開発工程の全体をカバーする予定だ。それにあわせて、『パズモナ』自体の改良も進めていくという。ゲームをつくり、内容を技術系同人誌にまとめて、授業で使用する。その過程がゲームの販促や、セルフブランディングにもつながっていくというわけだ。非常にクレバーなやり方だろう。

会社に対する意識が変わった

最後に紹介するのは大手ゲーム会社でサウンドプログラマーとして働くかたわら、NPO法人国際ゲーム開発者協会日本(IGDA日本)で理事もつとめる土田善紀氏だ。WindowsやXboxシリーズの標準サウンドAPIであるXAudio2の技術解説本『入門XAudio2』シリーズを立ち上げ、技術書同人誌博覧会で『入門』編と『初級』編を頒布。技術書典7では、これまでの講演録をベースに、エンジニアの処世術をテーマとした新刊を書き上げ、合計3冊での出展を予定している。

土田善紀氏

技術書同人誌博覧会に参加したのが、同人誌文化に触れた初めての経験だったという土田氏。もっとも、XAudio2の初心者向け技術書に関する思いは、4年ほど前からもっていた。背景にあるのがゲーム業界における若手サウンドプログラマーの絶対数の少なさだ。サウンドプログラマー向けの入門書がないので、学生が勉強できない。そのため新人を募集しても、応募が集まらない。社内で適性をみながら配置転換を促そうとしても、教育マニュアルがない。こうした状況が続いてきた。

きっかけになったのは、2019年1月に楽しみにしていたゲームの発売が延期され、手もち無沙汰になったことだ。重い腰をあげた土田氏は、いざ執筆を始めると生来の凝り性も手伝い、11万字ものテキストを一気に書き上げた。それでも週末をつぶして3ヶ月かかったという。「マイクロソフトの公式サイトにもXaudio2のドキュメントが存在しないため、あらためて技術検証から行う必要がありました。しかし、おかげで改めて理解が深まりました」。

『XAudio2』シリーズはPDF版も販売中だ

もっとも、いざ製本するとなると知らないことだらけだった。文章の書き方から始まって、章立て、校正、挿絵のレイアウト、印刷所への入校、検品などだ。電子書籍化も並行して進めたため、データの作成方法やストアでの販売方法なども手探りで進めた。同じくゲーム会社でデザイナーとして働く娘に表紙や挿絵、ポスターなどの素材発注も行った。事前配送したダンボールの山がテーブルの下に入りきらず、現地で慌てる一幕もあった。

ただし、土田氏は「こんなふうに新しい世界を知るのは、刺激がたくさんで楽しい」という。サークル出展をしたことで、当日は出展者、来客との交流なども深まり、自分の視野が狭いことを痛感した。「WindowsやC言語を知らないプログラマーもいて、目から鱗でした。これらはネットでダウンロード販売するだけでは得られない、即売会ならではの知見でした」。一般参加者では自分の興味のあるブースしか回らず、視野が広がらなかったのでは......と土田氏は語る。

親子で参加した技術書同人誌博覧会での出展風景

また、思ったほどには売れないこともわかった。『入門XAudio2』シリーズを2冊で240部印刷したが、今のところ売れゆきは90部程度だ。「自分の業務は社内の開発チームむけツール制作が中心で、いわば社内B2Bです。これに対して同人誌をつくって売るのはB2Cで、まったく勝手がちがいました」。売れない理由は宣伝か、表紙か、内容か、販路か? 考えられる要因は数多くある。「同人誌をつくるまで、そんな気持ちはわきませんでした。営業・宣伝・広報の人たちに感謝の念が湧きました」。

もっとも、焦る必要は全くないと土田氏は語る。今後も三冊を出版し、合計五冊のシリーズにする予定だ。幸か不幸かXaudio2は10年くらいバージョンアップされておらず、3年くらいかけてじっくり売っていきたいという。「これがUnityなどでは毎年のようにバージョンが変わるため、毎年新刊で内容を更新していかなくてはならず、大変です。ゲーム系の技術系同人誌が増えないのは、業務内容の切り分けが難しいことに加えて、こうした特性もあるのではないでしょうか」。

最後に土田氏は「ふだんの業務がマンネリ化している人には、大きな意義がある」と語った。自分の技術を本にまとめることで、エンジニアとしてのスキルが上がる。即売会に出展すると、交友関係も広がって、自分の名前も知られる。人によっては、転職活動に有利になるかも、というわけだ。「ただし、週末がつぶれるデメリットはあります。おかげでゲームを遊ぶ時間が全くなくなりました」。とはいえ、「土田ゲーム技研」の新刊制作はまだまだ続くようだ。

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