技術系同人誌の即売会が盛り上がりを見せている。2016年にスタートした「技術書典」は好例だ。IT系エンジニアのコミュニティが母体だが、ゲーム系のエンジニアやテクニカルアーティストの姿も見られるようになってきた。令和の今、なぜ技術系同人誌がつくられるのか。いち早く出展をはじめた人々に話を聞いた。

TEXT&PHOTO_小野憲史 / Kenji Ono
EDIT_小村仁美 / Hitomi Komura(CGWORLD)、山田桃子 / Momoko Yamada

成長を続ける技術系同人誌の世界

毎年8月と12月に開催されるコミックマーケット。会期中に50万人以上が訪れる、世界最大級の同人誌即売会だ。アマチュアだけでなくプロのクリエイターの参加も多く、1990年代後半から日本のマンガ・アニメが世界に市場を拡大していく中で、海外からの注目も集めはじめた。同人誌だけでなく、同人ゲームやコスプレ衣装、ガレージキットなど、展示・頒布される内容も幅広い。日本のポップカルチャーを内外に発信し続けるイベントとして、唯一無二の存在だといえるだろう。

その一方で近年、新たなムーブメントを起こしているのが、技術系同人誌オンリーの即売会だ。その象徴が「技術書典」で、2016年6月に秋葉原で初開催されると、全57サークル(個人48、企業9)が出展。200平米の会場に約1400人の一般参加者が来場するなど、主催側の想定を超えた大盛況を記録した。その後も順調に成長を続け、2019年9月22日に池袋サンシャインシティで開催される第7回では、出展者数が640サークルに増加。約1万人の来場者をみこんでいる。

技術書典7の公式ホームページ
techbookfest.org/event/tbf07

技術書典の成功は新たな即売会の誕生も促した。2019年7月に大田区産業プラザPiOで初開催された「技術書同人誌博覧会」だ。こちらも70サークルの申込みが数日で埋まり、技術系同人誌の潜在的なニーズを証明した。当日は事前に混雑を恐れた主催者側から、時間帯別の入場制限が行われたほど。第2回も会場を日本橋プラザマームに移し、2019年12月14日に開催予定だ。100サークルの募集を予定しており、こちらも順調な成長ぶりがうかがえる。

これらの即売会が対象とする「技術」の範囲はさまざまだ。ソフトウェア・ハードウェアに関する技術全般だけでなく、エンジニアのキャリア形成や仕事術、さらには量子コンピューターや数学といった読み物系や、人材教育、デザイン分野まで、すそ野が広がってきた。3DCGやゲームなど、コンテンツ制作に関する技術は少数派だったが、ソーシャルゲーム大手のKLabが有志メンバーで参加するなど、徐々に風向きが変わりつつある。

もっとも出版不況が続く中、なぜエンジニアは技術系同人誌を編集し、即売会で頒布するのだろうか。そして最新技術に精通しているはずのエンジニアが、なぜ紙という枯れたメディアを選ぶのだろうか。CGWORLD.jpをはじめ、出版業界では過去20年間で紙からWebへと軸足を移してきた。技術系同人誌の広がりは、その揺れ戻しのようにも感じられ、興味ぶかい。いち早く即売会に参加を決め、技術書同人誌の頒布を始めている人々と、技術書典の主催者に話を聞いた。

誰も書かないなら、自分が書く!

この企画を立てるにあたって、真っ先に頭に浮かんだのが『Unityシェーダープログラミングの教科書』シリーズを刊行中の土屋つかさ氏だ。Unityのシェーダ言語「ShaderLab言語」を中心に、シェーダの基本的な概念からプログラミングまで体系的な知見が得られる内容として、三冊が刊行ずみだ。シェーダプログラミングに関する技術書は商業出版でも数が少なく、日本語で読める貴重な資料として、テクニカルアーティストを中心に高い評価を受けている。

もっとも、土屋氏自身の経歴はいささか複雑だ。本業は文筆業で、2007年に第12回スニーカー大賞奨励賞を受賞すると、翌年に『放課後の魔術師』で作家デビュー。執筆活動のかたわら、ゲームプランナーやゲームシナリオライターとしても、さまざまなタイトルにかかわってきた。さらにオリジナルのゲーム開発フレームワーク「司エンジン」も発表するという、マルチな才能のもち主だからだ。同人誌の出版にも古くからとりくみ、技術書典にも初回から参加。過去8冊の技術系同人誌を頒布してきた。

『Unityシェーダープログラミングの教科書』シリーズ(既刊分)

東京都立大学(現:首都大学東京)の電子情報工学科を卒業後、SEを経てスクウェア・エニックスに転職し、ゲームプランナーとしてRPGの開発に携わってきた土屋氏。「もともとゲーム開発志望で、当時のスクエニではプランナーにエンジニア的な素養が求められました。演出のためスクリプトを書く必要があったからです」。PS2・ニンテンドーDS・Wiiで開発に参加しつつ、新人賞の入選をきっかけに退職。専業作家として作品を発表していく。

「その一方で、人づてでゲームシナリオの仕事も頼まれるようになり、次第に興味を惹かれていきました」。2018年7月からはアドベンチャーゲームで有名な某企業に合流し、新作の準備を進めている。ゲームが好きで、物語を提供したいという土屋氏にとって、同社が得意とするアドベンチャーゲームは最適なメディアだった。

もっとも、そんな土屋氏がなぜシェーダの技術系同人誌を頒布しているのだろうか。これには土屋氏のライフワークともいえる「司エンジン」の存在がある。「業務用アプリケーションの開発経験があったため、スクエニ時代から『ゲーム特有のプログラムのしにくさ』に疑問がありました。最終的に得た結論が、C系言語に代表される主流のプログラミング言語がもつ特性が、ゲームのアーキテクチャと相性が悪いのでは、ということでした」。

土屋氏のブログに記された司エンジンの開発動機

そこで開発を始めたのがメッセージ指向ゲーム記述言語「司エンジン」で、2015年12月に初リリースされた。土屋氏のブログには「自分が100%実装を把握しているゲームフレームワークが欲しかったのです」と、当時の心境が記されている。司エンジンの普及のために、技術系同人誌『司エンジンガイドブック』も執筆した。これが頒布されたのが第1回技術書典だ。すでにPDF版をWeb上で無料公開していたが、CD-ROMを添付して2000円で販売すると、少なからぬ反響があった。

もっとも、ここから司エンジンは不遇の時代を迎える。Rubyベースで開発されていたため、バージョンアップにともない、一部のライブラリで不具合がおきたのだ。Rubyベースでは使いにくいという声もあったため、土屋氏はUnity向け移植を決意する。そこで出会ったのがシェーダ言語だ。シェーダはGPU性能を最大限に引き出す上で必須の技術となる。「司エンジンで、もっと多くの人にゲームをつくって欲しいと考えたとき、Unity対応とシェーダ対応は必須だと考えました」。

しかし当時、日本語で読める技術資料は乏しかった。Unityの日本語ドキュメントも機械翻訳中心で読みにくく、しばしば誤訳があった。「Unityベースのゲームでルックが同じになりがちなのは、プログラマーのシェーダに関する理解が乏しいからだ」と考えた土屋氏は、「誰もUnityでシェーダ本を書かないのなら、自分が書く」と決意。独自に勉強を続けながら、その内容をブログに記し、最終的に『Unityシェーダープログラミングの教科書』にまとめた。第3回技術書典のときのことだ。

初めて技術書典に出展したとき、土屋氏は「世の中でこんなに多くの技術系同人誌を書いているエンジニアがいて、それを買う人たちもいるのかと驚いた」と感じたという。その一方で、同人誌の値付けに疑問を感じることもあった。Unityシェーダ本も100ページ前後で2000円と、平均的な技術系同人誌と比べると、高めの設定だ。サークルの運営費を稼ぐという目的もさることながら、「技術系同人誌を安売りしたくなかったから」だ。

土屋氏が技術書典1で頒布した技術系同人誌

一方で本にこだわるのは、「検索性や一覧性が圧倒的に高いから」だという。実際、Unityシェーダ本はネット上でPDF販売も行われている。しかし、読者の中には「PDF版を買っても、本の形で手元においておきたい」というニーズが少なくないという。また、ネット上で販売するだけでは埋もれてしまうが、即売会で同人誌を頒布すると、それが呼び水になってPDF版が売れる相乗効果もある。「PDF版は同人誌の5倍売れているが、それも出展あってのこと」だとあかした。

Unityシェーダ本は全5冊の予定で、それが終了したら改めて司エンジンのUnity対応に取りかかる予定だ。もちろん、その過程で得た知見は同人誌にまとめて、即売会で頒布していくという。土屋氏はエンジニアに対してコピー本でいいから技術系同人誌を書いて、即売会で出展することを勧める。自分の技術にニーズがあることがわかれば、自信がつくからだ。「技術は透明だけど、エンジニアが使いこなすことで特色がつき、その人独自のものになります。技術系同人誌はその集大成なんです」。

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学校の教科書として使いたい

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学校の教科書として使いたい

筆者はライターとして原稿を書くかたわら、専門学校で非常勤講師も行なっている。同じように日本電子専門学校でゲームプログラミングの講師をしているのが西山信行氏だ。高校卒業後、T&Eソフトウェアのプログラマーをふりだしにゲーム業界を渡り歩き、独立。フリーランスとして知人のスタジオに出向し、業務委託で開発を行うかたわら、専門学校で授業を行い、空き時間にゲームの個人開発も行なっている。ブログでの情報発信や電子書籍の出版なども積極的に行なってきた。

西山信行氏

もっとも、そんな西山氏にとっても、プログラミングの技術書同人誌を即売会に出展したのは、2019年8月のコミックマーケット96が初めてだった。iOS向けボードゲームパズル『パズル&モナーク』の技術解説を目的とした同人誌『パズモナの薄い本 Vol.1』、『2』を販売したのだ。オールカラーのコピー本で『1』が200円で『2』が500円。20部ずつしか印刷しなかったのは、製本の手間ゆえだという。イベント限定でC++のソースコードをつけたPC版『パズモナ』も販売したところ、来場者の注目をあつめ、早々に完売した。

iOSアプリ「パズル&モナーク」プレイ動画

それまで電子書籍中心だった西山氏が、はじめてコピー本に進出したのはなぜか。そこには「専門学校で9年間教えてきたが、良い教材がなかった」という問題意識があった。西山氏が担当するのは実習メインの授業で、学生は与えられた課題を一人でどんどんこなしていく。講師は学生の進捗度合いを確認し、必要に応じてアドバイスをするスタイルだ。しかし、優秀な学生ほど短時間で課題をこなしてしまい、手もち無沙汰になること多かったという。

そこで、進みの早い学生むけの教材としてスタートしたのが、『パズモナの薄い本』シリーズだ。プログラミングの授業に使うため、ゲーム自体もUnityではなく、C++でつくられている。ソースコードもGitHubで公開済みで、あわせて読むとより理解が深まる仕立てだ。プロトタイプの開発では、西山氏が授業で使用している自作2Dフレームワークを活用するなど、学生がゲーム制作を紙面上で追体験できるような仕立てになっている。

もっとも、同人誌の読了を学生に強制させるわけではない。教室で紹介したり、目につきやすいところに置いておいたりするだけだ。それでもめざとい学生は勝手に読んだり、西山氏のブログをチェックするなどして、演習に役立てている。ゲームを個人開発してイベントに出展するのも、セルフブランディングに加えて、学生にも出展してもらいたいから。「前回の『デジゲー博』では、自分は選考に落ちましたが、学生が授業でつくったゲームをもって、一人出展していました。こういうのが嬉しいですね」。

ゲーム開発に10ヶ月要したのに対して、『1』は1週間、『2』は1ヶ月で創り上げたという西山氏。同人誌をつくったことで、授業のスキルも上昇したという。ツールの説明をするとき、これまでは何となく「このウィンドウ」、「このアイコン」で済ませていたものが、正式名称を用いて説明できるようになったのだ。また「電子書籍に比べて、本が良いのは形に残ること」とも振り返った。「ゲームになじみがない人、たとえばうちの親に渡すと、驚かれました。説得力がちがいますね」。

コミックマーケット96の西山氏のブース

前述の通り、技術系同人誌でゲーム関連が占める割合は少ない。西山氏はその理由を「業務で得た知見と切り分けが難しいからではないか。情報が外部に露出することに神経質な会社もある」と語った。しかし、今後は盛り上がりが期待できるのではないか、とも続ける。開発技術をテキスト化していかなければ、新人教育が難しくなるからだ。同人誌をつくることで権利意識も学べる。だからこそ、多くのゲーム開発者に挑戦してもらいたいという。

「最初からたいそうなものをつくろうとしないことです。1ページのフリーペーパーでもOK。そこから次第にページ数を増やしていけば良いんです」。自身も『パズモナの薄い本』シリーズを5冊まで刊行し、開発工程の全体をカバーする予定だ。それにあわせて、『パズモナ』自体の改良も進めていくという。ゲームをつくり、内容を技術系同人誌にまとめて、授業で使用する。その過程がゲームの販促や、セルフブランディングにもつながっていくというわけだ。非常にクレバーなやり方だろう。

会社に対する意識が変わった

最後に紹介するのは大手ゲーム会社でサウンドプログラマーとして働くかたわら、NPO法人国際ゲーム開発者協会日本(IGDA日本)で理事もつとめる土田善紀氏だ。WindowsやXboxシリーズの標準サウンドAPIであるXAudio2の技術解説本『入門XAudio2』シリーズを立ち上げ、技術書同人誌博覧会で『入門』編と『初級』編を頒布。技術書典7では、これまでの講演録をベースに、エンジニアの処世術をテーマとした新刊を書き上げ、合計3冊での出展を予定している。

土田善紀氏

技術書同人誌博覧会に参加したのが、同人誌文化に触れた初めての経験だったという土田氏。もっとも、XAudio2の初心者向け技術書に関する思いは、4年ほど前からもっていた。背景にあるのがゲーム業界における若手サウンドプログラマーの絶対数の少なさだ。サウンドプログラマー向けの入門書がないので、学生が勉強できない。そのため新人を募集しても、応募が集まらない。社内で適性をみながら配置転換を促そうとしても、教育マニュアルがない。こうした状況が続いてきた。

きっかけになったのは、2019年1月に楽しみにしていたゲームの発売が延期され、手もち無沙汰になったことだ。重い腰をあげた土田氏は、いざ執筆を始めると生来の凝り性も手伝い、11万字ものテキストを一気に書き上げた。それでも週末をつぶして3ヶ月かかったという。「マイクロソフトの公式サイトにもXaudio2のドキュメントが存在しないため、あらためて技術検証から行う必要がありました。しかし、おかげで改めて理解が深まりました」。

『XAudio2』シリーズはPDF版も販売中だ

もっとも、いざ製本するとなると知らないことだらけだった。文章の書き方から始まって、章立て、校正、挿絵のレイアウト、印刷所への入校、検品などだ。電子書籍化も並行して進めたため、データの作成方法やストアでの販売方法なども手探りで進めた。同じくゲーム会社でデザイナーとして働く娘に表紙や挿絵、ポスターなどの素材発注も行った。事前配送したダンボールの山がテーブルの下に入りきらず、現地で慌てる一幕もあった。

ただし、土田氏は「こんなふうに新しい世界を知るのは、刺激がたくさんで楽しい」という。サークル出展をしたことで、当日は出展者、来客との交流なども深まり、自分の視野が狭いことを痛感した。「WindowsやC言語を知らないプログラマーもいて、目から鱗でした。これらはネットでダウンロード販売するだけでは得られない、即売会ならではの知見でした」。一般参加者では自分の興味のあるブースしか回らず、視野が広がらなかったのでは......と土田氏は語る。

親子で参加した技術書同人誌博覧会での出展風景

また、思ったほどには売れないこともわかった。『入門XAudio2』シリーズを2冊で240部印刷したが、今のところ売れゆきは90部程度だ。「自分の業務は社内の開発チームむけツール制作が中心で、いわば社内B2Bです。これに対して同人誌をつくって売るのはB2Cで、まったく勝手がちがいました」。売れない理由は宣伝か、表紙か、内容か、販路か? 考えられる要因は数多くある。「同人誌をつくるまで、そんな気持ちはわきませんでした。営業・宣伝・広報の人たちに感謝の念が湧きました」。

もっとも、焦る必要は全くないと土田氏は語る。今後も三冊を出版し、合計五冊のシリーズにする予定だ。幸か不幸かXaudio2は10年くらいバージョンアップされておらず、3年くらいかけてじっくり売っていきたいという。「これがUnityなどでは毎年のようにバージョンが変わるため、毎年新刊で内容を更新していかなくてはならず、大変です。ゲーム系の技術系同人誌が増えないのは、業務内容の切り分けが難しいことに加えて、こうした特性もあるのではないでしょうか」。

最後に土田氏は「ふだんの業務がマンネリ化している人には、大きな意義がある」と語った。自分の技術を本にまとめることで、エンジニアとしてのスキルが上がる。即売会に出展すると、交友関係も広がって、自分の名前も知られる。人によっては、転職活動に有利になるかも、というわけだ。「ただし、週末がつぶれるデメリットはあります。おかげでゲームを遊ぶ時間が全くなくなりました」。とはいえ、「土田ゲーム技研」の新刊制作はまだまだ続くようだ。

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技術系同人誌の裾野を拡げたい

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技術系同人誌の裾野を拡げたい

それでは、こうした技術系同人誌の高まりを、即売会の主催者側はどのように捉えているのだろうか。技術書典の生みの親ともいえる、同人誌サークル「TechBooster」の日高正博氏に話を伺った。大学卒業後、大手家電メーカーやベンチャー企業を経て、2017年2月からメルカリで働いているエンジニアだ。Androidの国際カンファレンス「DroidKaigi」の運営なども手がけており、Androidのユーザーコミュニティ内で良く知られた人物でもある。

日高正博氏

PC-9821を中学生のときに購入し(当時のOSはWindows3.1だった)、ゲーム好きからプログラミングの関心を深めた、いわば「王道コース」を経てエンジニアになった日高氏。社会人になってからもサークルでAndroidの技術系同人誌をつくり、コミックマーケットで頒布していた。いわゆる「壁サークル」として人気を集めていたが、いくつか課題もあった。「お盆と正月に開催されるので、社会人は参加しにくい」、「規模が大きく、子連れでは参加しにくい」、「主流のマンガ・アニメ関連のように、技術系同人誌も、もっと多くの人に手に取ってもらいたい」などだ。

そこで「即売会がないなら、自分たちでつくろう」と、電子書籍オンリーの出版社である達人出版会との併催で、初回開催したのが2016年6月のこと。秋葉原の通運会館で開催され、大成功を収めたが、このままでは継続開催が難しいと判断。運営効率化のために、さまざまなシステムを自主開発した。会場を秋葉原UDXに移して行われた第2回目では、参加サークルが一気に170サークルに増加。第5回目からは池袋サンシャインシティに会場を移し、第7回目では初の2フロアでの開催となる。

技術書典で驚かされるのは、その規模感だ。技術書典6では約20万冊が搬入され、そのうち約11万部が購入されたという。1サークルあたりの頒布部数は平均で約200部にのぼり、来場者1人あたりの購入冊数は10部以上で、平均購入金額は約1万円。1日で約1億円の現金が動いた計算だ。1日だけ開店する、技術書オンリーの巨大書店というイメージだろう。出展サークルや来場者の属性も広がり、近年では子連れの参加者も目立つ様になった。そこで第7回では、会場内にはじめて託児所も設置するという。

「技術書は普通の書籍とちがい、どんどん内容が古びていきます。読者には最新の情報を知りたいという強いニーズがあります」と日高氏は語る。これに対して書き手側にあるのが、情報を互いに共有する姿勢や、勉強会コミュニティの文化だ。「以前から書籍は著者にとって名刺代わりという意味合いがありました。技術系同人誌はこのコミュニティ版だとも言えます。『薄い本』であればもち運びも楽だし、見せるのも簡単ですしね」。

技術書典6の風景

実際に日高氏は年間20冊前後の技術系同人誌を出版している。即売会に出展するだけでなく、商業図書やWebメディア、雑誌への寄稿など、媒体を問わずさまざまな情報発信に取り組んでいるとのことだ。一方でTechBoosterでは、サークルのメンバーが集まって原稿をもちより、120ページ前後の合本をつくって販売するスタイルをとっている。メインはAndroidの技術情報だが、最近は機械学習などのAIに関する話題や、Webの最新技術、Go言語などのサーバー系、モバイル全般など、テーマが広がっている。

もっともIT系企業でもゲーム業界と同じく、業務で得た知見と、自分の知見の切り分け問題が発生する可能性があるという。しかし、IT系企業ではオープンソースの技術を採用することが多い。同人誌も技術そのものではなく、技術の使い方が中心になるため、問題になることは少ないのだという。こうしたエンジニアのシェア文化は、古くはLinux、近年ではAndroidやWeb関連など、さまざまな技術の広がりを通して、日本でも一般的になってきた。技術系同人誌もそうした中から生まれてきた。

市場が成熟して、モノからコトへと消費の中心が移行している点もポイントだ。「音楽CDが不振でも、ライブやフェスが活況なように、即売会に参加すること自体が、読者にとって価値に相当するのだと思います」。著者に直接会って交流できることがポイントで、同人誌は技術習得の実利を兼ねた良い媒介というわけだ。大量のエンジニアが集まると、そこに企業も吸い寄せられていく。日経新聞に所属するエンジニアチーム「Nikkei Enginner Team」が技術書典4から技術書頒布を始めたのは好例で、主催者側でも、もはや一般サークルと企業サークルの区別はつけていないという。一方でPRの場として活用したい企業による協賛も増加中だ。

技術書典では技術系同人誌の制作セミナーも実施している

このほか技術書典では即売会だけでなく、技術系同人誌のつくり方に関する勉強会も行なっている。技術書典の約4割が新規出展サークルで、技術系同人誌をつくりたいというニーズが高まっているからだ。日高氏はこの背景に、副業解禁をはじめとした、働き方に関する社会の変化もあるのではないかと示唆した。会社以外に自分の立ち位置を確立することが、自分のキャリア形成にもつながる。こうした変化をエンジニアが敏感に感じとり、即売会に参加。そこから自分も同人誌を創ってみたくなる......というわけだ。

「技術系同人誌は自分の技術の成果物で、いちど本をつくって買ってもらうと、その体験が癖になります。自分を振り返ってみても、エンジニアとしてのキャリアの一部になっています。今後も技術書典では、あらゆる技術書を受け入れ、著者や読者に出会いの場を提供していきたいですね」と日高氏は語る。根底にながれるのは「市場にないなら自分たちでつくる」という考え方で、これは今回取材した全員に共通するものだ。この世にないものを新たにつくり出す、エンジニアならではの姿勢が感じられた。