課金する代わりに快便報告をする、スマホゲーム『うんコレ』
石井洋介氏(以下、石井):僕の場合は現役の医師をやりつつ、大学院生としてデジタルヘルスラボに所属し、テクノロジーやエンターテインメントについて学んでいます。僕の専門は消化器外科なので、以前は大腸がんなどの手術をしていました。今は医療技術が進歩しており、僕のような若い医師でもかなり上手に手術ができるようになっています。でも、中には「開腹手術をしてみたら、既に手遅れだった」というケースもありました。どれだけ手術の腕を磨いても、手遅れの患者さんを助けることはできないのです。
先人たちが努力を重ね医療技術がすごく進歩した結果、今も取り組みが足りていないのは、わりと原始的な患者さんの気持ちの部分、例えば「赤色の便が出ているのに病院に来てくれない」とか「薬を出したのに飲んでくれない」といった人たちへの向き合い方を考えることだろうと思うようになりました。
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石井洋介
日本うんこ学会 会長。秋葉原内科saveクリニック共同代表。2010年、高知大学医学部を卒業後、医療法人 近森会 近森病院での初期臨床研修中に高知県の臨床研修環境に大きな変化をもたらした「コーチレジ」を立ち上げた。その後、大腸がん検診の普及を目的とした日本うんこ学会を設立し、スマホゲーム『うんコレ』の開発・監修を手がけるなど、医療環境の改善に向け特にクリエイティブ領域から幅広く活動している。横浜市立市民病院 外科・IBD科 医師、高知医療再生機構企画戦略室 特命医師、厚生労働省 医系技官を経て、現在は在宅医療を行う傍ら、デジタルハリウッド大学院でコミュニケーションデザインを専攻、ハイズ株式会社でプロジェクト運営なども行なっている。近著に『19歳で人工肛門、偏差値30の僕が医師になって考えたこと』(PHP研究所/2018)などがある。
C:先の緑内障や脳梗塞と同じく、まずは自身の大腸がんの発症リスクを知ってもらい、行動変容を促すことが先決というわけですね。
石井:はい。とはいえ今後は情報の発信手段がますます多様化し、誰もが個別最適化された情報を受け取る時代が来ると思います。そうなれば、自分が好きなことや興味のあることしか調べなくなり、大腸がんの情報を生涯受け取らない人が増えていくでしょう。だったらゲームなどのエンターテインメントの中に大腸がんの情報を溶け込ませ、より多くの人に情報が届くようにしたい、しかも1回だけではなく継続的に情報を届けることで「ひょっとして大腸がんかも?」と感じたときにちゃんと受診へとつながるようにしたいと思うようになりました。
僕自身がすごくゲームに課金していたので、課金する代わりに快便報告をするゲームなら行動変容につながるかもしれないと考えたものの、僕にはアイデアをスマホに実装する能力がなく、どうしたものかと思っているときに木野瀬さんと出会ったのです。その後は2人で意気投合し、2013年の日本うんこ学会設立後、『うんコレ』というスマホゲームの開発・監修をするようになりました。
▲スマホゲーム『うんコレ』を紹介するポスター。なお本作は開発中で、現在は事前登録を受付中だ
▲開発中の『うんコレ』のプレイ画面。その日の便の色と形を報告する【左】と、キャラクターがアドバイスをしてくれる【右】。「開発初期にはスマホのカメラで自分の便を撮影して画像診断する機能を実装しようとしたのですが、カメラロールに自分の便の写真が残る精神的苦痛はすさまじく、このUXはダメだと思い今のかたちに落ち着きました」(石井氏)
▲ニコニコ超会議での出展の様子
▲『触覚体験うんこツンツン 〜排泄ケアへの挑戦〜』の紹介動画。こちらは、日本うんこ学会が東北学院大学 佐瀬研究室、ケイズデザインラボらと共に開発した、便を触るVRコンテンツ。VR空間内で便や大腸壁を触りつつ音声解説を聞くことで、医療や介護に関するユーザーの理解を深めることを目的としている。便を触るという仮想体験は多くの人の好奇心を惹きつけるため、楽しみながら体験するうちに排泄ケアの心理的ハードルが下がる効果を期待しているという
C:緑内障簡易発見ツールにしろ、『うんコレ』にしろ、使われている技術はエンターテインメント産業のコンテンツと大差ない点がおもしろいですね。
木野瀬:はい。ですから、CGやゲーム制作のノウハウを活用する余地はまだまだあると思っています。
臨床のさらに川上でも、問題解決に取り組みたい
加藤:デジタルヘルスはまだまだ医療の主流ではなくキワモノ分野のように捉えられがちですが、厚生労働省がジャパン・ヘルスケアベンチャー・サミットという医療系ベンチャーを支援する展示会を定期的に開催するなど、徐々にその必要性が認知されつつあります。10月にパシフィコ横浜で開催された展示会には、デジタルヘルスラボも出展しました。
五十嵐:最近は製薬会社からの問い合わせが多いですね。今後、もしデジタルヘルスというアプローチが医療の主軸のひとつになるとしたら、製薬会社としてどう向き合っていけばいいのか。従来のように病気を治すための薬をつくる以外にどんな方法があるのか。ヒントがほしいから、デジタルヘルスについて詳しく知りたいという問い合わせです。
製薬会社の最終目的は人々を健康にすることなので、薬をつくる以外の手段でビジネスを始める会社が出てくるかもしれません。実際、加藤先生や石井先生は「デジタルヘルス分野での新規事業の開発について、講演をしてほしい」という依頼を受ける機会が増えてきています。
▲加藤氏の近著『医療4.0 第4次産業革命時代の医療』(日経BP社/2018)【左】と、石井氏の近著『19歳で人工肛門、偏差値30の僕が医師になって考えたこと』(PHP研究所/2018)【右】。いずれもデジタルヘルス分野の現在と、今後の可能性を紹介している
加藤:医療分野には厳格な制度があるので、日本でやれること、やれないことを理解する必要があります。どんなやり方であれば可能なのか、アドバイスや意見を求められることも増えてきましたね。厚生労働省や業界団体も含め、デジタルヘルスをどう扱い、どう審査すればいいのか手探り状態というのが実情なので、問い合わせが増えてきたのだと思います。
五十嵐:デジタルヘルスに対して興味や理解を示してくれる人が増えてきたのは嬉しいことですね。最近はそれほどでもないですが、以前は「デジタルハリウッドに医師が集まって、変なことをやっている。あいつらは臨床をやる気がないのか」というように言われることが多かったんですよ(笑)。
石井:3人とも、ちゃんと現役で臨床をやっているにも関わらず、今でもまあまあ言われますよ(笑)。
加藤:言われますね(笑)。
石井:「はぐれキャリア」みたいな......。
五十嵐:臨床で人の命を救うことはわかりやすい善の行為なので、言ってみれば「インスタ映え」するんですよ。
C:確かに、スマホで快便報告するよりは、圧倒的にインスタ映えしますね(苦笑)。
五十嵐:もちろん臨床もすごく大切ですが、われわれはより川上での問題解決にも取り組みたいと思っています。例え話になりますが、川に赤ちゃんが流されてきたとき、川に入って目の前の赤ちゃんを助けるという選択肢が既存の臨床における問題解決です。川で溺れている赤ちゃんを助ける姿はインスタ映えします。
でも赤ちゃんが次々と流されてくるとしたら、赤ちゃんが川に落ちる原因があるはずです。もしかしたら、川上に行けば赤ちゃんを次々と川に投げ込んでいる奴が見つかるかもしれない。それなら川上に行って、赤ちゃんを投げ込んでいる奴を川に投げ込んでしまった方が根本的な問題解決になるはずです。そういうアプローチの仕方が、デジタルヘルスにおける問題解決です。広い意味で公衆衛生学なんですが、デジタルテクノロジーやクリエイティブの力を武器にアプローチしていく点で新しい解決方法と言えます。
C:臨床のさらに川上で、潜在患者さんが抱える問題を発見し、解決のための行動変容を促すことがデジタルヘルスケアの役割というわけですね。
五十嵐:そうです。デジタルヘルス分野は今後も発展させていく必要がありますが、まだまだ圧倒的に人材が足りていません。興味のある方、人々を幸せにしたいと思っている方には、ぜひ一緒に取り組んでほしいです。先ほども言いましたが、CGの専門家にとってはローテクノロジーな手段でも、医療と組み合わせることで新しい価値を生み出せます。もちろんハイテクノロジーな手段も、どんどん導入されていくと思います。
木野瀬:患者さんの気持ちを盛り上げ、行動変容を促そうとするとき、エンターテインメント産業のノウハウが不可欠になってくると思います。例えば、デジタルヘルス学会ではUI/UXの分科会をつくり、もっと医療を身近に感じてもらうためのUI/UXデザインの勉強や研究も始めています。
C:デジタルヘルス分野の発展、特にCGWORLDとしては、CGやゲーム産業の専門家とのコラボレーションに期待したいですね。お話いただき、ありがとうございました。