>   >  Autodesk 3ds Max 今昔物語 〜映画『TRON』の衝撃によって誕生した、25年間の開発をふり返る〜
Autodesk 3ds Max 今昔物語 〜映画『TRON』の衝撃によって誕生した、25年間の開発をふり返る〜

Autodesk 3ds Max 今昔物語 〜映画『TRON』の衝撃によって誕生した、25年間の開発をふり返る〜

<2>まずは、モノクロのワイヤフレーム描画から

ーー当時の非力なコンピュータならではの苦労は?

ハドソン氏:たくさんありますよ(笑)。ここからは、スライドを元に紹介させてください。

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Atari 800(8-bit処理)時代のサンプル画像。(左図)描きたかった戦闘機/(右図)実際に描けたワイヤーフレームの戦闘機

ハドソン氏:飛行機の模型をCGで再現しようとワイヤーフレームで描いたり、アニメーションさせるにはどうすれば良いのかなどを考えていました。先ほどもお話したとおり「Atari 800」8bit コンピュータで試作したものが、3ds Max の起源になります。

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Atari ST時代のペイントツール

ハドソン氏:次のプロジェクトとして取り組んだのは、Atari STによるペイントソフトの開発でした。これはこれで当時とても話題になったのですが、このソフトがきっかけとなり、1985年の「COMDEX」(※2)に3DCGソフトウェアの試作品を出展することになりました。

※2:COMDEX(Computer Dealer's Exhibition)は、1979年から2003年まで毎年11月にラスベガスで開催されていた世界最大規模のコンピュータ関連の展示会である。

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Atari ST向け16色用3Dビューアのプロトタイプ

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Atari ST向け3Dモデラー。1986年頃(CAD-3D時代)に試作したもの

ハドソン氏:Atari ST 用の 3Dモデラーです。現在に通じる4画面のビューを1年ぐらいかけて開発しました。シンプルなモデリングができるようなソフトをつくりました。16色表現、シェーディング表現も順次実装していきました。

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CAD-3D で描かれた3Dモデル

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Cyber Studio / CAD-3D 2.0の時代より。液晶シャッター眼鏡で立体視が得られる仕組みなども開発していた

ハドソン氏:CAD-3Dが次のバージョン 2.0 に進化したタイミングでアニメーション機能を実装し、QuitkTime のような動画が再生できるようになりました。当時は16色しか扱えなかったので、なにかと制約がありましたけど。

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    CAD-3D 2.0当時のカタログとUI



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    マテリアルエディタとマテリアル表現(Atari ST時代)

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ハドソン氏:当時はどうしても16色の限界がありましたが、マテリアルエディタを工夫し、テクスチャ、スムーズ、法線表現などを併用することで限られた色でも最大限多彩な表現を行えるようにしました。こういったシンプルなものでも、当時はかなり計算(演算)に時間を要したのです。この頃に用いていた16bit コンピュータ「Atari ST」では、スピードが遅いことが一番の問題で、CPU性能も限られていました。さらに画面サイズも 320 x 200 ピクセルで、512色中16色しか使えませんでした。浮動小数点用のコプロセッサもありましたが、精度に問題があったので、限られた条件下で創意工夫を凝らしながら開発していましたね。

ーーその後は、IBM-PCによる開発の時代が訪れました。

ハドソン氏:80386 CPU と、浮動小数点演算のための 80287 のコプロセッサが登場したことから、IBM PCを使うことにしました。一般的なグラフィックスボードが 256色の時代に、フルカラーに対応したグラフィックスボードが存在していたこともPCプラットフォームの魅力でした。5,000米ドルぐらいする、とても高価なボードでしたが......。同時期にカラーマシンとして Macintosh も存在していましたが、PCの普及率、市場の大きさといった観点から PC を選択した次第です。

ーーそして、オートデスク製品としての開発が現在まで続いているわけですね。

ハドソン氏:はい。オートデスクの傘下に入り、PC向けの開発をどんどん進めていきました。3D Modeler、Keyframer、Renderer など、見た目の UI はこんな感じに(下図)。オートデスクの主力製品であるAutoCAD風に、見た目の雰囲気を近づけながらデザイン、UIの設計を進めていきました。

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AutoCAD風のUIデザインに

ーー当時のコンピュータの性能はどれくらいだったのですか?

ハドソン氏:何よりメモリの制限が辛かったですね。プラットフォームがIBM-PCになって、少し改善はしたのですが、それでもメモリの制限はまだまだありました。メモリを効率よく使うために、プログラムを4つに分けて(メモリを節約し、別々のプログラムとして実行できるように)コードを書いたりもしましたよ。その後、DOS Extender というメモリ空間を仮想的に拡張するユーティリティツールを利用することで、別々のプログラムを1つのアプリケーションにまとめることができました。リリースの2ヶ月前にワンパッケージ化を実現させたのですが、ユーザーにとってはプログラムを毎回切り替えて使うのではなく、1つのプログラムとして扱えるようになったので、大きな進化だったと思います。また、当時のCPUはシングルコアの 80386 だったので、処理面では大きな制約がありました。現在主流のGPU的な機構も存在せず、原始的な描画をするだけのグラフィックスボードしかありませんでしたね。

ーーレンダラなど、外部ツールの開発はどのような状況だったのですか?

ハドソン氏:Pixar の RnederMan は、当時すでに登場していたのですが、処理負荷が大変重く、一般のコンテンツ制作に用いることは困難でした。そこで、高速で計算できるスキャンライン方式のレンダラを開発して組み込みました。クオリティ的には RenderMan にはおよびませんが、高速にレンダリングできることが利点でした。とにかく様々な限界に挑みましたね。今、こうしてふり返ってみると、当時はまだ一般的ではなかった浮動小数点演算用のコプロセッサを使うなど、画期的な試みを行なったりもしましたよ。CPUやコプロセッサ、メモリで、約5,000ドルの機材が必要で、さらにグラフィックスボードに追加で5,000ドルを費やすなど、何かと高価な機材も必要でした。現在の5,000ドルではなく、1990年当時の価値ですから。ですが、1,677万色フルカラーの画像が作成できるようになり、表現力が大幅に向上しました。IBM-PCはATARIのマシンとの比較で約15倍高速に動くことも確認できたのですが、「これからはPCの時代だ!」という自分の判断がまちがっていないのだと、この頃に確信しましたね。

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実写の背景画像とCGの飛行機を合成表示した例。「当時「Vision 16」という低価格のグラフィックスボードがあり、これを用いればビデオキャプチャの映像に、CGの飛行機を合成して表示することができました」

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<3>これからもクリエイティブな要望に応えていく

Profileプロフィール

トム・ハドソン&エディ・パールバーグ(オートデスク)<br />Tom Hudson & Edy Perblerg(Autodesk)

トム・ハドソン&エディ・パールバーグ(オートデスク)
Tom Hudson & Edy Perblerg(Autodesk)

左から、3ds Maxの生みの親こと、トム・ハドソン/Tom Hudson氏(現プリンシパル・デベロッパー)、エディ・パールバーグ/Edy Perblerg氏(現3ds Maxリード・プロダクト・マネージャー)。共に、オートデスク

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