昨年、誕生25周年をむかえたAutodesk 3ds Max。日本でも画龍の早野海兵氏をはじめ多くのヘビーユーザーが存在するデファクト・スタンダードのDCCツールであることは周知のとおり。そんな3ds Max生みの親である、トム・ハドソン氏(※現在はプリンシパル・デベロッパー(主席開発者)として活躍中)が昨秋に初来日した。それを記念してハドソン氏と、現役3ds Maxリード・プロダクト・マネージャーであるエディ・パールバーグ氏の両氏に3ds Maxの誕生から現在までの歴史をたずねた。

※本記事は、2016年9月29日(木)に実施したインタビューに基づきます。

TEXT_安藤幸央(エクサ) / Yukio Ando(EXA CORPORATION
EDIT_沼倉有人 / Arihito Numakura(CGWORLD)
PHOTO_弘田 充 / Mitsuru Hirota



Autodesk 3ds Max 今昔物語 〜映画『TRON』の衝撃によって誕生した、25年間の開発をふり返る〜

左から、3ds Max生みの親であるトム・ハドソン/Tom Hudson氏(現プリンシパル・デベロッパー)、エディ・パールバーグ/Edy Perblerg氏(現3ds Maxリード・プロダクト・マネージャー)。共に、オートデスク
余談だが、トム氏は『銀河鉄道999』の大ファンなのだそうだが、本取材中にオートデスク日本オフィスからほど近いお台場の「グランドニッコー東京 台場」に『銀河鉄道999』スペシャルコンセプトルームという特別室が存在(※2017年3月31日(金)販売終了)することを知り、大興奮であった。


<1>映画『TRON』(1982)の公開が、3ds Max開発のきっかけに

ーーAutodesk 3ds Max(以下、3ds Max)の開発経緯を教えていただけますか?

トム・ハドソン氏(以下、トム氏):まずは、1990年時点のプロトタイプと、バージョン2011の 3ds Max を見比べてみてください。25年経っているわけですが、大きく進化していることがわかると思います。

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(左図)1990年に試作したプロトタイプ/(右図)最新版とほぼ同じUIである3ds Max 2011のもの

ハドソン氏:1982年に公開された映画『TRON』にて、コンピュータグラフィックスが初めて大々的に活躍しました。3ds Maxが誕生するきっかけになったのは、本作を観たからに相違ありません。『TRON』のようなCG映像をつくるにはどうしたら良いのか? それを実現させようとソフトウェア開発に取り組みはじめたのです。

Autodesk 3ds Max 今昔物語 〜映画『TRON』の衝撃によって誕生した、25年間の開発をふり返る〜

© 1982 Walt Disney Productions.. All Rights Reserved.
3ds Max開発のきっかけとなった、映画『TRON』(1982)の1シーン


ーートムさんにとって、『TRON』はかなり衝撃的だったわけですね。

ハドソン氏:とても驚きましたよ! 当時私が使っていたのは、「ATARI 800」(※1)という家庭用の8bitコンピュータだったのでなおさらです。『TRON』のインパクトはすさまじいものでした。本作の3DCGに用いられたのは、「Evans & Sutherland Picture System 2」というベクター描画が行えるマシンなのですが、当時の価格で7万ドルほどしました。ベクター描画のため、解像度(分解能)は4,096 x 4,096ピクセルと高精細。また、コントロールのために「DEC VAX11/780」という25万ドルほどの汎用コンピュータを別途必要という大がかりなものでした。

※1:1978年11月にリリースされた米アタリが開発した8bitコンピュータ。当時、約1,000米ドルで発売されていた。解像度は160×192ピクセル 同時最大4色といった描画性能であった。

ーー価格だけでもATARI 800とはかなりの差がありますね。

ハドソン氏:ですが、実際のところ『TRON』の映像はフルCGパートは少なく、光学的合成処理や、ロトスコーピング、手描きアニメーションも活用されていたのです。あのようなCG映像をどうやってつくるんだろう? と、あれこれ調べてみたのですが、一般向けのツールやソリューションがまったく存在しない時代でした。そこで、自分で開発をはじめたのですが、ATARI 800 と共に、書籍『Computer Graphics: Principles and Practice(コンピュータグラフィックス-理論と実践-)』(※絶版)が私のバイブルですね。

ーー(写真を見ながら)開発部屋に貼られているポスターが興味深いです。当時の思い出を聞かせてください。

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作業部屋の様子。CGイメージが用いられたカレンダーが壁に貼られているのがわかる(右図)

ハドソン氏:宇宙戦艦ヤマトのアート、コンピュータグラフィックスのテストイメージなどを壁に貼り付けたりしながら、作業をしていました。このカレンダー(上図)は、CGイメージがあしらわれたもので、毎月このカレンダーにインスピレーションを受けながらコードを書いてましたね。

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<2>まずは、モノクロのワイヤフレーム描画から

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<2>まずは、モノクロのワイヤフレーム描画から

ーー当時の非力なコンピュータならではの苦労は?

ハドソン氏:たくさんありますよ(笑)。ここからは、スライドを元に紹介させてください。

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Atari 800(8-bit処理)時代のサンプル画像。(左図)描きたかった戦闘機/(右図)実際に描けたワイヤーフレームの戦闘機

ハドソン氏:飛行機の模型をCGで再現しようとワイヤーフレームで描いたり、アニメーションさせるにはどうすれば良いのかなどを考えていました。先ほどもお話したとおり「Atari 800」8bit コンピュータで試作したものが、3ds Max の起源になります。

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Atari ST時代のペイントツール

ハドソン氏:次のプロジェクトとして取り組んだのは、Atari STによるペイントソフトの開発でした。これはこれで当時とても話題になったのですが、このソフトがきっかけとなり、1985年の「COMDEX」(※2)に3DCGソフトウェアの試作品を出展することになりました。

※2:COMDEX(Computer Dealer's Exhibition)は、1979年から2003年まで毎年11月にラスベガスで開催されていた世界最大規模のコンピュータ関連の展示会である。

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Atari ST向け16色用3Dビューアのプロトタイプ

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Atari ST向け3Dモデラー。1986年頃(CAD-3D時代)に試作したもの

ハドソン氏:Atari ST 用の 3Dモデラーです。現在に通じる4画面のビューを1年ぐらいかけて開発しました。シンプルなモデリングができるようなソフトをつくりました。16色表現、シェーディング表現も順次実装していきました。

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CAD-3D で描かれた3Dモデル

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Cyber Studio / CAD-3D 2.0の時代より。液晶シャッター眼鏡で立体視が得られる仕組みなども開発していた

ハドソン氏:CAD-3Dが次のバージョン 2.0 に進化したタイミングでアニメーション機能を実装し、QuitkTime のような動画が再生できるようになりました。当時は16色しか扱えなかったので、なにかと制約がありましたけど。

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    CAD-3D 2.0当時のカタログとUI



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    マテリアルエディタとマテリアル表現(Atari ST時代)

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ハドソン氏:当時はどうしても16色の限界がありましたが、マテリアルエディタを工夫し、テクスチャ、スムーズ、法線表現などを併用することで限られた色でも最大限多彩な表現を行えるようにしました。こういったシンプルなものでも、当時はかなり計算(演算)に時間を要したのです。この頃に用いていた16bit コンピュータ「Atari ST」では、スピードが遅いことが一番の問題で、CPU性能も限られていました。さらに画面サイズも 320 x 200 ピクセルで、512色中16色しか使えませんでした。浮動小数点用のコプロセッサもありましたが、精度に問題があったので、限られた条件下で創意工夫を凝らしながら開発していましたね。

ーーその後は、IBM-PCによる開発の時代が訪れました。

ハドソン氏:80386 CPU と、浮動小数点演算のための 80287 のコプロセッサが登場したことから、IBM PCを使うことにしました。一般的なグラフィックスボードが 256色の時代に、フルカラーに対応したグラフィックスボードが存在していたこともPCプラットフォームの魅力でした。5,000米ドルぐらいする、とても高価なボードでしたが......。同時期にカラーマシンとして Macintosh も存在していましたが、PCの普及率、市場の大きさといった観点から PC を選択した次第です。

ーーそして、オートデスク製品としての開発が現在まで続いているわけですね。

ハドソン氏:はい。オートデスクの傘下に入り、PC向けの開発をどんどん進めていきました。3D Modeler、Keyframer、Renderer など、見た目の UI はこんな感じに(下図)。オートデスクの主力製品であるAutoCAD風に、見た目の雰囲気を近づけながらデザイン、UIの設計を進めていきました。

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AutoCAD風のUIデザインに

ーー当時のコンピュータの性能はどれくらいだったのですか?

ハドソン氏:何よりメモリの制限が辛かったですね。プラットフォームがIBM-PCになって、少し改善はしたのですが、それでもメモリの制限はまだまだありました。メモリを効率よく使うために、プログラムを4つに分けて(メモリを節約し、別々のプログラムとして実行できるように)コードを書いたりもしましたよ。その後、DOS Extender というメモリ空間を仮想的に拡張するユーティリティツールを利用することで、別々のプログラムを1つのアプリケーションにまとめることができました。リリースの2ヶ月前にワンパッケージ化を実現させたのですが、ユーザーにとってはプログラムを毎回切り替えて使うのではなく、1つのプログラムとして扱えるようになったので、大きな進化だったと思います。また、当時のCPUはシングルコアの 80386 だったので、処理面では大きな制約がありました。現在主流のGPU的な機構も存在せず、原始的な描画をするだけのグラフィックスボードしかありませんでしたね。

ーーレンダラなど、外部ツールの開発はどのような状況だったのですか?

ハドソン氏:Pixar の RnederMan は、当時すでに登場していたのですが、処理負荷が大変重く、一般のコンテンツ制作に用いることは困難でした。そこで、高速で計算できるスキャンライン方式のレンダラを開発して組み込みました。クオリティ的には RenderMan にはおよびませんが、高速にレンダリングできることが利点でした。とにかく様々な限界に挑みましたね。今、こうしてふり返ってみると、当時はまだ一般的ではなかった浮動小数点演算用のコプロセッサを使うなど、画期的な試みを行なったりもしましたよ。CPUやコプロセッサ、メモリで、約5,000ドルの機材が必要で、さらにグラフィックスボードに追加で5,000ドルを費やすなど、何かと高価な機材も必要でした。現在の5,000ドルではなく、1990年当時の価値ですから。ですが、1,677万色フルカラーの画像が作成できるようになり、表現力が大幅に向上しました。IBM-PCはATARIのマシンとの比較で約15倍高速に動くことも確認できたのですが、「これからはPCの時代だ!」という自分の判断がまちがっていないのだと、この頃に確信しましたね。

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実写の背景画像とCGの飛行機を合成表示した例。「当時「Vision 16」という低価格のグラフィックスボードがあり、これを用いればビデオキャプチャの映像に、CGの飛行機を合成して表示することができました」

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<3>これからもクリエイティブな要望に応えていく

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<3>これからもクリエイティブな要望に応えていく

ーーデモ作品の制作も精力的に行われたそうですね。

ハドソン氏:『Corner Stone』というオリジナルPVを自分たちで制作したのが最初ですね。実際に自分たちで映像コンテンツを制作することによって、問題点や様々な検討事項を確認しながら、プログラムを向上させていったわけです。当時はレンダリングを始めたら2週間はかかっていました。今回新たに最新のマシンで再レンダリングしたら、1日もかからず終わりました。そう考えると現代と当時とでは、確実に革新が起こっていることを実感します。

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『Corner Stone』の1シーンより。本作は、遊びに行きたいと夢見るビルの土台レンガの物語である

『Corner Stone』(1990)3D Studio promotional video
より詳細な3ds Maxの歴史や『Corner Stone』リマスタリングにまつわるエピソードについては、下記リンクを参照してもらいたい。
doudoroff.com/atari
max.klanky.com/remastering-cornerstone.htm

ハドソン氏:『The Board Room』では、メンバーを募って、より複雑な映像表現に挑戦しました。当時はまだ新しかったネットワークレンダリング、つまりは、何十台かのコンピュータを繋いでレンダリングすることにも挑戦しましたよ。

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同じくオートデスク内部で制作した『The Board Room』の1シーン

ハドソン氏:その後、『Punch O Matic』という、ピクサースタイルのアニメーションを近所の学生とつくっていきました。その後、映画『ターミネータ2』(1991)、『トゥルーライズ』(1994)といったハリウッドの有名プロジェクに携わることとなり、ハリウッドで求められる機能をソフトウェアに追加していきました。CGアニメーション制作をやっていると、どのプロジェクトでも必ず問題がでてきて、その問題に取り組んで直したり、新しい機能を実装したり、製作を通じて、ソフトウェアを開発していきました。ソフトウェアによってクリエイティブな映像をつくるのは、非常に楽しい作業でした。最初は2人で開発していたプログラムも、Windows 対応を進めるにあたって、4名のプログラマが関わることになりました。

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『Punch O Matic』の1シーン

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当時の開発メンバーたち。向かって左から、ドン/Don、,トム/Tom、ロルフ/Rolf、ゲイリー/Gary、ジャック/Jack、そしてダン/Dan(敬称略)

ハドソン氏:コンピュータの草創期と比べると、メモリもCPUも進化しました。マルチコアのCPUと、多くのメモリが使え、グラフィックスボードもGPUを使えるものがでてきました。さらに開発チームのメンバーが増えたので、いろいろな開発が進められるようになりました。現在は YouTube のような表現の場が現在はあって、うらやましいです。まあでも当時と比べて一番のちがいは、私の頭にまだまだ髪の毛があったということですかね(笑)。

ーーノーコメントで(笑)。

ハドソン氏:話題になったと言えば、『ダンシング・ベイビー』を忘れてはいけませんね。世界中で話題になったのですが、3ds Max が登場したことで、人間のリアルな表現へのチャレンジがはじまったと言えます。

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『ダンシング・ベイビー』初期ビジュアル。日本でもTVCMに起用された

ーー逆に当時から変わらないことはありますか?

ハドソン氏:当時から今もゴールは変わりません。われわれの製品を用いて創造しながらコンテンツをつくる、その効率化を助けるのが私たちにとって不変の目標です。3DCGでクールな表現をつくるのは、いつも楽しいことです。毎日新しいは発見があったり、日々進化があるというのはわれわれ開発者にとっても楽しいことです。3ds Max がゲームや映画、様々な分野で活躍しています。今回の来日でも、様々なユーザーが 3ds Max を使って、ゲームや映像をつくるのを見たり、様々な業界、建築も含め、作品を観ることはすごく楽しみです。あとは、私の机の上が混沌としているのもいっこうに変わりませんね。

ーー当時と現在のコンピュータでは大きな性能差がありますが、具体的にどのような面にちがい(進化)を感じますか?

ハドソン氏:様々なシミュレーション、雲の表現、流体計算など、夢のような環境です。複雑な現象、煙、流体など、当時はできなかったようなことができ、これからさらに進化していくでしょう。先ほど紹介した『Corner Stone』では、影がありません。影を計算させる時間さえもありませんでした。今ならリアルなテクスチャ、フォトリアル的な家具をつくることもできます。

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エディ・パールバーグ氏(以下、パールバーグ氏):コンピュータが進化するのに応じて、デジタルアーティストの要望も高度化していくわけなので、常になんらかの改良が求められていることもかわりませんね。

ーーこれから導入が進んでいくはずの 4K、8K、HDRへの対応については、どのように考えていらっしゃるのでしょう?

パールバーグ氏:2013年に『DEAD SPACE 3』という4K規格のビデオゲームがリリースされましたが、膨大なデータを扱わなければならず、開発には苦労が絶えなかったそうです。高解像度化に応じて、要求も、データも、大きくなっていきます。ですが、4K、8K、さらには16Kと高解像度になることによって新たな感動を得られることも確かです。

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ーータブレットやスマートフォンの普及に関して、どうお考えですか?

パールバーグ氏:3ds Max は、クリエイティブな作業の中でエコシステムを構築しており、オートデスクとしては、ユーザーがどこにいてもつくりたいものがつくれる環境を提供しようと考えています。これはデスクトップPCに限りません。朝起きたら、すぐにストーリーボードをSHOTGUN(プロダクション管理ツール)で確認し、デスクトップPCに束縛されることなく、携帯端末で指示を出したり、アップロードできるようになる。現在提供している、ツール、コンテンツ、全てのものがエコシステムの中で制限なくつくれるような世界を目指しています。

ーー進捗やアセットの管理、データの受け渡しの効率化も制作現場の課題になっています。

パールバーグ氏:そのとおりです。3ds Maxに関しては、ブラウザの中で使えるようなレビューツールも充実してきており、カフェとかでタブレット端末で、ツールを使って、変更したものがすぐにアップロードされ、ネットワークで受け渡したりができるようになっています。様々な情報を SHOTGUN に集約して、映像制作のハブになるように、モバイルの環境でも作業できるように、デスクトップにしばられずに作業できるように考えています。今後、業界としては、どんどんモバイルデバイスが発展していくので、様々なツールも、もちろんモバイルデバイスへの対応を考えています。

ハドソン氏:1982年当時の自分に今のコンピューティング環境を教えたら、それこそ信じられない未来のようなものかもしれませんね。

パールバーグ氏:ツールの存在によってCG/VFX業界が成功していることを嬉しく思います。長期的な視点で、多くの人々がそれについて考えているということ。他社が開発したツールによって、より豊かで多彩な表現が創り出されていくことも大歓迎です。業界全体が発展していくわけですから。

ーーもし無限の開発費があったら何に使いますか?

パールバーグ氏: もし無限の開発費があったら、『マトリックス』のように脳にジャックインして考えるだけで何もかもが出来るようなものをつくりたいです。今は不可能ですが、あと25年ぐらい経てば実現できるかもしれません。たとえ開発費が有限だとしても(笑)。

ーーもし昔に戻れるなら、何をやり直したいですか?

ハドソン氏:3ds Max をつくる前に、これから流行るテクノロジーがわかっていたのであれば、さらに進化したものをつくっておきたいですね。先回りして、先の機能をつくっておきたい。当時の自分に、「未来ではこれだけのことができるんだぞ」と伝えられるといいのですが。

ーーでは、現在の 3ds Max の開発陣に対してご意見があれば。

ハドソン氏:そうですね。「ユーザーが求めるものに挑戦しろ!」と。自分たちの思うままに、信念をつらぬいていってもらえればと思います。

パールバーグ氏:全メンバーに楽しみながら(高いモチベーションの下で)開発してほしいですね。ユーザーのみなさんを楽しませたい、私たちはそのためにコードを書いているわけですから。

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ーーこれからCGにはどんなブレイクスルーがあると思いますか?

パールバーグ氏:われわれは多くの事柄に影響を受けています。日本の製造業からも影響を受けています。GPUなどハードウェアの進化、顧客のニーズに影響を受けています。そうした外的な要因、そこに込められたテクノロジーを貪欲に取り入れていきたいと思っています。そのためには現在CGを活用している業界だけでなく、幅広い業界から、意見を取り入れていきたいですね。人工知能の技術も長期的には、3ds Max の中に取り込まれていくことでしょう。今現在、人工知能の応用として考えているのは開発時のコードを書く際の活用で、いかにバグが少ないコードを書けるようにするのかを試しているところです。

ーー最後に、日本の3ds Max ユーザーへメッセージをお願いします。

ハドソン氏:いつも素晴らしい作品を創り出してくれてありがとうございます。これからも素晴らしい作品をつくっていってください。わたしが3ds Maxの開発に携わっていたときは、開発者であると同時に自分自身がユーザーでもありました。今では、こうして多くのユーザーに支えられています。

パールバーグ氏:これからもみなさんにとって良い 3ds Max であり続けられるように、ぜひ気軽にフィードバックを寄せてください。特に日本のユーザーさんとは良好な関係を築けているので、より深く交流していければと思います。