>   >  「災い転じて福と成す。」画龍・早野海兵が四半世紀にわたって、トップシーンで活躍し続けられる"理由"とは?
「災い転じて福と成す。」画龍・早野海兵が四半世紀にわたって、トップシーンで活躍し続けられる"理由"とは?

「災い転じて福と成す。」画龍・早野海兵が四半世紀にわたって、トップシーンで活躍し続けられる"理由"とは?

<3>東日本大震災が人生観を変えた

CGW:その後、満を持して2007年に画龍を設立されました。

早野:そういえば聞こえが良いんですが、要はフリーランスの限界を感じたんですよ。自宅作業が続くと1〜2週間くらい誰とも会話をしなくなることが常でしたから。そのうちストレスがたまって、体調を崩しがちになりました。まあ、30歳あたりでみんなキャリアに悩み始めるじゃないですか。自分も33歳で画龍を創立したので、そんな時期だったんですよ。

CGW:創業メンバーはどういった方々でしたか?

早野:当時、ゲーム『モンスターハンター 2』(2006)にハマっていて、パーティを組んでいた仲間の3人で起業したんです(笑)。このときも、まずは当時お世話になっていたプロダクション様に間借りしていました。フリーランスとして長く活動していたので、(起業に関する)ベースの知識はありましたし、税理士さんもフリーランスの頃からお世話になっている方にそのままお願いしました。

CGW:フリーランス時代に培われた人脈を活用されたわけですね。

早野:そうですね。そうそう、昔から金融にも興味があったという話をしましたが、フリーランスとして活動する傍らでフィナンシャルプランナーの資格を取っていたんです。税理士さんと話をする上でも役立ちました。

CGW:3DCGアートと金融のどちらにも関心をもたれている海兵さんならです。ちなみに会計など、計数管理の知識はアーティストにとっても必須の素養だと思われますか?

早野:組織の中でマネジメント業務を担当しているのであれば必須でしょうね。画を描くのが上手いから、という理由だけでマネージャーになるのでは、その下で活動するメンバーが可哀想ですから。実のところ、リンクス時代の自分がそうでした。当時は自分のCGの腕前だけで受注できて、仕事が回っていると勘違いしていましたね。若いうちはそれで良くても、だんだん年をとってくると、身体に無理がきかなくなってきますし、立場やキャリアに応じて考え方を改めていく必要があります。

CGW:耳が痛いです(苦笑)。実際に創業されていかがでしたか?

早野:これまでの人生の中で最も忙しくて、365日フル稼動状態になりました。創業メンバーのひとりが個人的な事情で離れてしまったり、職場の雰囲気が悪くなって社員同士で喧嘩したりといった、業務以外のトラブルも多かったですね......。あまりにも忙しくて、フリーランス時代に悪化した体調が、かえって治ってしまったくらいです。そんなの気にする暇もないくらい本当に忙しかったので。

CGW:忙しすぎて体調が回復したというのも善し悪しですね......。

早野:そうなんですよ。これが後の伏線になっていきます。

CGW:最初の連載「テクスチャ・イリュージョン」は終了しましたが、本誌『CGWORLD』のリニューアルに伴いvol.108(2007年8月号)から表紙グラフィックをご担当いただきました。



早野:当時の編集長(渡邊英樹前編集長)の好みで、かなりハイセンスなデザインになりましたよね。おかげさまで当時から話題を集めまして、今でもたまに「あの頃の表紙が好きでした」とお声がけいただくことがあります。ところが、そんな風に仕事が上り調子だったときに起きたのが、2008年のリーマンショックでした。

CGW:画龍を創立された直後の出来事だったわけですね。CGWORLDも雑誌メディアのはしくれなので当時は大変でした......。

早野:広告案件を中心に新規プロジェクトが軒並み止まってしまいました。過去に担当させていただいた案件の改編などでなんとか食いつなぐことができましたが、起業があと1年遅かったら存続できなかったかもしれません。

CGW:ギリギリのタイミングだったんですね。

早野:そんな苦境からようやく抜け出したタイミングで、2010年の夏から新たに連載「画竜点睛」を始めさせていただくことになりました。今度こそ軌道に乗せられたかなと思った矢先の2011年3月11日(金)、今度は東日本大震災が起こりました。

CGW:そうですね......震災が発生したときはどうされていたのですか?

早野:前日が徹夜作業だったので、家に帰って仮眠をとっていました。午後になって起き出したところでグラッときたんです。翌日が納品だったので、多くの方が帰路に着かれるなか、3時間かけて歩いて会社に向かいましたね。さすがに納品は延びましたけれど。

「災い転じて福と成す。」画龍・早野海兵が四半世紀にわたって、トップシーンで活躍し続けられる"理由"とは?

CGWORLD vol.145(2010年9月号)からスタートした連載「画龍点睛」。vol.227(2017年7月号)にて第83回をむかえた

CGW:今でも震災の爪痕が大きく残っていますよね。

早野:東日本大震災は、私にとっても人生のターニングポイントになりました。実家は郡山なので、福島県出身の身としていろいろと考えさせられましたね。日本中が大変なときに、なんで歩いて会社に来て、納品の準備をしているんだろうと。

CGW:そうでしたか。

早野:それまでがむしゃらにやってきたこともあって、法人化してもワンマン体質でした。自分が手を動かせば着実にクオリティが上がるからといって、ひとりで残って徹夜作業をすることもしばしばでした。でも、それだとクライアント様には喜んでいただけるかもしれませんが、組織としては上手く機能しているとは言えません。そうした思いから、自分は後ろに下がってチームとして発展していく、若い子を前面に押し出していった方が良いだろうと。

CGW:具体的なきっかけがあったのでしょうか?

早野:出張が続き、自分がほとんど関われないプロジェクトがあったんです。そうしたら、みんなが自分たちで考えて自主的に進めるようになったことがありました。現場を信頼して委ねた方が、結果的に上手く仕事がまわるようになったし、個々人の成長スピードも上がりました。そうしたことをきっかけに、2013年に会長職(代表取締役会長)に引っ込み、現場を後身たちに委ねることにしたんです。

次ページ:
<4>デザインとしてのCG、そして後身の育成

Profileプロフィール

早野海兵/Kaihei Hayano(画龍/Garyu)

早野海兵/Kaihei Hayano(画龍/Garyu)

株式会社画龍 代表取締役会長。CGゼネラリスト・アートディレクター・デザイナー。日本大学芸術学部卒後、ソニーミュージックエンタテインメント、リンクス(現IMAGICA)、ソニーコンピューターエンタテインメントを経て独立。フリーランスとして活動した後、2007年に株式会社画龍を設立。月刊「CGWORLD +digital video」誌にて「画龍点睛」連載中。講演やセミナーをはじめ、後進の育成にも熱心に取り組んでいる。

「早野海兵」公式サイト
kaihei.strikingly.com
「画龍」公式サイト
www.ga-ryu.co.jp

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