>   >  「災い転じて福と成す。」画龍・早野海兵が四半世紀にわたって、トップシーンで活躍し続けられる"理由"とは?
「災い転じて福と成す。」画龍・早野海兵が四半世紀にわたって、トップシーンで活躍し続けられる"理由"とは?

「災い転じて福と成す。」画龍・早野海兵が四半世紀にわたって、トップシーンで活躍し続けられる"理由"とは?

<2>人生を変えたCGとの出会い、そして修業時代

CGW:大学進学と共に上京されました。

早野:今から思えば、その頃からずっと失敗の連続ですね。

CGW:ええっ!? われわれからすると蒼々たる経歴のように思えますが......。

早野:もともと藝大(東京藝術大学)が第1志望だったんです。にもかかわらず、入試の日に寝坊しちゃって......。目が覚めたら試験が終わっていた。

CGW:おお、それは痛恨ですね。。

早野:その後も武蔵美(武蔵野美術大学)は寝坊、多摩美(多摩美術大学)は学科試験で落ちる、さらに東京造形大学の入試日は電車が雪で止まってしまって......いずれも落ちました。今はちがうはずですが、当時は学科試験で落ちると実技試験に進めなかったんですよね。それって絵を描く学校としていかがなものでしょうか(苦笑)。

CGW:一理ありますね(笑)。

早野:結局、滑り止めの日本大学の芸術学部に進学しました。家庭の経済状況から浪人がゆるされなかったので(苦笑)。当時はイラストレーターやデザイン志望で、今のような仕事をするとは、夢にも思ってませんでしたね。

CGW:CGとはどのように出会ったのですか?

早野:大学2年生のときにコンピュータで絵を描く授業があり、それが最初でした。よく話すんですが、最初に描いたのはBASIC( Beginner's All-purpose Symbolic Instruction Code )でプログラミングした四角形や円でした。

CGW:当時は大学におけるCGの授業であっても、それぐらい基礎的な内容だったのですね。

早野:まったくそうですよね。当時はイラストやデザインといえば、全てアナログの作業で、CGを学ぶ学生は学内でも軽視されていました。「コンピュータなんかで絵が描けるの?」と。ただ、3年生でMacintoshを使う授業があることを知っていたので、必死に課題を提出しました。もう忘れてしまいましたが、キューハチ(PC-9801)か何かでプログラムしたのかな?

インタビュアー・小野憲史:自分も情報処理の授業でFORTRANを学びました。パンチカードで1行ずつプログラムしました。翌年からはMacintoshが入って、すごく羨ましかったことを覚えています(笑)。

早野:そんな風に当時は1年ごとにCGの環境が激変する時代でしたよね。当初はバカにしていた人たちも、すぐに事の重要性に気づきはじめました。今も技術の進化が激しい業界ですが、当時はモノクロだったのがカラーになるなど、本質的な部分から革新していきました。

CGW:確かに。

早野:2年生のときはプログラムでCGを描く授業ばかりでしたが、3年生になってDCCツールでCGを描く授業が始まりました。といっても、教室にMacintoshが置いてあるだけで、CGをやりたい学生は自分でツールを買わないといけないという......。さすがにPhotoshopくらいは入っていたかな。

CGW:当時は『ターミネーター2』(1991)、『ジュラシック・パーク』(1993)といった大作が続々と公開。1994年には初代PlayStationが発売されて、CGが一気に身近になっていった時代でした。

早野:とはいっても、制作という意味ではまだまだ遠い存在でした。インターネットやCGツールが使えるというだけでヒーローで、企業の内定がとれたんですよ。ゲームづくりに興味があり、ソニーに行こうと思って、間違えてSCEじゃなくてSME(ソニー・ミュージックエンタテインメント)に入社しちゃったんです。これが第2の失敗。

CGW:なんと......。

早野:SCEって元々ソニーとSMEが共同出資してつくった「別会社」なんですよね。それを知らなくて、SMEの一部門だと思い込んでいた(苦笑)。1996年4月に入社したのですが、お茶くみやコピー取りなどの雑用が続いて、ゲームが全然つくれなくて......。結局、その年末には退職して、リンクス(現:IMAGICA)に転職しました。学生時代の恩師が在籍されていたので、そのツテを頼ったかたちです。

CGW:そこからCGクリエイター(デジタルアーティスト)としてのキャリアがスタートするわけですね。

早野:転職した直後に上の人たちがごっそり辞められて、自分にバサッと仕事がまわってきたこともあり、とにかくがむしゃらにを働きましたね。最大10人以上の部下を抱えて、『スターオーシャン セカンドストーリー』(1998)、『ファイナルファンタジーVIII』(1999)、『鬼武者』(2001)などのオープニングムービー制作に携わりました。『鬼武者』はハードがPS2に移ったこともあり、特に印象深い仕事でした。リンクスを辞めてフリーランスになった後も継続してお仕事をいただき、『鬼武者3』(2004)まで携わりましたからね。

CGW:現在の海兵さんの、そして画龍の強みである、3DCGの実制作だけではなく、デザインから係わるようになったきっかけとなるプロジェクトはどちらになりますか?

早野:『スターオーシャン セカンドストーリー』がまさに原点で、入社して1年で一部のアセットのデザインから手がけさせていただく機会に恵まれたんです。当時のリンクス CG制作部には、エンジニア(技術)系のスタッフが多く、私のように絵が描けるアーティスト系の人が少なかったことも幸いしました。

CGW:キャリアの初期から、デザインまで手がけられるアーティストであることを周りに認識してもらえたわけですね。

早野:おかげで在職中は、ほぼ会社に籠もりきりの毎日でした。入社当初は、通信手段はポケベルが主流でしたが、3年ほど後に退職したときには、みんなメールアドレスを持っていて、浦島太郎状態でした(笑)。

CGW:1999年にリンクスがIMAGICA傘下に入ったタイミング(※2)でSCEへ転職されたわけですね。

※2:2000年にリンクス・デジワークスへ社名変更。そして、2010年にIMAGICAと事業統合された。

早野:あまりに無茶な働き方が続いていて、体が悲鳴をあげていたので、ひと息入れることにしたんです。そこで先ほどの「コナミかSCEか」という話になるわけです。ただ、ここでもまた失敗で。というのも、せっかくゲームのプリレンダームービーをつくるつもりで入ったのに、入社早々その部署が解散しちゃいまして(苦笑)。「SCEでは今後、プリレンダームービーの制作は外部パートナーに委託します」ということで、移籍してほどなくゲームグラフィックスをつくるチームへ配置転換になりました。

CGW:それは失敗というよりは、不測の事態かと......。どんなゲームをつくられたんですか?

早野『ICO』(2001)の制作に少しだけ関わりました。ただ、リアルタイムCGはプログラムと密接に絡みますよね。グラフィックの美麗さだけでなく、円滑に描画されること。なによりもゲームとして面白くなければ意味がない。そうした特性を知るにつれ、「自分はプリレンダームービーの方が向いているな」と実感しました。元々絵描きを志望していたこともあって、画づくりに集中にしていきたいなと。

CGW:今でこそ、リアルタイムCGとプリレンダーの垣根がなくなってきましたが、同じCGでも似て非なるところがありますよね。当時はまだハードウェアの制約が多々あったでしょうし......。

早野:それで、せっかく入ったSCEをすぐに辞めて、フリーランスになりました。CGWORLDで連載「必殺テクスチャ・イリュージョン」がスタートしたのも、ちょうどその頃(2000年6月)でした。連載を通して新しい出会いやお仕事につながって、非常にありがたかったです。テレビ・映画・ゲームと仕事の幅が一気に広がりました。今でもCGWORLDには頭が上がりません。

「災い転じて福と成す。」画龍・早野海兵が四半世紀にわたって、トップシーンで活躍し続けられる"理由"とは?

2002年5月25日(土)に発売された連載「テクスチャ・イリュージョン」にて掲載された作品をまとめた、書籍「テクスチャイリュージョン Unparalleled」(絶版)。本連載は、CGWORLD vol.24(2000年8月号)から始まり(vol.100(2006年12月号)にて、「Texture Illusion」へと改称)、約7年にわたって続けられた。その後、vol.145(2010年8月号)から連載「画龍点睛」がスタートし、現在まで継続中

CGW:いえいえ、こちらこそ連載を続けていただき、本当に感謝しています(汗)。歴代の編集長を知る数少ない執筆者かもしれませんね。ちなみに、フリーランスになられた当初はどのようなかたちで活動されていたのですか?

早野:最初の頃はデジタル・フロンティアに間借りしていました。その後もプロジェクトに応じて、いろんなプロダクション様のお仕事にかかわらせていただきました。白組、オムニバスジャパン、DML(デジタル・メディア・ラボ)、ポリゴン・ピクチュアズ、東映アニメーション、マッドハウス......。大手プロダクションは、ほとんどお仕事したんじゃないかな。CG遊牧民ですね(笑)。

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<3>東日本大震災が人生観を変えた

Profileプロフィール

早野海兵/Kaihei Hayano(画龍/Garyu)

早野海兵/Kaihei Hayano(画龍/Garyu)

株式会社画龍 代表取締役会長。CGゼネラリスト・アートディレクター・デザイナー。日本大学芸術学部卒後、ソニーミュージックエンタテインメント、リンクス(現IMAGICA)、ソニーコンピューターエンタテインメントを経て独立。フリーランスとして活動した後、2007年に株式会社画龍を設立。月刊「CGWORLD +digital video」誌にて「画龍点睛」連載中。講演やセミナーをはじめ、後進の育成にも熱心に取り組んでいる。

「早野海兵」公式サイト
kaihei.strikingly.com
「画龍」公式サイト
www.ga-ryu.co.jp

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