<3>『スパイダーマン:スパイダーバース』で生み出されたテクニック
印刷されたコミック・ブック、そして手で描かれたイラスト、それを目指す上で重要視されたのが、明確な色使いとシャープな形であった。そのため通常の映像では画面に奥行きを与えるために利用するデフォーカス、動きを柔らかくダイナミックに見せるモーション・ブラー、立体感を表現する陰影のグラデーションを使わないことにした。
陰影を表すグラデーション(CGでいうところのシェーディングによる陰影)は用いないことになり、その陰影や立体感を表すために代用されたのが、イラストのハッチングと印刷の網点を模した表現である。CGのレンダリングにおけるライティングと陰影情報をこれらのハッチングや網点表現に置き換えていくために、ライティングの設計をKatanaで行い、Arnoldで数多くのパスに分割してレンダリングし、様々な調整はNUKE上で行えるようなスクリプトを構築した。こうすることで何度もレンダリングし直す必要がなく、コンポジターが心ゆくまでルックを調整することに専念できた。また制作効率自体もかなりスピードアップすることができた。
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Image courtesy of Sony Pictures Imageworks
遠くに見える車が行き交うヘッドライトの灯りを表現した手描きの素材。これを用いることで独特の遠近感が生み出された -
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ニューヨークのストリートを描くショットでは遠くの道路上の車の灯りを左図のような素材を動かして表現している
スパイダーマンの映画には、ニューヨークの日常風景が多く登場する。デフォーカス表現による遠近法の代用方法の1つとして、夜の遠くに見える車のヘッドライトの流れは手描きの光素材を配置して動かす方法が使用された。またニューヨークの街並みを描く上で必要になるのが無数のビルの窓灯り。これも一々きちんと窓の中にあるオブジェクトまで描いてしまうと過剰に立体的で不要な情報が増えてしまうため、手描きによる数枚の窓灯り素材を立方体状に組み合わせた「マジック・キューブ」というものを用意し、全てのビルの窓にはこれをランダムに配置した。またバスの中に見える乗客のモブ、これも1つ1つCGキャラを配置するのは過剰であると考え、手描きで描かれたイラスト素材を配置している。こうした手描きレベル・オブ・ディテール(LOD)とも呼べる表現が多数考案されて活用された。
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バスの中のモブなどにはこの図のような手描きのレベル・オブ・ディテール素材が用いられている
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テスト段階の画像。制作を敏速化するためにKatanaでライティングのテストを行い、それを使って新しいルックを作り出す方法を構築した。このプロセスはマクロ化されて後の本制作でも使用された
また実写やCGに現れるレンズ・ブラーとモーション・ブラー表現の本作ならではの置き換えもある。画面に奥行きを与えるためにフォーカスのぼけを使用し、動きの滑らかさやスピードを強調するためにモーション・ブラーはよく使われる。しかし本作では明確な形状によるシャープな印象を優先するため、こうしたぼけ表現は使わないことにした。その代わりとしてレンズぼけの代わりには印刷を模した色ずれや像のダブらしと網点表現による合成処理を組み合わせて対応した。またモーション・ブラーの代わりも像をダブらして重ねたりスミア(像が流れたように見える現象)を画像合成したりして表現した。
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アニメーション・テストから。アクションはシルク・ド・ソレイユのパフォーマーを撮影した映像を参考にしている
動きの強調のために効果線も導入された。さらに激しいカメラの動きやアクション・シーンにおいては日本のアニメや漫画でも多用される効果背景の手法が取り入れられた。ディミアン氏は本作ならではの表現を生み出すために日本のアニメ作品も沢山参考にされたそうで、『AKIRA』(1988)、『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』(1995)を皮切りに、『紅の豚』(1992)や『君の名は。』(2016)など、まさに"ありとあらゆる作品"を分析したそうだ。
ちなみに日本ではコミック原作の作品をアニメ化するときには伝統的に手描きアニメのスタイルが用いられることが多いが、本作はなぜ2Dアニメでつくろうとしなかったのだろうか。
「私たちはまったく新しいスタイルを生み出したかったのです。コミック・ブック的なルックを真似て2Dアニメにするだけだと何かが失われていると感じました。結局のところ、コミックと2Dアニメは別の言語なわけです。私たちにとって3Dの技術を使うことでまったく新しい要素を付け加え、新しい言語を生み出さなくてはいけないと考えました」。
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キャラクターについては、イラストで強い表現が生み出されている理由を手描きの描線にあると考えた。ディミアン氏はこれらの線を2種類に分けて処理する方法を開発した。1つ目はパフォーマンス・ラインと呼ばれ、キャラクターの表情を表すための様々な線のことである。顔にできる皴を表すこともあれば、単に瞼の二重の線なども含まれている。このパフォーマンス・ラインの制作のためにはキャラクターの3Dモデル上に立体的に線を描けるツールが開発された。キャラクター・デザイナー自らがキャラクター・モデルに線を描き込み、その線を基に3Dオブジェクトが生成され、フェイシャルリグに組み込まれた。
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主人公マイルズ・モラレスのセットアップ。顔の上に描かれている表情線は、モデル上にキャラクターデザイナー自らが3Dドローイング・ツールを使って描いた線が3Dモデル化され、そのままリグに埋め込まれる方法が開発された
2つ目はフォーム・ラインと呼ばれ、顔のパーツやアウトラインの形状を表す線のことを指す。フォーム・ラインについてはカメラの向きと顔の向きが決まればおおよそどこに線を描くべきかが決まる。そのためある程度の自動化が可能と判断されマシン・ラーニングの手法が取り入れられた。まず、いくつかの特徴的な角度から見たときの線をキャラクター・デザイナーが描き、それ以外のフレームは自動的に線を補間して生成するプログラムを開発したのである。AIの技術を映像制作に利用できないかずっと考えていたディミアン氏にとっても実戦投入するのはこの作品が初めてだったとのことだ。
こうして作成されたパフォーマンス・ラインとフォーム・ラインはどちらもキャラクターの本体とは別のパスでレンダリングされ、コンポジット上で位置を調整しながら合成されるため、3Dオブジェクトであることが意識されないよう自然な仕上がりになっている。
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顔や体の形状を表すための線はフォーム・ラインと呼んでいて、形状とカメラ位置によって凡そどこに線を引きたいかは決まっている。代表的な角度のものを何枚かキャラクター・デザイナーが描き、マシン・ラーニングを使ってそれ以外の角度のフレームでの線の引き方を自動化した
エフェクトの表現についてはガラスの亀裂、火花などいくつかの種類は3Dでエフェクト制作したものをイラスト風に加工して使われたが、なかなか求められていたダイナミックな表現が得られなかったため、爆発や煙などは伝統的な2Dのエフェクト・アニメーターによって作画されたアニメーション素材をHoudiniにスプライト素材として取り込み、それを3Dエフェクトの描画に使用する方法が採られた。実際のエフェクトが活躍するショットにおいては手描き由来のエフェクトと3Dシミュレーションで作られたエフェクトなど多くのレイヤーをコンポジターがルックをデザインしながらミックスしているため、違和感のない仕上がりになっている。
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火花、爆発、炎のようなエフェクト・アニメーションには伝統的な手描きアニメーションの素材が使われた -
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手描きのアニメーション素材をスプライトとしてHoudini内で使用し、3Dのエフェクトと組み合わせて制御されている
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この複雑なエフェクト・ショットでは、手描きアニメとシミュレーションによる素材を混ぜ合わせ、グラフィカルなルックをコンポジットで実現している