アートでは抽象が許されるけど、プロダクトは具象じゃないといけない
高山穣氏(以下、高山):ゲーム開発の場合、横浜の街をフォトリアルに再現するとか、爆発や炎などの現象を的確に再現するというような、かなり明確な目標がありますよね。一方で、われわれの表現活動の場合は「こういう技法を使って、どこまでいけるだろうか?」というアプローチで進めるので、明確なビジュアルの目標がありません。世の中にないものをつくり出すためにプロシージャル技術を使った結果「何をもって完成とみなすのか?」、「プロシージャルの完成って何なんだ?」というように、悩んでしまう学生が多くいます。美大生は「いいか、悪いか」を自分で判断できなくてはいけませんが、「先生、これでいいですか?」と質問してくる人もいます。そのときの教え方を、われわれはまだ悩んでいるんです。
池沢さんは、油絵を描いていた当時の完成と、現在のアートディレクションにおける完成のちがいをどう受け止めていますか? あるいは伊地知さんは、現実にないエフェクトをプロシージャルにつくるときの完成をどう見定めているのでしょうか?
伊地知:極端な話をすると、アートの場合は、その人が「完成だ」って言ったところで完成になっちゃうんですよね。実際には、いかに説得力をもって言えるかどうかが重要だと思いますが。
池沢:そうですね。ゲームの場合は、ゲームの要件を満たした時点で完成となりますね。アーティストが「もっとやりたい」と言っても、ちょっとしょっぱい話になりますが、予算とか、期間とか、ほかの都合で「もう充分ですよ」となります。それから、ディレクターが「このゲームは、こう見せたいから、それ以上表現するとやりすぎですよ」とか、「目立ち過ぎるからライトを減らしましょう」というようなケースもあります。どちらかというと、完成は外的要因によって決まりがちですね。
伊地知:アートでは抽象が許されるけど、プロダクトは具象じゃないといけない、というちがいもありますね。具象の場合は、腕が上がれば上がるほど、完成イメージが明確になり、そこに近付けられるようになります。抽象の場合は、完成イメージを設定しづらいですし、他人の理解も得にくいので、自分との戦いになってくるかもしれません。
C:「誰かに『完成です』と言ってほしい」と考える学生は多いのでしょうか?
高山:そうですね。「道筋を立ててほしい」と言う学生の方が多いです。絵面(えづら)で発想するアートであっても難しいのに、全部数字で発想し、なおかつ自分でレールを敷いて、どこまで走るか自分で決めなさい、と言われても、うまくいかない学生が多いです。途中で妥協したり、一部のしくみだけつくって終わるケースが多々ありますね。
C:そうやって在学中に自分で「完成」を決める訓練を積んでも、会社でプロダクトをつくるようになったら、ほかの誰かが決めた「完成」に向けて走ることを求められるというのは、皮肉な話ですね。ここ数年で、その変化を経験した中村さんは、どう感じていますか?
中村翔氏(以下、中村):先ほど伊地知さんが言われた「説得力をもって言えるかどうか」が在学中はすごく問われましたね。例えば卒業制作の場合だと、何度か講評会があり、自分は何をつくりたくて、どういう手段でもって、最終的に何を表現したいのか、その表現は何を目的としているのか、という点がシビアに評価されます。それらが自分の中で固まっていないと、説明に説得力がなく、先生たちの理解を得られません。会社に入ってしまうと、自分で決めることもありますが、上から下りてくるものに従ってつくるケースが大半なので、気楽といえば気楽ですね。
高山:中村さんは、卒業してからさらにグッと成長したように思うんです。ある程度目標を設定した方が、学生は伸びやすいのかもしれないという思いもあり、試行錯誤しているところです。
中村:人によりけり、のような気がします。自由を与えられた方がバンバンつくれる人もいたし、ある程度固めてもらわないとつくれない人もいました。
池沢:自分で「完成」を決める訓練をしておくと、提示されたものに対して「自分だったらこうできる」とか、「こうやれば、もっとよくなる」といったディスカッションができて、さらに高め合うことができるんじゃないかと思います。実際、そういうTAがいるプロジェクトは、どんどんクオリティが上がっていくんです。ちゃんと「完成」を考える、というのは非常に難しい課題ではありますが、とても素晴らしい取り組みだと思います。
▲高山氏が「造形アルゴリズム」と題した演習講義の第1回で使用したスライドの一部。絵面(えづら)で発想するのではなく、しくみで発想する表現方法について解説している
伊地知:基本的に仕事だと絵面で発想するんですが、趣味でHoudiniを使っていると、だいたい脱線して、しくみで発想するルートになり、抽象的な表現になりますね。例えば、これなんか(以下動画)はおもしろかったです。球の上で、うねうねモフモフした何かを動かしてみました。何がしたくてこうしたのかってことは、自分でもよくわかっていません。「つくってみたらできちゃった。Houdiniって楽しいな」という感じです。
▲伊地知正治氏による、Houdiniを用いた抽象的な実験映像
C:確かに、楽しそうですね。
伊地知:これ(以下動画)は具象と抽象を行ったり来たりしていますね。Houdiniのディストラクション機能を使いながら、キャラクターをモーフィングさせました。ボロノイ分割した破片をスプライトシートにして、パーティクルにビルボードとして割り当て、飛ばした後に再結合させています。こういう表現を自動化できると、量産化がはかどります。
▲伊地知正治氏による、Houdiniを用いたキャラクターモーフィングの実験映像
C:こちらはゲームの演出で実際にありそうですね。
池沢:そうですね。変身の演出なんかで使えるかもしれません。
伊地知:これ(以下動画)は完全に具象ですね。下の方で岩を、上の方で鍾乳石を自動生成し、プロシージャルにダンジョンをつくってみました。毎フレーム伸びていき、ランダムシードを変える度に、ちがうダンジョンが生成されます。自宅だとこんな感じで遊びながらつくれるんですが、仕事の場合はお金をもらって作業しているので、遊びでやるわけにはいきません。『龍が如く7 光と闇の行方』(2020年1月発売)で街路の自動生成機能をつくったときは背景班の工数を使ったので、いつも以上にプレッシャーがありました。
▲伊地知正治氏による、Houdini用いた自動ダンジョン生成の実験映像
C:やはり、具象であるほどゲームっぽいですね。
高山:道路標識や区画線、道路標示を数字化し、アルゴリズム化するという発想は大変すばらしいと思います。伊地知さんは、見たものをどう捉えているのか、その感覚をどうやって培ってきたのか、すごく興味があります。