>   >  小田急の車輌をひたすら描いていた少年が、コンセプトアートの道を見出すまで〜INEI代表・富安 健一郎が語る人生の光と陰(前篇)
小田急の車輌をひたすら描いていた少年が、コンセプトアートの道を見出すまで〜INEI代表・富安 健一郎が語る人生の光と陰(前篇)

小田急の車輌をひたすら描いていた少年が、コンセプトアートの道を見出すまで〜INEI代表・富安 健一郎が語る人生の光と陰(前篇)

富安氏の本気に火をつけた親友の言葉
「ごめん、Tommyはもっと描けると思ってた」

CGW:大学を卒業されたあとは、どのような道に進まれたのですか?

富安:ハリウッドに行くという選択肢もあったのですが、『ゼビウス』(1982)が好きだったのもあり、デザイナーとしてナムコ(現・バンダイナムコエンターテインメント)に就職しました。入社後2ヶ月間のゲームセンター勤務を経て、ゲームセンターにある筐体のデザインをしたりロゴのデザインをしたり。でも、どうも自分の力を発揮している手応えがなく、ちょうどコンセプトアートに興味をもち始めたこともあって、入社して1年で退職しました。CG関係の企業からオファーもありましたが、ハリウッドに行くことも本気で考えていましたね。


入社後2ヶ月はゲームセンター勤務をしていた。富安氏いわく「接客は本当に向いていなかった」とのこと

CGW:ハリウッドに挑戦しようとしていたんですね! 目指していたスタジオや目標があったんですか?

富安:いやいや、全然。「日本じゃなかったらどうにかなる」っていう、若者にありがちな考え方ですよ(笑)。当時、バックパッカーが流行っていて、そういうのもカッコいいなって。でも結局、日本国内でフリーランスとして活動することにしました。このフリーランスの期間は僕にとって「暗黒時代」で。メインのお仕事はTV番組のタイトルCGを作る仕事で、その他にはVJをしたり、Tシャツのデザインをしたり、本当にいろんな仕事をしました。VJの仕事では夜のクラブに出入りするし、当時まだバブルが残っていたTV局の大人たちとのお付き合いがあったり。ほんと「暗黒」ですよね(笑)。

CGW:夜のにおいが漂っていますね(笑)。富安さんの「暗黒時代」はどれくらい続いたんですか?

富安:20代後半の5~6年は続いていましたね。でも、30歳くらいのときに結婚して「今の自分みたいな生き方で良いのかな?」と疑問をもち始め、ここでまたしても幼稚園の先生のことを思い出してみたり(笑)。

そんなある日、TV関係の打ち合わせの帰りに、かつてシド・ミードに憧れたことやマットペインターになりたかった気持ちを突然強く思い出したんですよ。それで、家に帰って奥さんに「コンセプトアートの勉強をしたい」と話して、しばらくの間は仕事をせずに勉強に集中させてもらうことにしました。

あと、フリーランス時代からの親友で、今でも一緒に仕事をしているミノリー(佐々木 稔氏/現・ScanlineVFX)に「アメリカに来るべきだ。日本の環境とは全然ちがってTommy(富安氏のニックネーム)には絶対に向いているはず」とずっと言われていたことも、真剣に勉強を始めたきっかけですね。


CGW:独学で本格的にコンセプトアートを学ばれたわけですよね? 勉強をする手がかりというか、ただただ黙々と独りで絵を描いていたんですか?

富安:1年間ずっと家にひきこもってひたすら絵を描いてはいましたが、その間、何かとミノリーに相談したり、彼の友人でBlizzard Entertainment(以下、Blizzard)に勤めているプロデューサーに相談に乗ってもらったりしていました。そんなあるとき、いわゆる"コンセプトアートみたいな絵"を1枚仕上げてミノリーに見せたら、「......あれ、ごめん。Tommyはもっと描けると思ってた(笑)」と言われて。もちろん悪気はないんですよ。でもその一言で、いよいよ火がついたんですよね(笑)。


本格的にコンセプトアートの勉強を始め、半年かけて完成させた作品。後編で語られるが、「何をもって完成とするか」を知るきっかけになった

富安:その絵をさらに描き込んで、最終的に半年くらいかけて完成させました。その他にもいくつか作品があったので、それらをポートフォリオに入れてSIGGRAPHのJob Fairにもっていったら、ルーカスフィルムの人がすごく気に入ってくれて、「明日『スター・ウォーズ』のアートディレクターと面接して下さい」と言われました。

当時、僕はILMとBlizzardの2社しか考えていなかったんですよ。ILMに関しては、シンガポールやサンフランシスコのコンセプトチームにも何度か呼ばれたことがありましたが、色々な理由が重なって結局行きませんでした。理由のひとつは英語の問題です。特にコンセプトチームは英語力に加えて文化背景をちゃんと理解していないと厳しいんですよ。さらにビザの問題が重なったので話は流れてしまいました。

CGW:当時、日本での活動は考えていましたか?

富安:海外へのアプローチと同時に、日本国内でも2つアプローチをかけていました。ひとつは中学生の頃、古本屋で出会った「SFマガジン」の版元、早川書房さんで、もうひとつは知り合いのディレクターさん。それぞれにポートフォリオを送ったら、後者のディレクターさんがとても絵を気に入ってくれて、『ドラゴンクエスト』のプロデューサーさんを紹介してもらい、それが仕事につながったんです。早川書房さんの方も、後に中学生の頃からの夢だった「SFマガジン」の表紙を描くことになって、日本でもコンセプトアートの仕事ができるんじゃないかと思うようになったんですよね。

当時はまだ「STUDIO TOMIYASU」という屋号で自宅で仕事をしていたんですが、本当に絵を描くことに身を捧げていて、体調が悪くなって入院することもありました。でも、僕『宇宙海賊キャプテンハーロック』が好きなもんだから、「男子たるものは普段は怠けていても、本気になるときだけ本気になればいい」みたいな価値観があって(笑)。そんな感じで、人生で3回だけ頑張れば良いかなと思っていて、そのうちの1回をそのときに使ってしまいました(笑)。


後編へ続く>>

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Profileプロフィール

富安健一郎/Kenichiro Tomiyasu(INEI)

富安健一郎/Kenichiro Tomiyasu(INEI)

ゲーム会社のデザイナー、フリーランスのアーティストなどを経て、2011年にコンセプトアートのスペシャリスト集団である株式会社INEIを発足。現在は同社代表を務めつつ、映画、ゲーム、CMなどのエンターテインメントコンテンツ、都市計画、大型施設などのコンセプトアートを手がけている

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