『ドラゴンクエストX』(2012)、『メタルギア ライジング リベンジェンス』(2013)、映画『キャプテンハーロック -SPACE PIRATE CAPTAIN HARLOCK-』(2013)etc......、数々のメジャータイトルに携わってきた株式会社INEI代表・富安健一郎氏。日本を代表するコンセプトアーティストのひとりとして活躍する傍ら、ミートアップの場となる「CONCEPT ART NITE」の開催などにも力を入れている。また最近は、エンターテインメント作品以外にも宇宙開発や都市開発などのコンセプトメイキングまで幅広く手がけているという。

7月31日(水)に開催されるCGWORLD +ONE Knowledge「世界で戦うトップクリエイターの失敗から学ぶ本気のコンセプトアート論!」を前に、富安氏のこれまでの道のりとコンセプトアートの魅力と奥深さについて話を聞いた。がっしりと大きな身体でニコニコと愛嬌たっぷりに話してくれる富安氏。コンセプトアートに対する熱意と自身の道を追求するパワフルさとは裏腹に、ちょっと女性に弱い(?)一面も垣間見え、その見事なギャップにすっかり魅了されてしまった。それでは、前後編に分けてたっぷりとお届けしよう。

TEXT_UNIKO(@UNIKO_LITTLE
EDIT_UNIKO、小村仁美 / Hitomi Komura(CGWORLD)、UNIKO

世界で戦うトップクリエイターの失敗から学ぶ
本気のコンセプトアート論!
(CGWORLD +ONE Knowledge)
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紆余曲折と自問自答を経てたどり着いた
「コンセプトアートで生きる」道

CGWORLD(以下、CGW):数々の有名タイトルや映像作品でコンセプトアートを手がけられる傍ら、「CONCEPT ART NITE」といったミートアップイベントも積極的に開催されていらっしゃいますね。富安さんの活動を見ていると、絵を描くことと絵を描く人が本当に好きなんだなと感じます。そもそも、富安さんが絵に興味をもたれたきっかけはどのようなものだったんですか?

富安健一郎氏(以下、富安):幼少期は小田急沿線に住んでいて、幼稚園くらいの頃から、小田急の電車を色々な角度から描いていました。何でも絵に描いていたけど、記憶に残っているのはアイボリーの車体に青いラインが入った小田急の車輌ばかり。車輌の上側はツルっとして光が当たっているけど、電車の下側には機械とか車輪とかごちゃごちゃしているじゃないですか。何だかその感じがすごく気に入っていて、それって光と陰の関係において重要な部分だったからなのかなぁと、大人になって何となく思ったりしました(笑)。


  • 富安健一郎/Kenichiro Tomiyasu
    株式会社INEI
    コンセプトアーティスト

    ゲーム会社のデザイナー、フリーランスのアーティストなどを経て、2011年にコンセプトアートのスペシャリスト集団である株式会社INEIを発足。現在は同社代表を務めつつ、映画、ゲーム、CMなどのエンターテインメントコンテンツ、都市計画、大型施設などのコンセプトアートを手がけている
    ineistudio.com

CGW:幼少時代にすでに光と陰の魅力に惹かれていたんですね。やはり見ているところがどこか他人とはちがったのでしょうか?

富安:それが全然そうでもなくて、絵を描くと褒めてもらえるものだから「いい気」になって描いていたんですよ。今でもよく覚えているんですが、幼稚園に若い女の先生がいて、この先生がいつも絵をべた褒めしてくれたものだから、もうめちゃくちゃ調子に乗ってしまって(笑)。それで、すっかり絵を描くことが楽しくなったんですよね。工作も好きで、先生の推薦で市の展覧会に出してもらったときの「気持ち良い感覚」とか、絵を描いたり作ったりすることが完全に好きなエリアに入ってしまったんですよね。


幼稚園の頃に描いたアルバムの表紙。運動場を真上からみた構図が斬新


自信作の「動く三毛猫」(写真中央)と幼少期の富安氏。現在のアーティスト仲間に「幼稚園児にしてアーティストの顔をしている」と言われるほど堂々としたいでたちだ

CGW:なるほど(笑)。それ以来、今日までまっすぐに絵の道を進んできたんですか?

富安:いやいや、けっこう紆余曲折があって(笑)。確かに、小学生の頃まではクラスに1人はいる「絵が上手い子」として小田急の絵を描きまくっていました。中学生になったある日、教科書の表紙に『機動戦士ガンダム』の大作を描いていたんですが、いわゆる初恋の人が隣の席に座って、僕が描いている大作を「クスッ」と笑った気がしたんですよ。それがもうショックで(笑)。

以来、高校3年生になって美大に進学することを決めるまで1日も絵を描くことはありませんでした。ナイーブな少年だったんですよね(笑)。彼女は多分、バカにして笑ったわけではないと思うんだけど、僕にとってはすごく恥ずかしい出来事で、それまで毎晩のように絵を描いていたのにピタッと描かなくなったんです。

CGW:相当ショックだったんでしょうね(笑)。しかし、最終的には美大を目指されたんですね。

富安:将来はプロレスラーか料理人になろうと考えていました。高2まではラグビー部だったし、プロレスが好きでリング設営のバイトをしたこともあり、また、料理も好きだったので。でも、プロレスラーは練習がハードで中には死んでしまう人もいると聞いて「そこまでの根性はないな」と。料理人に関しては今でもなりたいと思っているんですが、そんな感じで悩みながら歩いていたんですよ。

そうしたら、ふと幼稚園の先生に褒められたことを思い出したり、中学時代にまだ絵を描いていた頃、プラモデルが好きで読んでいた「ホビージャパン」で『スター・ウォーズ』のことを知って、よく通っていた古本屋さんでシド・ミードの本に出会って感動したことなんかを思い出したんですよね。「そういえば絵を描くことがすごく好きだったな」という気持ちが蘇ってきて、ひとつひとつは小さいけれどそういうちょっとした気持ちの積み重ねで「絵の道もあるな」と思ったんです。

で、友人に話したら知り合いに美大予備校で教えている美大生がいるということで紹介してもらったら、これまた美人なお姉さんで。もうすっかり「美大最高!」となりました(笑)。

CGW:モチベーションって案外そういうものかもしれませんね。私にも覚えがあります(笑)。

富安:ですよね(笑)。結構そんなもんだったりするんですよね。


CGW:ということは、美大を目指した時点では「コンセプトアートがやりたい」という明確な目標があったわけではなかったんですね。

富安:受験するときは何となく「デザインが好き」というくらいの気持ちでしたね。他の美大も受けたんですけどなんかピンと来なくて、2浪して武蔵野美術大学(以下、武蔵美)のインダストリアルデザインコースに入学しました。大学選びの決め手となったのは、シド・ミードがインダストリアルデザイナーとしてキャリアをスタートさせていたということと、静物デッサンと平面構成という試験内容が自分に合っていたことが大きかったです。

それよりも印象に残っているのは浪人時代のことで、これまででも一番勉強した時期だったと思います。本当に毎晩のように友人と美術やデッサンの話をしていました。あと、その場で即興で絵を描いて、テーブルトークRPGを自分たちで作って遊んでいましたね。そういう時間は大事で、勉強しているときも遊んでいるかのようでした。

CGW:武蔵美での大学生活はどんな感じでしたか?

富安:前半の2年間は金属を扱ったり陶芸したり、椅子を作ったりと色々制作ができたんですが、後半の2年間は僕が想像していたインダストリアルデザインの授業ではなく「設計」に近い領域で、そこまで燃えるものがないままに月日が過ぎていきました。それで、いよいよ卒業制作に差しかかったとき、「宇宙船を作りたい」と思い立ち、5mくらいの宇宙船を鉄や木や石膏などのいろんな素材で作ったんですよ。


大学3年生のときに制作した課題「遊具」


同じく大学3年生のときに制作した課題「電話」

富安:制作の背景には「惑星をもう1個作る」というコンセプトアートっぽいストーリーがちゃんとあって、各惑星のシーンをスケッチでたくさん描いていました。でも、「工業デザインっぽくない」という理由で、教授から強烈にダメ出しをくらってしまって(笑)。反省文を書いて、やっと卒業させてもらいました。


卒業制作で作りあげた全長5mの宇宙船

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富安氏の本気に火をつけた親友の言葉
「ごめん、Tommyはもっと描けると思ってた」

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富安氏の本気に火をつけた親友の言葉
「ごめん、Tommyはもっと描けると思ってた」

CGW:大学を卒業されたあとは、どのような道に進まれたのですか?

富安:ハリウッドに行くという選択肢もあったのですが、『ゼビウス』(1982)が好きだったのもあり、デザイナーとしてナムコ(現・バンダイナムコエンターテインメント)に就職しました。入社後2ヶ月間のゲームセンター勤務を経て、ゲームセンターにある筐体のデザインをしたりロゴのデザインをしたり。でも、どうも自分の力を発揮している手応えがなく、ちょうどコンセプトアートに興味をもち始めたこともあって、入社して1年で退職しました。CG関係の企業からオファーもありましたが、ハリウッドに行くことも本気で考えていましたね。


入社後2ヶ月はゲームセンター勤務をしていた。富安氏いわく「接客は本当に向いていなかった」とのこと

CGW:ハリウッドに挑戦しようとしていたんですね! 目指していたスタジオや目標があったんですか?

富安:いやいや、全然。「日本じゃなかったらどうにかなる」っていう、若者にありがちな考え方ですよ(笑)。当時、バックパッカーが流行っていて、そういうのもカッコいいなって。でも結局、日本国内でフリーランスとして活動することにしました。このフリーランスの期間は僕にとって「暗黒時代」で。メインのお仕事はTV番組のタイトルCGを作る仕事で、その他にはVJをしたり、Tシャツのデザインをしたり、本当にいろんな仕事をしました。VJの仕事では夜のクラブに出入りするし、当時まだバブルが残っていたTV局の大人たちとのお付き合いがあったり。ほんと「暗黒」ですよね(笑)。

CGW:夜のにおいが漂っていますね(笑)。富安さんの「暗黒時代」はどれくらい続いたんですか?

富安:20代後半の5~6年は続いていましたね。でも、30歳くらいのときに結婚して「今の自分みたいな生き方で良いのかな?」と疑問をもち始め、ここでまたしても幼稚園の先生のことを思い出してみたり(笑)。

そんなある日、TV関係の打ち合わせの帰りに、かつてシド・ミードに憧れたことやマットペインターになりたかった気持ちを突然強く思い出したんですよ。それで、家に帰って奥さんに「コンセプトアートの勉強をしたい」と話して、しばらくの間は仕事をせずに勉強に集中させてもらうことにしました。

あと、フリーランス時代からの親友で、今でも一緒に仕事をしているミノリー(佐々木 稔氏/現・ScanlineVFX)に「アメリカに来るべきだ。日本の環境とは全然ちがってTommy(富安氏のニックネーム)には絶対に向いているはず」とずっと言われていたことも、真剣に勉強を始めたきっかけですね。


CGW:独学で本格的にコンセプトアートを学ばれたわけですよね? 勉強をする手がかりというか、ただただ黙々と独りで絵を描いていたんですか?

富安:1年間ずっと家にひきこもってひたすら絵を描いてはいましたが、その間、何かとミノリーに相談したり、彼の友人でBlizzard Entertainment(以下、Blizzard)に勤めているプロデューサーに相談に乗ってもらったりしていました。そんなあるとき、いわゆる"コンセプトアートみたいな絵"を1枚仕上げてミノリーに見せたら、「......あれ、ごめん。Tommyはもっと描けると思ってた(笑)」と言われて。もちろん悪気はないんですよ。でもその一言で、いよいよ火がついたんですよね(笑)。


本格的にコンセプトアートの勉強を始め、半年かけて完成させた作品。後編で語られるが、「何をもって完成とするか」を知るきっかけになった

富安:その絵をさらに描き込んで、最終的に半年くらいかけて完成させました。その他にもいくつか作品があったので、それらをポートフォリオに入れてSIGGRAPHのJob Fairにもっていったら、ルーカスフィルムの人がすごく気に入ってくれて、「明日『スター・ウォーズ』のアートディレクターと面接して下さい」と言われました。

当時、僕はILMとBlizzardの2社しか考えていなかったんですよ。ILMに関しては、シンガポールやサンフランシスコのコンセプトチームにも何度か呼ばれたことがありましたが、色々な理由が重なって結局行きませんでした。理由のひとつは英語の問題です。特にコンセプトチームは英語力に加えて文化背景をちゃんと理解していないと厳しいんですよ。さらにビザの問題が重なったので話は流れてしまいました。

CGW:当時、日本での活動は考えていましたか?

富安:海外へのアプローチと同時に、日本国内でも2つアプローチをかけていました。ひとつは中学生の頃、古本屋で出会った「SFマガジン」の版元、早川書房さんで、もうひとつは知り合いのディレクターさん。それぞれにポートフォリオを送ったら、後者のディレクターさんがとても絵を気に入ってくれて、『ドラゴンクエスト』のプロデューサーさんを紹介してもらい、それが仕事につながったんです。早川書房さんの方も、後に中学生の頃からの夢だった「SFマガジン」の表紙を描くことになって、日本でもコンセプトアートの仕事ができるんじゃないかと思うようになったんですよね。

当時はまだ「STUDIO TOMIYASU」という屋号で自宅で仕事をしていたんですが、本当に絵を描くことに身を捧げていて、体調が悪くなって入院することもありました。でも、僕『宇宙海賊キャプテンハーロック』が好きなもんだから、「男子たるものは普段は怠けていても、本気になるときだけ本気になればいい」みたいな価値観があって(笑)。そんな感じで、人生で3回だけ頑張れば良いかなと思っていて、そのうちの1回をそのときに使ってしまいました(笑)。


後編へ続く>>

世界で戦うトップクリエイターの失敗から学ぶ
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