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墨を磨(す)ったのは小学生以来~モリカトロン森川幸人氏に聞く、アートとエンジニアリングの往来

墨を磨(す)ったのは小学生以来~モリカトロン森川幸人氏に聞く、アートとエンジニアリングの往来

とりあえず描いてみて、対話しながら進めていく

CGW:そういった大作に、誤って墨汁が垂れたりすると、わーっ! となりますね。

森川:そうですね。だからこそその染みをどう活用していくかですが、これは自分の描き方が特殊だからかもしれません。最初に何を描くか決めずに描きはじめるんですよ。何となく、「このあたりにこういうものを描きたいなあ」というイメージはあって。紙の右下にこれくらいの大きさで猫を描こうとか。

ただ、それを描いてしまったら、後はその猫と対話しながら残りを描いていきます。何をしているのって問いかけて。釣りをしていると答えたら釣り竿を描き足して。何も答えがなければ、そのまま完成にしちゃう。そんな風に描きながら変わっていくんです。ただ、もうあと2週間くらいしかないんだけど、まだ5点しか完成していなくて。

CGW:それは......大変ですね。

森川:しかも墨絵って、そのままでは紙がしわしわなので、完成しても額に入れられないんですよ。厚紙で裏打ちしてから額装してもらうので、開催日前日に徹夜で仕上げてそのままギャラリーに持ち込むということができなくて。業者さんと作品をやりとりしているうちに、作品がなくなったこともあります。

CGW:ええっ? それはどうしてですか?

森川:わからない。どこかで紛失してしまったのか......。

CGW:なんともいえない話ですね。

森川:この雑に扱っている感じが良いでしょう? ちなみに、さっきから探している作品があるんですが、見つからなくて......まさか、また紛失してしまったんじゃないかなあ。今回の展覧会のポスターに使った1枚なんですが......ああ、あったあった。

CGW:いやあ、良かったです。猫とネズミが並んでいますね。どういった思いで描かれたのですか? 

森川:最初に猫を描いたのですが、実はただ描いただけではなく別の紙に描いた猫を切り貼りしています。和紙って洋紙と比べて繊維が粗いので、割とくっつきやすいんですよ。それがまた味になるんですね。だからこそ、全体の構図はあまり決めずに、「この猫を描きたい」、「こういう木を描きたい」とパーツとして描いて、後でコラージュするといったことを今回は意識的にやっています。

こういう手法は墨絵の世界だと珍しいみたいですね。きっと反則技なんでしょうけど、俺は別に墨絵の世界で生きていこうと思ってないので、反則も何もなくて。ほら、この辺とか良い感じの紙の混ざり具合で、もうほとんどわかんないでしょ。

CGW:特定のモチーフはあるのですか?

森川:特にありませんが、結果的に「ネコトモ」の最初の年は、玉をもって橋を渡る猫の絵が多かったんですよ。そうしたら、みんなに「弔いですか?」と聞かれました。実はその年に飼っている猫が1匹亡くなったんですよね。自分ではそんな意識はなかったんだけど、ああ、そうか。そういう意味だったのかと思いました。そういう気持ちが無意識にあったのかなと。

同じように、去年は猫が鳥に乗っている絵をたくさん描いたんです。そのときも、「猫を自由に歩かせたい」という願望なんですかと聞かれました。というのも、現在飼っている猫は下半身に障害があって、足を引きずって歩くんですよ。ああそうか。そういうことなのかなって。まったく自覚がないんですけどね。

CGW:そういった思いが無意識に出てしまうんですね。

森川:2年連続でそんな感じで聞かれたたので、今年はどうなんだろうと改めて確認してみたら、並んでいるキャラクターが割と多いんですよね。手を繋いでいるとか。たぶん新型コロナの影響なんじゃないかと思うんです。実際、街中で手を繋いでいるカップルが多くなったと思いませんか? 

CGW:言われてみれば、そうかもしれません。

森川:事前に何かコンセプトを決めて描くようなことはしないんですけどね。後付けで「そういうことなのかな」と。

CGW:禅問答というか自分との対話というか。描いているうちに、だんだん無意識にあるものが絵として出てくるというのは、面白いですね。

森川:きっと何かあるんでしょうね。サイズもレイアウトもまったくムチャクチャで、構図を考えずに描きだして。1枚の絵に別の絵を描いたり、切り貼りしたりして仕上げていくので完全に無計画です。あと30枚ほど仕上げないといけないんだけど、どうするんだろう(笑)。

科学少年が長じて高エネルギー物理を研究するはずだった

CGW:そもそも森川さんとアートとの出会いはどういったものだったのですか?

森川:特にないんですよ。高校3年生まで物理の世界に行くつもりで、志望校も決めてたんですよね。当時、名古屋大学の素粒子物理がすごく先進的で、高エネルギー物理という分野が好きだったのではっきり針路が見えていました。

それが、あるとき『スペシャリストの時代』みたいな新聞のコラムを読んで、変に感化されてしまいました。「これからは大人が敷いたレールの上を若者が歩く時代じゃない」みたいな内容で。自分のやりたいことや、特技を活かす道に進むべきだという。まったくその通りだと思ったんですよね。別にレールが敷かれているわけでもなかったんだけどね。

CGW:理系志望だったのですか?

森川:子供の頃から科学少年でね。世代的な影響も多分にありました。アポロが月面着陸したり、大阪万博で月の石が展示されたり。テレビでは『鉄腕アトム』や『鉄人28号』の全盛期で。『スター・トレック』も好きで、そういう中で育ったので自然と感化されていました。

CGW:それが「大人が敷いたレール」に見えたわけですね。しかしなぜアートの道に?

森川:大学受験を白紙に戻したとしても、他にやりたいことがあるわけでもなくて。そんなとき、小学生の頃に風景画を描いて県で賞をもらったことがあったのを思い出して「これだ」と思ったんですよね。さほど絵に興味があったわけでもないんですが、周囲から褒められた経験がそれしかなくて。それで芸術系に行こうと進路を変え、筑波大学を受験していました。

CGW:他の大学は考えなかったのですか?

森川:家庭の事情で国公立以外は最初から範疇になくて。東京藝大はいくら何でも無理だと先生に止められました。それで、他にないかと探したら、金沢美術工芸大学と筑波大学があって、筑波大学は新しく芸術専門学群が設立されたばかりで、現代アートが学べるので何となく良さそうだぞと。で、アートだったら油絵だろうと。それくらいの理由です。

CGW:それで現役合格してしまうのだからすごいですね。デッサンの試験などはありませんでしたか?

森川:デッサンは受験まで2枚しか描いたことがありませんでした。どこか学校に通っていたわけでもないし、美術部に入っていたわけでもないので当然ですよね。当時『アトリエ』という美大受験生に向けた本があって、そこに「デッサンの描き方」みたいな記事が載っていたので、それを参考にして描きました。筑波大学の受験で描いたのが人生で3枚目のデッサンで、金沢美術工芸大学が4枚目でした。

CGW:金沢美術工芸大学は老舗ですよね。筑波大学を選ばれたのは理由が?

森川:地理感覚がわからなかったため、東京の大学だと勘違いしたんです。どうせ親元を離れるなら東京が良いなと。全然東京じゃないんですよね。でも、入学してすぐに後悔したんですよ。こんなに乾かない絵の具で絵を描いてどうするんだって。絵の具が乾くのを待つのが耐えられませんでした。また、テレピン油が臭くて教室中にそのにおいが充満しているのが嫌で。それで、3年生に上がるときにデザインコースに移籍しました。

CGW:1980年代の前半ですよね。バブルに向かう時期で、デザインに社会的な注目が当たっていました。セゾングループの全盛期で、渋谷パルコなどが光っていて。

森川:本当にそうなんですよね。糸井重里さんとかが出てきて。

CGW:そこに色んな人が吸い寄せられていったんですね。

森川:後にポケモンで有名になる石原さんは2つ上なんですね。芸術専門学群の中でも総合造形領域に籍を置かれていて、そこが自分の専門領域に馴染まない人たちの溜まり場みたいになっていました。2つ下にメディアアーティストの岩井俊雄さんがいて、1つ上に写真家の畠山直哉さんがいました。自分もたむろしていた1人でした。

CGW:コンピュータとの出会いも石原さんから紹介を受けたと聞きました。

森川:そうですね。コンピュータについてまったく知らなくて、大学では一応FORTRANを習ったのですが、半年かけてカレンダーをつくって。

CGW:自分は総合大学の文系学部で1994年卒業でしたが、ギリギリ学部1年生のときに情報処理の授業でFORTRANをやりました。パンチカードを手渡されて、穴を開けるかわりにマークシートを塗りつぶしてコードを書いた最後の世代です。

森川:まさにそんな世界でしたね。モニタに映る、数字だけのカレンダーをつくりました。半年かけて、完成したのがこれで。コンピュータってこんなものかと興味を失いました。すでにPC-9801シリーズもありましたが8色しか色が出なくて。

▲Amiga500(Wikipediaより)© Bill Bertram 2006, CC-BY-2.5

そんな頃、石原さんに教えてもらったのがAmigaです。色数は32色しか出せませんでしたが、アニメーションがFlash並みに簡単につくれて、テレビ番組の素材としてギリギリ耐えられる画が出せて。そこからCGを始めました。

CGW:アートとエンジニアリングの融合ですね。

森川:理系的な素養がベースにあったのかもしれないけれど、それまでCGに興味はなかったのですが、Amigaに出会って変わりましたね。Deluxe Paintというツールを使って、様々なアニメーションをつくりました。あんなに使い倒したマシンはないですね。Amiga 1000、500、3000、4000......ハードもどんどん買い換えていきましたし、まだ家にありますよ。

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アナログとデジタルは往き来した方が良い

Profileプロフィール

森川幸人/Yukihito Morikawa

森川幸人/Yukihito Morikawa

代表取締役 モリカトロンAI研究所所長

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