<2>ILMを目指してアメリカ留学を志望するも......
CGW:中学校、高校は地元ですか?
秋元:ずっと地元ですね。高校はいわき市の磐城高等学校でした。実家から通うには家を朝6時くらいに出なければいけなかったので、下宿していましたね。
CGW:その学校に進学した理由は何でしたか?
秋元:実は中学生の頃からアメリカの高校に留学するつもりで、準備を進めていたんです。英会話の塾に行ったり、留学先を選定したり、かなり本格的でした。ただ、中学3年生の、いよいよ決めなきゃいけないくらいの時期になって、方針転換しちゃうんです。当時できた彼女と別れたくなくて(笑)。
CGW:それは無理ですね。子どもですもんね。
秋元:そうなんですよね。ただ、それを親父に言ったら、まあがっかりしまして。親父は僕をアメリカに行かせたかったんですよ。日本の高校なんか行ってもしょうがないからと。ただ、そんな風に応援してくれていたのは、親父だけだったんですよね。お袋も、祖父母も全然乗り気じゃなかった。
CGW:なるほど。
秋元:ただ、そこで「磐城高校に進学する」といえば、みんな納得して丸く収まったんです。それくらい有名な進学校だったんですね。
CGW:ちなみに今まで、CGはおろかエンタメのエの字も出てこないという......。
秋元:そうですね。じゃあ、ちょっとその辺の話もしましょうか。なぜアメリカに留学したかったかというと、CGをやりたかったからなんですね。実は小学校高学年の頃から、もう将来はCGをやるって決めていたんですよ。
CGW:それはまた早いですね。
秋元:子どもの頃から映画がすごく好きでした。マンガ、ゲームは興味がわきませんでしたが、映画だけは、小さい頃からずっと観ていたんです。それも洋画全般。よく母方の祖父の家に週末泊まりに行っていて、祖父が録画したテレビの洋画番組を日中に観ていました。一方で実家にもたまたまレーザーディスクと、3色式の大きなプロジェクタがあったんですよね。そこでも映画を観ていて、そのうちの1作が『ターミネーター2』(1991)だったんですよ。しかも、その中に特典でメイキング映像が入っていたんです。
CGW:なるほど、それがきっかけで。
秋元:メイキングの大半はSFXに関するものでしたが、T-1000のCGメイキングも少し収録されていて。すごいなと思ったんです。同じように当時TV番組でもハリウッド映画のメイキング特集をやっていたんですね。それらの中でILMの名前を知って、絶対にILMに行こうと。ここに行けば、こういう仕事に携われるんだと。中学校で完全に進路が決まっていました。
CGW:だからこそ、アメリカに留学したいと思われていたんですね。
秋元:そうです。そんな話を親父としていたら、「じゃあ、アメリカの高校に行ったらいいじゃないか」という話になって。実は、親父も昔アメリカを放浪していたことがあったんですよ。
CGW:まだ1ドルが360円の時代にですか。
秋元:そうなんです。アメリカとカナダをフラフラしていたらしくて。「アメリカは良い国だ」とずっと言っていました。実際、うちの親父は川内村という閉鎖的な環境が大嫌いで、本当は戻ってきたくなかったらしいんですね。
CGW:なるほど。
秋元:東京で別の仕事もしていましたし。でも、時代が時代だし、長男だし、「跡を継げ」と祖母に言われて渋々戻ってきて。それで機械関係の仕事を始めたんです。最初は原発関連の下請け的な設備会社をやっていて、経営側にも入っていたみたいですね。そこはバブルのあおりで倒産したんですが、その少し前にヘッドハンティングにあって、東京電力に移りました。
CGW:面白いご経歴ですね。
秋元:だからこそ、田舎の閉鎖的な文化がすごく嫌いで。お前はこんなところに戻ってくるな、家を継ぐな、出ていけと。「表に出ろ」とすごく言われていた。だから、そんなもんなのかなくらいに、本当にずっと思っていたんです。
CGW:ちなみに、お父さんの学歴は?
秋元:農業高校中退です。だから全然、機械屋じゃないんです。
CGW:農業高校を中退してアメリカ放浪ですか。一体どんな家なんだという。
秋元:結構いろいろやってきた人なので、妙に物知りでしたね。また、親父はめちゃくちゃロジカルな人だったんですよね。だから、よく親子でディベートをしました。
CGW:どんな話題が多かったんですか?
秋元:「お前がなぜ今、怒られているのかを述べよ」、みたいな(笑)。「この野郎」って怒られることもありましたが、理論的に叱られることの方が多かったですね。それに、「お前は何年の何月何日に同じことを言われてるよな?」って具合に、日付まで覚えているほど頭が良い人だったので、もう到底かなわないと思っていました。そんな風に、ちゃんとディスカッションをして、完全に理解して閉幕しないと、説教が終わらないんです。そんな感じだったので、変わってはいましたね。