>   >  海外で働いたからこそ、見えてきた真実がある~ステルスワークス米岡 馨に聞くCGアーティスト人生(後編)
海外で働いたからこそ、見えてきた真実がある~ステルスワークス米岡 馨に聞くCGアーティスト人生(後編)

海外で働いたからこそ、見えてきた真実がある~ステルスワークス米岡 馨に聞くCGアーティスト人生(後編)

<2>実写VFXの世界に飛び込み、そこから海外へ

CGW:フリーランス時代は、ゲームシネマティクスの仕事が中心でしたか?

米岡:最初はそうでしたが、だんだん海外に対する憧れが湧いてきました。当時はハリウッド作品と邦画のVFXの差が大きくて、一生追いつけないんじゃないかという感じだったんです。そこで、これはもう、1回行ってみるしかないぞと。そのためにはゲームシネマティクスから離れて実写案件をやらないと厳しいなと思いました。PIXARやドリームワークスであれば、まだゲームシネマティクスと親和性があったと思いますが、実写にCGを馴染ませてナンボという世界では、そういった経験をデモリールに入れなければ、厳しそうでしたからね。

CGW:なるほど。

米岡:そこで映画『海猿』などで実績のあるオムニバス・ジャパンで修行することにしました。実際、『海猿』の実写VFXは国内でも最高峰で、ハリウッドに迫っていましたからね。最初の1年はフリーランス、次の1年は契約社員となりました。ただ、そこでさっき言ったように、契約社員には向いていないことがわかったんですが。

CGW:移籍は上手くいきましたか?

米岡:それまで実写VFXの経験がありませんでしたから、アプローチを工夫しました。いきなり「実写VFXの経験がゼロなので勉強させてください」では難しいと思ったので、自分で90式戦車をモデリングして、簡単に実写の風景と合成してみて、「ここまではできるんですが、これ以上はまだ勉強不足なんです」というスタンスで臨みました。そうすると「こいつ、見込みがあるんじゃない?」という感じで、採用してもらえました。


オムニバス・ジャパンへの就職にあたって制作した90式戦車と実写風景の合成

CGW:戦略的ですね。

米岡:すでにディレクションもしていたので、採用されやすいアーティスト像が見えていたんですね。何もできない人より、ある程度準備ができている方を選ぶだろうと思ったんです。そこで、まずは最低限のレベルまで独学で学んで、そこからスタートという風にしました。

CGW:オムニバス・ジャパンでの仕事はどうでしたか?

米岡:CMに映画にと、実写VFXの仕事が大量にできるようになったのは良いんですが、とにかく大変でした。特に当時のCM業界は、何かにつけてクライアントが外注にパターン出しを要求していました。アイデアを大量に出させて、そこから1個だけ選ぶみたいなことが普通に行われていて、非常にしんどい時期でしたね。

CGW:ああ、わかります。CM業界はそうした業界文化がありますね。

米岡このままではモチベーションが尽きると思ったのが、続かなかった原因でした。ただ、今になって思うと、そこで学んだことはすごく大きかったですね。同社に来るCM案件は、日本でもトップクラスでした。言い訳ができない、甘えが効かない環境で仕事ができたのは、後になって役立ちました。技術的な部分や人脈も含め、このときの経験がなければ今の自分はないと言っても過言ではありません。

CGW:ちょうど米岡さんがフリーランスで活躍された2000年代半ばは、CG制作の大規模化や分業化が進んでいった時期と重なります。米岡さんも次第にキャリアを積まれる中で、徐々にゼネラリストからエフェクトのスペシャリストに移行されたんでしょうか?

米岡:そうですね。それが自分の中で海外を目指すようになった時期とオーバーラップしていきました。海外スタジオは基本的にスペシャリストの集団です。オムニバス・ジャパン時代にSIGGRAPHに行き、海外で働くための情報収集を行いました。そこで当時、CafeFXでゼネラリストだった佐々木 稔さんにお会いする機会があり、アドバイスをいただきました。そのときは自分もゼネラリストだったので、ゼネラリスト向けとエフェクト向けの両方のリールをもっていったんです。そうしたら、「エフェクトで行くのが良いんじゃない」というアドバイスをくれたんですね。そこから自分は、モデリングなどのレッドオーシャン的な分野は避けて、エフェクトに絞るようにしました。


CGW:そうだったんですね。

米岡:後になって佐々木さんに理由を聞いたら、「エフェクトはすごく楽しんで作っている印象を受けた」といわれました。そこで初めて気がつきましたね。実際、どのセクションも試行錯誤がありますが、エフェクトはアーティストの思い入れが如実に出るんです。適当にアセットを置いただけのエフェクトと、リファレンスを徹底的に研究して、ケレン味を出しまくって作ったエフェクトは、パッと見ただけでちがいますし。そういった部分を佐々木さんが見抜かれたのかなと。

CGW:あわよくば仕事もゲットできればという思いがありましたか?

米岡:そうですね。ただ、最初はなかなか上手く行きませんでした。そこで2年目にエフェクトに絞ったリールをもっていって、SIGGRAPHのJobFairを巡ったところ、PIXOMONDOから声がけをいただいたんです。「最初の1~2分でいいから見てほしい」と担当者に見せたところ、結構良い評価をいただいたようで、エントリーシートに「Great Reel」とメモを書いてくれたのを覚えています。

CGW:それはモチベーションが上がりますね。

米岡:実際、帰国後にメールが来て、Skypeで面接をすることになりました。ただ、急な話だったので、準備があまりできませんでした。出たとこ勝負で何とかなると臨んだら、後の上司になるイラン人スーパーバイザーの英語が、少しも聞き取れなかったんです。とにかく早口で、何を言っているかわからない。「このエフェクトのワークフローとパイプラインを教えてくれ」と言われても「特にありません」「気合いです」なんて答えてしまって。全然話が噛み合わなかったという。

CGW:それは厳しいですね。

米岡:後ほど先方から「デモリールは良いけれど、国際的なワーフクローで仕事をする上では難がある」と、お断りのメールが来ました。そこでようやく自分の足りないところに気がつきました。それと前後して、CMのような短いスパンの仕事をやっていては、とてもじゃないけど英語の勉強をする時間が取れないと思ったんです。そこでオムニバス・ジャパンを離れて、OXYBOTに移りました。CGディレクターの宮崎(浩和)さんという方から誘われて、OVA『TO』(2009)の制作に携わるようになったんです。フルCG案件で、半年くらい制作期間があったので、英語をコンスタントに勉強できました。

CGW:どんな勉強をされましたか?

米岡: 週末に英会話喫茶に行ったり昼食時に外国人とマンツーマンで英語のレッスンをしたりしましたね。そんな風に英語を週3回くらい、しっかり勉強する機会が取れましたし、手がけていた案件もハイエンドなものが中心だったので、デモリール映えする作品もできました。『TO』で作った特殊なエネルギー爆発を見た白組の山崎 貴監督がぜひ使いたいと言ってくれて、その縁で『SPACE BATTLESHIP ヤマト』(2010)にも参加できました。それと前後してPIXOMONDOから「最近どうですか? 英語を勉強していますか?」というメールが来たんです。そんな風に、OXYBOTに行ってから状況がずいぶん好転しました。

Kei Yoneoka "SPACE BATTLESHIP YAMATO" effect reel from Kei Yoneoka on Vimeo.

CGW:1回断られた相手から、また連絡が来るって、なかなかないですよね。

米岡:まあ、先方もいよいよ人手不足で、ダメ元で声をかけたのかもしれませんね。一方こちらとしても、今回はデモリールの内容やメイキングなどを英語でしっかり説明できるように準備しました。ちょうどその頃、現・モデリングブロス代表で当時はZOIC Studiosに所属していた今泉隼介さんが日本に一時帰国されたことがありました。日本で仕事をしてみたいというので、デジタル・メディア・ラボを紹介して『戦国BASARA3』(2011)の仕事をご一緒させていただいたんです。そのときに今泉さんにCGの専門用語を英語で教えてもらったりしました。そんな風に、前回の敗因を完全につぶして面接に臨むことができました。

CGW:そういう経緯があったんですね。

米岡:ちなみに面接に受かってベルリンに行く前に、OXYBOTで妻と出会いました。OXYBOTにはいろんな外注さんがいて、その中の1人が妻だったんですね。彼女も早稲田出身で、在学中に米アイオワ州に留学経験がありました。英語の質問という名目で声をかけて、次第に仲良くなりました。もっとも、彼女には社内恋愛で波風を立てたくないという思いがあったようで、しばらく人生のステルスミッションをしていましたね。

CGW:一石三鳥くらいになりましたね。英語の勉強もできて、人生のパートナーとも出会えて、海外の職も得られて。

米岡:本当にそうですね。OXYBOTにはフリーランスで入りましたが、おかげさまで人生の転機になりました。高難易度の案件が多い職場でしたが、一定以上の力量があれば、広く裁量をもたせてくれる社風がありました。曽利監督も一定以上のクオリティを出していれば好きにやらせてもらえましたね。実際、出社のタイミングや、途中で抜けるタイミングなどは自由でした。自分にすごく合っているなと思ったので、そこから今でもご縁が続いています。

次ページ:
<3>PIXOMONDOで海外の現実を知る

Profileプロフィール

米岡 馨/Kei Yoneoka

米岡 馨/Kei Yoneoka

2002~2011年にかけて、アニマ(旧笹原組)、アニマロイドデジタル・メディア・ラボオムニバス・ジャパンOXYBOTなど、複数の国内プロダクションでCG制作に携わる。2011年、エフェクトアーティストとして、PIXOMONDOのベルリンスタジオへ移籍。2012年、ScanlineVFXのバンクーバースタジオへ移籍。両社で学んだハリウッドクオリティのエフェクト制作を日本で実現するため、帰国を決意。2014年、帰国。2015年、エフェクト専門プロダクションのステルスワークスを設立。 『evangelion : Another Impact(Confidential)』、『シン・ゴジラ』、『KINGSGLAIVE FINAL FANTASY XV』、『鋼の錬金術師』などの多くの著名タイトルのヒーローショットを担当。2017年中目黒オフィスを起ち上げ事業拡大中
https://twitter.com/keiyoneoka
https://vimeo.com/stealthworks

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