>   >  山口県で生まれ育った少年がエフェクトスペシャリストになるまで~ステルスワークス米岡 馨に聞くCGアーティスト人生(前編)
山口県で生まれ育った少年がエフェクトスペシャリストになるまで~ステルスワークス米岡 馨に聞くCGアーティスト人生(前編)

山口県で生まれ育った少年がエフェクトスペシャリストになるまで~ステルスワークス米岡 馨に聞くCGアーティスト人生(前編)

<4>デジハリに通って自分の適性を知る

CGW:話を戻すとCGが好きで、『連邦vs.ジオン』が好きで、そのままゲーム業界に進んでいきそうなながれですね。

米岡:自分もCGを仕事にしたくて、大学卒業後にデジタルハリウッドに通ったんですが、そのときもゲーム業界に対する憧れがありました。そこでXSIになる前の昔のSoftimage(SOFTIMAGE 3D)を勉強したんです。それを勉強すればセガに行けるかなと。ちょうど『バーチャファイター3』(1996)の全盛期でした。ただ、自分は対戦格闘ゲームはあまり遊ばず、『スパイクアウト』(1998)にハマっていました。

CGW:当時のSoftimageはキャラクターアニメーションに強かったですからね。実際、格闘ゲームの歴史と共に歩んできたところもありましたし。

米岡:ただ、改めて勉強してみると、自分はキャラクターアニメーションが下手だということがはっきりわかって(笑)。学生時代にいろんなジャンルに手を出して、ある程度結果が出たのがモデリングとエフェクトだったんです。LightWaveでパーティクルをばーっと出して、戦闘機が出てくるムービーを作っていました。その作品で運良く賞をいただけたこともあり、自分はキャラクターアニメーションに向いていないと見切りをつけました。そこはもう自己暗示はかけずに(笑)。


学生時代に制作した戦闘機ムービーの一部

CGW:当時から『エースコンバット』などの戦闘機ゲームもありましたよね。

米岡:『エースコンバット』シリーズもすごく好きで、最初に『エースコンバット2』(1997)を遊びました。実はあのゲームで背景づくりについて学んだんです。戦闘機もさることながら、背景の作り方がすごいなと思ったんですよ。遊んでいて、すごく奥行きを感じたんですね。仔細に分析したところ、ある程度のところで地平線にフォグをかけて、曖昧にしていることがわかりました。普通に天球とグラウンドを置くと、地平線がくっきり見えすぎてしまいますからね。

CGW:はいはい。

米岡:その上で、ちょっと地平線を高めに設定して、消失点を上に上げている感じなんですね。その結果、普通のゲームよりも地平線までの距離が倍以上に感じられて、世界に奥行きが感じられたんです。これは使えるなと思って、LightWaveで作っていた自分の作品に応用したところ、背景がものすごくリアルになりました。そこから背景モデリングが面白いなと感じるようになったんです。

CGW:背景が好きな方って、「『ブレードランナー』が好き」「世界観を表現するのに向いている」といった理由を挙げられることが多いんですが、背景に関する工夫がきっかけだったというのは、面白いですね。

米岡:もともと綺麗な風景などが好きだったというのはありました。その上でそういった気づきが背中を押したんだと思います。

CGW:綺麗な世界や自然が好きだったんですか?

米岡:そうですね。余談ですが、昔は絶対に山口県を出たいと思っていたのに、仕事を始めてから山口県は自然の宝庫であることに気づきました。秋芳洞しかり、角島しかりですね。他に子どもの頃、よく長門市の青島に家族で遊びに行ったんです。断崖絶壁がある景観地でした。その後、デジタル・メディア・ラボで『戦国BASARA2』の崖があるシーンの背景モデリングを手がけることになったとき、そのときのことを思い出しました。さっそく実家に戻って両親とドライブがてら崖の写真を撮りに行き、それを下敷きにしてイメージベースドモデリングしたんですよ。そうしたら、めちゃくちゃリアルになりました。地元の良さを再発見した感じです。

CGW:ああ、そういうことって、ありますよね。それに昔は隔絶感がすごかったですが、今はインターネットがありますしね。

米岡:まさにそうですね。

CGW:話を戻すと、デジハリに行くと言ったとき、ご両親の反応はどうでしたか?

米岡:すごく反対されました。ただ、そこは最後の自己暗示ということで、押し通しました。大学在学中から行なっていた自主制作に手応えを感じていたこともあり、いろいろ調べたところ、デジハリが一番目立っていたんです。ここだったら安心という思いもありました。

CGW:そうなんですね。

米岡:ただ、さっきも言ったように、学校ではSoftimageの授業を取りましたが、今ひとつ自分に合わなくて、自分でLightWaveを勉強するのに力が入りました。それに当時はモデラーに興味があったので、LightWaveのモデリングのしやすさは魅力でした。そんな風に自分の向き不向きがハッキリわかったのは良かったですね。

CGW:当時はまだツールごとの学習コストが高かったんですね。

米岡:そうですね。何でこれができないの、といった感じで。最初からSoftimageだったら、またちがったのかもしれませんが。

CGW:いや、Softimage使いにはその後も茨の道が......。

米岡:確かにそうですね(笑)。だからふり返ってみれば良かったのかもしれません。

CGW:デジハリは何年のコースでしたか?

米岡:たしか1年間でした。半年間授業があり、それから数ヶ月で卒業制作をして、発表会があって、終わりという。SoftimageでがんばってPIXARっぽいキャラクターアニメを作った覚えがあります。ただ、クオリティ的にいえばLightWaveで作った戦闘機のムービーの方が断然良かったですね。アニマロイドでお世話になった北田清延さんも関わった『PROJECT-WIVERN』の世代でしたから、LightWaveでああいうのが作れちゃうことに衝撃を受けました。


CGW:早稲田大学の第二文学部に入って、たまたまメディアアートの授業を受けて、たまたまCGに詳しい友人がいて......偶然が重なっていますね。

米岡:まったくそうですね。ただ、自分は第二文学部の中でも表現・芸術系専修というコースで、そこは表現やアートに関することなら何をやっても良かったんです。文章を書いても良いし、演劇や絵画を勉強しても良い。自分が在学中に授業そっちのけで「CGWORLD」を読んでいて卒業できた理由も、浪人時代から小論文をものすごく勉強していたので、レポートの書き方に慣れていたことがありました。レポートが苦手という学生は多いと思うんですが、自分は反対だったんですね。

CGW:なるほど。

米岡:逆に言うとレポート重視の授業を選んで履修したとも言えるんですけどね。おかげさまで大学ではほとんど勉強をしなくても、卒業できました。卒業論文もCGの歴史に関するものでした。

CGW:所沢に行かなくて良かったですね。

米岡:本当にそうですね。さっきも言いましたが、母親がとにかく反対したんですよ。ただ、自分もさすがに、オレのやりたいようにやるよって。だから半分冗談、半分本気で「金は出しても口は出すな」と言っていました(笑)。それで結果を出せたから、良かったですね。自分も子どもには好きなようにさせようと思います。ただ、自分と同じような素行だったら、きっと口を出してしまうと思いますが。

CGW:そりゃ、下関西高校に入って下から10番以内だと、親も心配になりますよね。しかも2浪までして(笑)。

米岡:結果を出してからものを言えよって(笑)。

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<5>笹原組で修行し、フリーランスの道へ

Profileプロフィール

米岡 馨/Kei Yoneoka

米岡 馨/Kei Yoneoka

2002~2011年にかけて、アニマ(旧笹原組)、アニマロイドデジタル・メディア・ラボオムニバス・ジャパンOXYBOTなど、複数の国内プロダクションでCG制作に携わる。2011年、エフェクトアーティストとして、PIXOMONDOのベルリンスタジオへ移籍。2012年、ScanlineVFXのバンクーバースタジオへ移籍。両社で学んだハリウッドクオリティのエフェクト制作を日本で実現するため、帰国を決意。2014年、帰国。2015年、エフェクト専門プロダクションのステルスワークスを設立。 『evangelion : Another Impact(Confidential)』、『シン・ゴジラ』、『KINGSGLAIVE FINAL FANTASY XV』、『鋼の錬金術師』などの多くの著名タイトルのヒーローショットを担当。2017年中目黒オフィスを起ち上げ事業拡大中
https://twitter.com/keiyoneoka
https://vimeo.com/stealthworks

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