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山口県で生まれ育った少年がエフェクトスペシャリストになるまで~ステルスワークス米岡 馨に聞くCGアーティスト人生(前編)

山口県で生まれ育った少年がエフェクトスペシャリストになるまで~ステルスワークス米岡 馨に聞くCGアーティスト人生(前編)

笹原組を振り出しに、フリーランスとして業界で活躍。そこからドイツのPIXOMONDO、カナダのScanlineVFXと海外の大手VFXスタジオでハリウッドの大作映画に関わってきた米岡 馨氏。帰国後はステルスワークスを起ち上げ、映画『シン・ゴジラ』(2016)、『鋼の錬金術師』(2017)の制作に参加するなど、業界屈指のエフェクトアーティストとして知られる人物だ。CGWORLD +ONE Knowledgeにて昨年開催された大人気講座「StealthWorks 破壊FX講座」が11月30日(金)に再開催されることを受け、山口県で生まれ育った少年が、上京後CGの道に進み、海外を経て日本に戻り再スタートを切るまでの人生をふり返ってもらった。3時間超にわたる濃密なインタビューを前後編に分けてお届けする。

INTERVIEW_小野憲史 / Kenji Ono
EDIT_小村仁美 / Hitomi Komura(CGWORLD)
PHOTO_弘田 充 / Mitsuru Hirota

StealthWorks FX Reel 2018 from StealthWorks LLC on Vimeo.

11月30日(金)19時~
「StealthWorks 破壊FX講座」
(CGWORLD +ONE Knowledge)
詳細・お申し込みはこちら

<1>山口県で悶々と過ごした少年時代

CGWORLD(以下、CGW):米岡さんはナナロク世代なんですよね?

米岡 馨(以下、米岡):はい、1976年生まれの42歳です。俳優の香取慎吾さん、元サッカー日本代表の中田英寿さんと同じですね。ただ、だんだん自分の年齢にも興味がなくなってきました(笑)。

CGW:ご出身は?

米岡:山口県下関市です。

CGW:自分も山口県で、周南市(旧・徳山市)の出身なんです。下関だと、福岡のTV放送が見られますよね。徳山は地域にもよりますが、自分が住んでいた地域は当時、民放が2局しか入りませんでした。下関市は都会だから、憧れましたね。

米岡:山口県の中では、そうですね。とはいっても、下関にいる人は福岡に対する憧れが強くて。新幹線で30分くらいですし。

CGW:ご実家が下関なんですか?

米岡:そうなんですが、幼少時は父親の仕事の都合で、油谷町(現・長門市)にいました。下関から車で1時間くらいのところです。父親はエビの養殖をやっていて、母親は保険の外交員をしていましたね。両親ともに仕事はアートとは無縁な家庭ですが、母親はアートに対する理解はあったのでよく美術館や劇場に連れて行ってくれました。小学2年生まで油谷町にいて、そこから下関に戻りました。


幼少時代

CGW:ちなみにカメラマンも山口出身なんですよ。岩国市です。

米岡:それはそれは。岩国には錦帯橋という飛び道具があるじゃないですか。

CGW:しかも岩国は広島のTV局が入るんですね。これまたうらやましくて。今はインターネットがありますが、当時のTVのチャンネル数は大きかったですよ。

カメラマン:近くに岩国基地があるので、FEN(※)がラジオで聞けたのが自慢でした。

※FEN(Far East Network/極東放送網)
日本の米軍基地関係者とその家族向けの放送サービス。1997年まではFENと呼ばれていたが、現在はAFN(American Forces Network/米軍放送網)に統一

米岡:それもまたレアな話ですね(笑)。

CGW:まあ、そんな話は置いておいて。ご兄弟は?

米岡:2歳上の兄が1人、2歳下の妹が1人です。3人兄弟の真ん中ですね。兄はサラリーマンになり、妹は美大に進んで、今も別の仕事の傍ら絵を描いています。ファインアートですね。3人とも東京に住んでいます。


  • 父と兄・妹と

CGW:お兄さんは実家に残らなかったんですね。

米岡:そうなりますね(笑)。自分も山口県で生まれ育って、特に油谷町にいた頃は、周囲に娯楽なんてほとんどありませんでした。遊び場は山、川、海ですよね。虫を採ったり、魚を採ったり。おやつがわりに木イチゴを食べたり、柿の木に登って柿を食べたり。

CGW:まさに自然児ですね。

米岡:本当にそうですよ。今うちに3歳の子どもがいますが、東京で生まれたので、当たり前ですが育ちが全然ちがうんです。おやつの質からしてちがう。まず木イチゴから食べさせないと(笑)。

CGW:コンビニも当時はありませんでしたしね。

米岡:実際、そうした諸々が東京に来るモチベーションになりました。若い頃に抱きがちな、何もない地元からの東京に対する強い憧れといいますか。

CGW:まったく同じですね。自分も農家の長男だったので、上京するのが大変でした。

米岡:うちは母親がすごく教育熱心だったんです。その影響もあって、高校は県下有数の進学校といわれる下関西高校に入りました。父親も同じ高校だったので、その影響もありました。ただ、入学した段階で燃え尽きてしまって、成績は下から10番目くらいでしたね。「俺たちが底辺からトップを支えているんだ」って言ってました(笑)。

CGW:部活動などは所属されましたか?

米岡:サッカー部に入って、体育祭の運営委員長をやっていました。今でもCGアーティストには、前に出たがりな人と、そうじゃない人がいますよね。自分はその頃から出たがりでした(笑)。とりあえず何かやっておかないと、落ち着かなかったという。

CGW:そこから受験となります。

米岡:さっきも言いましたが、山口県から飛び出したくて慶應義塾大学か早稲田大学を志望していました。英語・国語・小論文だけで受験できる学部をねらい撃ちして、早稲田の文学部や慶應SFCなどに絞ったんです。ただ、現役時代はさすがに学力が足らず、1年浪人して、小倉(北九州市)の代々木ゼミナールに通いました。そこで人生最大のピークを体験しまして......。

CGW:それは何でしょう?

米岡:早稲田の全国模試で小論文が1位になったんです。小論文の偏差値が91、英語が86、国語が60点台だったという。判定もぶっちぎりでA判定でした。これでまちがいなく合格......と思いきや、またまた受験に失敗しちゃったんです。

CGW:まさに受験には魔物がいる......。

米岡:たまたま知らない漢字が出たとか、小論文のテーマにしっくりこなかったとか......。ただ、冷静に考えると国語、特に古文と漢文をちゃんと勉強していなかったのが敗因だったんでしょうね。2浪も覚悟しましたが、親の勧めもあって、併願していた明治学院大学に進学しました。半年くらい通いましたが、模試の結果が忘れられなくて、仮面浪人しました。

CGW:よほどの思いがあったんですね。

米岡:小論文の偏差値91という過去の栄光が忘れられなかったんでしょうね(笑)。今度は古文と漢文もしっかり勉強しました。模試の結果も前ほどの爆発力はありませんでしたが、3科目ともそれなりの点数が取れました。ただ、それでも早稲田の第一文学部は無理で、第二文学部と人間科学部に合格しました。

CGW:第二文学部って、いわゆる「夜学(夜間学部)」でしたよね(2014年廃止)。

米岡:そうなんですよ。そこに母親が抵抗感を示しました。ただ、人間科学部はキャンパスが所沢市なんですよね。当時はキャンパスの周りに何もありませんでした。もともと下関で悶々としていたのに、なんでまた所沢に行かなくちゃいけないんだ! と思い、第二文学部に進学したんです。それが巡り巡ってCGアーティストにつながりました。

CGW:面白いものですね。

次ページ:
<2>CGとアルバイトと麻雀にハマった学生時代

Profileプロフィール

米岡 馨/Kei Yoneoka

米岡 馨/Kei Yoneoka

2002~2011年にかけて、アニマ(旧笹原組)、アニマロイドデジタル・メディア・ラボオムニバス・ジャパンOXYBOTなど、複数の国内プロダクションでCG制作に携わる。2011年、エフェクトアーティストとして、PIXOMONDOのベルリンスタジオへ移籍。2012年、ScanlineVFXのバンクーバースタジオへ移籍。両社で学んだハリウッドクオリティのエフェクト制作を日本で実現するため、帰国を決意。2014年、帰国。2015年、エフェクト専門プロダクションのステルスワークスを設立。 『evangelion : Another Impact(Confidential)』、『シン・ゴジラ』、『KINGSGLAIVE FINAL FANTASY XV』、『鋼の錬金術師』などの多くの著名タイトルのヒーローショットを担当。2017年中目黒オフィスを起ち上げ事業拡大中
https://twitter.com/keiyoneoka
https://vimeo.com/stealthworks

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