実写合成において馴染ませの良し悪しを決める重要な要素、ライティング。近年はHDRIが用いられる機会が増え、品質の向上にも寄与している。今回は白組の中核スタッフにHDRIの活用に特化して解説していただいた。
※本記事は月刊「CGWORLD + digital video」vol. 215(2016年7月号)からの転載となります
TEXT_石井勇夫(Z-FLAG)
EDIT_斉藤美絵 / Mie Saito(CGWORLD)、山田桃子 / Momoko Yamada
HDRI導入エピソード
日本のCGプロダクションの草分けであり、映画『ALWAYS 三丁目の夕日』(2005)、『永遠の0』(2013)、『寄生獣』(2014)などの話題作を提供し続け、ハイレベルなVFXで業界を牽引している白組。その白組にとってHDRIはなくてはならない技術であり、はじまりは『ALWAYS 三丁目の夕日』のパイロット版までさかのぼるという。
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左から早川胤男システムエンジニア、高橋正紀ディレクター(奥)、舟橋 奨VFXデザイナー(手前)、大久保榮真VFXデザイナー
以上、白組
www.shirogumi.com
2005年GWのパイロット版制作中、CGのクオリティについて山崎 貴監督とCGディレクターの高橋正紀氏の大論争が勃発する。そのとき検証されたものの中にHDRIがあった。当時のHDRIは銀玉を民生用デジタルカメラで撮影した低精度なもので、それを環境ライトとしてレンダリングしていた。それでもマシンスペック的には時間がかかり、全てのカットで対応できる保証はなかったため、高橋氏はなかなか首を縦に振ることができなかったそうだ。「何カットか良いものができても残りのカットを落とす可能性があり、責任は負えませんでした。でも、HDRIを使ったものを見比べるとやりたくなる。"責任は自分がとる"と山崎監督が言ってくれ、いざ始めると画を良くしたいという欲が出て、大変でもやりきろうとみんなで取り組みました。あれがブレイクスルーでしたね」と高橋氏。「HDRIというより、実写と戦った結果ですね」と早川胤男氏もふり返る。HDRIを技術単体ではなく映画の一部として捉えている姿勢が窺えた。以降、他スタジオに先駆けてHDRI撮影をするようになる。監督の山崎氏がHDRIの利点を知っているため現場で話が通りやすく、徐々に他のスタッフにもHDRI撮影の意図が浸透し、協力を得られるようになったそうだ。
このように、当時から限られた予算や時間、人材の中で、いかにクオリティを落とさず目指す表現をするか考えてきたという。「一部のカットだけ良くできても認められないので、コスト対策は真剣に取り組んできました。作品を完成させないと次をつくらせてもらえないんじゃないかという強迫観念もありましたね(笑)」と高橋氏は笑うが、その挑戦する姿勢がいち早くHDRIの活用を軌道に乗せる原動力となったのではないだろうか。
HDRIのメリット&デメリット
VFXの作業では、現場のライティングをCG上で再現する必要がある。HDRIがあれば光の空間配置情報を得ることができるため、半自動的に撮影した現場のライティングを再現でき、作業が劇的に早くなる。それまではライトの位置を計測して図面を引いたり、グレーボールなどで現場のライティングを記録し、それを基にCG上でライティングを再現したりしなければならなかった。そう考えると、HDRIはメリットだらけに感じる。
一方で、学生のようなVFX初心者がはじめからHDRIを使うと、ライティングが上達しないという懸念もある。「HDRIがあればライティングのベースをつくることができます。クリエイターである以上、演出ライトなどの基本は知っておいた方が良い。何でそのライティングがかっこ良いのかわかる感覚は必要ですね」と高橋氏。またデメリットとして「VFXで扱うHDRIは撮影プレートと同じ環境下で撮影しないといけないこと」だと大久保榮真氏は挙げる。「カットごとに実写プレートに対応したHDRIを撮ることが望ましいので、都度HDRIを撮影しないといけません」(大久保氏)。CG制作上ではメリットだらけのHDRIだが、HDRIをつくるには専門のスタッフが撮影現場に張りつくなど、時間と手間もかかる。とはいえ、メリットの方が大きく、今やHDRIは必須の技術だ。ただし、現状ではHDRIを球状に貼ってライトとするため、全ての光源の距離が一定となってしまう欠点がある。これにはHDRIを直接編集したりライトを足したりすることで対応しているという。将来的にはHDRIをキューブや、環境をスキャンしてモデリングした背景に貼っていくのではないか、とのことだ。
白組流HDRI撮影の極意
白組ではなるべく全カットに対応したHDRIを撮影するようにしている。その豊富な経験と実績に裏づけされた撮影のコツを聞いてみた。
HDRIはカットごとに撮ることが理想だ。例えば、『寄生獣』に登場するミギーならミギーのいる場所にカメラを置いて撮影することが最良である。そこで通常の三脚以外にも板を加工した独自の撮影台をつくり、机の上のような狭い場所での撮影に対応するなどの工夫もしているそうだ。また、役者やスタッフがはけると本番時とライティングが変わってしまうため、タイミングも重要となる。そこで常にスタッフと撮影について意思疎通を図っておくことを心がけているという。その工夫のひとつにマケットの使用がある。例えばミギーの場合、撮影時はミギーが存在しないため、現場ではミギー用のライティングがされない。そこでマケットを置くことで、視覚的にミギーの存在を現場スタッフと共有するのだ。これはCG側からのアプローチだったが、最終的な画をイメージしやすく好評だったそうだ。
またHDRI撮影を円滑に行うため、F1のピット作業のように練習を重ね、撮影時間を大幅に縮めたという。「最近の撮影時間は1分くらいですね」と舟橋 奨氏。撮影時間短縮のため、1方向で撮るHDRIの枚数もギリギリまで絞っている。1枚あたり4方向×5段階の合計20枚に抑えているそうだ。それでも1分という短時間で撮影するのは容易ではなく、特に適正な露出の判断は難しい。「カラーチャートを見ながら良いところを決めます。ホワイトバランスはフラットで、実写プレートに近いものが使いやすく理想です」(大久保氏)。今後RICOH THETAがRAWやTIFF形式に対応すれば、短時間で全周のHDRを撮れるのでは、と期待しているとのこと。
HDR撮影機材
❶ リモートコントローラ:Promote Control/ ❷ カメラ:Nikon D600/ ❸レンズ:SIGMA 8mm F3.5 EX DG CIRCULAR FISHEYE/ ❹ マウント:360Precision Atome/ ❺ カラーチャート:X-Rite ColorChecker Passport/ ❻ 三脚:Sherpa 645Ⅱ。なお、❹ のマウントはノーダルポイント(レンズ内の軸となる中心位置)を中心に回転するため、後のステッチ作業が行いやすい
Promote Control。通常のコントローラ機能のほかにHDR撮影モードがあり、あらかじめ設定しておけばワンクリックでブラケティング撮影ができる。設定面を載せたので参考にしてほしい
HDRIの作成
魚眼レンズで撮ったHDRI素材。カラーチャートも角度を変えて何枚か撮っておく。ステッチ用の素材は4方向で、1方向につきEV3段階ごとに5枚撮影する。約20枚を1分くらいで撮り終える
PTGuiで素材をステッチしてHDRIを作成している作業画面。作業自体はバッチで行うためそれほど難しくないという。ただ適正な露出を決めるのは難しく、加えて映画だと枚数が多いので大変な作業だと言える
作成されたHDRI。360度にステッチされるので、撮影シーンのカメラから外れたところまで映り込んでいる。多くの演出用の照明があることもわかり、現場の記録という側面もある
[[SplitPage]]HDRIの活用
カットに合わせた臨機応変な調整
具体的な手順は、まず使用するHDRIを選択し、キーライトの方向を回転させて実写プレートに合わせる。基本的にEmit LightはONにする(映り込みとして使う場合はOFFにする)。IBLのライトは、半自動的にHDRIの輝度情報を基にしてライトに変換されるが、その際IBLのUVに沿ったQuality U、Quality Vの値で、HDRIをライトに置き換える精度を調整する。数値を上げれば品質は上がるが時間もかかり、上げすぎてもノイズが出やすくなる。サンプルの規定値は256だが、白組では思いきって規定値より低い数値にしているそうだ。
また、HDRIによってもレンダリング時間は変わるそうで、太陽がひとつの屋外と蛍光灯がたくさんある室内などでは、後者の方が重くなる。杓子定規にマニュアル通りにするのではなく、画のクオリティ基準をチームで共有し、自分たちで検証することも大切だ。カットによってはレンダリングでブラーをかけずにコンポで加えるなど、後工程でのフォローも含めて、常に時間とクオリティのせめぎ合いをしているという。結果、ミギーのレンダリングは標準的なサイズで約1分と時間短縮に成功した。
実作業では、HDRIを設定して終わりではない。現状使っているHDRIでは、太陽がもつ高輝度を再現しきれないことや、IBLライトのQualityを下げているため高輝度のところが上手くサンプリングに当たらないことがあるなどの理由で、IBLのほかにライトを一灯足すことが多い。また、カメラや被写体、ライトが動く場合は、ライトを作成して実写プレートに合せて動かす必要がある。Emit LightをOFFにして、環境ライトとAOだけを使う場合もあるそうだ。このように、HDRIを置くだけでなく、演出としてのクリエイティブなライティング知識が必要となってくる。最後に使いやすいHDRIはどのようなものか聞いてみると、カットごとのワンオフが最良だが、曇りのHDRIがあると取り回しが良いそうだ。それをベースにキーライトを置くと、良い仕上がりなるという。
HDRIの比較
白組社内で「ミギーの旅」と呼ばれているHDRIを用いた質感確認のためのテストカット。現場で撮影してきたHDRIの中にミギーを置き、違和感がないかチェックした。HDRIのライティングのみで上手く馴染ませている。HDRIが変わることでライティングも変わることがひと目でわかり興味深い
ミギー
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分断されたミギーが泉 新一の下へ戻ってきたカットのMaya作業画面。HDRI以外にも、演出用のライトがいくつか置かれている -
実写プレート。腕が見えないのでこれだけだとイメージしづらい。奥はグリーンバックになっている
HDRI×ライト
新一が長い距離を歩くシーンの作業画面。MayaのIBLライトはスフィアをひとつしか持てないため、キャラクターやカメラが動くときはライトを足して動かすなど、動的に合わせていく。このシーンではIBLライトのEmitLightをOFFにして環境ライトとして使い、足したライトで実写プレートと合うようなライティングを演出した。設定はQuality UとVが28と低い値にすることで、負荷を抑えている
[[SplitPage]]中華店主
中華店の中のHDRI。スタッフがはけずに照明機材を持っている様子がわかる
HDRI画像を使った中華店主のライティング作業画面。このカットではEmit LightをONにしてライトとして使っている。中華店主の右前方にはポイントライトを、後ろにはレフ用のプレーンを置いて、ライティングを調整している。IBLライトの設定はQuality UとVが24と、デフォルトの256に対して低い値となっている
警官A
新一と警官Aが戦う魚市場のHDRI
Mayaの作業画面。IBLライトのEmit LightをOFFにして環境ライトとして使っている。Emit LightのON・OFFも臨機応変に選択可能。キーとしてポイントライトも足している
次なる挑戦
HDRIの黎明期から果敢に挑んできた白組は、さらなる進歩を目論んでいる。「今はシーンリニアワークフロー化が浸透してきて、そのながれでACESのフローも部分的に導入しています。ACESのカラースペースマネジメントが加わることでHDRIをより活かせるでしょう」と早川氏はACESの導入に期待を寄せる。太陽などの照射情報は厳密に記録され、カラースペースがコントロールされていればCGの再現も容易になり、実写との整合性も高まる。今までは機材によってカラースペースが異なり、素材にも異なるカーブがかかっていた。これから業界的にACESのカラースペースに統一されれば、ライティングもHDRIを置けば終わりというフローになるかもしれない。また海外に比べて潤沢とは言えない制作条件の下で、自分たちで考え、工夫を凝らし、ハイクオリティな画づくりを続ける根底には、高い目標があるという。「以前から山崎監督がやりたい画があり、ハリウッドのような画をなぜ日本でできないか話し合ってきました。自分たちに何ができるか考え続けてきたことが実を結んでいると思います」(高橋氏)。ただ新しいCG技術を導入するのではなく、現状を顧みて、最大のパフォーマンスを出すため常に考察、分析、実践を行う。HDRIの活用のような、CGに対する前向きな姿勢こそが真のクリエイティビティなのではないだろうか。
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鋭意製作中!映画『海賊とよばれた男』
12月10日(土)全国ロードショー
監督・脚本・VFX:山崎 貴
原作:百田尚樹『海賊とよばれた男』(上下)(講談社文庫)
製作:「海賊とよばれた男」製作委員会
制作プロダクション:ROBOT
配給:東宝
kaizoku-movie.jp
©2016「海賊とよばれた男」製作委員会 ©百田尚樹/講談社