海外のVFXスタジオでデジタル・アーティストとして働いている人の中には、アート系もしくは理系出身の方が多いが、今回ご登場いただいた東條あずさ氏は、どちらとも異なる大変ユニークな経歴をおもちだ。その東條氏がどのようにしてハリウッドの映像制作現場までたどり着いたのか、貴重な体験談を伺った。

記事の目次

    Artist's Profile

    東條あずさ / Azusa Tojo(Freelance Visual Development / Concept Artist)
    東京都出身。2015年に同志社大学経済学部を卒業。2016年にカナダに留学しVancouver Film Schoolにて1年間3D全般を学ぶ。2017年Hydaulxバンクーバーに3Dアニメーターとして就職。2018年、Industrial Light & Magic Vancouverに移籍しDigital Paint Artistに転身する。2019年アート部門へアシスタントとして異動しコンセプトアートを学ぶ。2021年「実写ではなくアニメーション向けの絵を描きたい」と一念発起し、ILMを退社。Visual Developmentの勉強とフリーランスとしての活動を開始。同時にオンラインスクール「Warrior Art Camp」でBlenderを教え始める。現在は、夫と2人でAtelier Tanukiというスタジオを設立、北米やヨーロッパの仕事を中心にフリーの仕事や、Blenderのクラスを開催している。
    linktr.ee/azusatojo

    <1>「ピクサーで働いてみたい」というワクワクが、はじめの一歩に

    ――子供の頃や、学生時代の話をお聞かせください。 
    幼い頃は、姉と一緒に「お話をつくりながらその場面を絵に描く」という遊びをしていて、とにかく絵を描くのが大好きでした。授業中もいつも絵を描いていて、ある日、先生に個室に呼び出され、真剣な顔で「東條さん、あなたの将来が非常に心配です」と言われました。また、オタクという言葉が流行り、一足先に中学に上がった姉が、学校でオタクに関するネガティブな情報を仕入れてきて、「このままだとダメになる」と思い、中学から絵を描くことを封印する決意をしました。

    中学高校では「運動部が一番オタクから遠い」と考え、バスケ部に入り、バスケ命の6年間を送りました。それでも授業中の落描きは止められず、オタクっぽくないと思った『スポンジ・ボブ』や海外アニメのキャラを描いていました。その後は特に夢もなかったので、つぶしが効く経済学部に進学しました。

    大学ではアルティメットというスポーツを始め、キャプテンになり、全国2位まで行くほどガッツリとフリスビーを追いかける日々でした。真っ黒に日焼けし、アートの世界から遥か遠い場所で4年間を過ごしました。

    就職活動では、フリスビーを追いかけ過ぎた結果、留年寸前の成績で入社試験を落とされまくり、残ったのが地方銀行や保険会社。その辺のおっちょこちょいとは比べ物にならないほどドジな私には絶対に無理な職場だなとなり、路頭に迷います。

    そんな折、映画館でPixar Animation Studios(以下、ピクサー)の『モンスターズ・ユニバーシティ』(2013)を観て、漠然と「こんな綺麗でワクワクする物をつくるのは楽しいんだろうなぁ」と思いました。映画館からの帰り道、友人に「ピクサーで働いてみたいな~」とドキドキしながら胸の内を呟くと「……無理やで」と軽く一蹴。しかし家に帰り、一応、作品についてググってみました。すると、この映画の中で何より感動した光と色を監督していたのが日本人アーティストの堤 大介さんということが判明しました。さらに調べるとインタビュー動画が出てきて、「ピクサーで働きたい? じゃあ来ちゃいなさい」とおっしゃっていて、その言葉を目にした瞬間ワクワクして「よし、就職はやめだ。留学じゃ~!」と決心します。

    堤大介氏のピクサー時代のインタビュー(2013年)、アメリカ大使館・領事館チャンネルより

    そうして、カナダへやって来ました。絵の仕事は小さい頃から描いてた人たちには敵わないし、そもそも才能がないので無理。でも「3DCGなら技術だから努力でいける」と考え、まずはバンクーバーのモデリング専門学校に入学しました。

    英語を上達させる目論見もあり、地元のカナダ人が多い学校を選びました。しかし大学卒業後に進路変更し「絶対就職!!」と血走った目をした私と比べ、高校を卒業したばかりのカナディアンキッズたちは、あまりにもやる気がなく、クラスで無双することになり……違和感を感じて3ヵ月で中退。留学生の多いVancouver Film School(以下、VFX)に編入しました。

    そしてVFSの卒業まで半年間を切ったときに、Sony Pictures Imageworksのモデラー石井伸弥さんから「ジュニアモデラーは狭き門」と教わり、就職最優先の私はアニメーターに進路を変更しました。

    ――海外の映像業界での就職活動は、いかがでしたか?

    就職活動では苦労しました。たまたまAutodesk主催のRookie AwardsコンテストでWinnerに選ばれ(理由は今でも謎)、それもあり卒業前にモントリオールの会社からオファーをもらい、有頂天になるもタイミングの都合で取り下げられ、その後、3社と面接するも緊張でうまくいかず全落ちしました。卒業後3ヵ月が経過し、心が折れそうになったとき、園田優花さんのご紹介でHydraulxバンクーバー(2019年に閉鎖)にアニメーターとして入社しました。

    入社当初はマシンの数に対し人数が多いという状況で、夜7時から朝7時まで知らない人のデスクで働くという夜勤シフトを週6、7でこなしていました。リードが朝4時まで残っているのが普通という、今思うと過酷な会社でした。ただ日本の同級生が社会人になっていくのを焦る気持ちで見ていたので、「ついに私も社会人! 大好きなアニメーションでお金がもらえる! しかも残業代は1.5倍、週末は2倍! 担当プロジェクトは大好きな『ストレンジャー・シングス 未知の世界 シーズン2』!!」ということで、昼夜逆転生活でも、とっても幸せで楽しかったです。

    ただ、初年の就労ビザはワーキングホリデーでいけたのですが、法改正などもあり、会社がジュニア・アーティストには簡単に就労ビザを出せなくなり、半年間が経過したところで転職活動を開始します。

    そんなとき、たまたまILMのDigital Paint部門が新しい取り組みとして、アニメーションができ、絵も描ける人を探していて、うまく条件に当てはまりオファーを貰います。しかし有頂天になったのも束の間、「人が必要だけど、今はビザを取るのに時間がかかり過ぎるのでオファーを取り下げます」という連絡が来ました。

    崖っぷちの私はそれでも諦めず、ビザについて自分で調べ「今勤務してる会社をワーキングホリデーが切れる直前に辞めて、早めにILMで働き出し、それから就労ビザの申請するのはどうか」と提案し、無事にオファーを取り戻しました。

    ILM入社後は私が大好きな3Dアニメーションとは完全にお別れしましたが、『アラジン』(2019)や『ターミネーター:ニュー・フェイト』(2019)、『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』(2019)などたくさんのブロックバスター映画のクレジットを手に入れられ、とても幸運でした。当時、ILMに引っ張ってくれて、NukeSillhouetteというソフトを1から教え下さったスープ()のShivas Thilakには感謝してもしきれません。

    スープ:スーパーバイザーの略語。英語圏のVFX現場で頻繁に用いられる

    予告編(劇場編)「スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け」MovieNEX

    また、コンセプトアーティストの田島光二さんにアート部門の仕事を見せていただいたり、多田 学さんを交えた3人で朝活スケッチやZBrushの勉強会、休憩中にキッチンでスケッチをしたりすることでアートへの憧れの気持ちが芽生え、「今の部署で3年間働き義理を果たしつつ、コンセプトアートを学びアート部門に行く」という計画を立てます。

    そんな決心をしたところで、田島さんをランチに誘い「実は将来、アート部門に行きたいと考えています」という旨を告白しました。3DCGの学校時代に夢を聞かれたとき「ピクサーに入りたい」という気持ちがあるのに周囲を見て、「先生すら働いたことないのに、そんなこと言えない」と思い、つい手の届きそうな夢を言ってしまった私からすると、この宣言にはとても勇気が要りました。

    すると田島さんはニコッと笑って「そうやって人に言うのは大切だよ! 目標を口に出して頑張ってると、不思議と色んな人が助けてくれたりするからね! 応援してるよ!」と言ってくださいました。めちゃめちゃ嬉しかったです。

    そのすぐ後、ILMで社員が自主制作を展示するアートショーが開催されました。私は自分の作品が誰か凄い人の目に留まって「声をかけられちゃうかも~♪ キャ~♪」という妄想をしながら自分の作品の周りを下心と共にウロウロしていました。

    すると、おじさんに声をかけられ、「これ良いね! 君はペイント部門だよね、アート部門にいかないの?」と。「げ、本当に声かけられた。やば!」と思いながら「3年後を目標に勉強を始めたところです!」と答えると、そのおじさんがアートディレクターにつなげてくれました。ちなみにそのおじさんは、ライティング部門のスープ、Yann Dupontでした。彼は、その後も親身に相談に乗ってくれ、アート部門に行くために背中を押してくれて、今でも本当に感謝でいっぱいです。

    後日、アートディレクターのTania Richardと会いました。ポートフォリオのポの字もなかったので、日々のスケッチを見せると「あなたポテンシャルがあるわ!」と言ってくれ、この時点で何を勉強すれば良いのか、どんな作品づくりに力を入れたら良いのかなどアドバイスをくれました。「よ~し3年でいってみせる! 頑張るぞ~」と燃えて自分のデスクに帰ると、ペイント部署のスープに呼び出され「アートディレクターが私をアート部門へ入れたい」と人事部に連絡したことを聞きます。

    完全に予想外の出来事でした。所属していた部署では「1年間、手取り足取り仕事を教えてやったのに、コソコソ他の部署に移ろうとしてたんかいな?」という具合に顰蹙を買い、もはやアート部門に行くのは無理だと思うくらい、スープ・アートディクター、全員がバチバチの状況に。

    ただ本当にありがたいことに、なんと半年後にバチバチになった人全員の推薦を受け、アシスタントになれるチャンスを掴みました(泣)!!

    ところが、推薦もあるし社内だしライバルもいないだろう……と余裕をこいてると、他にもたくさん候補者がおり、3回面接、最後の面接では緊張しすぎてコミュニケーションが上手くいかなさすぎて完全終了――と思いましたが、どうにか合格し、アシスタントとしてアート部門に入ることができました。

    ここまで来る間に数えきれない人に助けられたり、背中を押していただき、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

    お礼を言うと皆、きまって「将来、同じように頑張っている人を見たら背中を押したり助けてあげて! それが恩返しだよ」と言います。なんてすばらしい業界だと毎回感動するのと同時に、将来、同じように私も誰かの背中を押せるようなアーティストになって役に立ちたい! と強く思いました。

    また、失敗することを怖がって夢ややりたいことを心に留めておくのではなく、口に出して人に伝えることがとても大切だとも学びました。

    ――待望のアート部門での仕事は、いかがでしたか?

    アートアシスタントの仕事は、実際のコンセプトのタスクを先輩やアートディレクターに教えてもらいながらこなしつつ、ディレクターについてまわり、様々なプロジェクトのミーティングに参加したり、クルーギアなどをデザインすることが中心でした。

    また、各国のアシスタントたちと、アート部門のトップ、David Nakabayashiからお題をもらい、毎週自主制作を通してコンセプトの勉強をし、アートディレクターからフィードバックやワークフローを教えてもらったりと、とにかく毎日が学びでいっぱいでした。

    2年間が経過し、昇格の話が出たころ、パートナーがシドニーに行くことになり、ILMに残るか辞めてついていくかを考えなくてはならない状況になります。

    30歳になる年でもあり、改めて人生で何をやりたいのか? を自分に問い直し、業界に入ったキッカケが実写映画ではなく、堤さんの絵やピクサー、ディズニーのスタイライズされたアートだったこと思い出しました。そして「方向性を変えるなら今だ!」と思い、ILMを辞め、シドニーに行く決心をします。

    ご自宅での作業風景

    <2>目の前のことを夢中でこなしながら「自分の好き」にたどり着く

    ――シドニーに渡ってからのお仕事について教えてください。

    シドニーについてからはアニメーション系のコンセプトの勉強を開始しました。「ポートフォリオをつくらなければ!」と思い、作品数を増やすためにも実写のコンセプトでよく使われる3Dツールを使いつつ、2Dの作品をつくり始めました。

    たまたまスタイライズされた3DとBlenderが流行り始めた時期でもあり、アメリカのオンラインスクールWarrior Art CampのAngela Sungから「2Dアーティスト向けにBlenderを教えないか」と誘われます。

    「無理無理!」と腰が引けながらも、無職だったので「やります」と。そこから毎日ビデオを撮りながら英語で話す練習をしたり、教えるほどの技量がなかったため、Blenderを1から勉強しながらカリキュラムをつくりました。

    クラスが始まると同時に、シドニーのアニメーション会社で働き始め、加えてフリーの仕事もどんどん入ってきました。フリーランス初心者の私は全ての仕事を請けてしまい、シドニーに来たのに一歩も外に出ず、仕事ずくめの毎日を送りました。

    ――その後、カナダでご主人と会社を設立されたそうですね。

    シドニーからカナダに戻り、夫婦共にフリーランスだったのでAtelier Tanukiという会社を設立し、現在はBlenderを教えたり、北米やヨーロッパのクライアントを中心にお仕事をしています。

    SNSの作品を見て仕事の依頼が来ることが多いので、好きなスタイルやサブジェクトのプロジェクトが多く、日に日に仕事が「自分の好き」に近づいてくる感覚があり、毎日がとても楽しいです。

    夫も私も1つのことに決めずにキョロキョロしながら様々なことにチャレンジするのが好きなので「コンセプトアートが一生の仕事!」と決めたりせずに、これからも色んなことに挑戦していきたいと思ってます!

    ――英語や英会話のスキル習得はどのようにされましたか?

    昔から英語の成績は悪くない方でしたが、話す&聞くは超絶苦手で、習得は絶対無理と思えるレベルでした。

    現地でCGや絵の勉強を通して聞き取りは成長しましたが、話すことに関しては、業務をこなせていたので、超最低レベルのまま長いこと逃げきっていました。

    ところがアート部門では、監督とのコミュニケーションが重要です。また作業内容が毎回異なるので、苦手なことにも向き合わざるをえません。また、最近はその上に英語で授業をしなくてはいけない状況にあり、人前で何度も失敗して恥をかくことが増えたおかげで、一番大切なコミュニケーションに集中できるようになってきました。わからないことがあったら聞きなおす、シンプルな言葉でもしっかり伝えることに集中することを心がけてます。

    ――将来、海外で働きたいと思う方に、アドバイスをお願いします。

    堤さんと同じようなアドバイスになってしまいますが、海外で働きたかったら、まず「来ちゃう」のが良いと思います!

    私は自分の「好き」や「やりたい」があまりなくて、漠然と「ピクサーで働きたい!」と思い立って日本を飛び出しました。映画もそこまで好きだったわけでもないし、英語も中途半端で「とにかくかっこいいし楽しそう!」以外の強い動機はありませんでした。

    とりあえず目の前のことを夢中でやり続け、その過程でチョイスした職場や職業は様々でしたが、逆にそのおかげで「これは自分の目指してる方向とはちがうんだ」という発見になったり、好きな方に好きな方に勉強を重ねて、移動していくことができました。山も谷も何もかも行動することが勉強になるので、とりあえず準備できてなくても、まず第一歩として、「来ちゃう」のが良いのかなと思います! 応援しています!

    Lightbox Expoでは、Atelier Tanukiのブースを出展

    【ビザ取得のキーワード】
    ①日本の大学を卒業後、カナダに留学
    ②カナダのワーキングホリデーで働き始める
    ③ワーキングホリデーが切れる直前、ILMに移籍
    ④ILM在籍中に、カナダ永住権を取得

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    TEXT_鍋 潤太郎 / Juntaro Nabe
    ハリウッドを拠点とするVFX専門の映像ジャーナリスト。著書に『海外で働く日本人クリエイター』(ボーンデジタル刊)、『ハリウッドVFX業界就職の手引き』などがある。
    公式ブログ「鍋潤太郎☆映像トピックス」
    EDIT_山田桃子 / Momoko Yamada