>   >  日本にフルCGアニメは根付くのか?:第 2 回:木村 卓(アートディレクター、CG アーティスト)
第 2 回:木村 卓(アートディレクター、CG アーティスト)

第 2 回:木村 卓(アートディレクター、CG アーティスト)

CG は自分のアイデアを形にするための道具

野口:話は変わりますが、木村さんは何がきっかけで CG に興味を持たれたのでしょう?

木村:私が最初に CG に興味を抱いたのは、大学のゼミで 「情報美学」※2)に触れたことでした。創造活動を情報処理のように考えるというものです。無からは何も出てこないので、入力があって、変換があって、出力があるといった具合に。それをコンピュータの上でやろうとすると、どういう風に変換をするかという部分が大事になってきます。つまり、こういう画をつくりたいからコンピュータを使って描くというのではなくて、こういう考え方をした時にどういう結果になるか、コンピュータで再現して検証してみようというアプローチです。未だに自分にとっての CG は自分のアイデアとかイメージを形にするためのシミュレータみたいなものだと思っています。

※2:情報美学
記号論的および数学的方法で研究する <情報美学> は、自然界の事物、芸術的対象、芸術作品、またはデザインに観察できる <美的状態> の特徴を数値、記号クラスにより記述するのであるが、このことは、この美学がそれらの状態をある特別な種類の <情報> として、ほかでもない <美的情報> として定義することである。(中略)情報美学の記号論的および数量的美学のほかに、最近さらに、現代美学の第三の部門、いわゆる生成美学が発展した。1965年の『コンピュータ・グラフィックス』の最初の出版の折に、この美学を、次のようなすべての操作、規則、定理の全体と考えた。操作可能な実質的諸要素のレパートリーにそれらを適用することにより、そこに意識的かつ方法的に美的状態が作り出されるのである。(中略)生成美学の意味する創造過程には構想の段階と実現の段階がある。(中略)生成的全過程は原理的には次の図式のように経過する。
《レパートリー → プログラム →(コンピュータ → 乱数生成装置) → 実現機器 → 作品》
(出典:「情報美学入門」 M.ベンゼ 著/草深幸司 訳/勁草書房)

木村 卓ポートレイト2 木村 卓ポートレイト3

 

木村:CG をやっていて面白い部分というのは、意外な結果とか、自分が思っていた以上のことが得られるときです。手で絵を描いているときは大体みえてるのですが、CG の場合、特にシミュレーション系がそうなのですけど、パラメータを与えてやると想像していた以上に面白い結果が得られたり、考えもしなかった表現が得られたりと、偶然性みたいな要素があると思うのです。机上では面白いと思ったプランでも、実際につくってみると意外とつまらないことも多くて、また違うプランを考える。そういう自分で手を動かして良いところを探るという過程が CG ならではの醍醐味だと思っています。

野口:なるほど。そして、アニメーション制作ではアニメーター自身が実際にイメージした動きを自分でやってみた方が良いと言われていますよね。

木村:2D、3D を問わず、自分で体を動かしてみるというのは必要です。ただし、3DCG の場合はそこで完成させる必要はなくて、道筋を見つけられればいいんです。例えば『KUDAN』のセリフは擬音語みたいなものですが、最終的には役者さんにアフレコしてもらいました。そのため、アフレコ収録時にどのように演技してもらうか考える上では、自分でひと通り喋ってみて、それを画に当てながら試行錯誤しました。自分でやってみると色々と気づかされます。キャラクターモデルなんかも同じで、最終的に使わなくても 1 回作ってみると、形状の合理性を見出すことができるので、自分の中でモデリングのセオリーみたいなものを構築することができます。

野口:相手が生身の人間か CG(コンピューター)かを問わず、制作意図を伝える上では相応の "意図" を自分の中で持つことが大切、ということですね。CG や アニメーションなどの映像演出に対する理解という意味では、私たちの世代は技術畑から CG の制作現場に入ってきた人が多かったので、そうした知識が自然と習得でました。一方、今ではハードやソフトの進化によって CG や映像表現の原理原則を知らなくても一通りの表現ができるようになりました。そのような境遇にある現代の若いクリエイターたちを見ていてどう感じていらっしゃいますか?

木村:私からすると、技術的な要素というのは非常に面白い部分なんです。例えば、お酒飲める人からすれば、お酒飲めない人は人生損してるよね、と思う。だけど、飲めない人からすればどうでもいいことです。技術的な部分を通らないのはつまらない気もするけど、多分そういう人からすればそうは感じていないんだろうなと思います。それに、最新の市販 3DCG ソフトには既に十分すぎるくらい多彩な機能が搭載されているので、それ使いこなすだけで精一杯みたいなところがあるのではないでしょうか。

野口:そうですね。その意味では筆や色を全部知ってないといけないみたいな感じで、全ての機能を使いこなせないと真に良いものは作れないとお考えですか?

木村:いいえ、決してそうではありません。知らないよりは知ってた方がいいとは思うし、使いこなせるにこしたことはありません。ですが、肝心なのは必要になったときに "引き出せる" ということです。私も全ての機能を把握しているわけじゃありません。ただし、「これはこうすれば出来そうだな」とか、「この辺を調べればやれそうだな」といった具合に、なんとなくの想像はつくのです。

野口:「勘が働くか」というのは何事にも求められますよね。そうしたやり方に若い人はついてきますか?

木村:私の職場でも勉強熱心な子は自発的に試行錯誤していますよ。ただ、今の学生さんは覚えることが非常に多いので大変だろうなとは思います。もし自分が今、学生だとしたら対応しきれずに爆発しているかもしれません(苦笑)。私が CG をやり始めた頃は、そもそも CG 制作をしている人自体が少なかったので、将来のことなんて考えもしませんでした。面白いから始めたというだけです。未開の地で試行錯誤しながら、小さなことでも新たな発見があるのが面白かった。でも今では応用の時代に入ったのだとすると、先行する他の産業のように、適確なルールや技法を確立していく必要があるのかもしれませんね。

野口:そうすると、これから CG はブランド力やマーケティングといった、純粋な制作だけでなく、より広い観点からビジネスとして業界を考えていくという、次のステージへ進む必要があるということでしょうか?

木村:難しいところですね。CG の制作現場としてもより広い視点からコンテンツ産業における立ち位置や取り組み方を考えていく必要はあると思うのですが、それを日本の中でどのようにやっていくのか、悩みどころは沢山あると思います。

木村 卓ポートレイト5

 

野口:ハリウッドは分業が基本なので、アーティストはモデルならモデル、アニメーションならアニメーションに関する知識を蓄積してセンスを磨いていけば基本的には仕事をやっていくことができると思います。しかし、日本ではゼネラリスト中心なので CG 制作の全工程についてひと通り知っておかねばならない。そうした事情が作画の人たちが CG アニメへ移行する際の妨げになっているという面もありますね。

木村:北米のアニメ産業では、作画の人たちがデジタルに移行するにあたり、Photoshop 教室を開くなど、業界全体で移行できるような措置を講じていました。業界全体で 3DCG にしようという意向があって、作画アニメーターたちに CG アニメーションの方へ移ってほしいのであれば、その人たちの自主性に任せるのではなく、できるだけスムーズに移行できる仕組みを構築するべきです。会社単位なのか業界全体なのか、どのようなやり方が良いのか分かりませんが、まちがいなく組織的にやるべきでしょう。

野口:北米の場合は、より川上の企画や製作レベルの思惑もあって作画のプロジェクト自体がなくなってきたから、生きていくためには変わらなければいけないという切実な事情もあったようですね。

木村:そうした決断が本当に早い。やるとなったら徹底的にやるみたいな。

野口:アジアでも韓国は CG アニメーションを産業として定着させようと国を挙げて取り組んでいます。ハリウッドの技術やパイプラインを取り入れながら着実に発展させているようです。そういった世界的なトレンドの中で、日本がガラパゴス化してしまうのではないか。CG・映像の制作技術が均一化してきたときに、フル CG アニメはコンテンツとし物足りないのか、まだまだ魅力があるものなのか、それともそもそも CG アニメの文化は日本には存在しないのか、作り手としては悩ましいです。

木村:そうですね。また、CG アニメ自体が世界的にも未だ発展途上という現実もあるでしょう。これまで世界中のアニメーションフェスティバルに参加させていただく機会がありました。そうした中で少し感じたのは、CG は作業にすごく手間がかかっていたとしても、その苦労が直接見えにくいためか、同じ土俵で戦えていないのかなということです。それが残念でなりません。

野口:海外でもそうした、アナログの方が上位みたいな感覚があるわけですね。CG はルックが綺麗に見えがちですし、作画のような汚れや崩れが垣間見えたとしても、それが作り手の熱意や必死さの表れとは受け止められずに "ただのノイズ" と捉えられてしまう(苦笑)。CG もきちんと手間暇をかけてるんですよと伝えるにはどうしたらいいのでしょうか?

木村:CG アニメを紹介する際には、技法だけでなく、作り手の意図や試行錯誤といった背景にある部分も伝えていく必要があるのかもしれませんね。あとは、基本的に良質なものを作っていくしかないでしょう。手間暇をかけるのはもちろんのこと、きちんとやる人は日々練習したり、センスを磨いたりしています。言うまでもなく、CG アニメはツール(道具)があれば誰でも作れてしまうというような簡単なものではありません。それは、作画でも同じなんですけどね。紙と鉛筆さえあれば誰でもジブリみたいなアニメが描けてしまうということになってしまいますから。

CGWORLD・沼倉:横から失礼します(笑)。これまでお話をとても興味深く聞かせていただいてきたのですが、これまでのキャリアを通じて "日本ならではの CG 表現" といったようなものを感じたことはありましたか?

木村:最近はそうした部分がむしろボーダーレスになってきていると感じます。日本のアニメかと思ったら海外の作品だったり。ただ、誰が作ったかとは別に、"日本人のDNA" みたいなものはあると思います。これまでにも日本文化の中で育まれてきた文法や表現が、DNA みたいに海外のクリエイターにも受け継がれているなと感じたことがありました。それと同様に、"CG アニメとしての新たな DNA" を作っていければいいですね。ひとつの見せ方の文法とか、みんなで色々と作っていく中で組み上がっていくというか、受け継がれるようなものが出来れば作り手としては本望です。

野口:木村さんご自身はこれからどのような方向に向かわれていくとお考えですか?

木村:私としては CG 表現ならではの "個性" が発揮しきれてないと考えています。作画のアニメの延長だったり、実写の延長だったり、そこに積み上げてきたものはあるけど、CG としての見せ方とか、独自の表現というのは、まだまだ開拓の余地がある気がします。そういったところをもっと探っていきたいですね。国内外のインディペンデントなアニメーションを見て感じるのが、表現がすごく自由だということ。予算も少なくて、尺も短いけど自由にやっている。そういう自由さを CG はまだ獲得できてない気がするのです。それはストーリーありきで、それに見合った表現ということかもしれませんし、表現を模索する過程でもっと何かできる可能性もあるはず。最終的には、CG という括りで括られなくなった時が、ゴールというか、そこに到達することがこれからの目標なのかもしれません。

野口:ぜひ、そんな作品を期待しています。今日は貴重なお話ありがとうございました!

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INTERVIEWER_野口光一(東映アニメーション
EDIT_林 伸彦(モーションビッツ)、沼倉有人(CGWORLD)
PHOTO_弘田 充

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