1.JCGL / Japan Computer Graphics Laboratory 1981 年設立(1987年解散)
2.トーヨーリンクス 1982 年設立(2010年、(株)IMAGICA と事業統合)
3.セディック(SEDIC) 1983 年10月1日設立(1986年、広告代理店の I&S(現 I&S BBDO)の一部門に)
......木村 卓氏は、1985年からトーヨーリンクス(現、IMAGICA)に在籍しているCG アーティストの 1 人である。Personal Links、Softimage、3ds Maxと、3DCGソフトウェアを変えつつも、常にツール使いこなし作品を制作し続けている木村氏の映像表現は誰も真似ができない独特な世界観を有している。そんな木村氏に、CG 制作は何が変わり、何が今でも変わらないかお話を伺った。
【聞き手:野口光一(東映アニメーション)】
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Taku Kimura
1963年、東京都出身。日本大学芸術学部美術学科卒業後、(株)トーヨーリンクス(現、IMAGICA)に入社。現在、アートディレクターとして CM、映画、ゲームなどの CG 映像制作に携わる。2008年制作のオリジナルショートムービー 『KUDAN』 では、Ars Electronica 2008 にて "Award of distinction"、第12回 文化庁メディア芸術祭 でアニメーション部門 優秀賞など、国内外のコンペティションで多数受賞。1991年より日本大学芸術学部デザイン学科非常勤講師を兼務。(株)IMAGICA デジタルプロダクション部にて、アートディレクター/CG アーティストとして活躍中。
<IMAGICA デジタルプロダクション部>
1982年に前身となるトーヨーリンクスを創設。世界に通用する斬新な技術とクリエイティブの挑戦を続けてきた30年の歴史を誇る制作集団。並列処理のコンピュータグラフィックス(CG)システム LINKS-1の開発とレイトレーシングを実用化した世界でも唯一の CG プロダクショ ンであった。その後リンクス(1988年)、リンクス・デジワーク(2000年)、そして2010年に IMAGICA に事業統合と形を変えながら、世界の先端をいく CG 作品を作り続けている。
http://www.imagica.jp/
3DCG 表現の変遷〜『Bio Sensor』から『KUDAN』まで
東映アニメーション/野口光一氏(以下、野口):木村さんは日本の CG 黎明期からプロダクションで制作していて、オリジナル短編の CG アニメーション作品にも携わり国内外で高い評価を受けていらっしゃいますよね。そうした活動は、『Bio Sensor』(1984) がスタートになるのでしょうか?
IMAGICA・木村 卓氏(以下、木村):そうですね、当時はまだトーヨーリンクスのアルバイトでした。あの頃は線画の虎が歩くのを分度器で測って動きを入力していました。セットアップは全て FK(フォワード キネマティクス)なので誤差が大きく、足が地面に潜るなんていうのは当たり前だったので、肩甲骨で誤差を吸収するためのプログラム作成などを担当していました。当時はメタボールを開発していた頃でしたが、それまで球体しか作れなかったのが楕円も作れるようになったということでより少ない数のメタボールで虎に皮を被せることができるようになったとか、そんな時代でしたね。




『Bio Sensor』(1984) © 2012 IMAGICA Corp.
監督:福本隆司/CG デザイナー:林 弘幸、木村 卓ほか/制作:トーヨーリンクス
野口:レンダリンクはレイ・トレーシングですか?
木村:そうです、計算機は LINKS-1(※1)でした。
※1:LINKS-1
1982年、大阪大学工学部電子工学科の大村皓一助教授らが中心となり、並列処理によるグラフィック・プロセッサ "LINKS-1" を開発。その後、トーヨーリンクスにおいて、レイ・トレーシングの制作能力を大きく向上させた "LINKS-2" システムが開発された(参考:『コンピュータ・グラフィックスの歴史 3DCGというイマジネーション』 大口孝之 著/フィルムアート社)
野口:次の短編 『渚のペピー(英題:Peppy)』(1987) もその年 SIGGRAPH エレクトロニック・シアターに入選していますね、何か新しい試みをなさっていたのですか?
木村:ウクレレの弦が弾けたり、波飛沫や炭酸の泡の飛沫をパーティクルで作ったりしました。それらがガラスのテーブルに反射屈折していたのでレンダリングに 1 コマ 4〜5 時間は掛かっていました。当時としては、世界的にもかなり高度な表現に挑んでいたと言えるのかもしれません。




『Peppy(渚のペピー)』(1987) © 2012 IMAGICA Corp.
監督:アート・デュリンスキー(Art Durinski)、福本隆司、林弘幸、鈴木美智子/CGデザイナー:木村 卓ほか/制作:トーヨーリンクス
野口:さらには個人でグラフィック作品 『The Alphabet』 シリーズを発表され始めたわけですが、複数年にわたって創作されていました。
木村:そうですね、『Peppy』プロジェクト終了後、時間をみつけてはコツコツと作り続けました。1990年にグループ展を開催したのですが、そこで全てのアルファベットが揃いました。




© Taku Kimura
木村氏の個人プロジェクト『The Alphabet』(1986〜1993)。アルファベットをモチーフに 3DCG で描かれたグラフィック連作である
野口:A から Z まで、それぞれ新しい機能とか技術を使った表現になっているんですね。
木村:実はアルファベットであること自体はあまり深い意味はなくて、シリーズ化するためのモチーフに使っていただけなんです。新しいアプリケーションが登場したことで可能になった技法や、面白い表現方法を思い付いたときに色々と試しながらショーケース的に作っていきました。
野口:それからしばらくして、再びリンクスのオリジナル作品として 『櫻亭〜A Season of Cherry Blossoms〜』(1996)を制作されました。本作ではハードウェア・レンダリングによるデフォーカス処理を施したそうですね。
木村:あの頃は、シリコングラフィックス(SGI) の Indy や Indigo といった当時のワークステーションを使っていました。もちろんソフトウェアでも表現可能でしたが、天文学的な時間が掛かってしまう時代でしたのでハードウエアでレンダリングしたわけです。その代わりテクスチャが 1 枚しか貼れないとか、反射ができないというような制限があったので、別途レンダリングした素材を合成したりしました。




『櫻亭〜A Season of Cherry Blossoms〜』(1996) © 2012 IMAGICA Corp.
監督:松岡康二/クリエイティブ・ディレクター&デジタル・アーティスト:木村 卓/制作:リンクス
野口:そして最新作が、『KUDAN』(2008) になります。とても美麗なビジュアルが印象的である一方で、あまりにもハイセンスな世界観で僕らは完全においてけぼり状態でした(笑)。
木村:『KUDAN』は、わかりやすくするために説明的になり過ぎるとつまらなくなってしまうし、説明が足りないとわかりにくくなるだろうとは思っていました。山岸宏一 さんにアニメーターとして参加してもらい、一緒に作っていったのですが、山岸さんのアニメーターとしての視点と私の監督としての視点が融合することでバランス良く仕上がったと思います。私が 1 人で作っていたらもっと難解になったはずですから(笑)。




『KUDAN』(2008) © 2012 IMAGICA Corp.
監督:木村 卓/アニメーション:山岸宏一/制作:リンクス・デジワークス
野口:ふり返ってみると、リンクスはオリジナルの CG 作品を継続的に発表してきたことが判るのですが、会社としてはどのようなスタンスだったのでしょうか?
木村:ショートフィルムの制作はその時々で目的は異なっていたと思いますが、自分の中で共通しているのは、新しい表現を開発したり、提案することにあったと思います。会社としては映画もやるし、CMもやる、ゲームもやる、3DCGということでジャンルは限定していませんでした。現在も IMAGICAの中で "デジタルプロダクション " のCG担当部署として同様に取り組んでいます。