>   >  日本にフルCGアニメは根付くのか?:第 4 回:勝間田具治(アニメーション監督・演出家)
第 4 回:勝間田具治(アニメーション監督・演出家)

第 4 回:勝間田具治(アニメーション監督・演出家)

日本におけるフルCGアニメーション制作への理解と振興を目指す本連載。今回の語り手は、東映アニメーションの現役最高齢のアニメーション監督・演出家、勝間田具治(ともはる)氏だ。
勝間田氏が東映から東映動画(現・東映アニメーション)に移られたのは、東映動画が初のテレビアニメ『狼少年ケン』を製作していた昭和39年(1962年)のこと(日本のアニメーション黎明期だ)。当時の状況と現在のフル 3DCG アニメーションが量産されようしている状況には、実は相似性があるのでは? という仮説の下、ご自身のキャリアをふり返っていただきながらこれからのアニメーション演出について語ってもらった。

【聞き手:野口光一(東映アニメーション)】
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Tomoharu Katsumata
1938年生まれ。静岡県下田市出身のアニメーション演出家・アニメーション監督。俳優やコメディアンとして活躍した 岸井 明 を叔父に持つ。日本大学芸術学部卒業後、映画製作会社の東映に入社。京都撮影所にて、マキノ雅弘、工藤栄一、加藤 泰、田坂具隆監督らの助手を務めた。『次郎長血笑記・殴り込み荒神山』(1960)『ちいさこべ』(1962)など監督につき制作に関わる。また、マキノ雅弘監督の『恋山彦』(1959)、『港祭りに来た男』(1961)、『次郎長三国志』(1963)では助監督を担当。1962年に東映動画(現・東映アニメーション)に移籍し、アニメーション演出家に転向。『狼少年ケン』『サイボーグ009(旧)』などの演出を手掛けた後、『デビルマン』『タイガーマスク』にてその才能が開花。以降、『東映アクション&ヒーローアニメ』のエース演出家として活躍した。東映アニメーションの現役最高齢の演出家として活躍中。

京都から大泉へ

東映アニメーション/野口光一(以下、野口):今日はよろしくお願いします。勝間田さんがいらした頃の 東映 京都撮影所 はどのような雰囲気だったのでしょうか?

勝間田具治(以下、勝間田):僕が入ったのは昭和35年。全盛とは言ってもピークを過ぎた頃かな。師匠は マキノ雅弘 という日本映画界を代表する巨匠で、役者をやっていた叔父(岸井 明)が紹介してくれたんだ。ちょうど 第二東映※1960年に設立された映画スタジオ。1963年に解散)が始まった頃で、A級作品は(第一)東映、B級作品は第二東映が撮っていた。第一と第二では予算が全然違っていたよ。

野口:テレビ番組制作会社と映画プロダクションみたいな違いでしょうか?

勝間田:テレビはもっと酷かったよ(笑)。今だから話せるけど、当時東映では "坂下" なんて言われていたな。でも、マキノさんに師事したはずなのに、いきなり第二東映に配属されて、工藤栄一 監督の『次郎長血笑記・富士見峠の対決』(1960)に参加したんだ。だけど、その後は東映に戻って、助監督としてマキノ監督の 『次郎長三国志』 シリーズ を立て続けに3本やったけどね。ただ、そこからさらに 萬屋錦之助 さんに「俺の作品につかないか」と引き立てられて、今井 正 監督の 『武士道残酷物語』(1963)内田吐夢 監督の 『宮本武蔵 二刀流開眼』(1963) をやった。マキノ組として映画の世界に飛び込んだわけだけど、マキノさんの作品はキャリアの半分くらいかな。

野口:かなりハイペースで助監督を務められていたのですね。

勝間田:そのまま破竹の勢いで監督になれるのかなと思ったけど、自分のポジションだったサード(助監督)から監督までの間に42人もいるんだよ(苦笑)。さらに、当時の東映では、助監督から監督に昇格できるのは年に2人だけ。そうなると、監督デビューまで20年はかかってしまうわけだ。

野口:それは忍耐力が求められますね。監督に昇格するにあたっては試験などがあったのでしょうか?

勝間田:試験はないけど、周りから「あいつなら大丈夫だろう」と認められるかどうかで決まっていたね。

野口:プロデューサーが決めるということでしょうか?

勝間田:そう。とまあ、そういった境遇だったので20年というのは長いなぁと思ってたところに、「東映動画に来ないか?」と誘われたんだ。昭和37年(1962年)だったかな。でも、ちょうど 田坂具隆 監督の 『ちいさこべ』 制作が始まるタイミングだったから断ったんだよ。その後、東映動画が TVシリーズ 『狼少年ケン』(1963〜1965) 制作をスタートさせる時に改めてお呼びが掛かって、「すぐに監督にする」というから昭和39年(1964年)に移籍した。この頃は、アニメ映画の監督を任せようと、何人も実写の演出が招聘されていたんだよ。

勝間田氏ポートレイト1

 

野口:『狼少年ケン』は東映動画にとって初の TV シリーズでしたよね。当時はまだアニメが全然普及していない状況だったと思うのですが、そんな頃に実写からアニメに移られてどのように感じましたか?

勝間田:僕が来たときには『狼少年ケン』の制作はもう始まっていた。ちなみに、同じタイミングで矢吹公郎さんとか先輩の助監督たち数名も移籍したんだ。他にも編集技師の千蔵 豊さんなんかも一緒だったね。

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