久しぶりにNYからお届けしよう。アメリカの映像業界は、ハリウッド映画中心の西海岸と、コマーシャルや広告映像、そしてミュージックビデオ等が強い東海岸とに大別される。今回はNYにおいてFlame Artist、そして映画のエディターとして幅広く活躍されている佐藤文郎氏にご登場いただいた。


TEXT_鍋 潤太郎 / Juntaro Nabe
ハリウッドを拠点とするVFX専門の映像ジャーナリスト。
著書に『海外で働く日本人クリエイター』(ボーンデジタル刊)、『ハリウッドVFX業界就職の手引き』などがある。
公式ブログ「鍋潤太郎☆映像トピックス」


EDIT_三村ゆにこ / Uniko Mimura(@UNIKO_LITTLE



Artist's Profile

佐藤文郎 / Sato Fumiro(Cineric Creative / Senior Flame Artist)
島根県出身。東京造形大学卒業後、McRAYでInfernoチームに所属。フリー転身後、クリエイティブエージェンシーのUltraSuperNewに映像ディレクターとして所属。SuperCell人気ゲーム『クラッシュ・オブ・クラン/トレイン篇』などのTVCMを監督。2015年から海外映画の制作に関わり始め、イランの巨匠監督、アミール・ナデリのイタリア映画『山〈モンテ〉』(2016)でオフライン、オンライン編集を手がける。同作はヴェネチア映画祭で監督・ばんざい!賞を受賞。音楽家・坂本龍一氏を追ったドキュメンタリー『Ryuichi Sakamoto: CODA』など、主に長編映画のオンライン編集を担当。現在ニューヨークでFlame Artistとして活躍中。
fumirosato.com

<1>コツコツ続けることが10年後の自分を変える

――日本での学生時代のお話をお聞かせください。

映画が好きだったので、中学生時代から、「自分もいつか映画のエンドクレジットに名前が載ってみたいな」と思っていました。その当時からかなり的を絞った目標を掲げていたので、当時ILMのマットペインターだった上杉裕世さんがテレビ番組などで紹介されていたのを観て「これだ!」と思いました。そのときは3ds Max(3d Studio Max)も100万円くらいして、とても子供が手を出せるような代物ではなかったのですが、中学2年生のときに父親にお願いして「3D アトリエ」という割安の3Dソフトを買ってもらいました。とにかくそれが楽しくて。中学校の授業中も「早く家に帰って3Dやりたい!」と、うずうずするくらいだったと思います(笑)。

そのときからアメリカに行くことを考えていたので、H1ビザについても調べていました。H1を取得するためには「4年制大学に入学することが最低条件」と何かに書かれていたので、自動的に「4年制大学でアートを勉強する必要がある」と中学のときにはすでに目標を定めていました。

大学に入学すると、すぐにアルバイトをして学生版のMaya 6を購入しました。当時は大学内でもMayaを使っているのは僕くらいしかいなかったので、友人の学生作品の手伝いなどで「3Dをやってほしい」とよくお願いされましたね。そのようなことも手伝って、大学の講師から紹介していただき、アニメーション会社のマッドハウス(DR TOKYO)で3Dモデラーのアルバイトをすることに。アニメーション会社はスタートが遅かったので、朝は学校、午後からアニメーション会社で23時くらいまでCGをやってと、今考えると結構大変な日々をしばらく続けていたと思います。

当時はアニメーション監督の今 敏さんも御存命だったので、スタジオ内でお目にかかったときは興奮しました。私はTVシリーズのアニメ『NANA』(2006)のCGを担当して、ギターなどのモデリングと2Dシェーダの出力をしました。初めて自分の名前が番組のエンドロールに流れたときはやはり興奮しましたね。

学生時代はとにかく映像作品を作ることが好きだったので、在学中に制作した作品が国際映画祭などに招待され、上映していただいたこともありました。大学時代の作品が評価されたことは、ビザ取得にも大いに役立っていると思います。

――日本でお仕事をされていた頃のお話をお聞かせください。

学生時代にCGをしたり映画祭に参加したりといった経験もあり、何となくわかった気になっていたので(笑)、「1人でやっても何とかなるだろう」くらいに思っていましたが、それは驕りでした。McRAYで2年ほどInferno(現:Flame)のアシスタントをしたのですが、道半ばで退職。華やかな日々から急転直下、漫画の『カイジ』のような生活になりました。名もない自分に仕事が入ってくるわけもなく本当にお金も何もなくて、(しばらくは)夜10時から朝8時くらいまで、佐川急便で深夜の仕分けのバイトをしながら何とか食い繋ぐ生活でした。

語り尽くせないくらい紆余曲折がありましたが、その後、友人から「映像ができる人を探している」と声をかけてもらい、新進気鋭のクリエイティブエージェンシーであるUltraSuperNewから映像ディレクターとして仕事に携わるお話をいただきました。同社は半数以上が海外のアーティストだったので、社内でのコミュニケーションも企画のプレゼンも全て英語で行われており、最初はかなり苦労しましたね。英語も企画提案もとにかく全てが新鮮で、あらゆることに真摯に取り組みました。その経験が現在のポジションでのコミュニケーションに活きており、日本にいながら英語で仕事ができたのはとてもラッキーだったと思います。

UltraSuperNewでは、SuperCellの人気ゲーム『クラッシュ・オブ・クラン』(2012)のCMシリーズを監督させてもらいました。CGのキャラクターがライブアクションで合成されるCMだったのですが、CGキャラクターはLAのPsyopに発注しました。一時期どん底だった自分が、子供の頃から憧れていたLAのスタジオとCG制作ができるということもあり、とても嬉しかったです。 結局自分でTVCMをディレクションするまで、大学卒業から10年ほど時間がかかりました。この10年間がアメリカのビザ取得にはとても重要な時間になったと思います。やはり、真摯に物事に取り組むことで人は変化していくもので、腐っているだけではダメです(笑)。


Cineric, Inc.創始者のバラッジ・ニアリ氏と


<2>一路ニューヨークへ。国際共同制作映画に関わり、映画の重要スタッフに抜擢

――海外の映像業界での就活はいかがでしたか?

Psyopと仕事をしたことで再びアメリカについて考える機会ができ、「アメリカって面白い国だな」と思うようになりました。それまでに仕事以外で何度かアメリカに渡航していて、その度に現地の友人を作ったり、情報収集でコネクションを繋いだりするような感じでした。

ニューヨークに渡航した際に、カンヌ映画祭でパルムドールを受賞したアピチャートポン・ウィーラセータクン監督にお会いする機会があり、そのときに映画プロデューサーのエリック・ニアリ氏を紹介してもらったのです。彼が現在の私のボスになります。何本か長編映画で一緒に仕事をすることになったのですが、エリックからイタリア映画の編集ができる人を探しているとの話をいただきました。「イタリア語はわかりませんよ」と答えたのですが、「監督も分からないから大丈夫」と切り返されました。それがイラン人の映画監督、アミール・ナデリ監督でした。

ナデリ監督は日本でも映画を撮影していたので知っていましたし、オフライン編集も私が監督した作品での編集経験があったので参加させていただきました。ナデリ監督と編集した映画『山〈モンテ〉』(2016)はヴェネチア映画祭に招待され、ナデリ監督は「監督・ばんざい!」を受賞、私も映画祭に連れて行ってもらい、そこで初めてイタリアのスタッフと会うことができとても楽しい経験となりました。

私はポスト・プロダクションの経験があったため仕上げ作業の過程に詳しかったことや、撮影プロダクションに参加した経験もあり、撮影についてもある程度わかっていたので、エリック・ニアリ氏の会社に雇われることになりました。私が取得しているO-1ビザ(※1)は、国際的な映画祭や著名な賞を受賞していること、それに匹敵するような業績が必要条件なので、以上のような経験はビザを取得する上で、自分の専門性を示すと共にとても重要な要素になります。

※O-1ビザ:アメリカで就労するにはH-1Bビザ、O-1ビザなどの就労ビザの取得が必要となる。詳細は「ハリウッドVFX業界就職の手引き」をご参照あれ。

――英語のスキル習得はどのようにされましたか?

私の場合は、日本にいたときから「海外に繋がる様々な仕事」をさせてもらえたことが幸いしたと思います。仕事を通じて徐々にスキルアップしていったという感じです。結局のところ、アメリカの企業で働くためには「問題なくコミュニケーションが取れるか」が重要だと思います。日本で外国人の友人を作って英語で日常表現ができるよう鍛錬するなど、日本にいながらでもできることはあると思います。


▲お仕事中の佐藤氏

――Flame Artistとしての強みは何でしょうか?

私が日ごろ使用しているのはAutodeskのFlameなんですが、監督やカメラマンが隣に座り、彼らの指示を聞いて即座に修正を行うことが求められます。その上で重要なのは、自分が行なっている作業をナレートする(口に出す)ことです。NUKEでのコンポジットではあまりないことかもしれませんが、自分の作業中に「このハイライトは少し抑えよう」とか「このカメラはX-logだからスキンのグラデーションが綺麗だな」といったことを口に出して、監督やクライアントを安心させる必要があります。ですから英語の能力は欠かせません。

自分がやっている作業を口に出しながら作業する姿は奇妙に見えるかもしれませんが、説明以上にコミュニケーションに長けているFlame Artist が、監督やプロデューサーに気に入ってもらえる傾向があるように思います。

――最後に、将来海外で働きたい人へアドバイスをお願いします。

自分が10年前に置かれていた環境から想像すると、「10年後はまったくちがう自分」になっているんだなと思います。10年前は前向きになれない人間だったかもしれませんが、今では多少前向きになり(笑)、自分独りで打開するのが難しい状況でも妻や友人が助けてくれています。やはりアメリカで外国人として仕事をする限り、それなりの厳しさはあるなと思います。今結果を出すことよりも、今の行動が「数年後の結果に繋がるような行動」になっていることが重要だと思います。

私の場合、海外の大学や語学学校に進学することもなく、アメリカで現在のポジションに就くことができました。かなり変化球的なキャリアパスだったと思いますが、今ふり返ってみると、その時々でコネクションを繋いだり仕事で成果を出したりしていたなと感じます。ビザの申請やレジュメを書く際には、否が応(いやがおう)にも自分の過去に向き合うことになりますから(笑)。

一念発起で語学留学というのも海外就職への1つの手ではありますが、「今あるポジションの仕事をしっかり達成する」ということも、もしかすると次のステップアップにも活きる近道かもしれません。



【ビザ取得のキーワード】

① 東京造形大学を卒業
② 大学在学中、制作作品を国際映画祭へ出品
③ 海外渡航時に映画監督、プロデューサーとコネクションを築く
④ O-1ビザ(※)を取得

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