今回はゲームシネマティックの分野でエフェクト・アーティストとして活躍されている五十嵐敦史氏に登場いただいた。五十嵐敦史氏の本連載での取材は、Digital Domain在籍中だったCGWORLD 2007年2月号以来、2回目となる。今回は、当時から現在に至るまでのキャリアパスなども含め、その貴重な体験談を伺った。

記事の目次

    Artist's Profile

    五十嵐敦史 / Atsushi Ikarashi(Senior Effects Artist / Blizzard Entertainment)
    新潟県出身。名古屋大学理学部物理学科を卒業後、同大学大学院理学研究科博士前期課程を修了。博士後期課程を中退後、1997年にオムニバス・ジャパンへ入社し、数多くのCM作品の制作に携わる。2006年にDigital Domainへ移籍し、映画『父親たちの星条旗』、『硫黄島からの手紙』、『トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン』、『トロン: レガシー』などに参加。2013年にSony Pictures Imageworksへ移籍し、『オール・ユー・ニード・イズ・キル』、『アメイジング・スパイダーマン2』などのVFX制作に携わる。2014年にBlizzard Entertainmentへ入社。以降、『ワールド・オブ・ウォークラフト』、『ディアブロ』、『オーバーウォッチ』シリーズのシネマティック制作にSenior Effects Artistとして参加している。『オール・ユー・ニード・イズ・キル』で2014年度のアニー賞アニメーション効果賞を受賞し、VES Awardsのエフェクト・シミュレーション部門にもノミネート。2025年には『ディアブロ IV:憎悪の器』のシネマティックでVES Awardsのキャラクター部門にノミネートされた
    www.blizzard.com/ja-jp

    物理学から、美術経験なしに3DCGの世界へ

    ――子供の頃や、学生時代の話をお聞かせください。

    これといった得意なこともない、平凡な子供でした。田舎に住んでいたので、ジャイアンのようないじめっ子がたくさんいて、毎日ビクビクしていました。新潟には民放が2つしかありませんでしたが、唯一の娯楽はTVでドリフなどのお笑い番組や特撮、アニメを観ることでした。そんなTVっ子でしたが、自然の豊かな環境だったので虫取りや雪遊びなど、外でもよく遊びました。

    小6のときに父の転勤で埼玉に引っ越しました。東京のTVが観れることと、憧れのドリフやアイドルがいる東京のすぐ近くだということだけですごく興奮しました。初めて見た芸能人は、大宮駅前の商業施設にキャンペーンに来ていた小泉今日子さんでした。その頃から、なぜだか急に勉強ができるようになりました。

    このころ初めて3DCGの存在を知ったと思います。映画『トロン』や『ゴルゴ13』の3DCG技術が雑誌やTVで紹介されて、とても感心したことを覚えています。また、つくば万博の富士通パビリオンで見た立体視の3DCG映像にも感動しました。高校は県立の進学校に進学しましたが、部活動以外の時間はアイドル、アニメ、マンガと深夜ラジオのことで頭がいっぱいで成績は良くなかったです。

    大学では物理学を専攻しました。学問の中で一番かっこいいと思ったからです。そのころは将来3DCGを仕事にするとは夢にも思っていませんでしたが、映画『ターミネーター2』が大好きで何度も観て、3DCGの進化はすごいなと感心していました。4年生のときのゼミで、のちにオムニバス・ジャパンでエディターとして活躍する太田勝也さんと出会いました。

    私は大学院に進んだのですが、修士号は取ったものの、博士課程半ばで行き詰まり、中退を決意して就職活動を始めました。その頃すでにオムニバス・ジャパンのCGテクニカルディレクターとして働いていた太田さんから「CM撮影立ち合いに行ったら小泉今日子さんがいた」という話を聞き、映像業界への憧れが高まりました。

    新卒の人たちに混ざって就職活動した結果、某TV番組制作会社とオムニバス・ジャパンから内定をもらいました。3DCGの経験は全くありませんでしたが、理系のセンスを少しは生かせるかもと思い、最終的にオムニバス・ジャパンに行くことにしました。

    オムニバス・ジャパンでは入社直後にCG検定のような筆記試験を課せられ、その結果、Prisms(Houdiniの前身)のチームに配属されました。Prismsのようなプロシージャルで理屈っぽい性質のツールは私に合っていたと思います。

    同僚たちはだいたい美大かCG専門学校卒、あるいは美術の経験があるような人たちばかりで、美的センスのない私はもしMayaやSoftimageのチームに配属されていたら続かなかったかもしれません。

    CMの仕事は納期が短く、徹夜仕事も当たり前の日々でした。とにかく何とかして仕上げるという能力は鍛えられた気がします。PrismsからHoudiniへ移行して、パーティクル機能「POPs」を使うようになると、エフェクト系の仕事が増え、CM監督から指名されることも増えました。

    CMの撮影立ち合いでたくさんの芸能人に会えましたが、結局、小泉今日子さんに会う機会はありませんでした。

    ――海外の映像業界での就職活動は、いかがでしたか?

    海外のプロダクションに関心を持ったきっかけは、オムニバス・ジャパンで同期だった山本原太郎氏がPDI/ドリームワークスに入社したことでした。ハリウッド映画の仕事をすることなどそれまで考えたこともなかったのに、身近な人がそうなると途端にうらやましくなりました。山本氏は帰国子女で英語が堪能でしたが、私は全くしゃべれなかったので、とりあえずNHKラジオ英会話を聞き始めました。

    そんな折、LAで開催されるSIGGRAPHの見学に派遣されることが決まりました。出発数日前、一緒に行く予定の同僚が「デモリールをもっていく」と言っているのがパーティション越しに聞こえてきました。それを聞いて私も慌ててつぎはぎのデモリールをつくりました。そのデモリールをSideFXのパーティーのジョブフェアのブースで渡すと、翌日、Digital Domain(以下、DD)の人からメールが来て面接することになりました。デモリールは運試しのつもりで、全く準備もしていなかったのでとても慌てました。面接で「すぐ働けるか」と聞かれて「それは無理ですし、英語もできません」と答えて終わりました。

    少なくとも採用のチャンスはあるのだと知って、帰国してから英会話の個人レッスンに通い始めました。そして1年後DDにメールを送り、「今年もSIGGRAPHに行くので面接してほしい」と伝えるとOKの返事が来ました。

    デモリールを説明するための英語を勉強し、アメリカ人の元同僚に練習相手になってもらいました。が、面接に行ってみると、日本語と英語が話せる韓国人の社員が通訳としていました。スーツを着て行ったのですが、「ここは西海岸だよ」と笑われました。面接はリラックスした雰囲気で、今思えばほぼ採用が決まっていたように思います。

    面接の数日後に採用の連絡が来ました。喜んで帰国したのですが、しばらくして「H-1Bビザの発給数が年度の上限に達してしまい、取れない」と連絡が来ました。翌年に採用があるかはわからないとのことで諦めていたのですが、その数週間後に「O-1ビザが取れるかもしれない」と連絡が来て、ビザ申請の準備が始まりました。

    お世話になったCM監督などから推薦状をもらったり、自分が載った月刊CGWORLDの記事、携わったCMがいかにハイブランドなものかを示す記事などを集め英訳し、提出しました。そしてアメリカ大使館での面接を経てビザが発給されました。

    ――DD時代から、現在までの経緯をお聞かせください。

    DDには7年間勤めました。その間にDDのサポートでグリーンカードも取得しました。当時のDDはベニスビーチのすぐ近くにあり、社員も若い人が多く陽気な雰囲気が良かったです。

    クレジットされた映画だけでも11作品に参加しました。特に心に残っているのは映画『トロン: レガシー』です。キャラクターの破壊エフェクトや、乗り物の生成エフェクトをデベロップ段階から担当しました。

    また、その成果をバンクーバーで行われたSIGGRAPHで発表しました。SIGGRAPHでの発表なんて英語が得意でない自分にとっては準備も大変ですし、あがり症なので数百人の前で英語で話すなど苦行でしかなく、「どうして応募してしまったんだろう」と後悔しましたが、終わってみれば良い思い出になりました。

    2012年にDDが会社更生法を申請して破産しました。買収されて事業は存続していましたが、不安を感じていた折『トロン: レガシー』で一緒に仕事をしたことがあり、当時はすでにSony Pictures Imageworks(以下、SPI)に移っていたスーパーバイザーから誘われ、SPIに転職しました。

    SPIでは『オール・ユー・ニード・イズ・キル』での、FEMを使った破壊エフェクトを担当しました。輸送機が砂浜に墜落するショットが一番大変でしたが、当時はまだ新しかったFEMを使うのは楽しかったです。

    パーツ数の多い構造物をFEMシミュレーション用に効率よく変換するツールをつくったりしたのですが、それから5年以上経って元同僚に「アツシのツール、まだ使われてるよ」と言われびっくりしました。その後『オール・ユー・ニード・イズ・キル』での破壊エフェクトで、同僚3人とともに2014年度のアニー賞を受賞し、また受賞は至りませんでしたがVESアワードにもノミネートされました。

    一方、そのころVFX業界がハリウッドからアメリカ国外に拠点をシフトする動きが出てきた中、SPIも人員をカナダのバンクーバーに移す動きが強くなっていました。そこで、『トロン: レガシー』で一緒に仕事をした、前述した人とは別のFXスーパーバイザーがブリザードに移っていたので相談したところ、FXアーティストに空きがあるということで採用してもらえました。それから11年、ブリザードでゲームのシネマティックの制作に携わり現在に至ります。

    ▲チームイベントで、FXチームの同僚とミニゴルフを楽しむ

    普通の職業の選択肢の1つとしての「海外スタジオ」

    ――現在の勤務先は、どのような会社でしょうか?

    Blizzard Entertainment(ブリザード・エンターテイメント)は、アメリカ・カリフォルニア州アーバインを拠点とするゲーム開発会社です。1991年に設立され、長年にわたり世界のゲーム業界を代表するスタジオの1つとして知られています。

    『ウォークラフト』、『ワールド・オブ・ウォークラフト』、『ディアブロ』、『スタークラフト』『オーバーウォッチ』など、世界的に高い人気をもつゲームシリーズを数多く開発してきました。特に、壮大な世界観やストーリー、印象的なキャラクター、高品質な映像表現を特長としており、ゲーム本編だけでなく、作品の世界観を伝えるシネマティック映像にも力を入れています。

    2023年には親会社であるActivision BlizzardがMicrosoftによって買収され、現在はMicrosoft Gaming傘下のゲームスタジオとなっています。

    私が所属する部署であるSFD(Story and Franchise Development)は、Blizzardのゲームがもつストーリーや世界観を様々なメディアを通して発展させる部門で、シネマティック映像の制作もその重要な役割の1つです。シネマティックチームでは、『ワールド・オブ・ウォークラフト』『ディアブロ』『オーバーウォッチ』などの作品の発表映像やゲーム内ムービーなどを、映画やCGアニメーションに近い制作工程で制作しています。

    ――最近参加されたシネマティックには、どのような作品がありますか?

    ここ数年多く参加したのは『ディアブロ IV』のシネマティックと『ワールド・オブ・ウォークラフト』シリーズのシネマティックです。『ディアブロ IV』ではキャラクターが引きちぎられるなどの残虐なエフェクトを担当することが多かったです。HoudiniのVellum Solverを主に使っています。
    『ディアブロ IV:憎悪の器』では、他のプロジェクトから途中でいったん抜ける形で1ショットだけアサインされ、キャラクターの腕が裂けるエフェクトを担当したのですが、私を含めそのキャラクターに携わったアーティストがVESアワードの"Outstanding Character in an Episode, Commercial, or Real-Time Project"にノミネートされるという、大変光栄な出来事もありました。チームの仕事が評価されたことを実感できた、とても良い思い出です。

    『ワールド・オブ・ウォークラフト』ではマジカルなボリューメトリック系のエフェクトが多いです。ブリザードに来るまではそういうエフェクトをやることはほとんどなかったので、未だに新鮮な気持ちでやっています。ブリザードのシネマティックのアートディレクションは細部までクオリティへのこだわりが強く、それに応えるべく頑張っています。

    World of Warcraft: Forever | New Horizons | Cinematic Trailer

    ――現在のポジションについて、お聞かせください。

    現在のポジションはシニア・エフェクトアーティストです。各プロジェクトのニーズに応じて規模が変わりますが、大手VFXスタジオのチームと比べると比較的小規模です。そのため、チームメンバー同士の距離が近く、コミュニケーションや連携が取りやすい環境です。

    プロジェクトの期間は映画ほど長くなく、CMほど短くないので、幅広いエフェクトに携わりながらも、1つひとつのクオリティや完成度をしっかり追求できる環境があると感じます。

    ゲームのシネマティックに携わっていて感じるのは、観た人の反応が映画よりもダイレクトだということです。YouTubeで新作のシネマティックが公開されると、ブリザードのゲームの熱狂的ファンのコメントが大量に書き込まれ、好評だと我々もやりがいを感じます。また、ブリザードファンを集めて行われる大規模なイベント「BlizzCon」で新作のシネマティックが上映されるときは、ファンの反応が生で見られて大迫力です。

    ――アーバインでの、生活ぶりはいかがでしょうか?

    アーバインはとても暮らしやすいところだと思います。住宅地が中心で比較的静かですし、大きな公園や緑の多い場所もたくさんあります。

    週末は、近くの大きな公園を散歩して過ごすことが多いです。また週末に限りませんが、野球が好きなので、ドジャースタジアムやエンゼルスタジアムまで試合を観に行くこともよくあります。南カリフォルニアは1年を通して天気の良い日が多いので、外で過ごしやすいのも気に入っています。

    食生活については、アーバイン周辺では日本の食材がかなり手に入りやすいです。特に隣のコスタメサには日系のスーパーマーケットが充実していて、普段の食材はもちろん、調味料やお菓子、お惣菜なども簡単に買うことができます。そのため、日本にいたときとそれほど変わらない感覚で食生活を送ることができ、食事の面で困ることはほとんどありません。

    日本食レストランについても、アーバインだけでなくコスタメサを含めた周辺エリアにたくさんあり、寿司やラーメン、うどん、焼き鳥など、いろいろな日本食を気軽に食べることができます。特にコスタメサ周辺は日系のお店が多く、日本人にとって生活しやすい環境だと思います。

    ――英会話のスキル習得はどのようにされましたか?

    私はもともと、日本語でも話すことが得意な方ではなく、性格的にもあまり社交的なタイプではありません。そのため英語で話すことについては、時間をかけて身につけてきた部分があります。今では渡米したころよりだいぶマシになり、生活面で大きく困ることはないです。

    日常生活、子育てや教育、医療、車や住居の購入とメンテナンスなど、いろいろと経験していくうちに必要な英語を段々と覚えていきました。受験勉強で基本的な英文法と語彙だけはできていたので、読むことは苦にならなかったのも良かったと思います。

    近頃はAIも発達して、これから海外暮らしをする人にとっては、だいぶ英語のハードルが下がっているのではないでしょうか。

    ――将来、海外で働きたい人へのアドバイスをお願いします。

    私は27歳で社会人になり、36歳で家族で渡米しました。何事も始めるのに遅すぎるということはないと思います。とは言うものの、目標をもち準備するのは早いほうが良いですね。私はだいぶ行き当たりばったりで行動してきた感じなので、準備不足な面はありました。当たり前のことですが、心身ともに若く時間があるときにスキルや語学の向上を図ること、それに尽きると思います。

    とはいえ、大げさに考えず普通の職業の選択肢の1つとして海外スタジオで働くことを考えてもらえたらいいなと思っております。

    ▲オフィスでのお仕事風景

    【ビザ取得のキーワード】
    ①オムニバス・ジャパンで経験を積む
    ②SIGGRAPHにデモリールを持参し、海外スタジオへの就職活動を開始
    ③Digital Domainに採用され、O-1ビザを取得
    ④Digital Domain在籍中に永住権取得

    連載「新・海外で働く日本人アーティスト」では、海外で活躍中のクリエイター、エンジニアの方々の海外就職体験談を募集中です。

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    TEXT_鍋 潤太郎 / Juntaro Nabe
    ハリウッドを拠点とするVFX専門の映像ジャーナリスト。著書に『海外で働く日本人クリエイター』(ボーンデジタル刊)、『ハリウッドVFX業界就職の手引き』などがある。
    公式ブログ「鍋潤太郎☆映像トピックス」
    EDIT_山田桃子 / Momoko Yamada