札幌市と、札幌を拠点とするゲーム会社による合同イベント「Sapporo Game Camp 2024」が、10月11日(金)〜13日(日)にサッポロファクトリーにて開催された。本記事では、11日に実施された「基調講演・ゲームクリエーターを目指す君たちへ」の模様をお届けする。
Sapporo Game Campは、札幌のIT人材およびゲームクリエイターの育成と、 さらなるエンターテインメント業界の盛り上げを目的としたイベントで、 2022年10月に第1回目を開催し、今年で第3回目を迎えた。基調講演では瀬川隆哉氏(セガ 常務執行役員 エグゼクティブスタジオオフィサー)が司会を務め、坂上陽三氏(バンダイナムコスタジオ スーパーバイザー)、および馬場 龍一郎氏(Cygames 執行役員)から、ゲーム業界に入った動機や、開発の裏話、学生に向けてのメッセージなどを軽快な語り口で引き出した。
瀬川氏、坂上氏、馬場氏の自己紹介
瀬川隆哉氏(以下、瀬川):坂上さんと僕は共に大阪芸術大学出身で、下宿も同じだったのです。坂上さんの部屋と僕の部屋は同じフロアにあって、同じ下宿の学生の中には、コナミに入社した人や、僕と同様にセガへ入社した人もいました。当時のゲーム業界は、簡単に入れたのですよね。今もそうかもしれませんが(笑)
坂上陽三氏(以下、坂上):簡単でしたね(笑)。30年以上の付き合いになる瀬川さんと、このような場所でトークセッションをやることになるとは、当時はまったく予想していなかったです。僕は1991年に、中途採用でビジュアルデザイナーとしてナムコに入りました。当時はアーケードゲームがすごく元気な時期だったので、最初に『エースコンバット』シリーズの前身である『エアーコンバット』(1993)というアーケードゲームの開発に参加し、その後はPlayStation版の『リッジレーサー』(1994)でビジュアルデザイナーとディレクターを兼任しました。さらに『デス バイ ディグリーズ 鉄拳:ニーナ ウイリアムズ』(2005/PlayStation 2)というナムコ初のアクションアドベンチャーなどの開発を経て、『THE IDOLM@STER』(2007/Xbox 360)の開発に参加することになったのです。その後は『アイドルマスター』シリーズの総合プロデューサーやゼネラルマネージャーを務め、今はバンダイナムコスタジオでスーパーバイザーを担っています。
馬場 龍一郎氏(以下、馬場):僕は1999年にバンプレストに入社し、当初はアーケードゲームの企画を担当しました。その頃からセガやナムコの方々にもすごくお世話になっていましたね。2008年に当時の坂上さんの会社(バンダイナムコゲームス)に事業が吸収されてからは、坂上さんと僕の席はずっと隣同士だったので、ほぼ毎週、一緒に飲みに行っていました。その後は長らくコンシューマーゲームのプロデューサーを務め、2020年にCygamesに転職しました。現在はコンシューマー事業本部の本部長として、コンシューマー事業全体、および海外事業の統括を担当しています。
瀬川:馬場さんと僕が最初に出会ったのは15年ほど前の「PlayStation Awards」の表彰式の会場で、坂上さんを通して知り合い、定期的に3人で飲むようになりました。
馬場:お2人に限らず、ゲーム開発者は横のつながりを大事にするので、いろいろな会社の、いろいろな方々と会って、情報や、考え方、技術などについて話し合い、切磋琢磨していくのです。稀有な文化をもつ業界だと思います。
瀬川:そうですね。海外のゲームショウなどでお会いして、同窓会のような感じで、遅くまで飲んだりもしていました。僕はSapporo Game Campの実行委員長で、セガの常務執行役員、およびセガ札幌スタジオの代表取締役社長を兼任しています。僕の場合はゲームのパッケージイラストを描きたくて、1992年にグラフィックデザイナーとしてセガ・エンタープライゼスに入社しました。当時は同期入社が550人もいて、入社後の研修では3ヶ月ほどゲームセンターに派遣されて店員をすることになりました。
馬場:僕も新人研修でゲームセンターの店員をやりました。「ゲームをつくりたくて入社したのに、なんでゲーセンの店員をやらなきゃいけないんだ?」と思っていたのですが、店員をやっていると、僕らのゲームを遊んでくださるお客さんの顔がよく見えるし、どのくらいお金が入るのかも肌身で実感できるのです。今思い返すと、あの研修はすごく貴重だったなと思います。
坂上:家庭用ゲームはお客さんの顔が見えないですが、アーケードゲームはゲームセンターに行けば見えるので、ゲーム開発者を目指している人は、ぜひ足を運んでいただきたいですね。サッポロファクトリーの1条館2階にも、namcoのゲームセンターが入っていますからね(笑)
瀬川:その宣伝、良いですね(笑)。研修終了後は、セガサターンとドリームキャストの起ち上げや、スポーツゲーム、オンラインゲームなどのディレクターとプロデューサーを務め、現在は世界各地のオンラインゲーム、およびモバイルゲーム事業を統括しています。
ゲーム業界に入った動機
瀬川:まずはゲーム業界に入った動機を聞かせてください。
馬場:僕はスポーツやファッション、音楽が大好きな一方で、小学校の頃からアニメやガンプラ、ゲームも大好きな「隠れオタク」でした。就職活動をする際には、音楽業界やアパレル業界も検討はしたのですが、音楽やアパレルは趣味で疑似体験することもできますよね。でもゲーム開発は、当時は会社に入らなければできなかったので、ゲーム業界を選びました。さらにぶっちゃけて言ってしまうと、スーツを着て仕事をしたくなかったのですよ(笑)。ゲーム会社は服装や髪型が自由なので、僕にとっては大事なファクターでした。
瀬川:馬場さんって、スーツを着たことないんですか?(笑)
馬場:ありますよ(笑)
坂上:例えば謝罪しに行くときとか(笑)
馬場:そうでしたね(笑)。あとは、権利元さんのところに商談に行くときとかですね。スーツというか、ジャケットを着てピシッとする場面もありますが、普段の服装は緩いですよね。それでも新人のうちは大人しくしていたのですが、入社1ヶ月くらいで我慢できなくなって、グリグリのアフロみたいなパーマをして出社したら当時の上司に「なんだその頭は?」って怒られて、「家が爆発しました!」って答えたら、「じゃあ、しゃあねえな」ってゲラゲラ笑って許してもらった記憶があります。全部の会社がそうではないかもしれませんが、僕の場合はそういう良い環境で育つことができました。
坂上:僕の場合は大阪芸術大学の映像学科を卒業し、映画監督を目指して映像プロダクションに入り、1年と少しでフリーランスになったのですが、バブル崩壊の影響で厳しい状況に直面しました。スタッフとして参加していた映画のプロデューサーが逃げてしまい、制作中止になるといった事態が立て続けに起こったので、ゲーム業界への転職を決意したのです。ゲームも映像の関連分野ですし、当時から日本のゲームは海外でも評価されていたので、すごく魅力的だと思ったのです。その頃の僕は神戸に住んでいたので、当時は神戸に本社があったコナミに応募しようと思って、電話をしたのがナムコでした。
瀬川:そんな間違いします?(笑)
坂上:それがほんまなんですよ(笑)。同じ3文字だから間違えたのでしょうね。電話の途中で間違えたことに気付いたのですが、電話に出てくださったナムコの人事担当の方のホスピタリティがすごく高くて、「ゲーム開発では募集していませんが、営業企画なら募集があるので、受けてみませんか? 後日、開発への異動希望を出せるかもしれません」と仰ってくださったのです。その後作品を送ったら、開発の方で面接をしてくれることになり、入社が決まりました。
これまでのご経験で印象深いできごと
瀬川:これまでのご経験で、印象深いできごとを聞かせてください。
坂上:『リッジレーサー』の開発当時は、複数のメーカーが家庭用ゲーム機の開発・販売に乗り出していました。ソニーのPlayStationはその中のひとつで、まだまだ未知数のハードでした。僕は『リッジレーサー』のビジュアル担当として配属されたのですが、企画を担う人がおらず、プログラマーと僕とで企画の役割も担うことになったのです。社内にはPlayStationを触ったことのある人が皆無だったので、試行錯誤を重ねながらノウハウを蓄積していきました。例えばテクスチャを8ビットカラー(256色)にすると重すぎて処理落ちすることがわかったので、4ビットカラー(16色)で画をつくる必要があって苦労しました。それでもなんとか発売まで漕ぎ着けたら、すごく売れて、社内の多くの人たちから突然注目されることになりました。当初は誰も売れると思っていなかったから、開発中はほっとかれたんです。その方が、開発は成功するような気がします(笑)
瀬川:『アイドルマスター』シリーズでは、坂上さんはガミPの愛称で長年親しまれてきましたよね。そちらのエピソードも聞かせてください。
坂上:『THE IDOLM@STER』のアーケード版をXbox 360に移植することになり、上司から「坂上はアーケードゲームの開発もやっていたよね。打ち合わせに出て、情報をもらってきて」と言われたのです。よくわからないまま出席してみたら、「家庭用のプロデューサーの坂上さんです」って紹介されて、そのまま家庭用を担当することになりました。当時のナムコには女の子の育成ゲーム開発の経験者がほとんどおらず、スタッフを集めるのがすごく大変でした。「坂上さんは "そっち系" じゃないから、『アイドルマスター』みたいなゲームはできるわけないじゃん!」と言われたりもしましたが、僕自身は「いやいや、できるよ」と思っていました。『デス バイ ディグリーズ』を一緒に開発していたスタッフが「困っているなら、手伝いますよ」と言ってくれたり、『鉄拳』や『ソウルキャリバー』の格闘モーションをつくっていたアニメーターが「短尺の格闘モーションばかりつくってきたから、長尺のダンスモーションも経験してみたい」と言ってくれたりして、次第にスタッフが集まっていったんです。過去のインタビューでも語ってきましたが、『THE IDOLM@STER』のXbox 360版は、僕ひとりががんばったわけではなく、皆の総合力でつくったゲームなのです。そういう経験ができたことは、すごく良かったと思います。
瀬川:弱小野球部が甲子園を目指すみたいな感じで、仲間を集めていったのですか?
坂上:そんな感じです。ビジネスプランを出すまでは、僕ひとりでしたよ(笑)。ビジュアルとプログラマーは面白がって参加してくれる人がそこそこいましたが、特に企画は集めるのに苦労しました。
瀬川:人を集めるのも、執念というか、熱意が大事ですよね。
坂上:そうですね。加えて、『リッジレーサー』と同様にほっとかれたのが良かったんじゃないでしょうか(笑)
馬場:僕もバンプレストに入社した当初はひとりで奔走していましたね。自分で企画書や仕様書をつくって、権利元に営業に行きました。開発会社も自分で探して、連日遅くまで一緒に開発していたのです。僕は文系大学の商学部出身ですが、六角大王やLightWaveの使い方も覚えました。アーケードゲーム筐体の生産工場にも出向いて、生産管理もしていました。いわゆる「ゆりかごから墓場まで」全部やっていましたね。
坂上:プレイングプロデューサー的なポジションですよね。
馬場:そうです。だから僕の師匠は、セガや、ナムコなどの営業先や、当時の開発会社で一緒に開発を担ってくださった方々なのです。バンダイナムコゲームスに事業が吸収された後は、内製チームを組成できるようになり、「同じ社屋内にこれだけのスタッフがいるのか」と感動しました。外部制作と内部制作の両方を経験できたことは、すごく大きな学びになりました。
働き始めて苦労したこと、仕事のやりがい
瀬川:ゲーム業界は華やかな印象がある一方で、大変なこともありますよね。働き始めて苦労したことや、そんな中での仕事のやりがいを教えてください。
馬場:ゲームはひとりで開発するものではないので、プロジェクト内のメンバーとコミュニケーションをとって、力を合わせてひとつのチームになることが重要です。僕は団体スポーツをやっていたので、その重要性を学生時代に実感していました。同じチームでもポジションによって役割がちがうから、全員が4番バッターやエースストライカーだとチームは成立しないし、試合に勝てません。どれだけ個人の力量があったとしても、チームが強くないと、思うような結果に結び付かないのですよね。しかもゲーム開発は、プロジェクトごとにメンバーが変わるし、ゲームジャンルによって目指すゴールも変わります。それが大変なことでもあるし、やりがいでもあります。
グローバル展開について
瀬川:世界のゲーム市場の人口は30億人に達しており、総人口でも約1億2千万人しかいない日本国内にターゲットを絞るのは困難な時代になっています。グローバル展開についての意見も聞かせてください。
馬場:今はひとつのゲームを開発するのに膨大な費用がかかるので、日本市場向けにつくったゲームを海外にもっていくのではなく、世界市場に向けて良いゲームをつくる意識がないと、どんどん厳しくなっていくでしょう。会社によってバラツキがあるとは思いますが、売上の比率も国内は20%程度で、残りの80%は北米・欧州を中心とした世界市場になっています。しかもモバイル・家庭用・PCの垣根がなくなりつつあるので、ハードを超えたマルチ展開をしなければ、勝てない状態になってきたなと感じています。
瀬川:クリエイター目線で見ると、自分が描いたデザインや、自分が組んだプログラムを世界中の人に遊んでもらえる環境は、すごく魅力的ですよね。
馬場:スポーツの世界だと、40歳、50歳になって世界一を目指すのは体力的に厳しいと思うのですが、ゲームの場合は世界一になれるチャンスがあります。実際、The Game Awardでは、日本のタイトルが何度もGame of the Yearを獲得しています。このワクワク感は、ゲーム業界ならではだと思います。
坂上:2023年の世界のゲーム市場は29兆円規模と言われており、これは映画市場の15兆円を大きく上回っています。今後はインドや東南アジアの市場規模が拡大していくでしょうし、海外でも日本のコンテンツの人気は非常に高いので、そこに向けたゲームをつくっていきたいですね。
ゲーム開発するうえで大切にしていること
瀬川:ゲーム開発するうえで、大切にしていることもお聞かせください。
坂上:ユーザー視点に立つことを大事にしています。開発者は自分のアイデアを優先しがちですが、まずはお客さんが求めている体験や体感を考えて、そこにアイデアを肉付けしていくことが大切です。アイデアを優先してしまうと、どんなに面白いゲームでもお客さんに理解してもらえず、すぐに離脱されてしまいます。
馬場:僕もお客さんを知ることが大切だと思います。特にグローバル展開をする場合には、各国の文化や価値観を理解することが重要です。加えて、先程も言ったようにコミュニケーションが大切です。ゲームはチームで開発するものなので、プロデューサーやディレクターが何でも決めて良いわけではないと思っています。お互いを敬い、各ポジションのスタッフが出してくれるパスを活かすことを重視しています。同僚や他社の開発者と仲良く飲みに行ったり、情報交換をすることも重要です。若い学生さんは友だちとぶつかったりする場合もあると思いますが、自分が30代、40代になる頃には、ぶつかった相手のポジションや役割も変わっていて、新しい大きな仕事を一緒にできるようになったりもします。例えば当社の代表取締役社長の渡邊(耕一)とは開発者時代からつき合いがあって、当時は僕が先輩で、彼は後輩でした。今は2人とも役割が変わりましたが、大きな仕事に一緒に挑戦しています。
瀬川:僕はチャレンジすることを一番大事にしています。セガは「世界で初めて」、あるいは「日本で初めて」という挑戦を頻繁にやるので、すごいヒットをすることもあれば、大はずしすることもあって、「早すぎた」とよく言われます。
坂上:(笑)。早すぎることは多いですよね。
馬場:すごいですよね。セガさんらしいです。
瀬川:よく失敗するのですが、その失敗が次の成功につながる糧になっているので、チャレンジがすごく大事なのです。意外と時間はあっという間にながれていくので、若い方々もいろいろなチャレンジをしてもらいたいと思います。
学生に向けてのメッセージ
瀬川:今日は数多くの学生さんが来てくださっているので、最後にお2人から、ゲームクリエーターを目指している方に向けたメッセージをお願いします。
坂上:ゲーム業界で働き続けるうえでは、人を楽しませることに喜びを感じる気持ちが不可欠です。それが自分の中にあるかどうか、見極めてほしいと思います。加えて、人と関わり、コミュニケーションしながら、協力する姿勢が必要になってくるので、集団でものをつくる経験を積んでほしいと思います。
馬場:僕も周囲とコミュニケーションをとる経験を積んでほしいと思います。加えて、瀬川さんが仰っていたチャレンジですね。「まずやってみよう」という精神を、ぜひ培っていただきたいです。実際のところ、社会人になると一気に時間がなくなって、チャレンジできる機会が減ってしまうのです。
瀬川:そうなんですよね。
坂上:ないですねぇ。
馬場:だから、本当に今やりたいこと、好きなことは、学生のうちから徹底的にチャレンジした方が良いと思います。極論を言えば、料理が好きなら料理のゲームつくれば良いし、音楽が好きなら音ゲーをつくれば良いし、女の子が好きなら『アイドルマスター』をつくれば良いじゃんってなるのが、ゲーム業界ですからね(笑)。ゲームには、実際にはできない体験を疑似体験できるという側面があるので、いろいろな経験を積んでおくと、開発に活かせる場合が多いです。それからゲーム業界に入ると、やるべきことが増えていき、やりたいことがどんどんオミットされ、エンターテインメント業界で働く力が弱まってしまうという問題があります。だから僕は前職時代から、「やるべきことと、やりたいことを、7対3の割合でやれ」と周囲に言い続けてきました。3割のやりたいことを続けていると、やるべきことに変わっていき、さらに3割の新しいやりたいことをつくっていくと、どんどん自分の仕事のスケールが大きくなっていくのです。ぜひ7対3の割合を意識しながら、やるべきこととやりたいことのバランスをとってほしいと思います。
瀬川:ゲーム開発は、テクノロジーとエンターテインメントを融合した仕事なので、センスと教養を磨くことがすごく大事だと思っています。例えば、世の中の時流を知るために毎日経済新聞を読む、毎週映画を1本観る、毎週舞台を観る、毎月本を何冊か読むなど、何らかの目標を立てて、それを3〜4年続けてほしいと思います。何の目標ももたずに生活した人と、何らかの目標をもって生活した人との間には、3年後にはとてつもない能力差が生まれます。何らかの目標をもって、良いものをつくれる人になることを目指してほしいと願っています。
INFORMATION
Sapporo Game Camp 2024
開催日:2024年10月11日(金)〜13日(日)
場所:サッポロファクトリー
札幌市と、サッポロを拠点とするゲーム会社による合同イベント
sapporo-game-camp.com/2024/
TEXT&EDIT_尾形美幸/Miyuki Ogata(CGWORLD)
文字起こし_大上陽一郎/Yoichiro Oue