花王が無料配信中の3D探索型ホラーアクションゲーム『しずかなおそうじ』。掃除と恐怖を融合させた本作を手がけたのは、本格的なPCゲームの開発は初となるWhatever。試行錯誤しながら“広告の枠を超えたゲーム体験”を模索した、その異色の開発過程を追う。

記事の目次

    ※本記事は月刊「CGWORLD + digital video」vol. 328(2025年12月号)からの転載となります。

    広告企画から生まれた本格PCゲーム開発の挑戦

    本作は、プレイヤーが敵から逃げながら、実際の花王製品を使って古い別荘を掃除し、謎を解いていくという内容だ。日常的な掃除行為とホラー演出をかけ合わせたユニークな体験が特徴で、掃除による“爽快感” と“恐怖” を同時に味わえるゲームとなっている。開発を担当したのは、ジャンルを問わず、映像から空間、体験設計などを手がけるWhateverだ。

    『しずかなおそうじ』
    開発・発売:花王 ホームケア事業部/リリース:配信中(2026年8月7日までの期間限定)/価格:無料/Platform:PC(Steam)/ジャンル:3D探索型ホラーアクション、清掃シミュレーション
    store.steampowered.com/app/3833930
    © Kao Corporation

    本企画は花王ホームケア事業部からの依頼により始動した。「TVCMではアプローチしきれない若年層に向けて、高機能な新商品や掃除の“裏技” を発信し、認知を広げたいというねらいがありました」とプロデューサー/プランナーの飯田依里子氏は語る。

    まず“掃除” に関する人々のインサイトをリサーチし、Whateverから10案以上の企画が提案された。そのなかで、ホラーの世界観は掃除で取り除く汚れとの相性が良く、かつ実況配信との親和性も高いことから採用されたという。

    写真左から プログラマー・貴田達也氏、プロデューサー/プランナー・飯田 依里子氏、プログラマー・Saqoosha氏、プログラマー・松竹 誠氏、プログラマー・岡田隆志氏、プログラマー・長町和弥氏、クリエイティブディレクター/デザイナー・宗 佳広氏、CGアーティスト・金山小桃氏
    以上、Whatever

    開発期間は企画開始からおよそ1年。実際の実装期間は半年ほどと、短期間での開発となった。WhateverとしてPCのゲーム開発は新しい挑戦であったため、まずは“ゲーム性のコア” を理解するためにプロトタイプ開発からスタートした。「話し合ってもわからないことが多かったので、実際に触ってみて、面白ければ残すかたちで要素を絞っていきました」とプログラマーの岡田隆志氏はふり返る。

    プロトタイプ段階ではエンジニア2名、本開発では最大5名が参加。Whateverでは通常1プロジェクトに1名のエンジニア体制が多いため、社内総動員の異例プロジェクトとなった。チーム全員が密に連携する体制で試行を重ねながらゴールを模索した、その開発過程を次項から詳細にみていこう。

    実物の構造を再現した掃除アイテム

    実在製品の形状や音まで徹底再現

    登場する掃除アイテムは、キッチン・トイレ・バスで使用するマジックリン3種と、クイックルシリーズなど計5種類。ゲーム内容に合わせ、登場製品は使用シーンごとに絞り込まれた。実際の製品を定規とノギスで採寸し、Blenderで手作業でモデリングを行なった。3Dスキャンは使用していない。

    テクスチャ制作にはSubstance 3D Painterを使用。ラベルは花王から提供された実際の製品を活用し、形状確認の参考にもなったという。「あまり掃除用具をじっくり観察したことがなかったのですが、製品ごとに構造がかなりちがうことに驚きました。クイックルワイパーがマグネット式でヘッドを付け替えられると知ったのも、モデリングの途中でした」と、CGアーティストの金山小桃氏は語る。以降、実生活でも愛用するようになったという。

    掃除の際のスプレーの音も重要な要素としてつくり込まれている。音響制作は音楽クリエイターユニット「JUN MUSIC」の片倉 惇氏が担当。実際の商品を使用し、日本家屋内で、動作音を再現して収録する「フォーリーレコーディング」の手法で収録した。

    ゲーム内の環境を反映させることで、日常のリアルな感覚とホラー的な恐怖感の両立を目指した。また、泡を吹きかける「シュッ」という音の立ち上がりを強調し違和感を演出している。これは黒澤 清監督が好んだ“現実の音を誇張し、ノイズに仕立てる” 音設計から着想を得たものだ。細部の音づくりによって、作品全体の没入感が大きく高まったという。

    泡の表現は製品ごとに異なる。トイレマジックリンのみ、特徴的な泡立ちを再現するためにボリュームレンダリングを使用し、3Dで立体的に制作された。そのほかの製品ではパーティクルやテクスチャによる2D的な見た目で“それらしく” 見せており、泡よりも汚れの質感に重点を置いている。

    現品を計測して制作したモデル

    ▲洗剤ボトルの3Dモデルのワイヤーフレーム。マジックリンとクイックルの2種を制作。フォトグラメトリは使用せず、実測値を基にBlenderでモデリングしている
    ▲洗剤ボトルのレンダリング画像
    • ▲クイックルワイパーのワイヤーフレーム。実際の製品同様、柄の接合部やヘッドの着脱部分まで形状を忠実にモデリング
    • ▲クイックルワイパーの完成モデル
    ▲ゲーム内の掃除シーン。泡の出方や広がり方は製品ごとに異なり、UI上でも掃除の進行度が視覚的に確認できる

    泡のボリュームレンダリング

    泡は、トイレ用のみ3Dのボリュームレンダリングで再現し、ほかの製品では2D的な見た目で“それらしく”表現している。

    ▲Blenderで作成したトイレ用の泡のベース形状
    ▲距離ごとにレンダリングした泡のテクスチャ
    • Unity上でボリュームレンダリングした状態
    • ▲パーティクルで細かな泡を追加し、実際の泡に近い質感を目指した
    ▲ゲーム上での表示

    “汚れ” をモチーフにした敵と掃除の演出設計

    恐怖と清潔感を両立させたキャラクター表現

    開発初期の敵案は、ネズミや先住民のおもちゃなど具体的なモチーフを基に検討されていたが、花王の意向で「汚れ」を軸に再設計することになった。デザインはクリエイティブディレクター/デザイナーの宗 佳広氏による手描きスケッチから始まり、生成AIで具体化させ、よりイメージしやすいビジュアルに落とし込んだ。

    質感は、当初は茶色と緑が混ざったハイブリッドのような見た目だったが、途中で「緑の汚れは現実に存在しない」として黒っぽい油汚れ調へと変更された。その後、花王側から「怖すぎる」との意見があり、尖った爪や口といった要素をなくしつつ、最終的には花王カラーである緑を基調にまとめる方向で決着した。

    敵の動きについては、工数削減のために当初はMixamoのモーションデータを利用する予定だったが、最終的には宗氏が自ら演技した動画を基に、金山氏が手付けでアニメーションを仕上げた。特にこだわったのは、狭い廊下を曲がる際の“壁へのめり込み防止” だ。「地味な部分ですが、敵が壁の内側から見えてしまうと雰囲気が壊れてしまう。そこでUnityのNavMesh経路を調整し、少し遠回りさせることで自然に曲がるようにしました」とプログラマーの松竹 誠氏は語る。

    敵の行動アルゴリズムは、徘徊→音を感知→接近→チェイスというシンプルな構成。プレイヤーが掃除中に出す音を感知して近づき、距離が縮まると追跡を開始する。当初は障子越しの音にも反応してしまったが、障害物を通る際に音を減衰させる処理を追加。これにより、プレイヤーが息を潜めて敵をやりすごすような、ホラー映画的な緊張感が演出できた。このしくみは実況配信時にも盛り上がったという。

    また、敵の出す音にもこだわりがあった。プログラマーの長町和弥氏は「環境音はいくつ重なっても気になりませんが、吐息や叫びなど“生っぽい音” が同時に鳴ると違和感が出ます。そこで、叫び声をトリガーに追跡が始まるなど、音と行動を連動させるサウンドシステムを設計しました」と語る。

    “汚れ”を形にした敵デザイン

    ▲コンセプト案。不衛生な場所に棲む生き物や、かつて人が置き忘れたおもちゃなど、初期段階では具体的なモチーフ案が検討されていた
    ▲“汚れ” そのものをキャラクター化する方向へとシフトし、質感や形状の検討が進められた
    ▲生成AIを用いて展開したビジュアル案。汚れをモチーフにしつつ、人型や蜘蛛型など複数の形状パターンが試作された

    質感を追求した敵モデル

    ZBrushで造形された敵モデル。担当した金山氏はクリーチャー系モデリングの経験が少なかったため、試行錯誤しながら形状を詰めていった
    • ▲プロトタイプ段階のレンダリング。黒っぽい汚れをモチーフにして質感を検証していた
    • ▲完成版のレンダリング。花王からの要望で「油汚れらしさ」を強調するため、半透明のマテリアルが再調整された。テクスチャはSubstance 3D Painterで制作

    自然な動きを追求した敵アニメーション

    • ▲Blenderで制作された敵の徘徊アニメーション。リグはAuto Rig Proを使用。宗氏の自撮り動画(画面左上)を基に、金山氏が手付けでアニメーションを作成している。右手と右足が同時に出ているのは、宗氏の実際の動きを忠実に再現した結果だ
    • ▲敵がプレイヤーに向かってくるアニメーション。実装時には歩幅と速度が合わず、Unity内でモーション再生速度を調整した
    ▲廊下の曲がり角での不自然な挙動を防ぐため、Unity上でNavMeshの経路を微調整した

    音に反応して迫る敵のアルゴリズム

    ▲Unityのビヘイビアツリー画面。敵はプレイヤーの行動音を検知して反応するしくみで、徘徊・接近・チェイス・追跡中止といった状態をシンプルに制御している
    • ▲障子越しに敵が潜むシーン。音が障害物を通ると減衰する処理を導入し、気づかれないように身を潜める“ホラー映画的な緊張感” を演出している
    • ▲敵をやりすごした瞬間。音と距離のバランス調整によって、息を潜める緊張と安堵の緩急が体験できる

    現実の掃除を再現したプレイ動作

    ▲キッチンマジックリンを使った掃除シーン。スプレー後に待ち時間が必要なタイプの洗剤には一定の待ち時間が設けられていたり、手袋の着用が推奨されている製品もあるためはじめから手袋が装着されていたりと、実際の掃除方法がゲーム内で再現されている。泡はボタンを連打すれば自動的に目標に当たるよう調整されており、快適な操作感を実現している。「残り1%の掃除し残しを探すようなゲームではなく、綺麗になる気持ちよさを感じてもらいたい」と、泡のプログラムを担当したプログラマー・Saqoosha氏は語る

    ▲クイックルワイパーを使用した掃除シーン。ワイパーが届く範囲に合わせて汚れの位置を配置し、擦ると汚れが一気に落ちる爽快感を得られるよう設計されている

    掃除のバリエーションと逃げ道を意識した家の制作

    空間設計で導く“怖さ”と“視認性”のバランス

    舞台となる家の間取りは手描きスケッチを起点に、間取り作成用のWebサービスでレイアウトと動線を検証した。同サービスは間取りから3Dビューを自動生成して内部を歩けるため、廊下幅など“逃げる”ための寸法の検証に有効だった。その後、CADで作成した間取りを基に家のモデリング担当者が本制作を行い、室内小物は既存アセットを配置した。実際につくってみないと適正なサイズは判断できないため、早い段階からプロトタイプを重ねて最終寸法を決定している。

    「最初は実況配信を意識して、プレイ時間を40~50分ほどに想定して構成しました。実際に動かしてみないとわからない部分も多かったので、隠し部屋なども試しに入れています」と、間取りを設計した宗氏は語る。同時に、プレイヤーの行動フローをスプレッドシートで整理し、開発側の意図通りに進行できるよう行動シナリオを設計。実際のプレイヤーは自由に動くため完全一致はしないものの、全体のながれを可視化する有効な指針となった。

    家具や小物のアセットは、既存の市販アセットをベースに構築。ホラーゲームでよく見られる素材も多く使用され、ゲーム配信者からの反応も大きかったという。換気扇やテレビなどの家電はあえて最新機種を避け、昭和的な趣を感じるものを選定。汚れは、ドアや窓、テーブルなど“掃除対象” に絞って配置している。

    暗所では汚れが目立ちにくいため、必要最低限に留めたという。テクスチャ制作には生成AIを積極的に活用しつつ、プレイヤーが懐中電灯を持つ仕様に合わせて凹凸の表現を調整。ツルっとした質感にならないよう注意を払った。

    ライティングは、あえてプレイヤーが持つ懐中電灯1灯のみを主光源とした。「ゲームでは演出のために“嘘ライト” を置くことが多いですが、今回は敵が発光する設定もあり、懐中電灯だけで成立するようにしました」と宗氏。全体の明るさはポストプロセスのフォグで奥行きを補正し、恐怖感と視認性のバランスを両立させた。配信視聴でも見やすいよう明るさをやや上げる調整も行われている。結果として、多くの配信者が実況を楽しみ、プロモーション目的で制作した作品ながら、“ゲームとしての完成度”でも高い評価を得た。

    間取りの検証

    ▲手描きで描かれた間取りスケッチ。このレイアウトを基に、間取り作成用Webサービス「マイホームクラウド」でレイアウトと動線を検証した
    • ▲Unity上で廊下幅を検証している様子。実際の住宅では約1,500mmだが、ゲームとしての適正値を探るため2,000mm、3,000mm、4,000mmと段階的に比較した
    • ▲ライティング検証の様子。明るすぎると恐怖感が薄れ、暗すぎるとプレイが成立しないため、バランスを慎重に調整した
    • ▲ゲーム内の廊下シーン。ライティングはプレイヤーの懐中電灯のみで照らされており、奥が見えにくいことで恐怖感を高めている
    • ▲室内の照明バランス例。廊下より明るく、壁や家具のディテールがしっかり視認できるよう調整されている
    • ▲ゲームのオプションで、明るさを3段階に調整できる。明るさ最大
    • ▲明るさ中間
    ▲明るさ最小

    経年劣化の表現

    • ▲キッチンの経年劣化の処理前
    • ▲処理後。暗い画面でも汚れが浮きすぎないよう、ドアノブやシンク周りなど“目に入る部分” だけを重点的に劣化させている
    • ▲トイレや浴槽など水回りの経年劣化の処理前
    • ▲処理後。使用感を限定し、清潔感とのバランスをとっている
    • ▲廊下の経年劣化の処理前
    • ▲処理後。障子の破れなどはモデル形状は変えずテクスチャのみで表現している

    場所に応じた汚れを再現

    ▲掃除対象となる各所の汚れの案。汚れの種類や分布については、クライアントである花王の監修の下、細かくチェックが行われ、修正された。テクスチャ制作には生成AIを活用している
    • ▲油汚れのテクスチャ。場所によって汚れの種類が異なるため、全て個別に調整が行われた
    • ▲ゲーム内のキッチンの汚れ
    • ▲トイレの汚れテクスチャ
    • ▲トイレの汚れ。リアルな質感が配信者にも好評だった
    • ▲フロアの汚れテクスチャ
    • ▲床の汚れ
    • ▲バスタブの汚れテクスチャ
    • ▲浴室の汚れ
    • ▲網戸の汚れテクスチャ
    • ▲網戸の汚れ

    CGWORLD 2025年12月号 vol.328

    特集:映画『ヒプノシスマイク -Division Rap Battle-』
    判型:A4ワイド
    総ページ数:112
    発売日:2025年11月10日
    価格:1,540 円(税込)

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    TEXT_石井勇夫 / Isao Ishii(ねぎデ
    EDIT_小村仁美(CGWORLD) / Hitomi Komura、山田桃子 / Momoko Yamada