2025年3月に実施された女性クリエイターのキャリアや働き方について考える、1日限りのオンラインイベント「W Conference」。特別セッションに登壇したのは、ドイツ・ベルリンを拠点に活躍する3Dメディカルアニメーター、久野梓氏だ。MCは、同じく3DCGアーティストのRieringo氏が務めた。

『唐草模様を描くキャリア、私がベルリンでメディカル系専門の3DCGアニメーターになるまで』と題された本セッションでは、久野氏が建築・インスタレーションアートと多様な分野を経て、Cinema4Dとの出会い、そしてメディカルアニメーションの世界へとたどり着いた軌跡をたどりながら、子育てや異国での生活を通じて「働くこと」「生きること」にどう向き合ってきたのかを語った。数々の選択と挫折、そして新たなスタートの積み重ねから浮かび上がる、“キャリアの可能性”とは。

記事の目次

    Information

    W Conference

    女性クリエイターのキャリアや働き方について考える、
    1日限りの無料オンラインイベント。
    2025年3月26日に開催され、
    映像制作に関わる女性を応援するセッションが多数実施された。

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    挫折と変節を繰り返した唐草模様のキャリア。たまたま出会ったCinema 4Dが新たな世界への入り口に

    ドイツ・ベルリンでフリーランスとして、3DCGメディカルアニメーションを製作している久野梓氏。

    第1部では「唐草模様を描くキャリア」と題して、久野氏の紆余曲折を経たキャリアに焦点を当て、第2部では「子育てと仕事」と題し現在のライフスタイルを紹介するセッションとなった。

    久野 梓

    3Dメディカルアニメーター

    国立豊田高等専門学校建築科を卒業後、渡独。シュトゥットガルト大学建築学部を経てベルリン芸術大学にてファインアートを勉強。アーティスト活動ののち、出産を機に紆余曲折を経て3DCGの世界に入る。2019年よりフリーランスの3Dデザイナーとして活動。メディカル系のアニメーションが専門。

    jp.azusakuno.info

    久野氏:先に、キャリアの概略をご説明しますね。私は、1995年に高専に入学して建築を学び始め、アメリカでの交換留学を経て、2002年にドイツへ移住。その後現地の美術大学のマイスター課程(日本における大学院修士課程相当)を修了しました。その後、インスタレーションアーティストとして活動していましたが、2015年に思いがけず妊娠。それを機にほかの道も探したのですが、なかなかうまくいかず、昔学んでいたCinema 4Dを再び手に取り、2019年頃から3DCGのフリーランスとして仕事を開始しました。

    その1年後ぐらいからメディカル系のプロジェクトもいただけるようになり、これはもう本当に運が良かったとしか言えないんですが、今は主に日本とドイツのクライアントからメディカル系の3DCG制作の注文をいただいて製作しています。

    建築から始まったキャリアだが、ドイツで恋に落ちるように美術にもハマってしまった、と語る久野氏。留学先のドイツで現地の大学を卒業した後、インスタレーションアーティストとして活動を始めた彼女は、ライフステージが進むにつれ、現実の壁に激突する。

    久野氏聞いたところによると、私のいたベルリン芸大の美術学部を教職課程なしで美術1本で卒業した場合、5年後にそのまま美術で食べている人間って、約5パーセントぐらいらしいんです。これは絵画とか写真とか全部含めての数字なので、インスタレーションとなると、もっと絶望的な数字だと思います。当然10年後、20年後はもっと少ない。だから確率的に考えても、いつかは別の道に行かなきゃいけないだろうなと覚悟していました。ただ、それでもできるとこまでやりたいなと思ってずっと活動を続けていました。

    ですが、2015年に思いがけず妊娠が分かり、今の状態と育児を両立はできないだろうと思ったんです。その時、人生ではじめてキャリアというものに向き合い始めました。

    妊娠中にいろいろ考えて、義足技師になろうと思いました。ですが、当時の私は35,6歳。ドイツ語もネイティブスピーカーには到底かなわない。出産後にいくつか願書を出しても受け入れてくれるところは見つからず、日本でいう臨床検査技師ではどうかとそちらの学校も探したんですが、そこも順番待ちで入れない。そのあたりから焦りを感じ始め、「どうしよう」と悩むようになりました。

    そんな中、ふと思い出したのが、ドイツの最初に通っていた建築学部時代の友人が3DCGで食べている、という話でした。その友達に久々に連絡をとり、いくつかアドバイスをもらって昔少し触っていたCinema 4Dを触りだし、チュートリアルを見て勉強しつつポートフォリオの制作に着手しました。

    2,3個アニメーションができた時点で、今思えば拙い内容で恥ずかしいポートフォリオなのですが、それをネットなどで見つけた先にインターン希望と20-30社送ってみましたが、すべて不採用でした。この時期が、一番精神的に大変でしたね。

    人生ではじめてキャリアというものに向き合い始めた久野氏。思いがけない3DCGとの出会いをきっかけに、どうにかインターン先を見つけ、CGアーティストとしての道を歩みはじめる。

    久野氏そんな中で、何とか受け入れてくれたインターン先が2つあったのですが、どちらも本当に小さなスタートアップで、3DCGをできる人間が私1人という、インターンというより格安の労働力に近いかたちでした。ですが、VR・AR系とプロジェクションマッピングの方面で経験を積ませていただいき、後々当時の経験に助けられたりしています。

    ちょうどその頃、たまたまメディカルアニメーションの事務所を見つけました。その瞬間「これだ。これがやりたかったんだ」と、美術の時と同じように、恋に落ちたのと同じように感じたんです。理屈ではなく、「これだ」と。それが、私とメディカルアニメーションの出会いですね。ちなみにその事務所にもダメ元でメールを書いたんですけど、その時はやはりダメでした。

    それでもコツコツとメディカル系の自主制作も並行して進めていき、3DCGのフリーランスとして仕事を開始した1年後ぐらいから、メディカル系のプロジェクトもいただけるようになりました。

    久野氏:では、ここからは1つずつのステップを振り返っていきます。

    私が今に至る最初の一歩は高専で建築を学んだことでした。ですが、そもそもこの進路を選んだのは、正直「まず高専に行く」ということありきでした。大学受験勉強しなくてもいいし、校則なし、服装・バイト自由、建築もなんか面白いかもしれないと考えて入学しました。今から考えると「この子素直に受験戦争参加するなんて思えないけど、せめて大学には行ってほしい」という親の思惑が裏で働いたのかもしれません。

    そうして、高専で建築を学ぶことになった久野氏だが、ずっと周囲と馴染めず違和感があったと語る。

    久野氏:ただ何となく近くにあった高専という学校を選んで、何となく建築科に入学してみたら、「私建築に合ってないかも」という気がして他の道に進むべきではないのかと考え始めました。また、これは高専に入るずっと前から当てはまった事ですが、周囲とイマイチ馴染めず、どこにいても居心地が悪く感じ、この居心地の悪さから逃げ出したいと考え、アメリカの交換留学に応募しました。

    アメリカの田舎での高校生生活はものすごく精神的に楽でびっくりしました。何を言ってもストレートに返ってくるし、努力したものがまっすぐ返ってくる。友達もたくさんできて、これまでの私の人生と180度違ったんです。

    アメリカでの経験を経て、もしかしたら自分には海外が合ってるのかもしれないと思うようになった私は、留学から帰ってまもなく(思いもかけず)建築にハマったこともあり、また海外での留学先を探していました。ですが、アメリカは学費が高いですし、交換留学の時の費用を親に出してもらったということもあるので、学費が外国人でもタダで、哲学と美術もおもしろいドイツにひとまず行って考えよう、ドイツが合わなかったらそこから次の国に行けばいいと、あまり深く考えずにドイツに来て、来てみたら結構肌に合って今日まで20年以上います。

    人生の随所で大きな決断を繰り返し、唐草模様のキャリアを描いてきた久野氏。その時の思いやこれまでの人生について改めて問うと、キャリアについて悩む人々に向けて、前向きなメッセージをもらうことができた。

    久野氏:決断当時はあまり「決断してる」という気持ちはなかったですね。努力もあるけど、運の部分がかなり大きいので、何かを決めるときには心配しすぎても仕方ない、もうやるしかないんじゃない? とも思います。

    例えば、建築から美術に専攻を変える時。周りから見たら決断だと思うんですけれども、私自身は「もうこれ以外の道はない」と思っていて、恋愛と一緒でした。それでいうと妊娠も決断ではなく、流れてここまでやってきたとしか言えないんです。

    直線的なキャリアの人はすごいなと思うし、そういうキャリアを進んでいないので引け目を感じてた時期も正直ありました。でも、あれをやってみてダメだった、これをやってみてダメだったというトライアンドエラーが長所になる場合もある。当時頑張って習得した技術が大きな財産になることもあるというのは、年をとって学んだことです。

    たとえば、芸大の最後の頃から妊娠まで、日本人アーティストのアトリエでお世話になっていたんですが、その頃の経験は今でもすごく役に立っています。日本語のビジネスメールの書き方やアトリエ経営、税金のことなど、色々学ばさせていただきました。

    それに臨床検査技師になろうと考えていた時期に勉強していた解剖学の知識なども、今になって良い基礎になっています。ドイツの建築学部に通っていたころに、遊びでCinema 4Dを触ってたことが今の職業につながっています。

    ですので、今色々とキャリアで悩んでいる方も、もしかしたらその経験が将来役に立つかもしれないですよ、というのは声を大きくして言いたいと思います。

    オキシトシン最強説。子育てと仕事を両方楽しめる権利は

    後半のパートとなる第2部では「子育てと仕事」と題し、ドイツで育児をしながらフリーランスの3Dメディカルアニメーターとして働く、久野氏の現在のライフスタイルについてお話しいただいた。

    久野氏:現在の私の生活についてですが、だいたい平均して1日7時間から8時間ぐらい仕事をしています。フリーランスなので、仕事が忙しい時は子どもが寝てから夜に仕事をすることもありますが、そうじゃない時には、ゆっくり本を読んだり、相方とのんびりしたり。子どもや家族がたまたま家にいない時には土日に仕事をすることもありますが、基本的には土日休みで、家族優先の生活をしています。

    また、子どもの前では仕事をしないようにしています。子どもといる時についメールを見てしまったりすると、全然子どもの話が頭に入ってこないんですよね。子どもの話を聞けていないのはダメだなと思って、一緒にいるときは子どもファーストを心がけています。

    久野氏:子どもが生まれてから、昔の知り合いに会うと「人が違う」と言われるのですが、オキシトシンというホルモンがあって、それは例えば子どもやパートナーの肌に触れたり、人間でなくても飼っている犬を撫でたり、そういった時に分泌される「幸せホルモン」と言われているものなんです。

    学生バイトをしている時に感じていたのですが、子どもを持ちながら働いている人ってものすごくよく働く気がします。当時どうしてなんだろうと不思議に思っていたんですが、子どもを持ってからはよくわかります。子どもがいることで得られる精神的な安定は、仕事をする上でものすごいメリットになると思います。

    「幸せホルモン」による精神的な安定・「オキシトシン最強説」を唱える久野氏は、日本とドイツの子育て環境の違いにも言及しながら、子育ての権利について語ってくれた。

    久野氏:私の中で大切なのが、制度など環境が整っていないといけないというのと、パートナーなり旦那さんなり、男性も同じだけ子育てをやらなきゃダメだということ。この2つがそろうことで負担が分担されますし、精神的にもさらに楽になるのではないかと思います。

    楽しく子育てできる」というのは、親子の基本的な権利としてあるべきだと思います。私たち親の権利としてももちろんですし、親が幸せでないと子どもが幸せであるのも難しいので、子どもの権利としても大切なことです。

    そして最後に、いまキャリアに悩むクリエイターたちに向けて、メッセージをいただいた。 

    久野氏:今、人生の選択や子育て・キャリアに迷っている方が、どのくらいご覧になっているのかわからないんですけれども、私も後から考えると結構大変な道を歩んできましたので、気持ちはわかります。頑張ってください。応援しています。もしなにかありましたら、instagramやメールなどでお気軽にご連絡ください。

    トークパートが終了し、以降はセッション中のコメントに対する久野氏からの返答の時間となった。その詳細な内容については、アーカイブをチェックしていただきたい。

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    TEXT_オムライス駆
    EDIT_遠藤佳乃(CGWORLD)