ソニーの立体音響技術「360 Reality Audio」が没入感を加速! 楽曲と映像を同時並行で制作した私立恵比寿中学『シュガーグレーズ』MV
8月10日(水)に公開された私立恵比寿中学(以下、エビ中)の新作MV『シュガーグレーズ』。ソニーの360立体音響技術を使い立体的な音場を実現する「360 Reality Audio(サンロクマル・リアリティオーディオ)」を体験できる本作は、360 Reality Audioに最適化した楽曲とMVが同時進行で制作された珍しいケースだ。
制作スタッフはディレクターに篠田利隆監督、作詞・作曲・編曲のTORIENA氏、CGカットを担当したgo | haquxx氏と牛乳瓶氏、冒頭と間奏のモーショングラフィックスを担当したyonayona graphics氏、立体音響(360 Reality Audio)を担当した當麻拓美氏というチーム。どのようにして最先端の技術を使ったMVがつくられたかを音と映像の両面から取材した。
VR空間のような主観的映像で音の動きを体験させたい
CGWORLD編集部(以下、CGW):今回の楽曲はどんな経緯でスタートしたのでしょうか。自己紹介を含めてお願いします。
篠田利隆氏(以下、篠田):ディレクターを務めた篠田です。今までエビ中のMVとCMを合わせると6、7本つくっています。今回は、「360 Reality Audio(以下、360RA)で曲を聴かせるMVをつくりたい」というお話をいただいたところからスタートしました。
360RAで音を体験する、と聞いたときに、映像でありながらVR空間内での体験のような、音の動きに合わせて主観で進む映像にしたいと考えました。楽曲が完成する前に、技術面からアイデアが走り出した珍しいケースですね。
篠田利隆 / Toshitaka Shinoda(異次元TOKYO)
映像ディレクター・プランナー
オタクカルチャーを中心に映像の演出を軸にイベントやライブ、VRなどの演出も手がける。実写からアニメに3Dまでリアルからヴァーチャルまで次元を超えた演出家。
ijigen.tokyo
Twitter:@dshino
篠田:楽曲は、エビ中の制作チームとMTGを重ねた結果、VR空間をイメージしたエレクトリックな音像のものをTORIENAさんに依頼しました。当時TORIENAさんとはVRChatなどでよく遊んでいたこともあり、VR空間をイメージした楽曲の制作には適任だと思いました。
TORIENA氏(以下、TORIENA):今回、作詞・作曲を担当しましたTORIENAです。VRChatの中で篠田さんと話しているときに誘われて、VR空間で説明を受けました(笑)。
TORIENA
作詞・作曲・編曲、ボーカルをセルフプロデュースで手がけている音楽プロデューサー。
キャッチーかつハードなRAVEサウンド、ポップな中にも影を感じるリリックが特徴。「HYPER JAPAN 2017(イギリス)」「MAGFest 2018(アメリカ)」へ出演するなど、海外からの人気も高い。beatmania IIDX、私立恵比寿中学、SEGA「Team Sonic Racing」、TVアニメ「邪神ちゃんドロップキック」挿入歌、ソフトバンク「MONEY RUN」BGM・SE、バンダイキャンディ「超獣戯牙ガオロード」などに楽曲提供。
toriena.net
Twitter:@toriena
篠田:アイドルのMVだから世界観はかわいい感じで、その上でVRみたいな主観の映像にしたかった。ハイクオリティではないけど、今っぽいCGの表現をしたいとTORIENAさんには伝えました。
TORIENA:全体のテーマは「VR空間で恋愛したらどんな感じ?」です。タイトルも、そこを拾っています。みんなで遊んだVRのワールドの要素も入っていて、VRが好きな人は「あっ」と思うところがあるかも。
篠田:タイトルの「シュガーグレーズ」=「砂糖」はVR界隈では性別関係なく「恋愛」を意味する隠語でもあります(笑)。
映像はVRっぽくしながら「かっこよさ」と「かわいさ」の両立が難しくてかなり迷いましたね。特に、個人のクリエイターが尖ったものをつくるときのようなニュアンスを大事にしたかった。
CGW:普段からVRに慣れ親しんでいるからこその発想ですね。他のメンバーの皆さんはどうやって集められたのですか?
篠田:goさんとはいろんなアイドルのMVを一緒にやってきました。プログラマーでもあるので、最先端のテクノロジーを駆使してCGを使いたいときにお誘いしています。今回は最先端ではないですが、考え方も近いし、面白い組み合わせだと思って一緒にやりたかった。牛乳瓶さんはgoさんが連れてきてくれました。
go | haquxx氏(以下、go):CG制作を担当しましたgo | haquxxです。普段はリアルタイムCGをメインにつくっていますが、篠田さんはプリレンダーなので、一緒にやるとその狭間が面白いですね。
go:牛乳瓶さんは、砂遊びをしているような感覚でCGをつくっている方で、今回のプロジェクトには合うと思って紹介しました。
牛乳瓶氏(以下、牛乳瓶):同じくCG制作を担当しました牛乳瓶と申します。VRChatで、ワールドをグルグル回っていくのがすごく好きなので、自分が行きたいと思うようなワールドをつくりました。映像制作歴が浅いのでgoさんとyonayonaさんに負けないように気合と根性でついていきました。
牛乳瓶
Twitter:@milk_scope
篠田:yonayonaさんにはソリッドなプリレンダー表現でキュッと締めてもらおうと、モーショングラフィックスで参加をしていただきました。
yonayona graphics:モーショングラフィックスを担当しましたyonayona graphicsです。2019年のXRライブで篠田さん、goさんと初めて一緒に映像制作をしまして、そのときに初めてVRグラスを買いました。
yonayona graphics
モーショングラフィックス、ライブ演出、CMにおけるビジュアルデザインとCG制作を軸に活動する。名取さな『アマカミサマ』MV、ZONeエナジー公式アンバサダー ぞん子『Dive into the ZONe』MV等の制作を担当。
Twitter:@traftratra
篠田:それから、楽曲を360RAでミックスするにあたっては、山麓丸スタジオの當麻さんにご参加いただきました。
當麻拓美氏(以下、當麻):今回は、360RAのサウンドエンジニアとして空間デザインとミキシングを担当しました。エビ中さんは昨年4月の360RAが日本でローンチされた時点から、積極的に過去の楽曲の360RAミックスを配信されています。その中で山麓丸スタジオのチーフエンジニアとして、ライブ音源や過去の楽曲のミックスをお手伝いさせていただいていた経緯もあり、今回も立体音響(360 Reality Audio)のサウンドデザイン面を担当させていただきました。
360RAの音場はすでにかなり広く自由度の高いものとなっています。今回はそこに映像を加えることで、より没入感のある演出ができると確信していました。
當麻拓美 / Takumi Toma
株式会社ラダ・プロダクション
山麓丸スタジオ事業部 チーフ・エンジニア
レコーディング、ミックス、マスタリングまで幅広く手がけている。立体音響(360 Reality Audio・Dolby Atmos)の特性を活かしつつ、楽曲の魅力を最大限に高めることを心がけている。これまでに、私立恵比寿中学・ØMI・AAAMYYYなどの360 Reality Audio楽曲を制作。
sanrokumarustudio.com
リスナーの前後上下360°を音で包み込む360 Reality Audio
CGW:ありがとうございます。そもそも立体音響というのはどのようなもので、その中で360RAはどのような特長があるのでしょうか?
當麻:立体音響の言葉の定義は大変広いですが、ステレオ以上のスピーカー数で立体感を表現するという意味では昔から映画館のサラウンドシステムやホームシアターでの5.1chシステムはよく知られていました。これらのサラウンドシステムはチャンネルベースといい、出力先のスピーカーの数やチャンネル数をあらかじめ規定したフォーマットとして制作する必要がありました。
一方で近年、ソニーさんや他社さんが提唱している「イマーシブ・オーディオ」、「スペーシャル・オーディオ」と呼ばれるものには、オブジェクト・オーディオという共通点があります。これは簡単にいえば、出力先のスピーカーのチャンネル数に依存しない表現が可能です。楽曲のトラックごとの音源ファイルと、その音源の3次元の位置情報をメタデータとしてそれぞれ保持できるのが特徴で、ゲームエンジンのオブジェクトのような考え方が音楽に適用できる、というと本誌読者の方はイメージしやすいかもしれません。
また、ヘッドホンでもその音場を再現できるのが最大の特徴です。なかでも360RAは360度全天球での空間表現が可能で、リスナーを360度前後上下に音が包み込むようなサウンド表現が可能になっています。
CGW:なるほど、音もVR的に位置を変えることができるのですね。今回、立体音響を前提とした楽曲制作ということで、意識したポイントや、普段の楽曲制作とちがった点があれば教えてください。
TORIENA:粒立ちのいい音をつくろうと考えていました。アンビエンス感強めというか、どちらかというとカリっとした、この音はこれだとわかるような音で構成しようと最初から決めていました。360RAでボーカルがすぐそこで歌っているように際立つバックトラックもつくったり、サブベースも控えめにしたり。逆に間奏ではサブベース強めでダイナミクス感を強調して、1曲でいろんな味を楽しめるように展開しつつ、コラージュにならないように整合性をもたせました。
また、映像でシンガーさんが動くので、それに合わせて360RAでのミックス作業でボーカルを動かしたり。間奏もこだわって、音がぎゅっと集まったり、拡散したり、視覚的になるように遊ばせています。
當麻:今回は、楽曲が出来上がった段階でまず360RAでミックスしておいて、映像が上がってきてからボーカルを映像の動きに合わせるという作業を行いました。「360 WalkMix Creator」というプラグインを入れた音楽編集ソフト上で音源オブジェクトを全天球上に配置し、動きをつけていきます。
1人称視点に合わせるアプローチで、メンバーのみなさんの顔がディスプレイに埋め込まれて動き回る。画面から消える瞬間、遠くに消えていくというような動きをTORIENAさんと一緒につけていきました。
當麻:今までのようなLR軸ではなくてXYZ空間で演出していますので、ぜひヘッドホンで聴いてもらいたいですね。本作ではYouTubeでの公開を前提として、360RAをどんなヘッドホンでも聴けるように加工しています。どんなメーカーのヘッドホンでもOKですが、360RA認定ヘッドホンであれば
アーティスト陣の刺激的な提案をどんどん採用
CGW:映像制作はどのように進められましたか。こだわったポイントや新しく挑戦した表現、苦労した点などがあれば教えてください。
篠田:TORIENAさんの曲はリズムや展開がはっきりしているので、Premiere上で小節を区切ってブレイク用にターゲットを全部打ち、リズムに合わせて絵コンテを描きました。
MVの監督は字コンテのみや、イメージ1枚だけ描いて制作に入る人が多いのですが、音ハメをしたかったので、詳細に分析して細かくカット割りを描いて、さらに最初の打ち合わせではゲームのようなマップも用意しました。画はかなりgoさんにお任せでしたね。
go:画は任せてもらえました。メンバーの動きを意識して設計されていましたので、そこに遊び要素を入れて。遊園地のアトラクションのようにレールを設計して、進行方向やタイミングに気を遣って緻密につくっていました。
篠田:今回はコンテに世界観を描いた上でアーティスト陣に拾って広げてもらいたかった。決め込みすぎずに、みんなに楽しくつくってもらうのがねらいでした。例えば、yonaさんがつくったハードな機械っぽい世界観はコンテにはありませんでした。
yonayona graphics:レイアウトと動きだけ合わせて、自分の判断でトンマナがまったく異なるものを出してみました。楽曲がガラッと変わるタイミングで低音がアグレッシブに出ていたので、パステルから反対のトンマナで見せてみようと画を提案して。パステルカラーのときからベルトコンベアとか機械じかけなところもあったので、そこで整合性を取りつつSFっぽくハードな方向にしました。
篠田:全体的に、エビ中さんの普段のMVよりも実験的な企画でしたね。映像自体も普段やらないようなつくり方にトライしたかったので、みんなの刺激的な提案を採り入れました。
go:牛乳瓶さんの担当カットにつなぐ部分はデータを共有して、それぞれアトラクションのちがいがあるみたいな構成にしました。曲の展開に合わせて世界観が変わりつつも、全体の世界観が合うように気を遣って。
牛乳瓶:私が担当したところでは、パスをグニャグニャに曲げて回して、気持ち悪く動くシェーダを使ってパイプをつくりました。なるべく世界を壊さないように、でも気持ち悪い動きにしようと。メインのパイプと関係なパイプがたくさんありますが、内部をちゃんと走っています。
篠田:牛乳瓶さんのカメラワークをグルグル回るようにするなど、何度かリテイクをお願いしました。Vコンと絵では伝えきれないカメラワークだったので、指示が難しいところもありました。苦労をかけた結果、予想以上のものができました。アシッドのミックスをつくりたくなるような世界観で、今回の作品が一番キレキレかも。これをいつかVRワールドに拡張して、イベントやったりしたいですね。
音と映像に没入する新感覚を体験してほしい
CGW:独特の世界観ですよね。ぜひ、ワールドにも行ってみたいです。最後に、今回の制作をふり返っていかがでしたか? また、今後やってみたい表現などがあれば教えてください。
當麻:Stereoや通常の360RAの配信ではできないような、映像がなければ違和感に感じてしまう音が遠のく表現などにチャレンジできたのはすごく面白かったです。
没入するということに対して、メタバースやVR等の発展を含め、世間の認知も進んできています。今後この技術が当たり前のように使われるようになり、求められる表現もよりリアルで没入感のあるものになってきた際に、音と映像は切り離せないと思っています。
TORIENA:MVの映像と音楽と、まとめて新感覚を体感してもらえたら嬉しいですね。制作している自分でも貴重な体験でした。
yonayona graphics:今回、初めて360RAを知って試してみたらライブハウスにいるような、すごく綺麗な音の解像度を感じて驚きました。これからも音楽に寄り添うような映像を制作していきたいです。
牛乳瓶:何から何まで新しいことばかりで苦労しましたが、出来上がったものを見て感動しました。360RAを体験できる映像表現としてすごくいいですね。
go:今回は映像でしたが、ライブ演出でこれをやれたら面白い。音の定位感を楽しむことをリアルタイムでできたら、クラブカルチャーやライブがアップデートするのではないかと思います。
篠田:360RAで何が最適か、見る人がどう感じるか、かなり演出で悩みました。何とか皆さんのおかげで完パケできて良かったです。今回のMVでは聴覚がVRになった感覚で、現実なのかバーチャルなのか、どっちでもないのかバグったような感覚があると思います。これからもこんな新体験や、感動になるようなものをつくっていきたいですね。なるべくいいヘッドホンで体験してください!
TEXT_石井勇夫 / Isao Ishii(ねぎデ)
EDIT_小村仁美 / Hitomi Komura(CGWORLD)