新型コロナウイルス感染症(COVID-19)による政府緊急事態宣言が発令された2020年春。5月末には解除されて経済活動が再開するも、感染は再び拡大し、企業ではリモートワーク業務に回帰ないしは継続する判断をするところも珍しくないという。渋谷にスタジオをかまえるVFXスタジオ・Spade&Co.(スペードアンドカンパニー)は、そんなコロナ禍にあって、極めてスムーズにリモートワークへの移行を達成し、パフォーマンスを落とさずに業務を遂行し、宣言解除後も継続して行なっている。それを可能にした理由を同社代表の小坂一順氏、VFXプロデューサー・塙 芽衣氏に聞いたところ、2年以上前から進めてきた同社のリモートワーク体制とI/Uターンに対する柔軟な考え方が見えてきた。
TEXT_日詰明嘉 / Akiyoshi Hizume
EDIT_沼倉有人 / Arihito Numakura(CGWORLD)、山田桃子 / Momoko Yamada
PHOTO_弘田 充 / Mitsuru Hirota
<1>規模拡大中のVFXスタジオが突然のコロナ禍に対して採った方策とは?
Spade&Co.(以下、Spade)は、2014年9月16日に設立された、日本のVFX業界でも比較的新しいスタジオだ。2020年7月時点で従業員数は29名(+フリーランス5名が常駐)、平均年齢も約29歳と、若い力がみなぎっている。しかしながら、創立5年間でリードVFXスタジオとして手がけてきた作品には、映画『銀魂2 掟は破るためにそこにある』(2018年)、映画『キングダム』(2019年)、『るろうに剣心 最終章 The Final/The Beginning』(2021年GW公開予定)といった大作が並び、ほかにもVFXで数多くの日本映画に携わっている。スタッフのうち、デジタルアーティストは11名(うちディレクター2名)、コンポジターは13名(同3名)で、業務の8割以上が映画VFXだという。
同社は『るろうに剣心』シリーズ(2012、2014)でVFXスーパバイザーを務めた小坂氏が、VFXディレクターの白石哲也氏、CGディレクターの木川裕太氏に声をかけ、3人で創業した。代表を務める小坂氏はVFX業界の20年選手で、その経験を活かしSpade&Coでは「監督に寄り添うスタイル」をモットーにして、撮影現場の立ち会いからポストプロダクションまでトータルでVFXワークをプロデュースする。
「ビジネスライクな姿勢は決してとりません。映画製作上の制限があるなか、監督が描きたいことを実現するために、様々な提案力を示すことを大事にしています」(小坂氏)。
左から、小坂一順氏(VFXスーパーバイザー、代表取締役)、塙 芽衣氏(VFXプロデューサー)。以上、Spade&Co.
www.spade-co.jp
(写真提供:Spade&Co.)
その姿勢とVFXの良質な仕上がりが業界内で評判を呼び、様々な監督やプロデューサーから「また一緒に仕事をしたい」とリピートを含め間断なく案件が舞い込み、順調に成長してきたのだと言えよう。
渋谷の明治通り沿いに構える現在のスタジオに居を構えたのは2019年11月。それまでの2箇所拠点からここに集約し作業効率もアップ。翌年春に新たに入社する5名のスタッフが、アルバイトとして仕事に慣れてきた2020年の年明け早々、誰もが予期しなかった新型コロナウイルス禍が発生し、同社もリモートワークへの対応を迫られることとなった。
本取材を行なったのは2020年6月下旬。緊急事態宣言解除後も大半のスタッフがリモートワークを継続している。小坂氏や塙氏をはじめとする制作スタッフとディレクターは必要に応じて出社するが、アーティストで常時出社するのは約5名に止まるとのこと
<2>順調なリモートワーク移行を可能にした理由とシステム構築、業務管理方法
日本政府による緊急事態宣言が発令されたのが4月7日。Spadeでは、それに先立つ1ヵ月前から準備を進め、4月の最初には機材調達を終えていた。4月6日~9日の4日間で自社で機材搬送を行い、リモートワークへの移行を完了し、翌日からは全員が在宅勤務をスタートさせていた。
なぜそれが可能だったのか? それは同社では2年以上前にリモートワークのセッティングを経験していたからだった。あるスタッフが家庭の事情で福岡の実家に戻ることになり、その際に小坂氏は「辞めるのではなく、リモートワークをしてはどうか?」と提案し、システムを構築した。その後、また別のスタッフも島根に帰ることになったそうだが、同様にリモートワークで勤務を続けているとのこと。
「こうした経験をすでにしていたため、リモートワークに対するハードルは低くなっていたと思います。いざ全社的に移行するにあたっても、どの機材が必要で誰に声をかければ良いかもわかっていました」(小坂氏)。
ここでSpadeの制作環境を紹介しよう。デジタルアーティストとして活躍しながら、2名いる社内のシステム担当のひとりである、澤田康平氏に話を聞いた。
デジタルアーティストが使用するマシンは、Windows 10 Pro、Intel Core i9 9940X、GPU:GeForce RTX 2080SUPER、RAM:64GB。コンポジターはiMac Pro(High Sierra以上)を使用。リモートワークに際しては、これら社内で使用していたパソコンとモニタ2台をそのまま各家庭に配送(社有車を使い、3日間で配り終えたという)。制作業務を自宅で行うわけだが、2人の先例で確立したルーター「ヤマハ RTX830」を使い、VPNで社内ネットワークに接続するという方法を採用している。今回の全面リモートワークに切り替える上で新たに購入したのが追加購入したものは、自宅用のRTX830と、Windowsユーザー向けのマイクとイヤホン程度だったという。
Spade&Co.が導入しているヤマハの小規模拠点向けギガアクセスVPNルーター「RTX830」
network.yamaha.com/products/routers/rtx830/
「全スタッフにVPN接続してもらう必要があったので速度は多少犠牲にしても、よりシンプルで手軽に接続できる方式を採用しました」(澤田氏)。自宅のネットワーク回線速度が遅いスタッフもいたが、ローカライズして行う上では問題は生じなかったという。レンダリングに際しては社内サーバに置かれたファイルを読みに行き、クライアントマシンからDeadlineでレンダーノードにジョブを投げている。また、そのときに空いている作業用マシンにもジョブを投げられるようにすることで、リモートワークに参加している社内と自宅の両方のマシンでレンダリングを行えるようにしているとのこと。ただし、一部のスタッフは自宅に有線LAN環境がないため、ネットワークレンダリングには参加させず、10日に1日程度の割合で出社してもらいHDD経由でファイルサーバとのデータのやり取りをしていたそうだ。
マシンルームに設置されたサーバ。社内のシステム担当は澤田氏ともう1名の2名で、ふたりとも本職はアーティストとのことだが、社内ツールのためのプログラミング(PythonによるLauncherツールやテクスチャ変換ツールなど)だけでなく、システム構築に必要な作業も大半を社内で対応しているそうだ
(写真提供:Spade&Co.)
リモートワークを進める中で、避けて通れないのは業務管理と作業効率の問題だ。小坂氏自身、「当初はコミュニケーションをとらないと作業が円滑に進まないのではという懸念がありました」と語る。
だが、それは杞憂に終わった。Spadeには従来から朝礼や定例ミーティングもなく、プロジェクトごとに必要最小限で集まり、議事内容はAsanaやSlackでログを残すことが決められていた。もとより静かに作業を進める社風があり、リモートワークに際してもディレクターが成果物をすぐさま確認できることから、支障はなかったという。
「私の場合はDiscordを使い、ディレクターと通話しながら画面共有で相談に乗ってもらっていました」(澤田氏)。オフラインのスタッフについては「当初はスタッフ側からディレクターに言わない限り、何かトラブル起きているかはわからないので、作業効率が落ちた面もあった」(小坂氏)そうだが、ディレクターが通話や面談を通じて作業や環境についてのヒアリングをすることで解消された。「向き不向きがあるようだという報告は受けていますが、リモートワーク移行自体に対してネガティブな反応はありませんでした」(小坂氏)。
同社は就業時間が9~18時(※一部フレックス・コアタイム11~16時)と日頃からワークライフバランスが良好で、自己管理がしっかりとできているスタッフが多く、リモートワーク移行後に提出される日報からも問題は生じていないという。
実は2020年度の新入社員5名と、Spadeとしては多めになったが、いずれも昨年のうちからアルバイトとして約半年間の実習・研修を受けていたため、スムーズに移行できたという。 「当社ではクオリティだけではなく、時間コストも正確に見積もって工数を作業者に伝えています。業種的にもCG・VFXは出来高が把握しやすいので、リモートワークとも相性が良いのではないかと思います」(塙氏)。
<3>Afterコロナのニューノーマル・ワークスタイル
5月25日に全国で緊急事態宣言が解除された後もSpadeではリモートワークを継続しており、小坂氏や塙氏、ディレクター陣は必要に応じて出社。自宅に十分なネット環境が構築できないスタッフ(現在は5名)は常時出社しているが、そのほかのスタッフも事前に申請することで出社を認める体制を採っている。また、デイリーや監督チェック時は必要最低限の人数が立ち会うようにしているという。これは同じモニタを見てその場で確認しないと色味や質感のレビューを効果的に行えないためだ。
今後、新型コロナウィルスのワクチンが開発されるなどして、社会に日常が取り戻されたとしても、同社では特段問題が発生しない限り、スタッフはデジタルアーティスト/コンポジターの各チームごとに週2~3日ごとにローテーション組んで出社するかたちへと切り替える計画だ。
そうすることで、現在の35名程度のキャパシティのオフィスのまま、50人規模まで同所で継続できる見通しだ。同社はI/Uターンに対しても寛容で、将来的には3人目のUターン希望者が現れた際にも、 交通費(定期代)の代わりにリモート手当を支給するなどの対応をする考えだ(この3ヵ月間のリモートワークでも同様に手当を支給している)。
コストとスケジュール管理の正確性は、ニューノーマルの時代を迎える以前からCG・VFX制作の現場では課題としてあった。すでに外資系クライアントからはウィークリーで作業内容と進捗レポートの提出を求められている。それに対応するためにも各ショットごとの工数を正確に見積もられるのかが鍵となる。
現在は小坂氏やディレクター陣の長年の経験と勘に頼るところが大きいが、小坂氏は向こう5年をかけて"僕の経験則に基づいた頭の中にある黄金値"の数値化/ルール化を進めていくという。
そして「10年後を目処に構築したシステムをクライアントにも受け容れてもらえるようにしたい」と、小坂氏は語る。現状の社会では交際費が減っている分、会社としては先行投資をするチャンスでもある。SpadeではShotgunを導入予定で、この機会にパイプラインの構築を行なっていく考えだ。
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