若者が過度に失敗を恐れるようになった、と言われて久しい。その背景にあるのがSNSの普及とネット炎上だ。こうした中、高校や専門学校などで精力的な講演活動を続けているクリエイターに、バンダイナムコスタジオの小澤至論氏がいる。格闘ゲームの開発に長くかかわり、「日本一の泣き虫プロデューサー」を自称する小澤氏に、自身のキャリアをふり返りつつ、学生や若手クリエイターに対する思いを聞いた。
INTERVIEW&PHOTO_小野憲史 / Kenji Ono
EDIT_三村ゆにこ / Uniko Mimura(@UNIKO_LITTLE)
©BANDAI NAMCO Entertainment Inc.
映画『レンズマン』に憧れて3DCGの世界に入った
CGWORLD(以下、CGW):今日はよろしくお願いします。「日本一の泣き虫プロデューサー」って良いキャッチフレーズですね。
小澤至論氏(以下、小澤):ははは、ありがとうございます。
CGW:泣き虫なのは子供のころからですか?
小澤:学校一の泣き虫でした。今ではゲーム業界一の泣き虫だと思っています。ただ、叩かれて痛いから泣くとかじゃなくて、自分で言うのもおこがましいですが、優しすぎて泣くんですね。
私は人の感情を察しやすい性格らしく、苦しんでる人の気持ちがブワーッと入って来てしまうんです。苦しんでる人を目の前にして何もできない自分を責めてしまい、自分の非力さを感じると涙が出てしまいます。それゆえに、苦しんでいる人を救うための力を手に入れたくて、何でも自分で身に付ける癖がつきました。
CGW:ご出身はどちらですか?
小澤:青森県出身で1973年生まれです。青森戸山高等学校から、北海道の道都大学 美術学部 コンピュータグラフィックス専攻に進学しました。自分が通っていた頃は紋別市という、北海道でも北のはずれのような場所にキャンパスがありましたし、高校も2013年に青森県立青森東高等学校に統廃合されましたね。大学は札幌市の近くにある北広島市に移転した後、2017年に星槎道都大学と改称され、コンピュータグラフィックス専攻もなくなってしまいました。
CGW:1990年代の前半ですよね。当時のCG教育はどのような感じでしたか?
小澤:大学では3DCGでプリレンダーのムービーをつくりました。ただ、今みたいに人型のキャラクターなどをつくって複雑な動きをつけるのではなく、球や円柱などを組み合わせて動かすだけで精一杯という時代でした。ツールはもう忘れてしまいましたね。PCはWindowsでしたが、3.1だったか95だったか......。演習用にフロッピーディスクを100枚くらい購入して、使っていた覚えがあります。
CGW:もともと3DCGに興味があったのですか?
小澤:はい。映画『SF新世紀レンズマン』(1984)を見て衝撃を受けました。3DCGの「存在しない質感でありながら、リアリティをもっている世界」に本当に憧れて夢中になりましたね。これと前後して、映画『ドラえもん のび太の魔界大冒険』(1984)で3DCGのロゴが使われ始めたんですよ。だんだんと3DCGが身近になっていった時代でした。
CGW:当然ゲームもお好きだったのでしょうか?
小澤:どっぷりとハマっていました。大学で試験の前日、閉店までゲームセンターで遊んでしまい、落第したほどです(笑)。ただ、青森も北海道も田舎だったので、ゲームセンターに新作ゲームがあまり入ってこなかったんですよ。だからこそゲームを遊びたいという気持ちが強くなりました。ゲーム雑誌などで画面を見て、「いったいどんな内容なんだろう」って。大学でもその思いは変わらず、ゲーム業界に進む以外には考えられませんでした。
CGW:就職活動はいかがでしたか?
小澤:新卒で就職したのは1996年です。就職氷河期でしたが、なんとかデザイナー職で潜り込むことができました。ちょうどPlayStationが盛り上がりはじめ、業界全体で2Dから3Dに移行していった頃で、最初に配属されたのはアーケードの3Dレースゲームを開発する部署でした。余談ですが、当時はゲーム会社が3Dゲームを作るとなると、まずレースゲームから始めるケースが多かったようです。
CGW:平面ステージの上を箱形のオブジェクトが移動するだけで、構造としてはシンプルですからね。
小澤:そうそう。そこで背景アーティストを担当しましたが、当時は格闘ゲームが大ブームでもあり、自分でもどうしてもつくりたくて。レースゲームのリリース後に、格闘ゲームのチームに異動させてもらいました。ただ、そのチームには自分より絵が上手いデザイナーが山ほどいたんですよ。自分でも活躍できるパートはないかなと見わたしたとき、アニメーター(モーションデザイナー)が手薄だったので、背景アーティストからアニメーターに鞍替えしました。
CGW:ご自身の適性と周囲の状況を見据えた結果なんですね。余談ですが、アニメーターは今でもマイナーな職種の1つです。小澤さんがお考えになるアニメーターの魅力とはどういったものですか?
小澤:キャラクターアニメーションを格好良く見せるためには、現実の物理法則と、テレビアニメなどに見られる物理法則を無視したケレン味のある動きを上手く融合させることが重要です。これが上手くできたとき、つくっていて快感が得られるんですよ。ただ、なかなかこの感覚が伝えられないんですよね。
プロデューサーになれば現場を幸せにできる
CGW:その後、2000年に旧ナムコに移籍されますが、当時のナムコはどのように映っていましたか?
小澤:ちょうどゲームセンターで『ソウルキャリバー』(1998)、『鉄拳タッグトーナメント』(1999)が稼働していた頃で、画面上でキャラクターがまるで人間のように演舞していました。それを見て、すごい技術力をもっている会社だなと驚かされました。転職活動では8社くらい受けて全て内定をもらいましたが、そうした憧れもあってナムコを選びました。
CGW:ナムコではどういったタイトルに携わられましたか?
小澤:最初に担当したのが『鉄拳4』(2001)で、その次が『ソウルキャリバーII』(2002)です。そこから『鉄拳5』(2004)、『鉄拳6』(2007)と、全てアニメーターとして開発に携わりました。現場のアニメーターとして、自分で作っていて印象に残ってるのが、『ソウルキャリバー』シリーズに登場するアイヴィーと、『鉄拳』シリーズに登場するリリですね。
CGW:メインのツールがSoftimage 3Dだった時代ですね。
小澤:そうですそうです。ただ、そこでアニメーターとしてのキャリアは終了で、2007年に販売側のプロデューサーになりました。そこで手がけたのが『ソウルキャリバーⅣ』(2008)になります。
CGW:クリエイターからプロデューサーにキャリアアップされたわけですね。一般的に、キャリア構築には現場のクリエイターとしてスキルを極める方向性と、管理職として現場を束ねる方向性の2つがあるかと思いますが、小澤さんが後者を選ばれたのはなぜですか?
小澤:「チームの中核ポジションになれば、現場のクリエイターを幸せにできる」と考えたからです。ちょうど『鉄拳5』をつくっていた頃、アニメーションチームのリーダーをしながら、新人アニメーターの教育係もやっていました。その後『鉄拳5』の開発が終了して、自分自身は『鉄拳5 DARK RESURRECTION』(2005)の開発を手がけていたものの、大半のメンバーはいろんなプロジェクトに散り散りになりました。そんな頃、それまで自分が育てていた若手が突然、泣き崩れるように「小澤さん、僕会社を辞めます」と言ってきたことがあるんです。
CGW:ええっ、それはショックですね......。
小澤:すでに私よりも実力があるクリエイターでした。私からすると、あんなに苦労して、時には喧嘩をしつつ、一生懸命アニメーションを教えたのに、残念でした。理由を聞いたところ、「今のチームではアニメーターの地位が低い」、「自分のつくったアニメーションを大切にしてくれない」などと話してくれたんです。
CGW:それは困りますね。
小澤:私も若かったので、それを聞いて怒ってしまって。なんでそんなことをするんだって、そのプロジェクトの偉い人に抗議しました。ただ、別のプロジェクトの話でもあり、そのままになってしまって、その子も退職してしまったんですよね。それが本当に悲しくて。クリエイターひとりひとりのモチベーションを維持したまま、プロジェクトを運営することが絶対にできるはずだと思ったんですよ。そもそも、スタッフがいやいや働いているよりも、活き活きと働いている方が、クオリティも上がるはずじゃないですか。
CGW:当時はPlayStation 2世代の後半で、大規模開発の闇が業界を侵食しはじめた頃でしたね。徹夜と気合いで物量の壁に挑もうとしていた時期でした。
小澤:そうそう。そんなとき、アニメーションのリーダーが幸せにできるのは、せいぜい10人前後のチームメンバーだけなんですよ。これがプロデューサーになれば、少なくともプロジェクト全員を幸せにできるはずだと思いました。そんな頃、たまたまプロデューサーが集まる部署の社内募集があり、手を挙げました。
CGW:販売プロデューサーというのは耳慣れない職種ですが、どういった職務ですか?
小澤:ゲームを売ったり、宣伝したり、スケジュールを管理したりする仕事ですね。これと対になる仕事として、制作プロデューサーがいます。
当時、自分が所属するバンダイナムコゲームスでは、自社で開発業務とパブリッシング業務を兼務していました。そのため制作と販売の両プロデューサーがいて、二人三脚でプロジェクトを見ていました。会社によっては、2つの職種が1つになっていたり、制作と販売を束ねる統合プロデューサーがいたり、会社やプロジェクトの規模によって異なるかもしれません。
ちなみに、現在はバンダイナムコスタジオに在籍しており、開発業務に特化しているので、弊社にいるのは制作プロデューサーだけです。バンダイナムコエンターテインメントの販売プロデューサーと二人三脚でプロジェクトを進める場合が多いです。
CGW:なるほど。その中でも販売プロデューサーと言えば、開発の終盤にさしかかり具体的な宣伝計画を立てる段階になると、急に忙しくなる印象があります。
小澤:イメージとしては近いと思います。販売プロデューサーが忙しいのは、プロジェクトを起ち上げるときと販売するときです。本当に最初と最後はてんてこまいですね。
CGW:それまで現場でDCCツールを片手に開発をしていたのに、突然「Excelが友だち」みたいな世界になったわけですよね。
小澤:まさに「作る側」から「売る側」の世界に入ったばかりで、全てが新鮮でした。予算の使い方とか、契約や権利的な面ですね。そういう裏方的な情報をインプットして、チームを動かしていくのが、自分の得意なリーダーシップのあり方だったんだなと、その時に発見しました。
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プロデューサーの仕事は現場を甘やかすこと
CGW:影響を受けた人や上司などはいましたか?
小澤:それについては少し話をさかのぼって、アニメーションのリーダーをしていた時代の話をしていいですか? 後の管理やマネジメントにも繋がる話なので。
CGW:はい、ぜひどうぞ。
小澤:『鉄拳5』で、初めてアニメーションのリーダーを任されたときのことですが、チームをガチガチに管理してしまったんですよ。案の定、現場と衝突が多発して、上手くいきませんでした。スケジュールは遅れるしクオリティも上がらない。その一方でリーダーとしての責任もある。板挟み状態で自分自身も悩んでいました。そんなとき、当時ディレクターをされていた原田さんに呼び出されたんです。
CGW:『鉄拳』シリーズの顔であり、現在はプロデューサーをされている原田勝弘氏ですね。
小澤:「放っておけ。上に立つ人間がすることは現場を甘やかすことだ。大丈夫だから」と。衝撃が走りました。言っている意味がわからなくてパニックになりました。
CGW:深いですね。
小澤:すぐにはその言葉が受け入れられませんでした。ただ、何年も経ってからようやく気が付いたのですが、上司がガミガミ言うと、現場は上司の顔色を窺ってものをつくるようになってしまうんです。ところが、現場を良い感じで放っておくと、自然とファンの方を見てクリエイティブしはじめるんですよね。それが結果的に良いアウトプットになり、良いゲームに繋がるということが、後になってわかりました。
CGW:マイクロマネジメントも放任主義も、度が過ぎれば問題が発生しますよね。唯一無二のやり方はなくて、結局は管理者の力量と現場の文脈に依存するわけですが、小澤さんのプロジェクトでは、クリエイターファーストのやり方が合っていたわけですね。それはナムコの創始者である、中村雅哉さんの経営哲学に依るところが大きかったかもしれません。
小澤:まさにそんな感じでした。もちろん世の中には放っておいたら、それを良いことにサボり出す人もいるでしょう。でも弊社のスタッフはちがう。優秀なクリエイターばかりだから、自分たちで考えられるんです。信じて任せてしまえば良いのだと、後になって思い知りました。
CGW:なにか具体的なエピソードはありますか?
小澤:制作プロデューサーとしてかかわった『ソウルキャリバーVI』の開発は、まさにそんな感じでした。
たとえばサウンドスタッフから「プロモーションビデオ用に音楽ができました。ちょっと確認してもらえませんか?」とメールが来たとします。私はデータを確認したら、すぐに「完璧です」と返していました。そうするとサウンドデザイナーが飛んできて、「小澤さん、本当に確認したんですか?」と逆に質問するんですよ。それでも「完璧! もう自分ごときが、どうこう言えるレベルじゃなかった」と返すんです。
そうしたら、自分自身が気になってるところがあるので、ちょっとだけデータを修正させてくださいって、自分で内容を高めてくるんですね。スタッフが優秀だからこそですが、これが良かったです。
CGW:現場が自分でダメ出しをしてくるというのは、良い話ですね。ただ、そこに至るまでの小澤さんの成長というのも、すごいものがあったんでしょうね。というのも現場に任せて成果が出なかったら、責められるのはプロデューサーじゃないですか。
小澤:まあ、そうですよね。だからこそ、それだけの時間が必要でした。『鉄拳5』から徐々に小さな成功を積み上げていき、『ソウルキャリバーVI』で結実できた、と言えるかもしれません。そもそも『ソウルキャリバーVI』は誕生からしてそんな感じでした。ご存じかもしれませんが、ご存じかもしれませんが、プロジェクトの起ち上げが大変だったんですよ。
CGW:インタビュー記事でもそのあたりは語られていましたね。
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小澤:当時は『ソウルキャリバー』シリーズがちょっと厳しい状況でした。そんなときにナンバリングの最新作を出すとなると、市場調査をはじめとして、ガチガチに数字を固めて、絶対にヒットするという確信を込めた企画概要書をつくる必要がありました。そんなふうに努力した甲斐があって、会社から制作開始の承認を得ることができました。
ただ、そこまでして経営陣に通した企画概要書を一回捨てて、現場のスタッフに作り直してもらったんです。テレビ会議中にディレクターに対して「会社から承認を取ったので、私がつくったこの企画概要書は捨てて、一回好きなようにゼロから考え直してください」と言った記憶があります。みんなギョッとしていましたね。
その上で、今回のゲームはこれまでのように、上から与えられた仕事ではなく、自分たちがゼロから構築できることが伝わったのか、これから起きるワクワク感と、言い訳のできない真剣勝負の場へ挑む緊張感が、テレビ会議越しでも伝わってきました。
CGW:それはまた思い切りましたね......。
小澤:もっとも、仕事を任せる上で重要な点があります。それが、以下の4点を固めて現場に伝えることです。そうすればリスクも減り、のびのびと仕事をしてもらえるようになるんです。
①望む結果、達成してほしいこと
②守るべきルール、してはいけないこと
③使って良いリソース
④仕事の結果を評価する基準
これが定まっていないリーダーだと、口では「お前に任せた!」と言っても結局は現場をふり回してしまうんですよね。
CGW:新しくつくり直してもらった企画概要書は、もともと小澤さんが考えられていたものと、ちがいはありましたか?
小澤:正直な話をすると、私がつくった企画概要書の骨子は残しつつも、全てがパワーアップした内容になっていました。シリーズものですから、大まかな方向性は踏襲してくれたんです。ただ、自分たちでクリエイティブできるんだと思ったときのパワーがすごかったんですよ。こんなものじゃ終わらないぞって。どんどん内容が上乗せされていって。これ、本当につくれるの? と心配してしまうぐらい良いものになっていました。
ふり返ると、やっぱりスタッフに恵まれましたね。『VI』の開発は弊社だけでなく、協力会社様との共同開発で進めたのですが、『ソウルキャリバー』シリーズが大好きなメンバーばかりでした。そのためシリーズのナンバリング最新作にふさわしい内容であることを求めましたが、そういった開発陣だったため、そこはブレないだろうと信頼してました。
CGW:確認ですが、『ソウルキャリバーVI』では制作プロデューサーをされていたということで、まずクオリティ面にこだわられたのですね。たとえばワールドワイドで何百万本といった数字ではなくて。
小澤:そうですね。数字も大切ですが、まずは内容面でした。シリーズのファンにそっぽを向かれたら元も子もない。第一に、熱心なファンに喜んでもらえるものを考えてもらいました。
CGW:また、『ソウルキャリバーⅥ』ではゲーム大会を視察して、ゲームが上手い人に声をかけて、開発チームにスカウトしたという話も聞いています。
小澤:そうなんですよ。他のゲーム会社の方からも、「あんなこと、本当にやったの!?」と質問されました。きっとインパクトがあったんでしょうね。ただ、以前から私の思想として「好き」の力って大きいと思っていました。そのためシリーズものをつくるのであれば、そのシリーズを好きな人がつくった方が、良い製品になるだろう、という思いがありました。
その一方で開発チームである「プロジェクトソウル」は、『ソウルキャリバーV』終了後に一度解散してしまったため、新作を起ち上げようにも、最初はスタッフが2人しかいませんでした。特に絶望的だったのがバトルのスタッフで、「なんとかバトルに強いスタッフを増やさなければ」という思いから、ユーザーが主催した『ソウルキャリバーV』のゲーム大会に足を運びました。そこで楽しそうに遊ぶ姿を見て、一緒にゲームが開発できたら楽しいだろうな、と感じたんですね。
CGW:なるほど。
小澤:そもそも私は、今の時代はクリエイティブすることは決して特別な立場の人だけができることではなく、誰もがクリエイターになれる時代だと思っています。PCが一台あれば、無料のミドルウェアを落としてゲームが作れますし、SNSを見渡せば、素晴らしいファンアートにあふれていますからね。こんなふうに作り手と受け手の壁が溶けていく中で、シリーズを好きでいてくれるファンを開発に引き入れない手はないな、と思ったんです。
CGW:とはいえ、社内からは反対意見もあったでしょう。
小澤:ありました。当時の上司からは「プレイヤーを開発に入れる? 素人だよね? 何をやらせる気なの?」と言われましたし、説得するのも大変でした。それでも蓋を開けると、やはり「好き」の力がすごくて、素晴らしい活躍を見せてくれました。本当にありがたい話でした。
CGW:何名が開発に参加されたのですか?
小澤:会場では20名以上に声をかけましたが、「今の仕事を辞められない」、「結婚しているのでそんなギャンブルはできない」など、残念ながらほとんど断られましたね。それでも最終的にプレイヤーあがりの方が4名、参加してくれました。皆さん、対人戦が非常に上手な方ばかりだったので、新しい提案をしてもらったり、バランス調整を手伝ってもらったり。いずれの段階でも、モチベーション高く仕事をしてもらったので、感謝しかありません。
自分がやりたいことがわかったのは46歳のとき
CGW:『ソウルキャリバーVI』の本編開発も無事終了して、最近では学校で講演をされる機会が増えているそうですね。
小澤:そうなんですよ。もともと自分自身も学びの場に興味があり、次第に講演の機会をいただけるようになりました。最初に講演したのが2020年2月のことです。幸いにも評判が良かったようで、そこから先生方の口コミで伝わったのか、立て続けに依頼をいただいています。大変ありがたい話です。
CGW:どういった内容の講演が多いのですか?
小澤:主に高校生に向けて、ゲーム業界やゲーム開発の話をしながら、自分が得意なリーダーシップのスタイルについて触れるようにしています。世の中にはチームを力強く牽引していくタイプのリーダーもいますが、私はそういうタイプではありません。「裏方としてスタッフに寄り添い、応援し、その結果動かすこと」です。そのうえで、「自分が本当に好きなものを見つけてね、そうすれば素晴らしい仕事が見つかるよ」と一貫してお伝えしています。
CGW:ただ、「なかなかやりたいことが見つからない」、「失敗するのが怖くて行動を起こせない」という生徒や学生も多いですよね。就職活動が典型的な例で、失敗するのが怖いからエントリーシートの提出が遅れ、いよいよお尻に火が付いて自信がないままに就職活動に臨む。案の定ダメで、ますます自己否定に陥ってしまうという。昔から同じようなことは言われていましたが、近年では一層そういった風潮が高まっているような気がします。
小澤:そうそう、そうなんですよ。自分が講演した高校の校長先生方は、皆さん同じようにおっしゃっていました。とにかく勉強して、特に目的もなく名の知れた大学に入る。そして大学3年生になって就職活動を始める段階になると、何がやりたいかわからなくて立ち止まってしまう。こういった学生さんも、本当に多いようですね。
そのため講演では、今までお話ししてきた紆余曲折に加えて、46歳になって自分自身が本当に進みたい道を見つけたことを正直に話しています。46歳って、つまり去年(2019年)のことなのですが、ふり返ればまったく順風満帆じゃないですよね。そんな私の生き方に光明を見出してくれれば......と。
CGW:46歳というのは、『ソウルキャリバーVI』の本編開発が終了してからという意味ですか?
小澤:そうですね。『ソウルキャリバーVI』の本編開発が終わった後で、なんとなくぼんやりと、自分のやりたかったことができたような気がしたんですよ。あれ、上手くいったんじゃないかって。そうした体験や感情を自分の中で定着させるために、ビジネストレーニングなどを受けて、言語化しようとしました。その結果、やっぱりアニメーターからプロデューサーになって良かったんだ、自分の道はこれだったんだと、46歳になって確認できました。
それまでは、わからないままに目の前にあるものにチャレンジしていた感じでした。そうやって無我夢中で取り組んだ結果、やっと自分の好きなものが何かを理解できたんです。だから「学生の皆さん、大丈夫ですよ」と伝えています。
CGW:人生もキャリアも一本道ではなくて、行ったり来たりの繰り返しだと思いますが、まだ高校生ぐらいだと、なかなかわからないですよね。
小澤:今でも強烈な思い出として残ってるのは、講義が終わるタイミングで、「最後に一つだけ良いですか!?」と割り込むように質問してきた生徒さんがいたことです。聞くと「私は将来やりたいことが無くて焦っています。だから大学の志望校も選べていません。でも、何となくこのまま進んでいたら、いつか人生で後戻り出来なくなる時が来ると思うんです。一体、何歳までに自分のやりたい物を見つけなければいけないんでしょう?」と言うんですね。この時、質問の内容もさることながら、すでに人生に絶望してるような顔つきだったのが印象的でした。
CGW:なるほど。
小澤:高校3年生だから、たぶん17~18歳ですよね。その年で、もう将来が見つかっていないと、終わりだよって、きっと誰かに言われているじゃないかって思いました。これは良くないなって思って、その子を勇気づけるつもりで、いやいや僕は自分を見つけたのは46歳ですよと。それでも元気でやっていますよ、まだまだ大丈夫ですよと。そんな風にエールを送りたかったんです。それで46歳という話をしました。
CGW:とりあえず、目の前にあるものに夢中になることが大切なのでしょうか?
小澤:あっ、そうです。もう本当にその通りです。僕はその生徒さんに対して「なにか気になるものがあったら、とりあえずやってみてください。もしそれをやってる時に時間を忘れることがあったら、多分あなたの好きに近づいてます」という話もしました。やってる間に、あれ? 1時間たってる、2時間たってる。そんな経験をしたら、多分あなたがやってることは、自分の好きなものに近づいています。だから徹底的にやってみてくださいと。
CGW:多くの大学では3年生に進級するとき、専門分野や研究室の選択がありますよね。最近はこの選択ができなくて、悩んでいる学生も増えているようです。一度選択したらもう元に戻れないので、失敗したくない。そう考えれば考えるほど選べなくなると。
小澤:わかります。今の世の中はSNSを見渡せば様々な情報が得られます。その中でも、ポジティブな情報よりもネガティブな情報をキャッチしてしまうんじゃないか。その結果、誰かが決めた「勝ち組のレール」から外れたと思った途端に自分の人生に絶望してしまう......。それが大人のみならず、若い方にも浸透してしまって、彼ら・彼女らを焦らせるのではないでしょうか。高校での講演を通して、そんなふうに感じるようにもなりました。
全世界ではなく、自分の波長と合う人を救う
小澤:ただ、「人生いつでもやり直しができる」というメッセージが、若い子たちにはほぼ届かないんです。これをどうやって届ければ良いか、いつも考えています。学生さんや生徒さんが、これからの社会でいかにして自分の場所を見つけていくのか......? きっと先生方も、その糸口を見つけて欲しくて講演を依頼されたのだと思うんです。
CGW:そこで気持ちのわかる「泣き虫プロデューサー」の出番というわけですね。歳を重ねるほどに、若い人のそういった悩みに気が付かなくなってしまいます。
小澤:本当に泣き虫なんですよ。それに自分自身を振り返ってみても、生きづらい世の中になってきたと思います。これは新人アニメーターが泣き崩れた時に、その痛みを感じ取ってしまった話にもつながっていて、つらい人の気持ちを察してしまうんですよね。それがSNS時代になって加速してきて。今でもSNSのタイムラインを見ると、辛そうな人たちの感情みたいなものが、ブワッて入ってきてしまうんです。ただ、だからこそ次の時代をキャッチできるメリットもあるのかなと。そんなふうに若い方の感情を汲み取って、何かエールを送りたいなと思って、講演をしていますね。
CGW:アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』のATフィールドではありませんが、最近はATフィールドが薄くて、すぐ傷ついてしまう人が増えている気がしますね。一方でATフィールドが薄いということは、感受性が高くて芸術的なセンスに長けているということでもあります。逆にATフィールドが厚いということは面(つら)の皮が厚いということでもあるので、クリエイターとしてどうなのかなっていうところは、ありそうですね。
小澤:それは本当にそう思いますね。今の若い方には高い感受性が備わっているし、すでに感覚がインターネットを介して世界と直接繋がっているんですよね。昔とは比べものにならないほど沢山の情報が得られるので、アウトプットのレベルも格段にあがっています。
CGW:自分が教えている専門学校でも、相手の気持ちを推し量りすぎて、常に理想の答えを出そうするあまり、アウトプットのクオリティは高いけれど、精神的に疲れてしまう学生がいます。どのように声をかけたら良いか、日々悩んでいるところです。
小澤:そうですね。そんなとき、私は他人のためにものをつくるのではなくて、自分のこれまでの人生で導き出した答えを、作品に盛り込むのが良いと思ってます。そうすることで、その作品に共感した人が自然と救われていくんです。全員にあわせるのではなくて、自分と波長の合う人を救う。全世界を救うのではなくて、少数の人間を救うんですね。その少ない善を喜びに感じてほしいと思っています。
CGW:八方美人になるのではなくて、まず自分が好きなものをさらけ出してみる。そうすると、そこに共感してくれる人が絶対にいると。
小澤:そうですね。その人にだけは勇気を与えることができると思います。それができるだけで、十分じゃないかと。
CGW:先ほども言われたようにSNS時代なので、自分の発した情報が、どこにリーチするかわからないですよね。確かに、それは一つあるかなと思いました。
小澤:いえいえ、こちらこそありがとうございます。
CGW:では、これから取り組んでみたいことや、抱負などはありますか?
小澤:また制作プロデューサーとして、チームビルドの段階からタイトルを手がけたいですね。幸いにも能力を見抜いて配置する手腕に優れた上司に恵まれていますので、各方面に頭を下げつつ、みんなの気持ちを感じ取りつつ、時には泣きながらがんばります。「日本一の泣き虫プロデューサー」ですから。
CGW:ありがとうございました。最後になりましたが、高校生や学生のみなさんにメッセージをお願いします。
小澤:みなさんは数年後、きっと社会に出られると思います。色々なことに挑戦して、自分が本当に「好き」なものを見つけてください。それがゲームなら一緒につくりましょう。私は少し先で待っています。
CGW:小澤さん、ありがとうございました。