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    読者アンケートの中で「欧米だけなく、アジア圏で活躍する人材もぜひ紹介してほしい」というリクエストいただくことが増えてきた。そうしたニーズにお応えすべく、今回は台湾からお届けする。日本で経験を積んだ後に中国へ渡り、現在は台湾のCheer Digiartでプロデューサーとして活躍中である長谷川典子さんのキャリアをご紹介。

    TEXT_鍋 潤太郎 / Jyuntaro Nabe

    ハリウッドを拠点とするVFX専門の映像ジャーナリスト。
    著書に「海外で働く日本人クリエイター」(ボーンデジタル刊)、「ハリウッドVFX業界就職の手引き」等がある。

    公式ブログ「鍋潤太郎☆映像トピックス」



    Artist's Profile

    長谷川典子/Noriko Hasegawa(Cheer Digiart Inc.)
    京都府出身。2002年デジタルハリウッド大阪校VFX総Proコースを卒業後、2004年に同志社大学を卒業してから上京、有限会社マリンポストでCGデザイナーとしてキャリアをスタート。その後、太陽企画株式会社、株式会社オー・エル・エム・デジタル、株式会社エヌ・デザインでを経て、中国・西安のアネックスデジタル株式会社へ入社。2013年9月に台湾のCheer Digiart Inc.(台湾名:砌禾數位動畫股份有限公司)へ入社し、PM(Production Manager)、Producerを経て、外国人でありながらHead of Productionとして会社全体をまとめる役目をになうように。現在は英語留学をしながらCheerのプロデューサーとして日本案件の顧問的な役割を務めている。



    <1>実写VFXからアニメーションまで幅広く現場を経験する

    ーー学生時代は、どのように過ごされていたのでしょうか?

    長谷川典子氏(以下、長谷川):大学在学中に、デジタルハリウッド大阪校に通っていたんです。3ds MaxとAfter Effectsを学んだ9ヶ月間でしたが、映像制作やクラスメートとの団結の楽しさを知りました。卒業制作の頃にはよく連泊して作業していました。デジハリを卒業後、インターンシップでデジタル・メディア・ラボの関西支社で3ヶ月間お手伝いをしたのですが、その時に仕事としてのCGのイロハを学びました。

    ーー日本でお仕事をされていたときのお話を聞かせください。

    長谷川:映画の実写VFXがやりたかったことから、最初に就職したのはマリンポストでした。ここでは、基本的に1カットをモデルからコンポジットまでという作業形態でしたので、自分の担当カットが大きなスクリーンに映されることが何よりの喜びでしたね。その次に勤めたのが、太陽企画でした。太陽企画では上野の国立科学博物館用の大型展示ムービーなどを、その後に入ったオー・エル・エム・デジタル(以下、OLMデジタル)ではNHKのフル3Dアニメと、様々なジャンルのコンテンツ制作に携わりました。さらにその後はエヌ・デザインで再び映画VFXに携わりました。ちがうジャンルの、そして作業内容も異なる仕事を複数のスタジオで経験できたことは、現在の仕事にも大変役立っています。管理側として案件を見るときに、ひとつのことを深く知っているよりも、浅く広く多くのことを知っている方が、どんな案件にも臆せず対応できるからです。

    ーー社会人になられてから海外留学をされていたそうですね。

    長谷川:OLMデジタル時代の上司から、中国の西安にスタジオをかまえる アネックスデジタル というCGプロダクションの業務を手伝ってほしいとお誘いいただいたのがきっかけでした。いつかは海外で働いてみたい思っていたことと、大学時代に西安で1ヶ月ほどプチ留学した経験もあったので、願ったり叶ったりだとアネックスデジタルへ入りました。中国に渡る際、仕事と語学(北京語)の両立を目標にしていたのですが、アネックスは創業間もない時期だったため、多忙で語学学習がなかなか難しく、2年半勤めてから退社をし、西安交通大学の進修課(中国語専門コース)に通いました。30歳の女子大生です(笑)。
    10代から60代まで、国籍も様々な中、韓国やロシアの学生達が積極的に仲良くしてくれて、楽しい第2の学生生活を送れました。国同士では色々問題がありますが、一個人と一個人との仲には、それは無関係ということを身をもって理解しました。夏休み・冬休みの長期休暇の間には、北はハルビンから南はベトナム国境の街まで中国中をひとりで旅しました。

    ーー海外における就職活動はいかがでしたか?

    長谷川:中国にいた当時は、国家によるインターネットの情報制限もあり、台湾の情報が収集しにくく、「とりあえず行ってから考えよう!」と、何のツテもないまま中国から直で台湾に入りました。中国と台湾で、漢字や発音が異なるので、早く慣れるために語学学校にも少し通いました。日本人女性限定のシェアハウスに泊まりながら、オーナーさんに住居と仕事の探し方を聞いて(それすら知りませんでした)、専門サイトを漁る毎日でした。台北は日本人の多い街ですので、すぐに色々な人たちと知り合うことができ、そうした方々からたくさんのアドバイスをもらえました。台湾で日本人向けの人材派遣会社にも登録していましたが、現在の勤務先であるCheer Digiart(以下、Cheer)に入ったのは、西安にいたときにお世話になった方の紹介です。会社を訪ねると、すぐに社長さんと面談ができ、ひと通り自己紹介や他愛もない話をした後、「給料についてはメールするから」と、もうその場で入社が決まっていました。台湾の就労ビザに関して、外国人を雇える人数は会社の規模や資本金に依って変わってきます。幸いCheerは大きな会社でしたので、何の制限もなく、必要書類だけ出せば簡単に審査が通りました。

    新・海外で働く日本人アーティスト 第3回:長谷川典子

    Cheer内の打ち合わせ風景より。チーム全体をまとめるには、高いコミニュケーション能力が不可欠だという

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    <2>Cheer Digiartのワークスタイル

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    <2>Cheer Digiartのワークスタイル

    ーー現在の勤務先についてお聞かせください。

    長谷川:Cheerは、2009年設立のまだ新しいスタジオです。従業員数は約120名(2016年6月現在)、アーティストは、アート・モデル・リグ・アニメーション・エフェクト・フルCG合成・実写合成、と部門ごとに分かれています。業務範囲もフルCGアニメのTVシリーズから実写映画、CM、VRなど幅広く、また取引先の国も台湾はもとより日本・中国・欧米とワールドワイドですので、PMは皆日本語か英語が話せます。あえて得意分野をつくらず、取引国も制限なし、という経営方針が逆に強みになっているのかなと思います。

    Cheer LiveAction Reel 2014 V2 from CheerDigiart on Vimeo.

    ーー台湾のVFX業界の動向を教えてください。

    長谷川:台湾のVFXは、歴史的には日本よりも遅れをとっているのですが、追いつけ追い越せで、欧米式の業務体系を取り入れ、新しい分野の開拓も積極的です。また国内でなく常に海外の動向に目を向けています。立地的にも日本・中国・東南アジアの真ん中に位置してますし、文化的にも中国と日本の中間ぐらい。今後、日本と中国、もしくは日本と東南アジアとのハブ的役割も担っていくのではないかと思います。

    新・海外で働く日本人アーティスト 第3回:長谷川典子

    会社のロゴの前で、同僚たちとの集合写真

    ーー現在のポジションの面白いところはどんなところですか?

    長谷川:「Head of Production」は、全ての案件の進捗、全ての部門の動向を把握し、過不足ないように調整する役割です。毎週月曜朝に各部門のリーダーが集まって会議を開き、私は主持人(司会者)として各部門の状況を聞いていきます。その中で情報を共有し、もしリーダー同士で認識がちがっていたりすると、その場で話し合って共通認識をもつようにします。その週の各案件の人員配置を確認し、週半ばで急な人員調整が必要になれば、その都度対応、最終的に各案件の実際かかった工数を確認し、想定と大幅な差が発生していないかチェック。問題があればトラブルシューティング、という、地味ですが会社の状況を逐一把握し、手空きや炎上のない状態を保つという重要な役割です。

    私が入社するまではここまで細かいこともしていなかったようなので、やはり日本人はやることが細かい、と重宝がられています。自分としても、100人以上のスタッフをまとめるというのは初めての経験でしたし、やり方も自己流でしたので、当初は受け容れてもらえるか心配でしたが、日を追うごとにスタッフの理解や信用が得られ、また経営側からも私に任せておけば安心出来ると太鼓判を押され、大きな自信につながりました。また立場上、日本・台湾・中国案件関係なく、クライアントとの会議に顔を出せたことで、日本や、台湾の有数のCGスタジオの方々はもとより、中国のスタジオとも交流がもて、人脈が大きく広がったことも私にとってプラスでした。自分で手を動かして1カットの画をつくることはなくても、自分の働きで多くの案件がスムーズにまわっていくことが、良い作品を生み出すことに繋がります。ひいてはスタッフやクライアントの幸せにもなるというのが、やりがいでありこの上ない喜びでもあります。

    ーー中国語の習得はどのように?

    長谷川:中国語は高校3年生時から学校の選択教科で学び始めました。大学でも引き続き第二外国語として単位を取っていたのですが、日本での教育は基礎の基礎。メインは西安で一念発起して、現地の大学の語学クラスに通い出してからです。中国語で中国語の授業を受け、生活環境も中国語。世界一発音が難しい中国語を身につけるには、これが一番の近道です。1年半の就学後、HSK(漢語水平考試)という中国が世界的に実施してる検定試験の6級(最高級)を取得し、台湾に来たのですが、台湾ではこの検定は知られてなく......結局は面接で意思疎通ができるのかどうかです。今から思えば、Cheer入社後社長と、会社のビジョンから案件の話から他愛のない日頃の愚痴まで、毎日のようにコミュニケーションをとっていたのが一番の勉強になったのかもしれません。

    ーー将来、海外で働きたい人たちへのアドバイスをお願いします。

    長谷川:私が日本を飛び出した2008年当時は、海外就労へのキッカケづくりすらわかりませんでしたが、今は海外に進出している日系プロダクションも多く、探すのはそう難しくはないでしょう。第一歩としては、日系企業を当たるのは悪くはないと思います。現地の会社で働きたい場合、各プロダクションの公式サイトやFaceBook等のSNSを使って飛び込みで働きかけることもできますし、LinkedInで自分の履歴を世界にアピールすることもできます。ただ、生活習慣や食べ物が合う合わないもあるので、まずは一度現地へ行ってみることをオススメします。海外に出ることは、逆に日本を知ることにもなります。日本の良い面、悪い面を知ることで、やはり日本の方が自分に合ってる、と思われる方もいるでしょう。いずれにせよ、まずは海外に出てみないと知る術がありませんから、中華圏に出るなら中国語、欧米に出るなら英語を、日常的なコミュニケーションができるレベルで十分なので習得、そして実際に飛び出してみてください。

    海外で働き始めると「世界の常識だと思っていたことが日本だけの常識にすぎなかった」ことがわかり、まずは自分のキャパシティの狭さを実感します。でも、相手のことを理解し、歩み寄らない限りは、わかり合えることはありません。そこで、いったん自分の常識を取り払い、相手を知ろうとします。そうすると、相手もこちらのことを知ろうとしてくれます。そうするうちに、自分のキャパも広がり受け容れて理解できるようになるのですが、ここで忘れてはいけないことは、譲れないところはやはり押し通すこと。ここだけは、というところまで譲ってしまったら、せっかく日本で身につけた日本人アーティストとしてのアイデンティティ(大和魂?)まで殺してしまいます。私も、厳しいことを言わないといけないときは、心を鬼にして言ってきました。日本の考え方と現地の考え方の両方がわかると、真ん中に立って苦しむことも多いのですが、お互いに理解してもらえるよう誠意をもって説明することが必要で、そうした意味でも高いコミュニケーション能力は不可欠です。受け容れるところと押し通すところ、このバランスが難しいのですが、環境や状況によりけりですので、その感覚は自分で磨いていくしかありません。

    【ビザ取得のキーワード】

    1.同志社大学を卒業
    2.ワーキング・ホリデー制度を利用して台湾へ
    3.アネックスデジタル(西安)における2年半勤務の在職証明書()を入手
    4.台湾のCheer Digiartに就職、就労ビザを取得

    ※:台湾での就労ビザ取得の際に必要となる書類。4大卒であれば合わせて2年(複数会社可)の職歴証明でOK。高卒・専門/短大卒は5年の職歴が必要。



    info.

    • 新・海外で働く日本人アーティスト 第3回:長谷川典子
    • 【PDF版】海外で働く映像クリエーター 〜ハリウッドを支える日本人 CGWORLDで掲載された、海外で働くクリエイターの活躍を収めた記ことを見やすく再編集しました。「ワークス オンラインブックストア」ほかにて購入ができるので、興味のある方はぜひ!
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      総ページ数:369ページ
      発行・発売:ボーンデジタル

      www.borndigital.co.jp/book/648.html