>   >  新・海外で働く日本人アーティスト:ILMの技術力を支えるR&Dエンジニアとして活躍 第42回:鈴木剛夫(Industrial Light & Magic / R&D Engineer)
ILMの技術力を支えるR&Dエンジニアとして活躍 第42回:鈴木剛夫(Industrial Light & Magic / R&D Engineer)

ILMの技術力を支えるR&Dエンジニアとして活躍 第42回:鈴木剛夫(Industrial Light & Magic / R&D Engineer)

完結編『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』が、いよいよ12月20日(金)から日米同時公開の運びとなる。この作品を始めとする数多くの作品を手がけるインダストリアル・ライト&マジック(以下、ILM)において、R&Dエンジニアとして活躍中の鈴木剛夫氏。今回は、開発側の様々なチャレンジや、CGやVFXに興味を抱いた学生時代の話などを、掘り下げて伺ってみた。

TEXT_鍋 潤太郎 / Jyuntaro Nabe
ハリウッドを拠点とするVFX専門の映像ジャーナリスト。
著書に『海外で働く日本人クリエイター』(ボーンデジタル刊)、『ハリウッドVFX業界就職の手引き』などがある。
公式ブログ「鍋潤太郎☆映像トピックス」


EDIT_山田桃子 / Momoko Yamada

Artist's Profile

鈴木剛夫 / Masuo Suzuki(Industrial Light & Magic / R&D Engineer)
東京都出身。1999年に東京工芸大学 工学部 大学院を卒業後、SEGAへ入社。その後、OptGraphを経て、渡米しESCに入社。その後、ソニー・ピクチャーズ・イメージワークス、デジタル・ドメインなどを経て、2012年にILMに移籍し、現職
www.imdb.com/name/nm1706553
twitter.com/masuosuzuki

『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』
12月20日(金)全国公開
starwars.disney.co.jp/movie/skywalker.html
© 2019 ILM and Lucasfilm Ltd. All Rights Reserved.

<1>学生時代からRenderManを使いレンダリング分野の技術を学ぶ

――学生時代の話をお聞かせください。

子供の頃は絵を描くのが好きで、中学、高校時代もよく描いていました。本当は芸術系の大学に進学したかったのですが、家庭の事情もあって工学部に進学しました。大学では印刷工学を学んでいたのですが、4年生で配属になった研究室で、同僚がMacのInfini-Dという3Dアプリケーションを使っているのを見て、3DCGに興味をもち始めました。たしか1996年頃だったと思います。

そこから独学でCGを学び始めて、絵を描くのが好きだったということもあり、その頃は大学で学んでいた分野とは関係なく、「アーティストになりたい」と漠然と思っていました。当時はコンピューターに関する知識はゼロに近い状態だったのですが、学んでいくうちに技術にも興味をもち始め、特にレンダリング分野の技術に強い興味をもちました。大学でもCGを学びたかったのですが、当時の工学部にはCGを研究できる研究室がなかったので、先生と相談して大学院へ進学し、さらに芸術学部へ出向させてもらい、そちらでコンピューターを使ったメディアアートに関係した研究室に通わせてもらいました。とても例外的なことで、受け入れて下さった当時の先生方には、今でもとても感謝しています。

その当時、「ハイエンドCGのレンダリング」と言えばRenderManだったので、学校でライセンスをひとつ購入してもらい、プログラミングを勉強してシェーダを書いたりしていました。その頃はネットにも情報はほとんどなく、限られた英語のページを必死に読みながら学びました。

芸術学部に通ってはいましたが、籍は工学部だったので修士論文を書かねばならず、色々とテーマを探した結果、外部の会社OptGraphと共同で、ラジオシティ法に関する研究を修めて卒業しました。当時の自分は、知識も技術も乏しかったので、あまり役に立っていたとは言えなかったと思います。

――日本でお仕事をされていた頃の話をお聞かせください。

当時、日本でRenderManのような技術に興味があった人は少なくて、イベントや代理店の説明会などで皆知り合いになるような状態でした。その関係もあって、複数の会社から声を掛けていただいたのですが、卒業後はSEGAに入社しました。

SEGAはゲーム会社ですが、当時はプリレンダムービーを専門につくる部署があって、そこで『サクラ大戦 3』のムービー制作に携わっていました。デザイナー職で入社しましたが、実際にやっていたのは、今で言うTDです。シェーダを書いたり、社内ツールを改良したりしていました。ただ、業務内容がいまひとつ自分の志向に合わず、1年ほどで退職しました。

SEGAの後、前述のOptGraphに入社して、レンダラの開発をやっていました。この会社は今はもう存在していないのですが、プログラミングの知識は、この頃に一番学ぶことができました。2年ほど勤務した頃に、当時サンフランシスコ近郊アラメダにあったESCに在籍されていた、ただおさん(三橋忠央氏)から「シェーダライターポジションに興味ある?」というメールをいただいて、そのままESCに入社しました。ここでは、映画『マトリックス リローデッド』、『マトリックス レボリューションズ』などに参加しました。

――海外での就職活動はいかがでしたか?

自分は、ただおさんの紹介でESCへ入社したので、海外での就職活動はほとんど経験していません。ESCとは電話インタビューを一度やっただけでした。当時のアメリカは、就労ビザも今より楽に取得できたので、特に大きな問題もありませんでした。

その後、ESCが閉鎖されたときは突然でした。ある週明けの月曜日の朝、全社員がシアタールームに集められ、閉鎖のアナウンスがありました。そのアナウンスから実際に会社が閉じられるまで、2ヵ月程しかなかったように記憶しています。

そこで、すぐにデモリールやレジュメを用意しました。しかしESCが閉じるにあたって、従業員を他社へ斡旋してくれていたので、就職先も割とすぐに決まり、ロサンゼルスのソニー・ピクチャーズ・イメージワークスに移籍することができました。

その後のデジタル・ドメイン、ILMへの転職も、基本的には声をかけていただいて移籍したので、大変ありがたいことに、これまで海外での就職活動で苦労は経験せずにすんでいます。

あえて"苦労"と言えば、渡米したのが木曜日、週明けの月曜日から勤務開始というスケジュールだったので、「初めての海外生活を、勤務しながら整えていく」ことに苦労したと言えるかもしれません。ただ、当時はワクワク感の方が圧倒的に勝っていたので、辛くはありませんでした。この頃、ただおさんには大変お世話になりました。


R2D2と

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