海外での就業を目指すなら、ワーキング・ホリデー制度を利用して海外へ行ってみるのも選択肢の1つになるだろう。この制度は残念ながらアメリカでは実施されていないが、VFXが盛んなカナダ、イギリス、オーストラリア、ニュージーランドなどでは利用できる。このワーキング・ホリデーでイギリスへ渡り、現在はオーストラリアで活躍中の松野洋祐氏に、話を伺ってみることにしよう。

記事の目次

    Artist's Profile

    松野洋祐 / Yosuke Matsuno(MPC Adelaide / Head of Compositing)
    埼玉県出身 2001年に日本大学建築工学科を卒業後、建築のビジュアライゼーションを専門に行う株式会社キャドセンターにてCGデザイナーとしてキャリアをスタートする。2005年に株式会社オムニバスジャパンに移籍、ハイエンドなCMおよび映画のVFXを扱うジェネラリストとして経験を積む。30歳を機にワーキング・ホリデー制度を利用してイギリスへ渡り、2011年からロンドンのMPCにてCompositorとしてスペシャリストへ転身する。2019年にオーストラリアのアデレードにあるMill Film(現MPC)へLead Compositorとして移籍し、2D Supervisorを経て現職に至る。
    受賞歴:『アサシンクリードIV ブラック フラッグ』 Cannes 2014 -Film Craft Category VFX Gold Lion- 、『ジャングル・ブック』Academy Awards 2017 -Best Visual Effects-、『13人の命』 VES Awards 2023 -Outstanding Supporting Visual Effects in a Photo Real Feature-

    <1>日本でジェネラリストとして活躍後、ワーキング・ホリデーでイギリスへ

    ――子供の頃や、学生時代の話をお聞かせください。

    建築家だった父の影響を受け、子供の頃からものづくりに興味をもっていました。物を分解したり、いじくることが好きな子供だったそうです。中学の頃は部活動に明け暮れる日々でしたが、英語にも興味をもち、いつか外国に行ってみたいなと考えていました。

    高校生になると友人の影響でバイト代を貯めてMacを購入し、学生時代の思い出をショートムービーにして同級生に配ったりしていました。この頃から何かつくったもので人を喜ばせる楽しみを感じていたのかもしれませんね。

    受験勉強中に行ったル・コルビュジェ展で感銘を受け、大学では建築を専攻しましたが、大きな転機となったのは課題でコンピューターグラフィックスを扱ったことでした。自分のアイデアを形にできるCGというものに興味をもち、独学で勉強を始めました。大学時代は格好良いものや美しいものに惹かれ、一眼レフ片手に写真を撮り歩いたり、好きな本をたくさん読みました。サークルではチームとして作品をつくり上げる楽しさや難しさを経験しました。また、お世話になったデベロッパーや設計事務所でのアルバイトからは実際の建築のプロセスやプロフェッショナルとしての働き方を垣間見ることができました。そういった1つ1つの経験が今の自分の選択に大きな影響を与えているんだなと実感します。

    ――日本でお仕事をされていた頃の話をお聞かせください。

    大学卒業後は、CGデザイナーとしてキャドセンターで働き始めました。建築の知識を活かしつつ、CG制作への好奇心を満たすことができて、とても楽しかったです。建築のビジュアライゼーションは奥が深く、より美しく洗練されたものをつくりたいと切磋琢磨していましたが、あるプロジェクトでオムニバスジャパンと関わる機会があって、そのクリエイティブな成果物に大きな衝撃を受け新しい世界を見た気がしました。CGを用いてより多様な表現ができるようになりたいと、ジェネラリストとしての勉強を続け、フリーランスで活躍されていた先輩の紹介もあって、晴れてオムニバスジャパンで働く機会を得ました。

    当時は徹夜が当たり前の過酷な労働環境でしたが、憧れていたCMや映画のプロジェクトに参加でき、今でも第一線で活躍されている方々に囲まれて働けた経験は、自分の基礎となっています。より高いレベルの仕事をしたいと奮闘する日々でしたが、それと共にスター・ウォーズなどのハリウッド映画のクオリティーには常に圧倒され「どうやったら、こんなすごいものがつくれるのか」と、その秘密を知りたいと、次第に海外に興味をもつようになりました。

    ――海外の映像業界での就職活動はいかがでしたか。

    2008年にLAで開催されたシーグラフに参加した際、現地で働く日本人の方々からスタジオ見学やキャリア形成に関する貴重なアドバイスをいただき、自分も挑戦することを真剣に考え始めました。

    あるときイギリスのワーキング・ホリデーの制度を知り、ハリーポッターを始めとする多くの作品を手がけるイギリスのVFX業界にも興味をもっていたので、「2年間あれば、なんとかなるだろう」と2010年に渡英を決断しました。

    当時はNukeや業界に関する情報が限られていたため、ソフトの勉強をしつつ人脈をつくろうと、Escape StudioというCG専門学校に通いました。講師が現役のコンポジターだったので、ソフトだけでなく業界の構造や働き方なども詳しく知ることができ、積極的なアピールのおかげもあって最終的にMPCのリクルーターを紹介してもらいました

    日本でジェネラリストとしての経験はありましたが、スペシャリストとしては未経験だったことや、英語のスキルに懸念はありましたが、面接にはあらゆる想定問答集をつくり、入念なリハーサルをして臨みました。

    その結果、3ヵ月の試用期間を経て、正式なオファーをもらうことができました。現地での就職活動だったのでこのようなチャンスがありましたが、日本からの応募だと経験者が前提なので、自分のような場合はまず無理だったと思います

    Mill Film時代のコンポジットチーム集合写真

    <2>やれるときに、思いが熱いうちに、挑戦を

    ――現在の勤務先は、どんな会社でしょうか。簡単にご紹介ください。

    MPC Adelaideは2018年にMill Filmとして設立され、オーストラリアのアデレードという住みやすく美しい都市に拠点を置いています。最盛期は500人を超える規模で、主にハイエンドな映画のVFXを制作しています。

    他のMPCの支社同様に国際色豊かな面々と共に働いています。そんなMill Filmですが、設立から数奇な運命を辿り、2020年にMr.Xに統合され、2022年にはMPCとして再編されました。そんな紆余曲折を経ましたが、おかげで異なる会社によるパイプラインやコンポジットのアプローチを短期間で経験し、MPCとして再編された際には部署と制作環境を1から再構築するという貴重な機会を得て、より深い理解と経験を得ることができました。

    ――最近参加された作品で、印象に残るエピソードはありますか。

    2023年に参加した映画『Strays』という作品ですが、MPCとして再編後の一大プロジェクトで、新しいパイプラインを理解しながらワークフローの構築も行い、各部署共に試行錯誤を繰り返し、上流のスケジュールは遅れに遅れ、全てのしわ寄せがコンポジットにのしかかる過酷な状況でした。

    ▲Strays | Official Trailer [HD]

    2D Supervisorとして初のプロジェクトでもあったので、かつてのサイコパスでストレスを撒き散らすスープ(※スーパーバイザーの略)達を反面教師に、自分の理想とする形を実現すべく、息巻いて取り組んでみました。しかしながら、実際自分がその立場になってみると、重圧やストレスは想像以上で、彼らの振る舞いを肯定こそしませんが、その境遇を真に理解した瞬間でもありました。そんなもがき苦しんだ日々でしたが、終わってみればどの作品よりも愛着の湧く、ほろ苦い思い出が詰まった作品となりました

    ――現在のポジションの面白いところは何でしょうか。

    Head of Compositingというポジションは、各プロジェクトの進行やスケジュールを俯瞰的に把握し、技術的な問題を解決したり、アーティストのリクルートメントやトレーニングを通じて部署の構築を行い、あらゆるコンポジットに関連するパイプラインおよびワークフローの統括を担います。

    ここアデレードのスタジオでは、独自のワークフローを構築し、「モジュラー・ワークフロー」という各タスクをモジュールとして管理し、様々な状況に応じて柔軟に再構築、再利用が可能になる方法論を採用しました。

    コンポジットは、ともすれば人海戦術に陥りがちですが、モジュールを利用した効率化および自動化によって、少ない人材でもクリエイティブなタスクに専念し、多くのショットを量産できる環境を実現しています

    このアプローチは、リソースの少ない日本の制作環境にも応用できる、非常に優れたものだと思います。人材的な理由もありますが、設計だけでなく実際のツールのビルドやコーディングも行い、プロジェクトからの要望に即座に対応し、短いスパンでアイデアやツールが最適化されていく過程はとても楽しくやりがいがあります。

    またこういった構築のプロセスは、大学で専攻した建築の設計デザインの経験が生きているのではないかと感じています。

    ――英語や英会話のスキル習得はどのようにされましたか?

    渡英する前に半年間、そして渡英後にも半年ほど語学学校に通い、万全の準備をしたつもりでしたが、MPCで働き始めた最初の1ヵ月のほうがはるかに上達を実感しました。

    「必要に迫られて、追い込まれてやるしかない状況」が一番ということですね。結局は場数を踏むことでしか上達しないので、内向的で人見知りな自分ですが、英語を話すときは意識的に社交的に明るく努め、仕事以外での同僚との飲み会や交流など積極的に話す機会をつくりました。

    そういった小さな積み重ねや、リードやスープとしてチームをまとめていく経験も、会話力が大きく上達するきっかけになりました。とはいえ海外就労歴10年を超えた今でも、正直なところ英語はなんともなりません。ですが、なんとかなります。足りない分は本業でカバーすればいいんです。

    スキルという共通言語がありますし、ヨーロピアンなどネイティブでない同僚もたくさんいるので、そこはお互い様です。スキル不足でクビになる人は多々いますが、英語力でクビになったという話は聞いたことがないので心配しなくても大丈夫です。

    ――将来、海外で働きたい人へのアドバイスをお願いします。

    「英語が話せるようになってから」とか、「仕事で実績を上げてから」といったタイミングを待っていると、いつまでたってもスタートできないので、やれるときに思いが熱いうちに挑戦してみたら良いと思います。

    行動を起こせば自ずと結果がでますし、良くも悪くもそれが次に繋がります。とはいえ日本から応募してオファーを得るとなると、海外就労の経験やビザの問題など高いハードルがあるので、日本である程度の職歴を積んでからワーキング・ホリデーを利用して現地での就職活動をお勧めします。

    ワーキング・ホリデーならビザの制約がなくフルタイムで働けて、自分のように学校を経ても時間の猶予があります。海外就労は経験値を0から1にするのが何よりも大変なので、そのきっかけを掴むためにも活用してみてください。

    最初は言葉の壁などで足踏みをする時期があるかと思いますが、それからは如何にプロジェクトの要となって主導権を握り、影響を与えられるような存在になれるかが重要で、結局はスキルでしか生き延びることはできません。これは日本と一緒ですね。

    最終的にはどこで働くかよりも、誰と働けるかが大事なんじゃないかと感じています。目標となる上司や同志と思える同僚がいれば、大きく成長できるチャンスで、何よりも価値があることだと思います。

    とはいえ日本を離れてみて、何でもかんでも海外が素晴らしい訳では当然ないですが、多くの学びがあって、改めて日本の良さも再認識できたことは貴重な経験だと思います。

    興味があるのなら、思い切って一歩を踏み出してみたらいいじゃないかと、そんな人たちの背中を強く押してみます!

    MPCのコンポジットチームの同僚達と

    【ビザ取得のキーワード】
    ①独学後、オムニバスジャパン等の国内著名スタジオで経験を積む
    ②ワーキング・ホリデー制度を利用してイギリスのロンドンへ
    ③Escape Studio(CG専門学校)と語学学校のダブルスクールをしながら、就職活動をする
    ④ロンドンのMPCに就職、ワーホリ終了後に就労ビザ(Tier2)を取得

    あなたの海外就業体験を聞かせてください。インタビュー希望者募集中!

    連載「新・海外で働く日本人アーティスト」では、海外で活躍中のクリエイター、エンジニアの方々の海外就職体験談を募集中です。

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    e-mail:cgw@cgworld.jp
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    Facebook:@cgworldjp

    TEXT_鍋 潤太郎 / Juntaro Nabe
    ハリウッドを拠点とするVFX専門の映像ジャーナリスト。著書に『海外で働く日本人クリエイター』(ボーンデジタル刊)、『ハリウッドVFX業界就職の手引き』などがある。
    公式ブログ「鍋潤太郎☆映像トピックス」
    EDIT_山田桃子 / Momoko Yamada