今回、紹介するのは、月刊CGWORLD 185号(2013年12月10日発売)に、「INTERVIEW.03:卓越したVFX演出で注目を集めるロサンゼルス在住の日本人少年」という記事が掲載された村山 譲氏だ。村山氏は現在、LAで広告分野のVFXアーティストとして活躍中である。そんな村山氏のキャリアパスについて、話を伺った。
Artist's Profile
村山 譲 / Jo Murayama (Magnopus / Visual Artist、Freelance / VFX Artist & Supervisor)
1997年、東京生まれ。8歳からロサンゼルスで育つ。中学1年生のとき、VFXと映画制作に興味を抱きはじめ、15歳でYouTubeに投稿した動画が注目を集める。同時に、フリーランスとしてキャリアをスタート。パサデナにあるアートセンター・カレッジ・オブ・デザインに進学し、映画およびテレビのディレクションを学ぶ。大学を中退後は、ソーシャルメディアマーケティングのフリーランス・エディターとして活動を開始。2024年6月にビジュアルアーティストとしてMagnopusに入社。並行してフリーランスのVFXアーティストおよびスーパーバイザー、また短編映画の監督&脚本を手がけ、映像制作への情熱を追求し続けている
jomurayama.com/vfx
<1>YouTubeにアップした作品が、プロデビューの足がかりに
――子供の頃や、学生時代の話をお聞かせください。
子供の頃から、段ボールで家をつくったり、新しいLEGOのデザインを考え出したり、頭の中で生まれたキャラクターやアイデアをスケッチしたりと、常にクリエイティブなことに興味がありました。11歳のときには、母のコンパクトカメラを借りて、LEGOスターウォーズ風のストップモーション動画を撮っていました。最初はどうやって編集すれば良いのかわからなかったので、カメラロールをスクロールして、動きを確認していました。
12歳までにiMovieで編集方法を学び、友人と一緒にiPod nanoの背面カメラを使ってコメディー風のYouTubeビデオをつくりました。そのときから、動く画像を繋ぎ合わせることに夢中になりました。
その後すぐに、After Effectsの存在を教えてくれた友人と出会い、彼らとビデオでコラボレーションをはじめました。父が誕生日にMac Miniをプレゼントしてくれたので、Final Cut Proにアップグレードし独学で学びはじめました。
私のYouTubeチャンネルは、動画制作とVFXのスキルを磨くにつれて成長し、16歳になる頃にはVFXアーティストとしてクライアントの仕事を引き受けるようになりました。こうしてコマーシャル、MV、短編・長編映画のVFXアーティストおよびスーパーバイザーとして活動を始めた初期の経験が、今日まで私が歩んできたクリエイティブな道の基盤となりました。
――16歳で映像業界デビューしたきっかけは、どういったものだったのですか?
私のVFX業界での初仕事は、型破りな方法ではじまりました。
16歳だった2013年、私のお気に入りだったYouTuberのライブストリーム・チャットにメッセージを送り、私のYouTubeのVFX動画を観てもらえるようにお願いしました。それが功を奏し、監督から連絡があり、彼の最初のインディーズ長編映画のVFXアーティストとして採用されました。
2015年にはVidConに参加し、YouTubeの「VFX Artists React」などで知られるVFXコンテンツに特化したスタジオCorridor Digitalとコネクションを築くことができました。彼らは私をインディーズ・スタジオに招き入れ、そこで初めてスタジオ環境で他のアーティストとコラボレーションしました。これが、フリーランスの仕事を超えて、私の経験を広げる重要な足掛かりとなりました。
高校時代、私のYouTubeチャンネルは、後のキャリアパスの重要な礎となりました。そのおかげで、プロのフィルムメーカー、インフルエンサー、制作会社、代理店などとコネクションを築くことができ、映像業界で良いスタートを切ることができました。高校の放課後は、YouTubeのチュートリアルやLynda.comのコースを通じて、After Effects、3ds Max、Boujouを学ぶことに時間を費やしました。
私が映画監督を目指し、さらに深く学ぶべくアートセンター・カレッジ・オブ・デザインに進学した頃には、すでにフリーランスのVFXアーティストとして仕事していました。学業と仕事のバランスを取るのは大変でしたが、ストーリーテリングと視覚効果への情熱が固まり、やりがいがありました。
大学在学中に、First Mediaというスタジオでモーショングラフィックアーティストおよびソーシャル・メディア広告のビデオエディターとして働き始めました。9ヵ月かけてソーシャルメディアマーケティングのプロセスをしっかりと理解しました。この頃、プロとしてのキャリアを追求していくことを決意し、大学を中退して仕事に専念することにしました。
2020年1月、広告代理店のCulprit Creativeにビデオ・エディターおよびクリエイティブディレクターとして入社し、いくつかのコマーシャルに携わりました。しかし、2020年3月のパンデミックにより、業界は突然大きく変わりました。そこでCulprit Creativeの創設者は、同社のサイドプロジェクトに注力することを決め、その立ち上げに私のソーシャルメディアマーケティングのスキルを活用しました。このプロジェクトは大成功を収め、私は最終的にHead of Growth(事業拡大責任者)となり、約2年間、有料ソーシャルメディアマーケティングを通じて市場拡大に貢献しました。
こうして、しばらくの間はビジネス面でのマーケティング戦略の分野での仕事を楽しんでましたが、私の琴線はビジネスよりも、クリエイティブ分野へと再び惹かれるようになりました。そこでクリエイティブな仕事に集中するため、最終的には2023年6月に退職し、ビジュアルアーティストとしてMagnopusに加わりました。
私のキャリアパスは、自分が最も好きなこと、つまり「魅力的なビジュアルと、ストーリーをつくり上げることへと回帰することになりました。
<2>スタジオで働きながら、フリーランスとして映画祭で受賞するなど精力的に活動中
――現在の勤務先はどのようなスタジオでしょうか?
現在、私はMagnopusでVisual Artistとして働いています。Magnopusは、ロサンゼルスとロンドンに拠点を置くコンテンツ重視のテクノロジー・スタジオで、VR/AR/メタバースとバーチャル・プロダクションの分野で受賞歴のある作品を制作しており、先駆的なテクノロジーを駆使するクリエイティブ・スタジオです。
それまで個人レベルや小規模な独立したプロジェクトを中心に活動してきた私にとって、Magnopusに参加したことは、構造化されたVFXスタジオの制作スタイルの世界へ移行できたという点で、大きな節目となりました。
Magnopusでの現在の職務は、私が今まで経験した中でも最高の仕事です。
これまで出会った中で、最も親切かつ優れた人材に囲まれており、その多くがVFX業界のベテランです。この環境は、私が技術的にも創造的にも成長するのに役立ち、毎日を楽しくしています。
私にとって最もモチベーションになっているのは、技術の限界を押し広げる最前線にいるスタジオの一員として、このような才能ある仲間と一緒に働く機会があることです。最先端のイノベーションと、サポートが充実していて楽しい職場環境を組み合わせることで、毎日が刺激的でやりがいのあるものになります。
――Visual Artistという呼び名は、ハリウッドでも珍しいですが、どんなお仕事をされるのでしょうか。
MagnopusにおけるVisual Artistとして最もエキサイティングな点は、最先端テクノロジーによって現実とデジタル処理のギャップを埋めていくことにあると思います。コンポジットのスペシャリストとして、実写プレートやCGIなど複数の異なる素材を、不自然に見えることなく、シームレスに仕上げていきます。
Visual Artistの役割は、複数の異なるスキルを必要とされるVFX業界のジェネラリストに似ています。しかしMagnopusでは、クリエイティブとテクノロジーの両面を駆使し、表現の限界を押し広げていく能力が必要とされます。
――これまでのキャリアの中で、何か印象に残る出来事はありましたか?
Culpritに在籍中、スタートアップ環境で働くことに伴う課題に直面しました。例えば、成長中のビジネスのクリエイティブおよび運用上の制約を乗り越えることで、適応力と問題解決について多くのことを学びました。
この頃は一時的にクリエイティブな仕事からは離れていましたが、ソーシャルメディアマーケティングのスキルを磨き、会社の成長に貢献する革新的な方法を見つけるよう努めました。思い出に残る瞬間の1つは、パンデミックの初期に同社のサイドプロジェクトを立ち上げたことです。
プレッシャーのかかる状況で、困難にもかかわらず立ち上げが成功すると、信じられない程やりがいを感じました。これらの経験により、創造性とビジネスのバランスに対する理解が深まり、今日のプロジェクトへの取り組み方に影響を与えています。
また、フィルムメーカーとしての活動も続けていて、2023年に自主制作した短編映画『Unmotivated Filmmaker』は、KINO Short Film Fest、ロサンゼルス国際短編映画祭(LA Shorts Fest)、Beyond The Shortなどの短編映画祭での上映作品に選定され、賞をいただくことができました。
――英語の習得について、読者の方にアドバイスはありますか?
8歳のときに米国に移住し、英語に囲まれて育ったので、私のアドバイスが役立つかどうかはわかりませんが、最初に到着したときに役立ったのは、アメリカのテレビや映画を観ることでした。
これらにドップリと浸かることで、学習が楽しくなり、会話のフレーズや文化的背景を習得するのに役立ちました。毎日仲間と交流することも鍵でした。
その後、高校では、好奇心からスペイン語の授業を受けました。先生や友達とスペイン語を話す練習をしました。そのおかげで、スキルが向上しただけでなく、勉強のプロセスが楽しくなりました。言語の学習と、それを話す人々との積極的な交流を組み合わせることが、学習に最適な方法だと思います。
これは、VFXアーティストとして、学習と実践の両方を通じて頼りになるテクニックを開発する方法に似ています。言語学習は、日常生活の一部になったときに最も効果的です。
――将来、海外で働きたいと思う読者の方へ、何かアドバイスはありますか?
もしハリウッドで働きたいのでしたら、技術と創造力を高めることは不可欠ですが、業界内でのコネクションを築くことも同様に重要です。そのための最善の方法は、人と会って、協力できる状況に身を置くことです。
これは、映画やVFXの学校に通ったり、フィルムメーカーにメールを送ったり、業界のイベントやパーティーに参加したりすることを意味します。
運は、キャリアの軌道を形成する上で重要な役割を果たしますが、積極的に行動し、適切な環境に身を置くことで、幸運に恵まれる可能性を高めることができます。
もちろん才能と努力は重要ですが、チャンスは「途中で築いた人間関係を通じてもたらされる」ことがよくあります。
【ビザ取得のキーワード】
①日本で生まれ、ロサンゼルスに移住
②アートセンター・カレッジ・オブ・デザインへ入学
③フリーランスのVFXアーティストとして活動を開始、Magnopusに参加
④米国グリーンカード保持者として、米国で勤務
あなたの海外就業体験を聞かせてください。インタビュー希望者募集中!
連載「新・海外で働く日本人アーティスト」では、海外で活躍中のクリエイター、エンジニアの方々の海外就職体験談を募集中です。
ご自身のキャリア、学生時代、そして現在のお仕事を確立されるまでの就職体験について。お話をしてみたい方は、CGWORLD編集部までご連絡ください(下記のアドレス宛にメールまたはCGWORLD.jpのSNS宛にご連絡ください)。たくさんのご応募をお待ちしてます!(CGWORLD編集部)
e-mail:cgw@cgworld.jp
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TEXT_鍋 潤太郎 / Juntaro Nabe
ハリウッドを拠点とするVFX専門の映像ジャーナリスト。著書に『海外で働く日本人クリエイター』(ボーンデジタル刊)、『ハリウッドVFX業界就職の手引き』などがある。
公式ブログ「鍋潤太郎☆映像トピックス」
EDIT_山田桃子 / Momoko Yamada