オーストラリアのブリスベンからお届けしよう。本連載ではアーティストにご登場いただくことが多いが、今回は経営者としてオーストラリアにVFXスタジオを設立し、プロデューサーとしても活躍されている高田 健氏に話を伺った。
Artist's Profile
高田 健 / Takeshi Takada (Alt.vfx / 共同代表取締役)
埼玉県で生まれ、小学校卒業後に父親の仕事の都合でオーストラリアへ移住。現地のハイスクールと大学を卒業した後、日本に帰国し、大手IT企業や広告代理店で8年間マーケティングの経験を積む。その後、オーストラリアへ戻り、国内を代表するポストプロダクションにてプロデューサーとして5年間勤務。2011年にビジネスパートナーと共にAlt.vfxを設立。Alt.vfxはこれまでに数々の国際的な広告賞を受賞しており、現在ではブリスベン本社を拠点に、シドニー、メルボルン、ロサンゼルス、東京にスタジオを構え、グローバルな作品制作を行なっている
www.altvfx.com
<1>10代で移住したオーストラリアで世界の広さを実感する
――子供の頃や、学生時代の話をお聞かせください。
私は埼玉生まれの東京育ちです。父親の仕事の関係で海外転勤が多く、2歳でシンガポールへ行き3年間過ごし、12歳のときに家族でオーストラリアへ引っ越しました。以降、ハイスクールと大学を含む学生時代は、オーストラリアで過ごしました。
自分の中では、10代のときにオーストラリアのブリスベンに住んでいたことが、その後の人生に大きな影響を与えました。というのも12歳のときに「ブリスベンWORLD EXPO‘88」が開催されたのです。日本に住んでいた普通の少年が、世界万博が開催された地に引っ越し、「世界ってこんなに様々な国や文化があるんだ」ということを目の当たりにして、グローバルな視野が広がりました。
移住した当初は英語ができなかったので、8ヵ月ほど移民のための英語学校へ通いました。今でもそうですが、オーストラリアは移民を受け入れていて、エルサルバドル、ベトナム、ユーゴスラビア、中近東、アフリカ、中国、台湾、香港など様々な国から来ている人たちがいます。英語学校は12~18歳のクラスだったのですが、国や文化の対立でグループ同士のいざこざがあったり、日本ではあり得ない光景を目の当たりしました。こうした新しい状況に置かれて、コミュニケーション能力や世界の文化を学習するなど、順応能力が培われたと思います。
その後、現地の学校に入学しました。私はスポーツが大好きで、バスケットボールやラグビーに興じ、充実したハイスクール時代を過ごしました。オーストラリアで学生時代を過ごしつつ、日本人としてのアイデンティティもあり、こうしたハイブリッドな環境の中で、自分のアイデンティティが形成されていったと思います。
もともと、「いつか日本で就職したい」という夢をもっていました。また、学生時代は夏休み期間に毎年日本へ2ヵ月間ほど戻ってきていたので、その期間に日本でアルバイトしたりと日本での適応能力も培い、また英語力をうまく活用したいという気持ちがありました。
そこで大学卒業後、学生時代からお世話になっていた方に声をかけていただき、日本で就職しました。最初に就職したのは日本のIT系企業でした。社長室付で新規事業や海外事業部の立ち上げを担当しました。経営者の方から「経営の帝王学を教えてあげよう」という形でお声がけいただいたので、特殊な入社形態ではありましたが、様々な経験を積むことができました。中でも、仕事を通じて電通さんで働いているクリエイティブの方との出会いがあり、とても刺激を受け、クリエイティブや映像分野に憧れ、その後に転職しました。
――日本での社会人経験は、どのようなものでしたか?
20代のときに日本で社会人経験ができたことは大きな糧となりました。31歳までの8年間で5社での勤務を経験しましたが、様々な環境で多くの方から教えていただきながら成長できました。20代は良い思い出でいっぱいです。私は、新規事業の立上げ、マーケティングに加え、外資系広告代理店の国際部で海外クライアントブランドの営業担当をしていました。
30代に入り、次のステップを考えました。当時はAIもなくバイリンガルが重宝されていたので、次に向かう候補として、上海・ロンドン・ニューヨークなどを考えていました。その頃に、自分が育ったブリスベンにあるポスプロの社長から直々にお声がけいただいて、ブリスベンに戻ることになりました。
――その後、Alt.vfx(以下、オルト)立ち上げまでの経緯を教えてください。
ブリスベンのポスプロでは5年間ほど勤務しました。オーストラリアでも大手のポスプロで、日本のTVCMなどを請け始めていた時期でした。当時、日本の仕事は魅力的で予算もあったので、プロデューサーとしてある程度、貢献できたと思います。
5年目の2011年、ブリスベンで大洪水が起こり、都市機能が麻痺するという大きな自然災害が起こりました。ちょうどそのとき、私たちは安室奈美恵さん主演のコカ・コーラのTVCMというビッグ・プロジェクトを担当していました。我々のプロジェクト・チームは、都市機能が完全に麻痺している中、サーバやコンピューターを全て最上階の会議室に移動し、発電機を手配し、作業を続けました。ビッグ・プロジェクトでしたし、面白い企画だったので、モチベーションがマックスの中、無事に作業を完了させました。
そのとき、会議室でお互いに目を合わせて、「もっと上を目指せる。このメンバーが揃えば、絶対良い作品をつくり続けることもできるし、グローバル・スタンダードで世界を狙える」という話をしました。その6ヵ月後に、今、私が共同代表を務めているオルトを立ち上げました。その中の1人が、当時VFXスーパーバイザーだったコリン・レンショーで、彼は現在、私のビジネスパートナーです。大ピンチの中に、必ずチャンスがある。自分で運を呼び寄せる。そういう部分でチャンスには恵まれました。
オルトの初作品は、「Tooheys Extra Dry」というビールのTVCMです。会社が本格的に稼働する直前から見積もりやプレゼンに参加して、確かThe Millが競合相手だったのですが、我々が勝ちました。しかし、まだオフィスもサーバもレンダーファームもない状態だったので、200%のパワー全開で制作に取り組みました。
3~4ヵ月後に納品したのですが、この作品は世界的にバズり、世界最大の広告祭であるカンヌライオンズ国際クリエイティビティ・フェスティバルを始めとする世界中の賞を受賞でき、まさにシンデレラ・ストーリーのようなスタートを切ることができました。
このようにオルトは、突如、彗星のように現れたVFXカンパニーで、しかも所在地がシドニーやメルボルンでもなく、ブリスベンです。日本に例えると名古屋や福岡にあるスタジオが国際的な賞を取りまくるような感覚でした。一番難しかったのは「一発屋ではなく、良い作品をつくり続ける」という点です。これも皆様のサポートのおかげで、現在まで良い作品をつくり続けることができてます。
また幸運なことに、意識が高く、知識やセンス、クラフト力をもち、同じ目標を目指し集まってくれた同志、コアメンバー6名で会社を立ち上げたことが、会社の成長に繋がったと思います。
素晴らしいコアメンバーがいると、他の人たちを引き寄せるのです。「あの会社と一緒に仕事をしたい」、「あの会社がつくった作品のようなプロジェクトをやりたい」、そういったプロデューサーやアーティストの方が必然的に注目し集まってくるのですが、その吸引力のようなものを、立ち上げのときから出せていたので、とても良かったと思います。
また、私の学生時代はバブルの絶頂期だったので、経営者やビジネスで成功している方々がオーストラリアによく来られていました。そういう方々と親交をもち、一緒にいることでインスピレーションを得ることができました。就職したときも社長室で経営者が近いところにいたので、「自分もいつか経営者になりたい」、「会社をつくりたい」という夢があり、自然と何かを吸収していたのかもしれません。
会社がはじまった後はもう「前進のみ」で、立ち上げの頃は自分が30代だったこともあり、勢いがあったと思います。
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<2>世界を相手にAI・AR/VRなども手がけるVFXスタジオを経営
――オルトは、どのような会社でしょうか。
約15年前に6人でスタートしたスタジオなのですが、現在は「オルト・グループ」という言い方をしていて、VFX以外にもAI、AR/VR、バーチャル・プロダクション、スタジオ、モーション・デザインなどを手がけています。
最近、人からどういう会社なのかを訊かれると、「うちはクリエイティブ・テクノロジー・カンパニーです」という答え方をしています。クリエイティブ力やテクノロジーを駆使して、コンテンツやソリューションなど、様々なものを創出していく会社です。この15年間で毎年少しずつ変革していて、来年どういう会社になるのか楽しみです。急速に変わっていく時代のながれに飲まれることなく、先を見ながらトランスフォームできる会社であり続けたいと思っています。
オフィスはブリスベン・シドニー・メルボルン・LA・東京にあり、この規模の会社で、これだけのリージョンをカバーしている会社は他にないと思います。オーストラリアの企業ではありますが、設立当初からグローバル・カンパニーとして世界を視野に作品づくりをしてきて、これからもグローバル・カンパニーとしてあり続けていくのは間違いありません。
どこの国の仕事をしているのか? というと毎年異なるのですが、とくに設立当初は日本市場にお世話になり、日本のブランド、広告代理店やプロダクションの皆様のサポートがなければ今のオルトはないと思います。その意味では、日本市場には大変感謝してます。日本は今でも間違いなくキー・マーケットです。それ以外にも北米、シンガポールを含むアジア圏内のプロジェクトが多いです。市場的に一番大きいのは、オーストラリアですね。
――社員数はどのくらいですか?
ブリスベンの本社は50名、全社ですと70名ほどです。
海外市場では、リージョンによって景気のアップ&ダウンが異なります。世界中の市場が同時に元気なのがベストですが、例えば日本の市場が好調なときは北米の元気が良くなかったり、逆に北米市場が超元気なときは日本の元気がなかったりと、国によってトレンドが入り混じるので、その点を感じとりながら、地道にクライアント・ベースをつくりつつ、良い作品さがしを維持しています。
――担当された作品の中で、思い出に残るエピソードはありますか?
設立当初はTVCMばかり手がけていましたが、ここ3年ほど映画やドラマなどの「長編もの」の作品に参画する機会が増えました。オルトのように、TVCMと映画を同時進行で進められるハイブリッドなVFXカンパニーは少ないと思います。TVCMの場合、納期が短いので、スポーツで言うところのスプリンターでなければなりません。一方、長編映画の場合はマラソン・ランナーです。この両方を融合させたパイプラインを開発して、同時にパラレルで走らせられるカンパニーは、なかなかありません。しかも、様々な国の仕事を受注し、AI、AR/VRも手がけるというスタジオは珍しいと思います。
アカデミー賞で監督賞を受賞した2021年の映画『パワー・オブ・ザ・ドッグ』では、メインVFXベンダーとして参加させていただけたことを大変誇りに思っています。これまで、アカデミー賞を受賞する作品に携われる機会があるとは夢にも思ってませんでしたので、とても感動しました。
また、Netflixの『幽遊白書』のVFXにも、ベンダーの1つとして参加させていただきました。こういう世界に通用する素晴らしい作品に携わる機会をいただけたのは嬉しいことでした。
やはり、良い作品のお手伝いができるというのは、夢のあることです。世界のどこでも良いので、誇りに思える素晴らしい作品に携われる、そういった日本人アーティストが1人でも増えれば良いなと、日々思っています。
――VFXスタジオの経営者として面白いのはどんな点ですか?
素晴らしいビジネスパートナーとコアメンバー、アーティストたちに恵まれ、幸せだと感じています。これからも良い作品や、誰も見たことがないようなコンテンツや作品をつくれるチームを続けていきたいです。
最近思うのは、若くて優秀なアーティストたちが成長していく様子が素晴らしいということです。数年で世界レベルに通用するアーティストになるなど、その成長を見ているのがとても楽しいです。
数年すると他のスタジオへ移籍して活躍する人材も多く、言ってみれば「オルト・アカデミーを卒業」して海外で活躍している人を見ると、嬉しく誇りに思います。これからも良いアーティストを輩出できる会社でありたいです。
――英語や英会話のスキル習得で、アドバイスはありますか?
ビジネスの世界では小学校4~5年生レベルの英語力でコミュニケーションできます。研究によれば、日常英会話では最頻出の1,000〜3,000語を知っていれば約85〜90%の会話を理解できると言われています。英語の習得は、継続が大切だと思います。今では、あらゆるツールでコミュニケーションが取れるようになっていますし、やり方はいろいろあると思います。なので、皆さんが考えているほど英語の壁は高くなく、それなりの根気と努力があれば習得可能な言語だと思います。
アーティストとしてスキルと経験があって、英語でコミュニケーションが取れれば、この業界では「リミット・レス」。つまりゴールデン・パスポートのようなもので、イギリスでもカナダでもアメリカでもオーストラリアでも、世界中どこでも就職でき、しかもクリエイティブな仕事ができます。こんなに可能性があって夢のある業界は、ほかにないのではと思っています。
1つ言えることは、できれば、なるべく若い年齢で海外に出た方が良いと思います。可能であれば、短期留学なども含めて10~20代で国際感覚やコミュニケーション能力を肌で感じて身につけた方が、成長率は高くなると考えています。
かと言って、海外へ行かない人が手遅れかというと、そんなことはありません。すでに述べたように、英語の習得はそれほどハードルが高くないので、ぜひ頑張っていただければと思います。
――オーストラリアの就労ビザの難易度は?
オルトでも外国人アーティストを採用していて、就労ビザをサポートしています。今まで様々な国の方を採用してビザのサポートを行なっていますが、手続き自体はそれ程、難しくありません。
まずビジネス・ビザをサポートして、3年ほど過ぎて永住したい方には、永住権が申請できます。その後、一定期間が経過すれば市民権が申請できます。
オーストラリアは移民に寛大な国なので、企業への採用が決まり、スキルと経験と語学力さえあれば、その後の就労ビザの申請自体は難しくありません。
――ブリスベンでの生活についてお聞かせください。
私自身は東京とブリスベンにしか住んだことがありませんが、ブリスベンは最高だと思います。世界各地で経験を積んだ後にブリスベンで仕事しているアーティストたちの話を聞くと、「仕事とプライベート・ライフのバランスは最高だ」と言っていました。気候も良いですし、子育てするには最高の場所だと思います。冬場も、寒くても気温が10度くらいです。アメリカと比較しても物価は高くありません」。
ブリスベンは、3人に1人は海外で生まれたというほど多国籍文化です。日本食レストランもたくさんあります。また、直行便で9時間ほどで東京や大阪へ飛べますし、日本との時差も1時間くらいです。日本に近いということもあり親日家が多く、今、オーストラリア国民のバケーションで人気ナンバーワンは日本です。年末年始には、うちの社員も5人ほど日本へ旅行に行っていました(笑)。
――将来、海外で働きたい人へのアドバイスをお願いします。
日本のアーティストにはジェネラリストが多い傾向があると思いますが、スペシャリストの方が世界の舞台では戦いやすいと思います。うちのスタジオも、スペシャリストが中心です。専門分野に長けているスペシャリストの方が、たくさんのショット数を裁いていく場合などに、速く、効率良くプロダクションが進行できます。
私自身は、先ほどもお話しましたように、「こんなに夢のある業界・職種はほかにない」と思っていて、スキルと経験と語学力を身につければ、世界のどこでも仕事ができます。
アーティストでしたらデモリールを磨き、英会話については努力すれば絶対に上達しますので、ひたむきに英語習得の努力を積む、というのが良いと思います。
また将来という意味では、「自分のヒーロー」を見つけること。「こうなりたいな」と思う人を見つけると、その人がそこまで辿り着いたキャリア・パスを知ることができ、それが良いヒントになります。そして、今はSNSなど様々なツールがありますので、そういう人たちと繋がりましょう。連絡を取って、アドバイスを貰うのも良いと思います。
もし私にできることがあれば、オーストラリアのアーティスト事情や経営事情など、質問をLinkedin経由で連絡をいただければ、お答えできると思います。
今、『ワンピース』、『ゴジラ』、『幽遊白書』などに代表される日本のIPやコンテンツが、今まで以上に世界で注目されています。世界的に通用する日本の作品が注目されていますので、一緒に盛り上げていきましょう!
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【ビザ取得のキーワード】
①12歳のときに家族でオーストラリアへ
②オーストラリアで永住権を取得
③日本で社会人経験を積み、再びブリスベンへ
④ブリスベンでスタジオを設立
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TEXT_鍋 潤太郎 / Juntaro Nabe
ハリウッドを拠点とするVFX専門の映像ジャーナリスト。著書に『海外で働く日本人クリエイター』(ボーンデジタル刊)、『ハリウッドVFX業界就職の手引き』などがある。
公式ブログ「鍋潤太郎☆映像トピックス」
EDIT_山田桃子 / Momoko Yamada